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だいいっしょー。 その2



 洗面所に、水の流れる音が響く。

 ざぶざぶと、メリメが泣き腫らした顔を洗っていた。やがて、手を伸ばして蛇口の水を止めると、手を空中にさまよわせる。

「うー……たおる、ちょーだい」

「ほらよ」

 隣に立つ一輝はハンドタオルをメリメに手渡してやった。メリメは受け取ったタオルで顔をごしごしとふくと、さっぱりとした顔を見せる。

「おけしょーぜんぶとれちゃったじゃん。あーあ」

「……化粧? どこか変わったか?」

 一輝が正直な感想を言うと、むっとしてメリメがこっちを見てきた。

「変わったよ。ぜんぜんちがうじゃん、もー」

(……全然分からんが)

 一輝からすると、特に大きな変化は見られなかった。

 メリメのしていたのはごくうすいナチュラルメイクというもあるが、もともとすごく顔立ちの綺麗な女の子なのだ。はっきり言ってほとんどメイクの意味がない。意味はなくともそういうことをとりあえずやりたい、という年頃なのかもしれない。

「まあ、なんでもいいけどさ。あとは帰って家でやれ、家で」

 一輝がそう言うと、メリメはぷんすかと怒りはじめた。

「だから、帰れないんでしょー! これのせいで!」

 繋がった手を持ち上げて、一輝に突きつけてくる。

「あ、そうか。そうだよな……」

「なんなのよぅーっ、もー! うう~~、帰れないよぅ。もーやだ、あうう~~……」

 自分で言った言葉にがっくりきて、メリメはその場に座りこんでしまった。

「うおっ。おい、急に座るなよ」

 一輝の手が引っぱられて、危うく転びそうになる。

 メリメの身長は140センチもない。一輝の、胸の半ばあたりほどしかないくらいに小さい。そのせいで、距離も考えずに突然座られたりすると、どうしても手の長さが足りなくなってしまう。

しかたなく一輝も腰を下ろして、洗面台を背にして座った。

「はあ……なんだか、すげえことになっちゃったなあ。ツッコミどころが多すぎるぞ。ぶっちゃけ、全然わけ分からん。ぜんっぜんわけが分からん……」

 悪魔は出るわ、手が繋がってしまうわ、しかも外せないわ。

 さんざんである。

「一体どうして、わたしの手がこうなっちゃったんだろ……。ちゃんと、ふつうの召喚だったはずなのに……」

「さーなあ。俺には分からねえよ。気づいたらお前がいて、悪魔合体されてたわけだし。コンゴトモヨロシク、ってか? そりゃ外せねーよな、これじゃ」

 一輝はつぶやきながら、繋がってしまった手を眺めてみた。

 何度確かめてみても、結果は変わらない。二人の手はしっかりと繋がっている。

 一応、指は動く。メリメの手のひらから飛び出た、本来自分のものらしき指は飛び出している部分だけなら、なんとか動かすことができる。逆に、自分の手のひらにあるメリメのものらしき小さな可愛らしい指は、一輝の意思では動かない。

「神経とか、そのへんは繋がってねーのかな……? それなら病院で、手術かなんかでも外せるのか? あ、でもなんて説明すりゃいいんだ」

 こんな手を見せに人前に行ったら、どんな目で見られるやら。

 そもそも外聞はともかく、一輝にそんな金はない。学生の一人暮らしなのだ。

「……お前の先生とやらに外してもらったほうがいいな。オマケに、手の甲に変な文字まであるし。乱暴にしたらなんか起きそうで怖いし。トカゲとコウモリね……どこに売ってるんだよ、そんなの。……お前は本当に外せないんだろ?」

 なんとかなりそうではあるようなのだが、トカゲやコウモリなんて、ふつうの人間は持っているわけもない。せっかく見えた希望も、少なくとも今夜中にどうにかすることはできないらしい。一輝はもう一度だけ聞いてみたが、メリメはやはり首を横に振った。

「だから、できないってば。できてたらもうとっくに外してるし、わたしこんなとこで座ってないし。あんたの願いを片して、もう家に帰ってるし……」

「まあ、そりゃそうだな」

 あまりにももっともな答えを返されてしまった。

 そんな一輝に向かって、今度はメリメが逆に質問してくる。

「あ、願いと言えば……。ねえ。そうそう、そういえば、あんたの願いをまだ聞いてなかったじゃん。なんでわたしを喚んだの?」

「え? 願いって。ああ、そういや」

 ふと、一輝はメリメが現れる前のことを思い出す。

「一体、なにを願ったのよ? わざわざわたしなんか喚んで」

「別にお前を指定したわけじゃねーけど。ん、なんつーかさ。彼女が欲しいなー、って」

「……。ハァ?」

「えっ?」

 メリメの方を見ると、ぽかんとしてこっちを見ていた。

「な、なんだよ。なに見てんだよ」

「ハァ? ちょっとわたし、意味わかんないんだけど。え? なに、どゆこと?」

「え、だから彼女とか……欲しいかなーって」

「彼女?」

「うん。彼女。神様仏様悪魔様、彼女が欲しいですーって言ったんだけど」

「……。……なんでわたし喚んだの……? わたし、消す魔法しか使えないのに。てゆーか、わたしみたいな年下に向かって彼女がほしーから叶えてくれとか、ええー……」

 メリメが変な顔をして軽く体を引く。

「う、うるせえな……! 悪魔のくせになにドン引きしてんだ、お前が聞くからだろうが。それにお前を指定したわけじゃねえっつってんだろ。むしろ、なんでお前が出てきたのか聞きたいぐらいだ」

「だ、だって。おうちでおかし食べながらぼけーっとしてたら、なんか魔方陣がぶわーって来たんだもん。そりゃ、いっちょやってやろーかなー、って」

「ぶわーって来たって。なんか適当だなおい」

「なんだよぅ。いーじゃん別に。……ふーん。彼女ねー。そーだねー、なんかあんたって、モテなそーだね。じゃあ、手はともかくだけど、それは叶えてあげるよ、がっこーの単位だし。対価もいらないよ。あんた、なにも持ってなさそーだしね」

「色々と大きなお世話だ。つーか、お前さっき手品しかできねーって言ってたじゃねえか。それでどうやって俺に彼女作るってんだ」

「あ、むか。消すのだって、りっぱな魔法なんだよぉ? ばかにすんなよぅ」

「それが魔法ならそこらじゅうのマジシャンが超魔法使いだな。そんなことより願いを変えてくれよ。この手を外してくれ。その、消す魔法を使えばできるかもしれんぞ」

「だ、だから、それはできないったらぁ! わたしの消す魔法は、ただの一時的なものだし……それに、そんなに細かいことはできないし……」

「あっそ。やっぱどーにもなんねーか、はあ。……まあ、しょうがねえや。わりと冗談じゃねーけど、しょうがねえことにするしかねえな。ほら、お前も立て」

 メリメとの手の長さに注意しながら、ゆっくりと一輝は立ち上がる。

「え、なに? あ、とかげとこうもり、買いに行くの?」

 メリメに言葉に、一輝は首を振った。窓際の置き時計を見ながら言う。

「違えよ。いくらなんでもこんな時間に、どこにも売ってるわけねーだろ。トカゲなんて、せいぜいペットショップぐらいだろうし。そうじゃなくて、寝るの。もうすぐ1時回るよ」

「え、なんでよ? 今からダッシュで買いに行ってくればいーじゃん、とかげとコウモリ」

「だからもう店閉まってるっての。それは明日だよ。それに行ってくればいいって、行くとなるとお前も一緒になるけどな……」

 ちろ、と繋がった手を見ながら言うと、う、とメリメがうめいた。

 離れて動けないので、買い物するにも一緒に出かけなければならないのだ。

「そういうわけだ。しかたねえだろ、今日のところはもう寝るしかねえよ」

 うんざりとつぶやきながら、とりあえず一輝は今着ているシャツのボタンに手をかける。今日は暑かったせいもあり、ひどく汗をかいていた。

 となりの悪魔少女は少し気になるが、寝るからにはジーンズはともかくせめてシャツだけでもいいので脱いで、寝巻きに着替えたかった。

「えっ、ちょっと。なにいきなり脱ごうとしてんの?」

 隣のメリメがそれを見咎めた。

「ああ? そりゃお前、寝るし汗くせーから着替えるんだよ。本当は風呂にも入りてーんだけどな……」

 一輝はそう言って、メリメを上から下まで眺めた。それから自分の繋がった右手を見る。

 繋がっている以上、風呂に入るとなるとどうしても一緒に入らなければならない。それにこれだけ至近距離だと、手を伸ばしてガラス戸ごしに片方ずつ交互に入る、というのもちょっと難しいだろう。カランのレバーに手が届くかすら怪しい。

「ハァ!? なにそれ、できるわけないじゃん!? わ、わたしのはだかが見たいって言うの!? ま……まさか、あんた「ろりこん」!? 「ろりこん」ってやつ!? わたしまだちゅーがくいちねんせーだよ!?」

「なに言ってんだお前!? ったく、ちげえよ……自意識過剰だってーの。お前みたいなちんちくりんの裸見たってしょーがねーだろ」

 一輝は面倒になってメリメを相手にせず、次々とボタンを外す。気分もベッコリ落ち込んでいるし、いい加減疲れてきていた。

「むかっ! な、なんだとぅ!? わ、わたしだって女の子だよ? な、なんで堂々と脱げるの!? マ、マジデリカシーないし……。さいあくだしぃ……」

 メリメは怒りなのか恥ずかしいのか、顔を赤くしてそっぽを向く。

「はいはいそーですね。む、これ片手だと脱ぎにくいな……よっ」

 それを気にせず、一輝は服の袖から手を抜いていく。歯を使って、自由なほうの左手をなんとか引き抜いた。

「あーめんどくせえ……。んで、……ん? あれ?」

 ピタリ、と一輝の動きが止まった。

 半分だけ上半身裸になりながら右手側の袖を眺めて、はたと考える。

 なにかおかしい。

「んん? ……あれ、これって? これってどうやって脱げばいいんだ?」


 右手側の袖が。

 抜けない。


 何度も何度も確認したことだが、一輝の右手はメリメの左手と繋がっている。

 なので、普通に引き抜くようにして服から手を抜けない。どうしてもメリメが邪魔になる。

「うん? えっと……?」

 となると、服を脱ぐためには。


 一、一輝の手からそのままメリメの左手側に持っていく。

 二、自然、服は手を通っていって、やがてメリメの肩に達するので、さらに肩を通し、ついでに袖をぐっと思いきり広げて、セーターでも着るみたいに頭からかぶるようにする。

 三、そこから上から下に降ろしていくようにして、メリメの胸、腹、腰、足を通過して、最後は両足首から床に落ちる。

 四、脱衣完了。

 代替案:もしくは一輝側から以上の手順を行なう逆バージョン。


 ……。

 こんな、手首を通すための細い、しかもまったく伸びない素材の袖で体全体を通す?

「え、……あ、あれ!? ぬ、脱げない!?」


 服を脱ぐことが。

 できない。


 そうなのである。

 お互いの手が繋がっているせいで、この状態では服を切り裂きでもしないかぎり、絶対に上着を脱ぐことができないのだ。

「げえっ!? ま、マジかよォ!?」

「え? 脱げないってなにがって、あっちょっとやだぁ。服着てよぅ」

「ぬ、脱げない! 脱げねえぞ、服が!」

「へっ、うそ? あ、ほんとだ。手の間で、服がぶらぶら」

「く、くそ! なんだって俺がこんな目に……!?」

 一輝は目をおおって天を仰ぐ。最悪である。

「きょ、今日はもう……このまま寝るしかないのか……!」

 新たな事実に気づかされて、またまたガックリしながら一輝はシャツを着直した。

 たとえハサミで切って強引に脱いでも、これではどっちにせよ服を新しく着ることもできないのだ。

「あ、あれ? じゃ、じゃあ、わたしも? わたしも脱げないじゃん!? えーーっ!?」

 メリメが自分も同じ境遇だということに気づいて、信じられないような顔をした。

「そりゃ、そうなるな。俺が脱げないわけだし」

「なにそれーーっ!? やだやだ、もうやだ、やってらんないーーっ!」

「俺だってやってらんねえよ……ヤケだ、もう寝るぞ。ほら、来い」

 色々とショックな出来事が多すぎて、正直ウンザリである。

 ふてくされた一輝はメリメを連れて自分の部屋に向かった。引き戸を開けて部屋に入ると、ベッドの上にごろりと寝転ぶ。

「寝よ寝よ、あとはもう明日だ。もう知らねえ」

「ううー、わたしも着替えらんないしー……なんなんだよぉ、もー」

「ふあーあ、しょうがねえから明日は学校サボりだ。駅前のペットショップでトカゲ買って、外すまでどうにもなんねえな。コウモリはあるかどうか分かんねえけど」

「はぁ。もう、さいあくー……。って、ねえ。ねえねえ、ちょっと」

 寝転ぶ一輝の服のすそを、メリメがくい、と引っぱった。

「ん? なんだよ」

「ねえ、なんかふつーに寝てるけど。わたしはどこで寝ればいーの?」

「え。ああ……そうか。そういやそうだな」

 言われてみればそうだ、と一輝は起き上がった。自分は別の場所で寝ようと、毛布を一枚片手に立ち上がる。

「んじゃしゃーねえ、俺は居間のソファー使うから、お前はこのベッドで寝ろ」

「うん。あ、でも。なんかこのベッド、ちょっと汗くちゃーい」

「なんだよ、しょーがねえだろ。うるさいヤツだな……じゃ、おやすみな。また明日ー……。って」

 しかたなしに毛布を持って居間に戻ろうとした一輝の後ろから、メリメがトコトコ歩いてついてくる。

「……。なぜ俺についてくる?」

「あ、あんたが、わたしを引っぱるから……?」

「……」

「……」

 やはりと言うか。当然である。手が繋がっているのだから。


 二人は離れて眠ることが。

 できない。


「嘘だろ……?」

「うそでしょ……!?」

 さっきやったばかりというのに、気づくのが遅い二人である。

 メリメがみるみるうちに真っ赤な顔になって叫んだ。

「ハ、ハァーー!? や、やだよちょっとぉ!? なにそれぇっ!?」

「マ……マジかよ!? べ、別々に寝れねーじゃねーかこれ」

「や、やだよぉ! なんとかして、なんとかしてよぅ! わたし困るーーっ!」

「な、なんとかって言われても! 俺にどうしろってんだ!?」

 文句をつけられても、一輝としてはどうしようもない。そもそも二人は離れられないからこそ、こんな事態になってしまっているのだ。

「どうにかしてよっ! なんとかしてよ! じゃー、どーなっちゃうっていうのよぅ!?」

「だから……つまりこれはもう……い、一緒に寝るしか……?」

「やだやだやだやだーーっ!? そ、そんなの、そんなのないよぉ!?」

「お、俺だってなんとかしたいけど! だってそれしかねえし。俺にはどうしようも」

「うう~~っ!? そんなのいや! いやいやいや! し、下! あんた、床に寝てよ! わたし、ベッドで寝るから!」

 メリメはベッドの下を指差して、そこで一輝に寝るように言う。

「……ええ? そりゃしょーがねーけど、うーん、嫌だなぁ……床は痛そうだなぁ……」

 一輝としてもいくら明らかに年下といえど、会ったばかりの女の子と同じベッドで一晩一緒に寝るというのは、さすがにちょっと問題があると思えた。一応、手をがんばって伸ばせば上下に別れて眠ることはできなくもない。

 しかしいくら夏だからといって、床でごろ寝するというのは勘弁してほしいところだ。それにベッドの高低差を考えると、一つ間違えてメリメが寝返りでも打てば、無防備な一輝に向かって落下してきかねない危険さえある。

 だがメリメは一輝のことなどお構いなしに、力強く何度も床を指差して、

「いいから下! あんたは下! 痛いとか、そんなの知らないし! わたしのとなりに寝るとか、ふざけんじゃ、ねーっ!! キモイし! やっぱり「ろりこん」なの!? ばかじゃないの!? 超ばか!! 防犯ブザー押すぞこんにゃろー!!」

「……ああ!?」

 勢いに乗って言いたい放題のメリメに、さすがに一輝もビキッときた。なんで自分がこんな子娘にここまで言われなければならないのか、という気分になる。

「ばか! ばかばか、ちょうばか! 変なこと言わないでよ、もーっ! いいから、あんたは下! 下だからね!」

「……」

「ね! 下! 下で寝てよ! いいでしょ、一晩くらい床で寝ても! ね! 決まり! 決まりったら決まり! はい決まった!」

「……。いやだ。いやです。俺はベッドで寝ます」

 メリメの言葉をスルーして、一輝は再びベッドに横になった。

 それを見たメリメが大声でわめく。

「ハアアァァァーーっ!? なにシカトしてるの!? わたしおねがいしてるのに! ねえ、下で寝てってばぁ!? ねえねえ!!」

「断る。お願いになってねえし。だいたいここは俺の部屋だぞ? なんで俺がそこまでせにゃならんのだ……。別にいいだろ、ちょっと手を伸ばして寝ればぶつからねえよ」

「そーゆー問題じゃないじゃーーんっ!! や、ややや、やっぱりヘンタイのろりこん!? 寝てる間にわたしにおそいかかるつもりでしょっ!?」

「だからロリコンじゃねえっつの! だいたい、この手で俺に何ができるってんだ。普通に動くのすら難儀するってのに」

 ひらひらと繋がった手を見せながら一輝は言うが、しかしメリメは納得しないらしくう~、う~とうなり声を上げて一輝を警戒する目で見てくる。

「だから、別になんもしねえっつの。どう考えたって今はそれどころじゃねーし。手ぇ繋がっちまってるし……。別々に寝れないんだから、しょーがねーだろ」

「やだ! やだ! ヘンタイ、ヘンタイ! ろりこん! けーさつ呼ぶぞ、このやろー!」

「うるせークソガキ、ロリコンじゃねえったらロリコンじゃねえ。まあ、どうしても寝たくないってんなら起きて座っててもいいけどさ。ていうかむしろそうしろ、俺は寝るから」

「こ、このぉっ! ……むー……!」

 メリメはそうとう不満らしく、口をへの字に曲げて一輝をにらみつけてくる。

 しかしやがて、特に他の解決案も見つからなかったのか、諦めてベッドに腰かけた。ただし、毛布を丸めて一輝との間に置く。

「ううう~~……! い、いい!? ぜったい、絶対この毛布からこっちに来ないでよぉ! 分かったぁ!?」

「はいはい、行かねえよ。どーでもいいから電気を消してくれ。ふぁ……」

 毛布は境界線のつもりらしい。一輝はあくびをしながら、適当に頷いておいた。

 もう面倒くさくなって、まともに相手をしたくなかった。

 いくら女の子でも、相手はほぼ小学生である。一輝には変な気持ちなどまるでわいてこない。

「ぜったい、ぜったい何もしないでよぉ!? いい!? ね、いい!?」

「いい、いい。いいから電気、消してくれ。眠ぃし」

「むううー……! もうわかったよぅ、消せばいいんでしょ! 消せば!」

 メリメが手を伸ばして、延長された蛍光灯のヒモを少し乱暴に引っぱった。

 カチ、カチと音がして照明が消え、部屋は夜と同じ暗さに包まれた。一輝は目をつぶる。

「……」

「……う~……!」

「……」

 隣のうなり声がやけに気になる。軽くチラリと横を見てみた。

 まだ暗闇の中で、メリメが座ってこっちをにらんでいる。

「なんだよ、俺を見るな。寝ないのかよ」

「寝るわけないじゃん! なにされるか、わかんないのに」

「あっそ。なんでもいいけど、寝るんだから騒ぐなよ」

「そっちこそ、ぜーったい変なことしないでよ! わかった!?」

「はいはいそーですね、はあ。……しっかし、これはなあ……」

 一輝はぞんざいに答えつつ、繋がってしまった手を再び見てみた。

 繋ぎ目のない、一体化した一つの手。

 手の甲にある見たことのない異質な文字が、暗闇の中で静かに赤黒く浮かび上がっては消えている。

 一輝には何が書いてあるのか、どういう意味を持つのかは分からない。だがそれはまるで、生きているような、不気味な息遣いのようにも見えた。

「……。なあ、この手の甲のやつ、なんなんだ? どういう意味?」

 なんとなく気になって、隣でうなるメリメに聞いてみる。

「む~~……! え、なにがだよぅ」

「だから、この手の甲の文字? だか、模様みたいの。分かんねーけど、なんか意味があるんだろ? みょんみょん光ってるしさ」

「え? だから、そんなの聞かれても、わたしは陣の解析なんてできないんだけど……。ちょっと待って、えーと……」

 メリメは顔を寄せて手の甲を見つめた。

 しばらくして、顔を上げて答えた。

「えっと。『聖書に唾を吐き、十字架を足蹴に。パンを石に、葡萄酒を水に戻せ。我ら楽なく苦を分かち合い、共にあらんことを』……? たぶん、だけど」

「なんだそれ?」

「さあ? わたし、わかんない。あと、下にまだなんか書いてあるけど……圧縮文字じゃんこれ。わたし、読めないよ」

「十字架? キリスト教とか、そのへん?」

「聖書にべー、とか十字架きっくとか、パンとか葡萄酒っていうのはよくある決まり文句なんだよね。だからそのへんは、たぶんどーでもいいんだけど?」

「分かち合い、ってなんだよ? なにを分かち合うってんだ」

「だから、わたしはわかんないし。……分かれるだから、魔方陣が分解しちゃって、勝手に外れるのかも? そういうことたまにあるし」

「分かち合うって意味違うだろ……。まあ、そうだといいけどな。どうせ明日、お前の先生がなんとかしてくれるんだろ?」

「うん。喚べさえすれば、ぜったいだいじょうぶなはずだけど……明日になったら、外れてないかなー……」

「それが一番だけどな……。なら、別にいいや。俺はもう寝る」

「……。変なことしたら、大声でさけぶからね。けーさつにしょっぴいてもらうからね。わかった?」

「まだ言ってんのか。だからしねえよ……。おやすみ」

 今度こそ一輝は眠ろうと、となりの少女から顔を背けるように壁を向いて目をつぶった。


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