Scene;2
しんと深まで冷えきった、真なる芯の静けさよ。
しかりしからば心に降る、秦と神鳴る白の雨。
天なる朝の藍色は、幾星重ね色無くし。
しんしんかしゃりしんかしゃり、雪無き雪を掻き分けて。
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ある都市が死んで13時間。子持ちの蜘蛛はサカリと雪を掻いている。白さすらない白い平原を鈍色の子持ちはサカカサリと。そうしてその脚は無限に細かい曲線を描きながらただ一か所を目指している。
「なぁモノ」
その蜘蛛の背の子のイヌゴケが、欠伸一つで問い掛けた。
「退屈で仕方ないんだが、ゲームでもやらないか」
無駄の一つも削ぎ削いだ多脚歩行機に遊ぶ機能はついていなかったが、どうやらイヌゴケはその機能の`遊び`に目を付けたらしかった。
「なんだ、またか。あと三日はこのままだ。残念だが」
ぶっきらぼうに返される。しかしイヌゴケはどうあっても試したいようだった。
「いいじゃないか減るもんじゃなし。多脚歩行機のことは俺より分かるんだろ?」
その問答ももはや三度目。付くまで言わせておくよりは良し、か。溜め息ながらにそう判断すると、彼は多脚歩行機の移動を自動にし、生体維持以外の処理速度をイヌゴケへと回した。
「壊さない範囲で好きにしてくれ」
おお、と嬉しそうにイヌゴケは目を開いた。それから首を縦に振り回し。
「任せといてくれよ!じゃあ早速」
と、軽く指を動かした。
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望み望んだあの青を、青い仰いだ紺碧を、空掻き叩き逆に落つ。叢雲白雲連ぬいて、此処は何処か我に帰る。
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その`遊び`は多脚歩行機にとって正に`遊び`でしかなかったから、それをするのに何か不具合が生ずるわけもなかった。多脚歩行機、クモ、遺物、図書館、「探す者」、あるいは様々に呼ばれるその機械は正に人の作り出した、ある意味では最高傑作だった。人が、技術が、都市が僅かに残り、ほんのわずかな進化とどうしようもない退化を進めるその最中にただ静止出来る程の。だから、ほんの`遊び`に自分の内に過去の地球を再現するなんて簡単なことだった。
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「なんだ。ここは。なんだ」
モノは自分がどういう状況にあるのか理解できなかった。彼にとっての世界はそのほとんどが無機的な、金属的な壁だったから、その反応も至極当たり前だった。いいや、人は人でしかないのだから、こんな状況に放り出されれば理が解さないのも当たり前のことだ。自らの足が青と白の狭間に立っているならば。頭上には黒くなってゆく青。眩い光点が身に目に光の線を降らせている。
「よおモノ、気分はどうだ」
軽い調子で話しかけてくるその姿は見えないが、少なくともその声にモノは安心し、それから呆れたようだった。
「イヌゴケ。なんだこれは。説明してくれ」
どこを見て良いのか分からない、余りに広いその空間をモノはぐるり見ながらそう言った。
「ここは落ち着かない」
それを観てクスリと笑うと、イヌゴケは何もない空からにじみ出るように体を浮き上がらせた。それは実像を結びながら言う。「ここは空だ」と。それから「あ、いやもう少しで宇宙なのか」とも。
「西暦2025年、5月7日。午後2時17分。場所はシドニア海域の上空」
浮かび上がり終わると、イヌゴケはモノに歩み寄りながら続ける。
「200年前の我が星だよ。極のオゾンはまだ元気、ご覧の通り空は明るいし、足下には今の十万倍の人間が暮らしてる」
そうして寸前まで近寄ると彼は右手を差し出した。
「顔を見るのは初めてだな`スペシャリスト`。積荷の積荷、ハワタだ。挨拶しなきゃと思ってたんだが、お前さん画像付きの通信してくれないからさ、俺が遊びたいのも併せてこうさせてもらった。しかしすごいねこいつは」
イヌゴケは差し出された右手に反応を返さないモノの態度に呆れる様子一つ無くその手を引っ込めると、モノに倣うように辺りをぐるり、見回した。雲の遥かな凹凸による陰影、水の粒の一つまで演算されたテクスチャア、それから放射されている光の暖かさ、その暖かさすら打ち消す遥か空の大気の冷たさ。それら全てを多脚歩行機は自らの内に作り、そうして彼らをそこへ送り込んでいた。
「素晴らしい、が」
たっぷりと辺りを見回してからモノは言う。
「こんな無駄なものをどこから探して来たんだ?」
「俺は開発部の人間だぜ?
都市の、というよりも旧世紀の遺物とは良く出くわすんだ。もっとも、ほとんど使えなくなっちまってるんだけどな」
彼はモノの目を見ると、それに、と続けた。
「こいつは無駄じゃあない。少なくとも俺はこれで楽しめるし、なにより」
頷いて続きを促す彼を認めるまでたっぷりと間をおいて。
「これには`あの日`が詰まってる」
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