第25話:玉ねぎの皮はどこまで剥くのだ?最強の育成機関、爆誕。
安土の小姓が平然と魔法を操る光景を目の当たりにした衝撃は、アルフレッド王子の胸に重く沈殿したまま、深い眠りへと落ちていきました。
ーー翌朝。
安土城の最下層にある小姓たちの詰所に、鋭い朝日が差し込みました。
「……おはようございます。殿下、準備はいいですか」
ランの声に呼び出され、ドアを開けたアルフレッド王子は、支給された「小姓の隊服」に着替えを済ませていました。それはノエルがデザインした、黒を基調とした機能美あふれる装束でした。
しかし、部屋から出てきた姿を見て、ランは思わず絶句しました。
(……これ、本当に他の小姓にバレないんでしょうか……?)
ランが不安になるのも無理はありませんでした。
アルフレッド王子は、この国一番と言っても過言ではないほどの美形です。センター分けに整えられた輝くブロンドの髪に、長く伏せられた睫毛。ブルーの瞳に、彫刻のように整った鼻梁。シンプルな黒の隊服は、皮肉にも彼の持つ圧倒的な気品を際立たせていました。
「おはよう、待っていたぞ!ラン!」
ニコリ微笑むと優しげで、それでいて凛とした風格があり、驚くほど足も長い。
自分と同じ服を着ているはずなのに、アルフレッド王子が纏うと、まるで一流の仕立て屋が作った特注の礼装に見えてしまうのです。
「どうした、ラン。……着方が間違っていたか?」
「いえ、完璧でアラセタテマツリソウロウ!!!!」
極限の緊張から、ランの口からは聞いたこともないような奇妙な敬語が飛び出しました。当の本人は、変な言葉遣いになってしまったことを猛烈に悔やんでいました。しかし、アルフレッド王子は自分に対して緊張するのは当たり前のことだと、さらにニコリと微笑んで流しました。
そこに、隣の部屋から出てきたアレン騎士団長と目が合いました。
彼もまた、鍛え上げられた長躯に黒の隊服を完璧に着こなしており、大人の男の渋みが溢れ出ています。
(……かっ! カッコ良すぎる!!!)
男なら誰もが憧れる騎士と、物語から抜け出してきたような王子様。二人の放つ凄まじい「顔面偏差値」の暴力に挟まれ、ランは平常心を取り戻そうと両手で自らの頬を叩き、深呼吸をしました。
「……よし、行きましょう。まずは厨房です。朝食の準備から始めていただきますよ」
※※※
小姓の朝は早い。最初の仕事は、全員分の食事を作る「炊事」でした。
しかし、ここで早くも王族と騎士の限界が露呈します。
「……アルフレット様、包丁は『振る』ものではなく『引く』ものです。アレン様も、玉ねぎを敵兵のように斬らないでください!」
生まれてこのかた包丁など握ったこともないアルフレッド王子とアレン騎士団長は、ランや他の小姓たちに囲まれ、必死に野菜の皮剥きに挑んでいました。
ジャガイモを削りすぎて消滅させるアルフレッド王子の隣で、アレン騎士団長がまな板を包丁で叩き割って申し訳なさそうにしていました。
「玉ねぎの皮はどこまで剥くのだ?」
「茶色い部分がなくなるぐらいですよ」
ランが隣で別の作業をしながら即答すると、アルフレッド王子は「なるほど、徹底的な排除だな」と深く頷きました。
数分後。ランがふと王子の手元を見ると、そこには真珠のようなサイズにまで小さくなった、哀れな玉ねぎの芯が転がっていました。
「……アルフレッド様。あの、玉ねぎはどこへ?」
「ああ。茶色い層を剥ぎ、その下の薄緑の層も不純物と判断して除去した。さらにその奥の、少しでも色の付いた皮を……」
「剥きすぎです! 食べるところが残ってません!!」
炊事場という名の戦場で、二人の高級貴族は完膚なきまでに自尊心を粉砕され、魂が抜けたような顔で立ち尽くしていました。
一通り炊事を終えた後、一行は屋外の練兵場へと向かいました。
そこでは、まだ幼さの残る少年たちが、泥にまみれながら厳しい鍛錬に励んでいました。
「……信じられん。あの子どもたちの足さばきを見てください、殿下。無駄が一切ない」
アレン騎士団長が感心したように呟きました。彼らは魔法を身体能力の補助に利用し、限界を超えようとしていたのです。
しかし、幼少から王国の第一線で騎士たちと共に剣を交え、英才教育を受けてきたアルフレッド王子は、黙って見ていられなくなりました。彼にとって、未熟な剣筋を正すのは上に立つものの義務であり、染み付いた習慣でもあったからです。
「おい、そこ。……重心が後ろに寄りすぎている。魔法を放つ瞬間に、右足の親指に力を込めてごらん。魔力の流れが一本の軸になるはずだ」
意外にも面倒見の良いアルフレッド王子は、少年の肩を抱き、優しく、しかし理論的に指導を始めました。アレン騎士団長もまた、別のグループに混ざり、「剣筋が死んでいるぞ。刃の重さを指先で感じろ」と、かつての部下を鍛えるような熱血指導を開始してしまいました。
「わあ、イケメンのお兄ちゃん教えるのうまいね!」
「魔法の回し方が、先生よりわかりやすいよ!」
子供たちは、相手がこの国の王子だとは夢にも思わず、面倒見の良いアルフレッド王子にすぐさま懐きました。
気品あふれる美形でありながら、真摯に自分たちと向き合ってくれる「新入りのお兄ちゃん」に、詰所の空気は一気に和んでいきます。
その様子を遠くから見ていたランは、複雑な心境でため息をつきました。
(……貴族ってなんか、鼻持ちならない奴だと思ってたのに。ボクらに指導までしてくれるなんて……)
ノエルの復讐としての『刑』は、皮肉なことに、アルフレッド王子の新たな才能――『導く者』としての器を開花させようとしていました。
しかし、安土の平和な朝を打ち破るように、重厚な足音と、不敵な声が近づいてきます。
「……一体、殿下はこんなところで何をしてらっしゃるのですか?」
その場にいた全員の動きが止まりました。
――よりにもよって、一番言ってはいけない言葉を耳にして、顔を青ざめさせたランが振り返ると、そこには王都から来た軍師のミツルギが、眼鏡を不敵に光らせながら悠然と立っていました。
「で、でっ……でっかーい!!!新入りお兄ちゃんたちが熱心に指導してくれているんです! 邪魔しないでいただけますか、ミツルギ様!!」
ランは、苦し紛れの言葉を被せながら振り返りました。
「ミツルギ様、事情はあちらでお話ししますから!」
ランがミツルギを城の奥へと力ずくで押し込みながら、アルフレッド王子たちに「続けてください!」と必死の形相で合図を送りました。
数分後。城の廊下の角に連れ込まれたミツルギは、ランから「王子であることを隠して修行中である」という事情を耳にしました。
「ふむ……。なるほど。あの殿下を『小姓』にですか。ノエル様らしい、実におもしろい『罰』だ」
ミツルギは眼鏡のブリッジを指で押し上げると、くすりと不敵な笑みを漏らしました。
一方、練兵場では、アルフレッド王子とアレン騎士団長が、遠ざかっていくミツルギの背中を怪訝そうに見つめていました。
「アレン。……ミツルギは、今まで何をしていたんだ?」
「……分かりかねます。あの男が何を考えているのかなど、私には見当もつきません」
アレン騎士団長は、主君であるアルフレッド王子に対し、あえて余計な憶測を伝えることはしませんでした。
(……確証はないが、恐らくあの男も、ノエル様に懸想している一人。殿下にとっては、もっとも油断ならぬ恋敵だ)
だが、「疑わしきは罰せず」がアレン騎士団長の信条です。確固たる証拠がない以上、個人の感情で主君の判断を狂わせるような口出しはしまいと、彼は心の中で固く決め込みました。
しかし、再び戻ってきたミツルギの表情は、先ほどとは打って変わって「教育者」のそれになっていました。
「事情はラン殿から伺いました。新入りの殿方。お二人の指導、実に見事なものだ。私もあなた方を見習って、今日から、この小姓たちの『軍師』として教育に加わりましょう」
「なぜ、そうなる!!!!?」
アレン騎士団長が思わず声を荒らげ、アルフレッド王子は驚いてそちらを見ました。騎士団長でもあろう男が、ここまで剥き出しの困惑を見せる相手は、世界にミツルギただ一人でしょう。
ノエルの『悪ノリ』から始まったこの異常事態は、皮肉にも、王都最高の知性と武力が融合する『最強の育成機関』へと変貌を遂げようとしていました。
(……ノエル。君はどこまで、計算しているんだ?)
アルフレッド王子の呟きは、子供たちの元気な掛け声の中にかき消されていきました。




