第24話:王子は小姓になる
翌朝、王都へ向かう馬車に乗る直前、私はアレン騎士団長に向き直り、きっぱりと告げました。
「……アレン。王都へ戻るのは、中止だ」
「は!? 殿下、何を仰って……! ヒュデルク・ド・テオドール殿への、親書は、改革は、どうされるのです!」
驚愕に目を見開くアレン騎士団長を余所に、私は安土の空へ突き刺さるような黄金の天守閣を見上げました。
「書類一通で済む話ではないと、昨夜確信した。私は、ノエルの隣で、彼女が創ったこの『新世界』を直接学ばねばならない」
「……いや、本音を言えば。私はもう一度、彼女に恋をしたのだ!」
一度は泥を塗り、捨てた男だ。許されるはずもない。だが、だからこそ、私は一人の男として彼女をもう一度口説き落とし、その覇道を支える盾となる道を選びました。
「……あ、アルフレッド殿下。本気なのですね?」
「ああ。捨て身の『再求婚』だ。……アレン、市場で一番質の良い薔薇を、持てるだけ買い占めてこい」
※※※
黄金の安土城、その謁見の間。
漆黒のドレスに身を包み、玉座に深く腰掛けたノエルは、目の前の「光景」に、眉間に微かなピクつきを浮かべていました。
「……何、これ」
広大な謁見の間の床を埋め尽くしたのは、数百本はあるであろう、真っ赤な薔薇の花。その芳醇すぎる香りが室内に充満し、傍らに控えるランの鼻をムズムズさせています。
そしてその薔薇の海の中央で、昨日のみすぼらしい外套を脱ぎ捨てたアルフレッド王子が跪いていました。
彼が身に纏っているのは、眩いばかりに純白のタキシード。
安土城の重厚な黄金の装飾に対し、その白はあまりに浮世離れし、場違いですらあります。
――だが、癪なことに、それが驚くほど様になっていました。
(……もしや、殿下。安土をこの目で見たいと宣言された時には、すでに再求婚すると決め、タキシードを持参されていたのか)
薔薇の手配に奔走させられたアレン騎士団長は、主君の底知れないバイタリティと、恐ろしいまでの切り替えの速さに、ただただ立ち尽くすばかりでした 。昨夜までの悲壮感はどこへやら、この男は最初からこの「舞台」を整えるつもりだったのです 。
「ノエル。昨日、私は自らの罪を認め、君との終わりを受け入れたつもりだった。……だが、無理だ。この街の熱気を、君の輝きを知って、諦められるはずがなかった」
アルフレッド王子は、かつての傲慢さを微塵も感じさせない、真っ直ぐな瞳でノエルを見上げました。よく通るハリのある声が、静まり返った謁見の間に朗々と響き、止まることなく追撃します。
「君を裏切った罪は、死ぬまで背負う。だが、その罰を、君の隣で受けさせてはくれないか」
「私は一から学びたい!君が創るこの世界の理を。そして……願わくばもう一度、君の婚約者の座を、一から勝ち取らせてほしい!」
「…………」
あまりに潔く、そしてあまりに無茶苦茶な王子の宣言に、室内が凍りつきました。
「私は今日からここへ住み込み、門番でも雑用でも何でもこなす覚悟だ!!!」
ノエルは、赤い瞳を細め、目の前の騒動を眺めていました。
本来なら即座に焼き払うべき不敬。しかし、色んな意味で『甘々すぎる王子』が、ここまでなりふり構わず、己の面目を捨てて執着してくる姿は、魔王の目にも少しだけ面白く映りました。
「……いいわ、アルフレッド殿下。そこまで言うのなら、わたくしの手のひらの上で、せいぜい働きなさいな」
「ノ、ノエル様!?!?」
ランが「またとんでもないことを!」と言いたげな、切羽詰まった表情で二人の間に割って入ってしまいました。
「いいのか、ノエル……!」
驚きを隠せないアルフレッド王子に対し、ノエルは冷徹なまでの笑みを深めました 。
「ただし。ここは安土。わたくしが法よ 。……王族としての特権など、欠片も与えないわ」
ノエルは顎を少しだけ上げ、射抜くような赤い瞳で、薔薇の海に跪く王子を見下ろしました。
「ここでは、客室ではなく、小姓たちの詰所に寝泊まりしなさい!」
ノエルは、抜刀する間際のような鋭い仕草で、右手をアルフレッド王子の鼻先へと突きつけました。その指先から、陽炎のように漆黒の『黒炎』が揺らめき、謁見の間の空気が一瞬で凍りつきます。
「ラン!この男を、安土の流儀を一から教育してあげなさいな」
一国の王子を『小姓』にするという、復讐とも取れる、とんでもない提案でした。
かつて自分を捨てた『王子』を、今度は自分の『小姓』の部下にする 。それは魔王ノエルが下した、最も屈辱的で、最も合理的な『罰』でした。
しかし、肝心のアルフレッド王子は、かつてのランがそうであったように『小姓』という言葉の真意を知りませんでした。
「姫の仰せのままに」
アルフレッド王子は、黄金の城には不釣り合いな純白のタキシードを纏いながらも、一点の淀みもない優雅さで、王子様の誓いではなく『王女に傅く臣下』としての深い一礼を捧げた 。
一方で、ここに来て一番の『とばっちり』を受けたのが、筆頭小姓のランです。
「え!??!!?ボッボクが!?!????」
なんてことだ。平民のランが、一国の王子に何を教えろと言うのでしょうか。
「頼んだわよ、ラン」
「ノエル様!! ノエル様は……むっ昔から!!! 昔からそういうとこ!そそっそういうことありますからね!!!!!!」
ランがノエルの、よく言えばポジティブ、悪く言えば窮地を楽しんでしまう悪い癖を指摘しました。
ーー端的に言うと『悪ノリ』でした。
人生最大のピンチに追いやられたラン。
その後ろで、アレン騎士団長も開いた口が塞がらないといった様子で佇んでいました 。
ノエルのその決定により、黄金の安土城に『元婚約者の王子』と『騎士団長のアレン』が住み着くという、異常事態が幕を開けたのです。
「……はあ、もう。わかりましたよ。殿下、僕についてきていただけますか」
ランは半ば投げやりな声を上げると、薔薇の海で恍惚としているアルフレッド王子の首根っこを掴むような勢いで促しました。
唖然と立ち尽くすアレン騎士団長も、ランの鋭い視線に急かされ、重い足取りで二人に続きます。
案内されたのは、安土城の最下層にある小姓たちの詰所でした。
本来、新人であれば雑魚寝の大部屋が基本ですが、流石に一国の王子を平民たちの中に放り込むわけにもいかず、ランは渋々ながらも、隅にある個室へと二人を案内しました。
「……ふむ。ここが私の『城』か。王宮の馬小屋よりは少々マシな程度だが、悪くない」
純白のタキシードのまま、埃一つない床を指でなぞりながら感心するアルフレッド王子に、ランはピキリとこめかみを震わせます。
「殿下、あらかじめ。他の小姓たちには貴方がこの国の王子だとは伏せさせていただきます。……やんごとなき身分の方だと分かれば、皆、普段通りに接することはできず、貴方の仰る『安土の流儀を学ぶ』ことも難しくなります。現場での多少の無礼は、どうか安土の法としてお許しください」
「ああ。皆を驚かせ、平穏を乱すつもりはない。……私は、今の立場を十分に理解している」
部屋にあった簡素なイスに腰を下ろしました。そして、何か思い出したかのようにランを見上げました。
「ランと言ったな。詰まるところ『こしょう?』というのは、具体的に何をするのだ? 先ほどはただ、刺激的な響きの役職だと思って返事をしてしまったのだが」
「……やはり、中身を知らずに受けておられたのですね」
ランは深い溜息をつき、説明を始めました。
「『小姓』の仕事は多岐にわたります。ノエル様の身の回りの世話から、掃除、洗濯、お茶の準備。そして何より——主君に何かあった時のための防衛と鍛錬です 。わたくしたち小姓は、ノエル様が最も信頼を寄せる『近衛』であり『手足』なのです」
「ほう!王国の騎士とメイドを足して二で割ったようなものか!!」
アルフレッド王子は顎に手を当てて納得したように頷きました。
「他者への身の回りの世話などはしたことがないが、騎士の訓練なら王宮で何度も混ざったことがある。……剣術や馬術はもちろん、魔術も、平民に負けるはずもない」
自信満々に語るアルフレッド王子に対し、ランは冷ややかな、どこか憐れむような笑みを浮かべました。
「……そうですか。なら、ちょうどいい。トマス! 少しこっちへ来てくれ!」
ランが呼びかけると、近くの廊下で雑巾がけをしていた少年が顔を上げました。 彼はアルフレッド王子たちの存在に気づくと、軽く指を鳴らしました。瞬間。アルフレッド王子とアレンの目の前で、廊下の隅にあった水桶から水が龍のように立ち上がり、少年の雑巾を自動的に洗いながしました。
「なっ……!? 平民が、ま、魔法だと!?」
アルフレッド王子は絶句しました。王都において魔法は血筋に付随する特権。平民が魔法を操るなど、世界の理を覆す「怪異」に他なりません。
「殿下。安土の小姓は、全員が魔法使いです。魔法は血筋ではなく、意志で呼び覚ますものだとノエル様が証明されました」
ランは、絶望的なまでの認識の差を突きつけるように、冷ややかに告げました。
魔道具による技術革新、そして平民さえも魔法使いに変えてしまう教育。
王都の常識が粉々に砕け散る音を聞きながら、アルフレッド王子は止まらない冷や汗を流しました。




