第20話:聖女の魅了の終わり。後悔に沈む王子と、騎士団長の消えぬ無念
ミツルギから安土の調査報告を受け、真実を突きつけられたアルフレッド王子の瞳からは、かつての熱狂的な輝きが消え失せていました。
彼が椅子に深く腰掛け、報告で聞いた「魔道具による平民の笑顔」を反芻していると、芳しい香水の香りと共に、聖女エマが音もなく部屋へ入ってきました。
「アルフレッド様ぁ! 大変なの、聞いて! あの質屋の『魔道具』のせいで、あたしの公式グッズの売上が落ちちゃってるのよ! あれは魔女の呪いよ、今すぐ王都での販売を禁止して!」
いつもなら「エマの言う通りだ」と即座に騎士団を動かしていたはずの王子が、今日は動かないどころか、エマを冷ややかな目で見つめ返しました 。
「……エマ。あの魔道具は、民たちが冬の寒さを凌ぎ、夜の闇を照らすためのものだ。それのどこが『呪い』なのだ? むしろ、王都のゴミの山を片付ける予算すら出せない我々の方が、民を苦しめているのではないか?」
「えっ……? な、何言ってるの? あたしが祈れば、みんな幸せになれるじゃない! そんな機械仕掛けの道具より、あたしへの信仰が大事でしょ!?」
エマの「魅了」の魔法が、王子の心の隙間に滑り込もうとします 。しかし、ノエルの無実を裏付けるアレン騎士団長の調査報告や、ミツルギが語った「ノエルの精密な魔力操作」という事実が、鉄の盾となってその魔法を跳ね返しました。
「……エマ。一つ聞きたい。学院の『献納の儀』の時、君は本当に、ノエルの炎に焼かれそうになったのか?」
「っ! ……な、何よ急に。あんなに怖かったのに、あたしを疑うの……?」
エマは目に涙を浮かべ、か弱い聖女を演じてみせました。以前のアルフレッドなら、その姿を見ただけで全ての思考を奪われ、彼女を庇っていたことでしょう。
しかし今、彼の頭はひどく冷え切っていました。
あの日の立ち位置。祭壇の正面には自分とノエルがおり、聖女であるエマは祭壇を挟んだ反対側に一人で立っていました。ノエルが魔力を注いだ直後、エマの悲鳴が上がり、自分は咄嗟にエマを庇いに行きました。
――そうだ。よく考えれば、ノエルが魔法を使っていたあの瞬間、誰もエマが『裏側で何をしていたか』を見ていない。
目の前でわざとらしく震えるエマの姿と、安土の民を慈しみ、才覚で豊かな村を興したノエルの凜とした立ち姿。
アルフレッドの脳裏に焼き付いて離れないかつての婚約者の姿が、エマの甘い熱狂(魔法)から彼を確実に引き剥がし始めていました。
「……もういい。下がっていろ。私は少し考えたいのだ」
「…………っ!」
冷たく突き放されたエマは、顔を屈辱に歪めて部屋を飛び出しました。
廊下を足早に歩きながら、エマは爪を噛み、心中で毒を吐きます。
(信じられない……あたしの『魅了』が、あんな地味な女の技術なんかに負けるなんて! アルフレッドはもう使い物にならないわね。……いいわ、隣国の王族たちの中にも『ガチ恋勢』は沢山いるんだから!)
聖女エマは、隣国の有力な支持者と手を組み、自らの偶像としての地位を守るための新たな陰謀へと足を踏み出しました。王都を包んでいた「平和な狂気」が、いよいよ争いへと姿を変えようとしていたのです。
※※※
アルフレッド王子は、力なくバルコニーの手すりに身体を預け、震える手で顔を覆いました。
「……アレン。私は、一体何を見ていたのだ」
傍らに控えていたアレン騎士団長が、一歩前へ出ました。その茶色の瞳には、主君の苦悩を分かち合うような沈痛な色が宿っています。
「殿下……」
「ミツルギの言葉が、耳から離れない。ノエルの黒炎はスープを温めるほど精密で、安土の民は魔法に頼らずとも笑っている。……それに引き換え、私はどうだ? エマの望むままに国庫を使い果たし、無実の婚約者を『魔女』と罵り、辺境へ追い落とした。……この手は、王族としてあまりに汚れすぎてはいないか」
アルフレッド王子の声は、後悔と自責の念で激しく震えていました。エマの「魅了」という魔法の霧が晴れた後の視界に映るのは、あまりに無残に壊れかけた自国の姿と、自分が踏みにじった「真実」の残骸だけでした。
「……すべては、私の不徳にございます」
アレン騎士団長が絞り出すように口を開きました。
「あの儀式でノエル様が追放された直後、殿下は私に祭壇の水晶の精査を命じられました。殿下ご自身がその場で暴走を目撃されていた以上、本来であれば調査など不要なはずの『現行犯』……。それでも殿下は、心のどこかで彼女を信じようとしておられたのでしょう」
アレン騎士団長は拳を強く握りしめ、苦渋に満ちた表情を浮かべました。
「ですが私は……ノエル様が意図的に暴走させたという証拠も、逆に無実を示す決定的な証拠も、何一つ見つけることはできなかったのです。ゆえに私は『疑わしきは罰せず』と進言いたしました。しかし、聖女を疑うことを許さぬ王宮の空気と、熱狂に浮かされる殿下を力ずくで止める勇気が、私には足りなかった。殿下をお一人でこの泥沼に歩ませてしまった……その無念が、今もこの胸を焼いております」
アレン騎士団長の震える声に、アルフレッド王子は力なく首を振りました。
「アレン。私は……安土を、この目で見たい」
それは、この国のトップとしてのプライドを捨てた男の、切実な決意でした。
「公式な視察ではない。王族としてではなく、一人の人間として、彼女が築き上げた世界が、この国にとって真に益となるのかを確かめに行きたいのだ。……今の私に、その資格があるかは分からぬ。だが、このまま王宮で虚飾の平和に浸っているわけにはいかないのだ」
ノエルに会い、これまでの非道を謝罪したい――その震えるような本心を、アルフレッドは王族としての矜持で辛うじて胸の奥に押し込めました。
アレン騎士団長は深く、深く頭を下げました。その背筋は、かつて共に国を語り合った「友」を再び取り戻した喜びで、わずかに震えています 。
「……御意。このアレン、どこへだってお供いたします」
「すまない、アレン。……今夜、お忍びで発つ。準備を」




