第15話:理想を持ち、信念に生きよ。ドキドキ温泉と、抗えぬ『二つの理』
王都の喧騒から離れたドワーフの里は、絶え間なく響く甲高い槌の音と、鉄を焼く熱気に包まれています。
聖女エマが起こしたあの異様な熱狂も、屈強な職人たちが集うこの里までは届いていないようでした。
馬車が停まり、ノエルたちが外へ降り立った直後のことでした。
「ノエル姉様〜〜!!」
むさ苦しい景色にはおよそ似つかわしくない、ピンク色のふわふわの髪を揺らしながら、一人の少女が駆け寄ってきました。
ノエルはふわりと微笑み、飛び込んでくる小さな体をしっかりと受け止めます。
「ヤスミン、元気にしていましたか?」
「うんっ! あ、ランも久しぶり!」
ヤスミンと呼ばれた少女は、ノエルの腕の中で無邪気に笑うと、御者台から降りてきたランにもブンブンと手を振りました。ランも「久しぶり、ヤスミンちゃん!」と嬉しそうに顔をほころばせています。
ノエルのアトラス家とヤスミン・トルガルド家には古くからの繋がりがありました。ヤスミンは貴族というわけではありませんが、このドワーフの里を束ねる長の娘――いわばドワーフの『姫』にあたる存在です。
ノエルはヤスミンがまだ幼い頃から、本当の妹のように彼女の面倒を見てきたのです。ヤスミンがノエルを「姉様」と呼び、全幅の信頼を寄せて懐いているのには、そういった背景がありました。
ヤスミンがえへへと花が咲いたように笑う。
そのあまりに愛らしい姿に、さっきまで馬車の中でノエルをからかっていたヒュデが、スッと滑り出るように進み出ました。
「やぁやぁ! こんな人里離れたところに、信じられないくらい可愛い妖精さんがいるね。ねえ君、僕と——」
——ドスッ!!
「ぐふぅっ!?」
ヒュデの甘い言葉は、ノエルの容赦のない肘打ちによって物理的に遮断されました。
くの字に曲がって呻くチャラ男を冷たい目で見下ろし、ノエルはピシャリと言い放ちます。
「……彼女はまだ十四歳です。わたくしの可愛い妹に手を出したら炭にしますわよ」
ヒュデが涙目でコクコクと頷くのを確認してから、ノエルは再びヤスミンに向き直り、その頭を優しく撫でました。
「ヤスミン、いつもわたくしの頼みを聞いてくれてありがとう。今日もまた、仕事の相談があって来たのですよ」
「えへへ、お安い御用だよ、ノエル姉様! それで、今日はどんなものを作りたいの?」
ヤスミンは屈託のない笑顔を向けます。その瞳の奥には、職人としての好奇心がキラキラと光っていました。
実はこの幼く愛らしい少女こそが、ノエルの思い描く無茶な設計図を完璧な形で具現化してくれる、天才的なドワーフの職人だったのです。
ノエルが愛用している魔導コンロの外枠も、そして——ミツルギやヒュデには極秘裏に進めている『三段銃』の精巧な部品の制作も、すべて彼女の技術によるものでした。
「ええ。実は、筒のような形をした入れ物を作ってほしいのです。その中にわたくしの魔術を込めると、光の色が変わる仕組みの、杖のようなものを作りたいのですよ」
一歩引いた場所で話を聞いていたミツルギは、顎に手を当て、深く眉間にシワを寄せて考え込みました。
彼は知っているのです。ノエルが平然と口にしている『わたくしの魔術』——つまり彼女の得意とする『黒炎』の魔法が、本来どれほど恐ろしい代物であるかを。
信じがたいことですが、ノエルは自身の異常なまでに精密な魔力操作によって、その威力を極限まで調節してしまうのです。燃え尽きさせることなく、一定の温度や光量を保ったまま『安全に』燃え続けさせることが可能です。
さらにヤスミンの作る特殊な魔導具と組み合わせれば、魔力を持たない一般人でも、外側からポンッと叩くだけでつけたり消したりする仕様にできるらしい。
(対象物を燃やし尽くす最強の攻撃魔法を、調理用のコンロや、色が変わる光る杖に使うなど……。我が後輩ながら、相変わらず正気の沙汰ではないな)
ミツルギが内心で我が後輩の規格外っぷりに頭を抱えていると、ノエルがふと思い出したようにこちらを振り返りました。
「そういえばミツルギ。以前、差し上げた、あの極上の葡萄酒ですが……あれも、この里で造られたものなのですよ」
「……ほう」
酒好きであるミツルギは天守閣でノエルと二人で飲み交わした葡萄酒を思い出しました。
それまで黒炎について考えていた、堅物な軍師の顔はどこへやら、彼の眼鏡の奥の瞳が、獲物を見つけた鷹のように鋭く光ります。
「それは興味深いですな。ぜひ、またあの味を味わいたいものです」
ミツルギが眼鏡の奥を鋭く光らせてそう応じると、ヤスミンは「えへへ、任せて!」と元気よく胸を張りました。
「それじゃあ、具体的な制作は明日からにしましょう。今日は皆様長旅で疲れているだろうし、宿に案内するね。ここの里自慢の、天然温泉がある旅館なんだよ!」
ヤスミンの案内で一行が辿り着いたのは、荒々しい岩肌を背にした趣のある石造りの旅館でした。ドワーフの里らしく、建物全体が頑丈でありながらも、随所に施された細やかな彫刻が美しく、どこか温かみを感じさせます。
宿に荷物を置くやいなや、ヤスミンはノエルの手を引いて大浴場へと駆け出しました。
「さあ、ノエルお姉様! 一緒にお風呂に入ろっ!」
「ヤスミン、そんなに急がなくても……」
湯気とともに漂うほのかな硫黄の香りと、岩の間から贅沢に注がれる源泉の音。広い露天風呂に二人で浸かると、旅の強張りがゆっくりと解けていきました。
「はふぅ……気持ちいいねぇ、ノエルお姉様」
「ええ、本当に。ドワーフの里にこれほど立派な温泉があるなんて知りませんでした」
ピンク色の髪をお団子にまとめ、肩までお湯に浸かったヤスミンが、キャッキャとノエルに歩み寄ります。
「ノエルお姉様、お肌つるつる! やっぱり王都のご令嬢は違うなぁ」
「もう、ヤスミン。そんなに触るとくすぐったいですよ」
ふふっ、と声を立てて笑いながら、ノエルもまたヤスミンの柔らかい頬を指先でつつきました。幼い頃、家同士の繋がりで一緒に遊んでいた時と変わらない、無邪気な時間が流れます。
ふと視線を下に写したノエルの意識は、なぜだか一点に吸い寄せられていました。
自分にはない、自身のそれと比較しても、明らかに質量と存在感がちがう、しっかり成長してしまった妹分の『二つの理』。
ノエルは内心で動揺を隠せませんでした。
「本当に、ノエルお姉様はすごい。なんでそんなにアイデアがポンポン浮かぶの?」
(ヤスミンの方がすごい……と思うのだけれど)
ヤスミンが職人としての好奇心で目を輝かせると、ノエルは湯船に浸かりながら、以前作った『黒炎コンロ』や様々な魔道具の開発に思いを馳せました。
「わたくしには成し遂げなければならない目標がありますから。そのために、目の前の問題を一つ一つ解決しているだけですよ」
ノエルはそう言って、ゆらゆらと立ち上る湯気の向こう、夜の空を静かに見つめました。そして、隣で感心しきっているヤスミンの方へ向き直り、その小さな手を優しく取ります。
「ですがヤスミン。アイデアがどれほど浮かんでも、それを形にする技術がなければ、ただの絵空事。わたくしの無茶な空想に命を吹き込み、現実に変えてくれるのは……世界でたった一人、貴女だけなのですよ」
真っ直ぐに見つめられ、最高の賛辞を贈られたヤスミンは、顔をお湯に浸かりそうなほど赤くして、照れくさそうに笑いました。
「……もう、ノエルお姉様ったら!!そんなこと言われたら、明日から寝ないで頑張っちゃうよ!」
ヤスミンはバシャバシャと楽しそうに足をバタつかせました。嬉しさを隠しきれない様子でノエルの腕にしがみつくと、ふわふわのピンク色の髪から滴る雫が、湯面にいくつもの輪を描きます。
広い露天風呂の中、立ち上る白い湯気に包まれて、二人の笑い声が夜の静寂に心地よく溶けていきます。
国を揺るがす公爵令嬢と、里を代表する天才職人という重々しい肩書きを脱ぎ捨てた、どこにでもいる仲の良い姉妹のような、あどけない光景でした。
一方その頃。
男湯では、ミツルギとヒュデが湯船に浸かっていました。
石造りの無骨な浴場に、源泉の落ちる重厚な音が響きます。軍師らしく湯船の中でも眉間に深いシワを寄せ、石像のように微動だにしないミツルギの隣で、ヒュデは濡れた前髪を無造作にかき上げ、ニヤニヤと彼を覗き込みました。
「ねえ、ミツルギ殿。そんなに怖い顔して浸かってたら、せっかくの温泉が冷めちゃうよ? もっとこう、肩の力を抜いてさ」
ヒュデはわざと距離を詰め、ミツルギの肩に腕を回そうとして、眼鏡越しの冷ややかな視線で牽制されました。しかし、ヒュデはそんなことでは怯みません。
(……アトラス家の令嬢と、ドワーフの里の職人姫。この二人が手を組めば、王都の勢力図など容易く塗り替えられてしまう。国からの調査役としては、この危険な繋がりを注視せねばならんのだが……)
「硬いなぁ、相変わらず! でもさ……」
ヒュデはミツルギの耳元で、商人の鋭さを孕んだ声で低く囁きました。
「さっき『葡萄酒』って聞いた瞬間に、眼鏡の奥がキラッとしたよね。そんなに葡萄酒に目がないの?」
「……私はただ、冷徹に価値を確認しているだけだ」
ミツルギの脳裏に、昼間の馬車で散々からかわれた記憶が蘇ります。彼はふっと、眼鏡の奥で冷たい光を宿しました。
「……ヒュデ殿は、あの安土城に昇ったことがあるか?」
「そんなまさか。あそこはノエルちゃんの聖域でしょ」
「……あそこの最上階で、月を眺めながら、ノエル様自らが注いでくださった葡萄酒を頂いた。差し向かいでな」
ただの調査対象ではない、かつての後輩と向き合った「あの時間」の尊さ。それをこの里の葡萄酒でもう一度噛み締めたいという、誰にも邪魔させぬ執念が言葉に宿ります。
「ええ〜! そうなの? それは羨ましいな! 僕もまだ彼女とは飲んだことないんだよね」
「貴様はしなくていい」
吐き捨てるように断じたミツルギは、呆然とするヒュデを湯船に置き去りにして、足早に脱衣所へと向かいました。
出口では、二人が風呂から上がるのを待っていた平民のランと目が合いました。しかし、ミツルギは何の言葉も交わさず、勝利の余韻を噛み締めるような、あるいは気恥ずかしさを誤魔化すような足取りで、自分の部屋へと消えていきました。




