第12話:初恋の孤児と、裏切りを許さぬ魔王。魔法格差を壊す自由市場の始まり
アレンが王都へ帰還し、ノエルの「公爵位返還」の手続きが進められている頃。
黄金の安土城の城下町は、今日も凄まじい活気に満ち溢れていました。
「ノエル様! 見てください、今日も隣領からたくさんの行商人が来ています! みんな、凄く嬉しそうに黒炎コンロや野菜などを買っていきますよ!」
天守閣のバルコニーから眼下の街を見下ろしながら、小姓のランが目をキラキラと輝かせて弾んだ声を上げました。
ノエルは満足げに頷き、城下町に広がる巨大な市場――『楽市楽座商店街』を見つめます。
この国において、平民がまともに商売をすることは不可能に近い状況でした。
美しく整備された王都は「貴族と特権階級」だけが住むことを許された鳥カゴであり、高い城壁の外側に広がる周辺の村々に、平民たちは追いやられていました。
貴族たちは、平民が汗水流して育てた作物を二束三文で強制的に買い叩き、それを王都の特権商人を通じて何倍もの高値で売り捌きます。平民が自ら王都で店を開こうにも、莫大な税と貴族の紹介状が必要なため、事実上道は閉ざされていました。
さらに残酷なのは、この世界における「魔法」という絶対的な身分差です。
王族や貴族は、自らの魔力や高価な魔石を使い、指先一つで火を熾し、水を出し、快適な生活を送っていました。
しかし、魔法を持たない平民たちは違います。雨の日は湿った薪を半日かけて割り、重い水桶を遠くの井戸から何往復もして運ぶ。文字通り「生きるための作業」だけで、その日暮らしの時間をすべてすり減らしてしまうのです。
「……無理もありません。ノエル様の生み出した魔道具は、彼らにとって『時間』と『命』そのものですから」
背後に控えていたミツルギが、眼鏡を押し上げながら静かに同意しました。
誰でも火が使える黒炎コンロを始めとする数々の魔道具。そして、平民であっても自由に物を売り買いできる、関所も税もないこの「安土の市場」。
ランは、市場で笑い合う平民たちの姿を見つめながら、ふと自分の薄汚れていた過去を思い出しました。
ボクの両親は、王都の貴族によって殺された。
丹精込めて育てた作物を不当に買い叩かれ、せめて生きていくための少しの対価をとすがりついた父と母は、貴族が気まぐれに放った魔法であっけなく命を奪われたのだ。彼らにとって、魔法を持たない平民の命など、道端の虫けらと同じだった。
家族を失い孤児となったボクに、村の人々は優しくしてくれた。
けれど、皆自分の生活だけでいっぱいいっぱいで、孤児を助け養う余裕などどこにもなかったのだ。
でも、この地に来たノエル様は違った。
道端の石ころだったボクに、見向きもされなかった平民のボクに……あろうことか『魔法の使い方』を教え、暖かい家を与え、そして『小姓』という生きる意味まで与えてくれた。
そして、ボクがノエル様に絶対の忠誠を誓っているのには、もう一つ理由がある。
ノエル様は、ただ優しいだけではない。「裏切り」を絶対に許さない、底知れぬ恐ろしさを持っていたからだ。
少し前のことだ。ボクと同じようにノエル様に拾われたはずの小姓の一人が、安土の村で生産された魔道具をこっそりと持ち出し、王都の貴族に高値で横流ししていたことがあった。
その横流しで味をしめた強欲な貴族は、ある日、尊大な態度で直接安土に乗り込んできたのだ。
『平民の分際で生意気な魔道具を作りおって。慈悲深い俺に感謝するんだな!タダとは言わない。ほら金だ!』
そう言って小銭をばら撒くと、ノエル様が作って村人たちの生活を支えている魔道具を、力ずくで持てるだけ奪おうとした。
ボクは怒りで頭が真っ白になった。ノエル様がボクたちに与えてくれた希望を、こんな奴らに取られてたまるもんか。
ボクは前に進み出ると、ノエル様から教わったばかりの『風の魔法』を無我夢中で放った。鋭い突風が貴族と護衛たちをまとめて吹き飛ばし、彼らは泥まみれになりながら無様に逃げ帰っていった。
騒動の後、ボクはノエル様の前に進み出て、横流しの件も含めて、自分の見たままの事実をすべて報告した。
捕らえられたその小姓は「魔が差したんです! どうかお許しを!」と床に頭を擦りつけて泣き喚いた。しかし、ノエル様は玉座から冷酷に見下ろし、ただ一言、氷のように冷たい声で告げた。
『お前は、腐った貴族と同じ搾取と、まるで同じことを村の人にしたのだ。わたくしの領地で、自分だけが利を得る真似は、万死に値する。……二度とその面を見せるな』
一切の情けを容れず、ノエル様はその小姓を即座に安土から永久追放したのだ。
その圧倒的なまでの冷徹さ。身内であっても罪を許さない厳格な裁きを見た時、ボクは恐怖ではなく、深い安堵と震えるような歓喜を覚えた。
この絶対的な力と規律を持つ『ノエル様』のもとでなら、ボクたち平民の弱く小さな暮らしは、誰にも脅かされることなく守られるのだと確信したからだ。
ランは天守閣から見える遠い地平線――見えない王都の方角を鋭く見据え、静かに、そして固く心に誓いました。
これから向かう王都で、どんな恐ろしい敵が待ち受けていようとも。
たとえ世界中の人々が、ノエル様のことを「呪われた魔法を操る魔女」だとか、「王子や聖女が集う神聖な儀式を汚したテロリスト」だとか、ありもしない汚名で後ろ指を指し、非難しようとも。
ボクだけは、この命が尽きるその瞬間まで、絶対にノエル様の味方でいる、と。
ランは力強く頷くと、振り返り、ノエルの前に深く、そして誇り高く跪きました。
「ノエル様、ボク、これから向かう王都でも、何があっても、最後までノエル様にお仕えいたします!!」
ノエルは少しだけ目元を和らげ、口角を上げました。
それを見たランは、無意識に両手をぎゅっと握りしめました。
ノエル様の、毅然として冷徹でかっこいいところはもちろん好きだ。でもボクは……本当は、ノエル様の誰にも見せない『不器用な優しさ』がたまらなく好きなのだ。
孤児だったボクには、ふとした瞬間に「家族がいない寂しさ」を思い出して、一人で空を見上げてぼーっと考え込んでしまう癖があった。
ノエル様は、ボクのそんな癖に気づいていながら、決して無理に踏み込んだり、可哀想だと同情したりはしない。
なぜかボクが落ち込んだ気分になる時がわかるのか、そんな時に限って、ボクが一人でゆっくり心を落ち着けられる時間と場所を作ってくれるのだ。しかも、必ずボクが寂しさを消化しきった絶妙なタイミングで、「お茶を一緒に飲まないか」と呼び戻してくれる。
ある日、そうして二人でお茶を飲んでいた時のことだ。
ボクがふと、王都へ向かう不安をこぼしたことがあった。
「ノエル様。ボク……ノエル様に『魔法』を教わって、使えるようになりました。でも……王都で、ボクみたいな平民が貴族の前で魔法を使えば、奴らは絶対に激怒します。ボクが力を使うことで、ノエル様が『平民に魔法を教えた異端者』って、また理不尽に悪く言われるんじゃないかって……それが怖いんです」
魔法を使えるようになったこと自体は誇らしい。けれど、身分違いの力を見せつけることで、これ以上ノエル様が悪く言われるのが嫌だった。
そう俯くボクに、ノエル様が、真っ直ぐに目を見て仰ったのだ。
『生まれながらに血筋や魔法に恵まれている貴族たちは、それを頼りにして鍛錬を怠り、すぐに自惚れる。しかし、生まれつき何もない者は、生き抜くために何とか技術を身につけようと日々努力する。……心構えがまるで違うわ。これが大事なのよ』
ノエル様はふっと口角を上げ、不敵な、けれどこの上なく優しい微笑みを浮かべた。
『外野の戯言など捨て置きなさい。むしろ、王都のど真ん中で堂々と魔法を使ってみせればいいの。才能にあぐらをかいている無能な貴族どもに、わたくしのランがどれほど優秀な魔術師か見せつけてやりなさい。あなたの努力で身につけたその魔法は……わたくしにとって、最大の『自慢』なのだから』
ボクの不安を、ノエル様はあっさり焼き討ちにして、丸ごと肯定してくれた。
……そんなの、どんどん好きになるに決まってるじゃないか。
敵をゴミのように見下ろす時の、あのゾクゾクするほど冷たくて美しい瞳が好きだ。
ボクを褒めてくれる時の、少しだけ綻ぶ柔らかい微笑みが好きだ。
貴族の理不尽を鼻で笑い飛ばし、圧倒的な力でねじ伏せる『覇者』としての苛烈な背中が好きだ。
時折見せる、不器用だけど温かい優しさが好きだ。
ふんわりと香る高貴な香りも、凛とした声も、真っ直ぐな生き方も。
全部、全部、全部――。
そんなランの淡い恋心に気づいているのかいないのか、ノエルは再び顔を上げ、遥か彼方、見えない王都の方角を鋭く見据えました。
その瞳の奥には、かつて「聖女」と「王子」にすべてを奪われた公爵令嬢の悲哀ではなく、この理不尽な世界そのものを焼き尽くし、新しく創り変えようとする『魔王』の烈火が宿っていました。
「……ええ。既得権益の上であぐらをかく愚か者たちに、教えて差し上げましょう」
背後に控えていたミツルギが、眼鏡のブリッジを押し上げながら静かに、しかし熱を帯びた声で同調しました。
軍師の底知れぬ期待と敬意のこもった言葉に、ノエルは皮肉げに肩をすくめ、やれやれと息を吐来ました。
「王都の経済を牛耳る『王国公認商会』は、爵位を持たない平民をまともに相手すらしない。奴らの作った腐ったルールをぶっ壊すために、結局は奴ら自身の『公爵』という地位を使わなければならないなんて……本当に、解せない話だけれどね」
しかし次の瞬間、ノエルは不敵に、その美しい唇を三日月のように吊り上げました。
「わたくしが『公爵位』を取り戻したら、あの腐った王都の市場に堂々と正面から乗り込み、内側から特権階級の経済を、物理的に破壊してあげる」




