表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

2.安定という薬

午後の静心堂薬局は、少しだけ空気がゆるむ時間だ。

午前中の外来が一段落し、処方箋の山もだいぶ減っている。

私はカウンターの奥で薬歴を確認していた。

そのとき、自動ドアが少し勢いよく開いた。

「こんにちは」

入ってきたのは、三十代くらいの男性だった。ネイビーのスーツに、少し緩めたネクタイ。

足取りが軽い。

処方箋を受け取ると、男性はすぐに話しかけてきた。

「最近、すごく調子いいんですよ」

明るい声だった。

私は処方箋に目を落とす。

診断名は、双極性障害。

処方されているのはラモトリギンと、クエチアピン。

どちらも、気分を安定させるための薬だ。

「それは良かったですね」

私はそう答えて、薬を棚から取り出す。

男性は腕を組んで言った。

「だから、そろそろ薬減らしてもいいんじゃないかなって」

よくある言葉だった。

私はすぐに否定しない。

代わりに、ゆっくり聞く。

「最近、睡眠はどうですか?」

男性は笑った。

「三時間くらいですね」

少し誇らしげに続ける。

「でも全然平気なんですよ。むしろ頭が冴えてて」

私は小さくうなずいた。

そのとき、ふと待合の方に目がいった。

椅子に座っている制服の女の子。

——この前の高校生だ。

第1話で来た女の子だった。

今日は背中を丸めていない。スマートフォンを見ながら静かに待っている。

前より少しだけ、顔色がいい気がした。

私は視線を戻す。

男性は話を続けていた。

「仕事も調子いいんですよ。アイデアもどんどん浮かぶし」

私は薬を袋に入れながら言った。

「調子がいいのは、とても大事なことですね」

男性は満足そうに頷く。

私は少しだけ言葉を選んだ。

「ただ、双極性障害のお薬って」

少し間を置く。

「調子がいいときにこそ大事なことも多いんです」

男性は少しだけ眉を動かした。

「そうなんですか?」

「ええ」

私は続ける。

「元気な状態を、安定させるためのお薬でもあるんです」

男性は腕を組んだまま考え込んだ。

「でも、薬ってやっぱり怖いんですよね」

そのときだった。

待合の椅子から、小さな声が聞こえた。

「……私も」

男性と私は同時にそちらを見る。

制服の女の子が、少しだけこちらを見ていた。

「あ、すみません」

慌てたように言う。

「私も、最初怖かったです」

男性は少し驚いた顔をする。

女の子は続けた。

「でも」

ほんの少し考えてから、

「少し楽になりました」

それだけ言って、また視線を落とした。

薬局の中に、静かな空気が流れる。

男性は少しだけ笑った。

「そうなんだ」

私は薬の袋をカウンターに置く。

「薬を減らすかどうかは、診察で先生と相談するのが一番ですね」

男性は頷いた。

「……そうですね」

薬を受け取りながら言う。

「次の診察で聞いてみます」

男性が帰ると、薬局はまた静かになった。

私は女の子の名前を呼ぶ。

「お待たせしました」

女の子がカウンターに来る。

今日は前よりも、目を合わせてくれる。

私は薬を差し出す。

「眠れてますか?」

女の子は少し考えて言った。

「前より、少し」

「それなら良かった」

女の子は小さく笑った。

「ありがとうございます」

自動ドアが開く。

制服の背中が外の光に溶けていく。

私は処方箋を薬歴ファイルに戻した。

薬局には、いろんな人が来る。

調子が良すぎる人も、調子が悪すぎる人も。

でもきっと。

みんな、同じ場所を目指している。

——少しだけ、普通の日常へ。

午後の静心堂薬局は、また静かだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ