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空船

 次の日、アレックスは思わず腹の虫が鳴くような良い匂いで目が覚めた。毛足の長いカーペットの上で寝ていた体を起こし、軽いあくびを噛み殺す。


 見渡すと、部屋に置かれたたった1つのソファーにはチヅルが。自分と同じように床に寝ていたジェフェリーとカークは、まだそこに丸まって寝ていた。

 キッチンで何かやっているのはこの2人ではなかった。という事は、残るは1人しかいない。


「あ、起こした? お腹すいてるよね、今朝食が出来るから少しだけ待ってて」

「あ、ああ……」


 部屋とキッチンの境目にあるカウンターから顔を出したのは、やはりイーヴリンだった。昨日の白いつなぎから着替えて、ブルージーンズにゆったりとした白いタートルネックのセーターを着込んでいる。

 ぱっと見、イーヴリンの様子におかしなところは無かった。昨日は今にも泣きそうだったのに、今はそんな雰囲気などまるで感じられない。


 キッチン側のテーブルには、既にスクランブルエッグとグリーンサラダが置かれていた。コンロには人数分のトーストとスープの入った鍋が置かれている。先ほどの匂いの正体はこのスープだったらしい。

 アレックスはキッチン側へ回り込み、テーブルに置かれた皿を持つ。


「イーヴリン」

「あ、それもう向こうへ運んでもらえるかな。ついでにあの2人を起こしてくれる? 後は盛り付けるだけだから」

「あ、ああ。分かった」


 何があったか聞こうとした矢先、頼まれ事をされて機を逃してしまった。しかたなくアレックスは部屋に戻って、テーブルに料理の乗った皿をテーブルに置くと、ジェフェリーは足先で小突き、チヅルは肩を揺らして起こした。


「くぁ……もう朝か?」

「ごめん、あと10分だけ」


 素直に起きたジェフェリーとは対照的に、チヅルは一瞬だけ目を開けたが、すぐにまた寝息を立ててしまった。


「おい、起きろ。折角、イーヴリンが朝食を用意してくれたんだ」


 もう一度、今度はもう少しだけ強く肩を揺する。チヅルは恨みがましそうにじとっとアレックスを睨んだ。だが、一度ソファーから騒がしく音を立てて転げ落ちると、ゆっくりと体を起こした。


 そんなやり取りをしている間に、もうイーヴリンは全て準備を終えてしまったようだ。テーブルには先ほどの料理が全て並び、イーヴリンは既に席に座っている。3人もそれに習って、テーブルを囲むように椅子に座った。


「さ、遠慮せずに食べて」

『いただきます』


 イーヴリンを除いた3人は、そう言って手を合わせた。だが、イーヴリンにはその意味が分からなかったようだ。怪訝な顔で首をかしげて、不思議そうに3人を見つめている。


「何してるの?」

「ああ、これはチヅルの国特有のあいさつらしくてね。俺達も少し前に知って、その慣習に習ってやってるんだ」

「へえ、神にお祈りするのは知ってるけど、これもそうなの?」

「いいえ、私の国では信心者でも無信心者でもやる事よ。食べられる事に感謝を表しているのは同じだけどね」

「そうなんだ。いいね、そういうの。食べられるってのは、それだけでありがたい事だからさ。それこそ、食べる事だけじゃなくて、僕がここで開発を続けられる事も」


 最初は嬉しそうに話していたが、後半になるにつれて、イーヴリンの表情が変わっていく。それは喜びでもなく、かと言って悲しみというわけでもない。何かを大切なものを押し殺している。そんな顔だった。

 それきり空気が妙に重くなってしまい、誰も喋らなくなってしまう。結局、微妙に気まずいまま、朝食を食べ終わってしまった。


「ご馳走様。とても美味しかったわ。片付けは私とアルがやるから、あなたはここでジェフと休んでいて」

「そんなの……」


 イーヴリンが断ろうと口を開くが、チヅルはさっさとトレイに乗った食器を持つと、洗い場へと行ってしまった。イーヴリンは仕方無しという感じで困ったような表情を浮かべると、ソファーの方へ向かった。

 アレックスはチヅルを追い、キッチンへ向かう。そこでは洗い場の水に食器をつけ、洗剤で洗おうとしているチヅルの姿があった。


「イーヴリン、布巾はどこかしら?」

『洗い場の右下にある引き出しの上から2番目だよ。でもそんな事してくれなくても、洗った食器を立てておいてくれるだけでいいから』

「いいのよ、拭いて食器棚にしまうだけなんだから。ほらアル、あんたは洗った食器を拭いて」


 チヅルが取り出した布巾を投げてアレックスによこす。アレックスはそれを掴み、チヅルの横に並んだ。


「ねえ、一体どうなってるの? 起き抜けでつい流しちゃったけどあの子、まるで何にもなかったみたいな態度よ?」


 チヅルが洗った食器を渡しながら、イーヴリンに聞こえないよう小声でアレックスに囁く。


「いや、俺にも良く分からん。起きたらイーヴリンが朝食を作っている途中だった。それとなく聞こうとしたんだが、タイミングを外して結局何も聞けなかった」


 昨日、あんなに辛そうだったイーヴリンが、何事も無かったかのように振舞える理由が見付からなかった。あの後、誰もイーヴリンの元には行っていない。なぜあんな吹っ切れたようになったのか、皆目検討がつかなかった。


「とは言え、これはチャンスかもね。幸い落ち着いているみたいだし、片付けが終わったらもう一度話をしてみましょう」

「ああ、そうだな」


 2人は手際よく洗った食器を片付け、リビングへと戻る。そこで目にしたのは、お互い向き合ったまま一言も口を利かない2人の姿だった。空気が無駄に重苦しい。


「……あんた達、一体何してんのよ」

「それが、ジェフに話しかけても何も答えてくれなくて……。ね、ねえ、ジェフ。私、何か怒らせる事でもしたの? 私が何かしたのなら謝るから……」


 イーヴリンは今にも泣きそうな顔でジェフェリーに尋ねるが、それでもジェフェリーは口を開こうとはしなかった。だが、その顔は目に見えて困っているように見える。

 なぜジェフェリーが口をつぐんだままなのか。2人には思い当たる節が1つあった。


「……ジェフ、ちょっとこっち来なさい。アルとイーヴリンは少しここで待ってて」


 チヅルが手招きをしてジェフェリーを誘う。ジェフェリーはそれに素直に従い、2人は廊下へと消えていった。


『あんたどこまで馬鹿なのよ! 確かに喋るなとは言ったけど、もう少し考えなさい! これ以上状況を悪くするんじゃ無いわよ!』


 廊下から聞こえてくるチヅルの大声。それでも普段と比べればかなり抑え目だったが、完全にこちら側まで丸聞こえだった。


「何やってるんだ、あいつは」


 思わずアレックスは、顔に掌を当てて溜息をつく。

 チヅルがアレックスをぶん殴ったと思われる鈍い音が聞こえ、廊下から2人が戻ってきた。予想通り、ジェフェリーの額には一目見て分かるほどの、どでかいたんこぶが出来上がっていた。


「待たせてごめんなさい」

「ううん、いいよ。ジェフが単純馬鹿ってのは、僕も良く知ってるから」


 事の次第を察したらしいイーヴリンは、呆れ顔でジェフェリーを見ながら手を振って答える。イーヴリンも、ジェフェリーの性格で苦労した口のようだった。

 チヅルは2人をその場に制止させ、イーヴリンの前に立つ。3人が目の前に立つと圧迫感が強くなる。これ以上、イーヴリンの警戒心を強めないために配慮したのだろう。


「イーヴリン、その、昨日の話の続きなんだけど……」


 話を切り出すチヅルを尻目に、イーヴリンが座っていたソファーから立ち上がり、玄関の方へと歩いていく。


「ついてきて」


 ただ一言そう言い残すと、イーヴリンは先に行ってしまった。残された3人は訳が分からず顔を見合わせる。


「何だ?」

「とにかくいきましょう」


 3人は頷き、イーヴリンを追って家を出た。

 イーヴリンは家の裏手にある倉庫へ向かっていた。イーヴリンに追いついた3人はその後に無言で続く。

 やがて、入り口である巨大な引き戸の前に辿り着いた。イーヴリンは鍵を取り出すと、引き戸につけられていた巨大な南京錠を外し、ゆっくりと戸を開けた。

 中は周囲の窓から朝日が差し込み、十分な光量に満ちていた。その中に佇む巨大な筒。それは鈍い銀色を纏い、所々の外装が取り外されて中の無骨な機械が覗いていた。


「こいつは……」


 圧倒されたようにアレックスが呟く。


「空船。僕が全身全霊を傾けて作っている物だ。けど、まだまだ未完成でね。僕1人だと、後3年は優にかかりそうなんだ。だから、君達にそれを手伝って欲しい」

「それじゃあ……!」


 言葉の意味をすぐさま察したチヅルが喜びの声を上げる。しかし、イーヴリンがその言葉を遮った。


「その代わり条件がある。1つ目はあの岩の外殻を突き破って突入する方法。そして2つ目に突入した後、無事に着地できる方法だ。この2つの条件がクリアできない限り、君達を飛ばす事は出来ない。それでも良いと言うなら、僕は喜んで力を貸すよ」

「もちろんよ! ありがとう、イーヴリン!」


 チヅルは感極まって、イーヴリンの手を掴んでぶんぶんと振り、最後にはイーヴリンを強く抱きしめた。やられた本人は恥ずかしいからなのか、それとも単に苦しいからなのか、真っ赤になって手足をじたばたとさせている。


「その辺にしておけ」


 このままだといつまで経っても離しそうに無いし、チヅルがイーヴリンを絞め殺しかねないので、アレックスが2人を引っぺがす。


「おいおい、イーヴリン。大丈夫か?」


 やはり相当苦しかったらしく、イーヴリンは地面に四つん這いになって大きく咳き込んでいた。すぐさまジェフェリーが駆け寄り背中を撫でる。

 しばらくしてようやくイーヴリンが落ち着くと、もう1回大きく咳払いした。


「とりあえず問題を1つずつ解決していこう。まずは外殻を突き破る方法だけど……」

「ごめんなさい。その前に1ついいかしら。これにはどれぐらい人が乗れるの?」

「え? 元々は2人乗りの予定だったけど、3人ぐらいなら何とか」


 イーヴリンが話し合いを始めようとした矢先に、チヅルが水を差してしまう。だが重量の問題と気づいて、アレックスにはチヅルの言わんとしている事を察した。


「なるほどな、そういう事か」

「なあ、一体何が問題なんだ? 俺にはさっぱり話が見えないんだが」

「2人とも、僕にも分かるよう説明してくれるかな?」


 ジェフェリーとイーヴリンが話についていけず、チヅルとアレックスに説明を求めた。

 チヅルは小さく頷くと、順を追って説明する。


「確かに、普通に飛ばすだけなら問題は無いわ。けど、さっきイーヴリンが提示した条件を満たすためには、空船へ何らかの改造をしなければならない。どれだけの規模になるか判らないけど、それなりの重量になると考えておいた方がいいわ。それともう1つ。これは個人的な事で申し訳ないんだけど……」


 だんだんチヅルの口調が尻すぼみになり、最後には聞き取れないぐらいに口を濁してしまった。確かに言いにくいだろうと、アレックスは説明を代わる。


「あと俺達の装備もある。単身で敵陣に飛び込むんだ。万全の準備を整えた方がいいだろう」

「いや、それは分かるけどよ。そんなのなんて高が知れて……ああ、そういう事か」

「え、何? どういう事なの?」


 ようやくジェフェリーも事を察してくれたようだ。イーヴリンが一人だけ意味が分からず困惑しているが、それは仕方ないだろう。イーヴリンは、チヅルが何を武器にしているかを知らない。


「ようするに、チヅルの武器の重量が問題なんだ。あれ1つで大の大人、10人分はある」

「そんな。だってチヅルさんはそんなに大きな物を持ってないじゃないか」

「それがあるのよ。ここにね」


 チヅルが白衣の下から、日曜大工で使いそうなぐらいに小さくされたハンマーを取り出した。そして手元のダイヤルと取っ手を操作し、本来の大きさまで戻してイーヴリンに見せる。


「これが私の武器。普段は小さくして腰に吊るしてあるけど、重量自体は変わらないの」

「……すごい大きさだね。確かにこれだけ大きいと厳しいな。どうにかしてエンジンのパワーを上げるか、機体の軽量化を考えないと……」


 イーヴリンが腕組みをしながら俯いて黙ってしまう。この問題はただ単純にエンジンを強化すれば良いという訳ではない。出力を上げれば、必然的にエンジン自体も重くなってしまい、さらに燃費も悪くなるという悪循環も起こりかねない。付け焼刃の対策ではどうにもならない、非常に難しい問題だった。

 だがこの時、アレックスの中に1つのアイデアが生まれていた。ようするに、出力を落とさず軽量化出来れば良いのだ。それは、HO技師であるアレックスだから出てきた閃きだった。


「イーヴリン、エンジンの設計図を見せてもらえるか?」

「え? いいけど」


 アレックスに頼まれると、イーヴリンは空船に走りよった。そして周りに散乱している物の中から紙の束を掴むと、それを持ってこちら側へ戻ってきた。その紙束をアレックスに渡す。


「これだよ。エンジンだけじゃなくて、全体の設計図も兼ねてる」

「ああ、十分だ」


 アレックスはそれを1枚1枚、注意深く目を通した。そして、浮かんだ自分の考えが実現可能だと確信する。


「これなら何とかなりそうだ」

「うそ、本当に!?」


 驚くイーヴリンに向かって、アレックスは自信に満ちた表情で頷く。


「この構造で削れる物など1つも無い。強いて言えば燃料ぐらいだ。それを別の物で代用できるとしたら?」

「……そうか。モジュールを使って、エンジン周りを通常の機械とHOでハイブリット化させれば……って事はあれを使うのね」


 目を光らせて指摘するチヅルを、アレックスは肯定する。


「ああ、そういう事だ。チヅルには一度トリガーを作ってもらったな」

「ええ。データはちゃんと揃ってるわ。同じ物なら、全力で作れば1週間程度で作成可能よ」

「エンジンや他の機構に大幅な改修を加える事になるが、なんとかぎりぎりで間に合うだろう。この問題はおそらくクリアできる」


 設計図を掌で叩いて高らかに鳴らし、アレックスは宣言する。瞬く間に、問題が1つ解決してしまった。


「すごい……」


 あまりの手際の良さからか、イーヴリンがぽつりと感嘆の言葉を漏らした。


「でも他の2つは現状、手が無いわね」

「なあ、じいさんの所に行ってみちゃどうだ? 今は市場なんて崩壊して、モジュールは出回っちゃいない。なら、自分の手で条件に合うモジュールを取ってくるのが手っ取り早いだろ。じいさんはモジュールの知識に関しては右に出るものはいないし、蔵書の数もガスタブル、いやジークス1だ。相談するのは無駄にならないと思うぜ」


 先程から技術話に入っていけず静観を決め込んでいたジェフェリーから意見が出された。珍しく的を射た意見に、アレックスとチヅルは思わず感心してしまう。


「へえ、ジェフにしちゃ、珍しく良い事言うじゃない。確かにそれが一番ね。ここからは3手に分かれましょう。イーヴリンはここで空船の開発を。アルは私達と一緒にガスタブルへ戻って、必要な機材とモジュールをここに運んで、そこからはイーヴリンと一緒に作業を。私とジェフは、残りの問題が解決出来る方法を探してくるわ」


 チヅルの提案に3人が頷く。誰もそれに異論は無かった。


「それじゃ膳は急げってな。さっさと向かう事としようぜ」

「ああ」

「それじゃイーヴリン、またね」

「うん。皆、気をつけて」


 3人は残ったイーヴリンに手を振り、倉庫から出て駅へと向かう。

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