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『人身御空』②

「どうしたのかな、〈死神〉の名を聞いて露骨に表情が曇ったけれど」

 六花さんが、いつものように寝っ転がりながら尋ねた。

「……」

 俺は、答えられなかった。

 二人とも、良い人だから。

 俺の暗い事情に、巻き込みたくはなかった。

「言いたくなさそうだね」

「……はい」

「じゃーいいや」

「いいんですか」

「訊いてほしいの?」

「いえ……」

「話してくれることが、いつかあるかもしれないし、ないかもしれないし。それでもいいよ。僕はここにいるから。死ぬまではね」

「長生きしてください」

「それはお互い様」

「……」

「死ぬなよ」

「……」

「僕は僕の事どうでもいいけど。でも知己にはできるだけ生きていてほしいから」

「……」



 俺が生まれたのは、剣と魔法の世界。

 つまり魔物がいて、冒険者がいて。

 剣士がいて、魔術師がいて。

 ゴブリンがいて、ドラゴンがいて。

 そして勇者がいてーー魔王がいる世界だった。

 俺の父親は、その魔王。コボルトとかオークとかワイバーンとかを従え、世界の半分を手中に収めている偉大な魔物・魔族の王様だった。

 そんな父と結婚した母は、海のあぶくから生まれたという、海と水の精。父のようなカリスマ性も力もなかったけれど、水を操るのが得意で、俺もよく水流を玩具のように扱う様を見せてもらった。

 兄様や姉様達は、父譲りの立派な角や尻尾、羽を持ち、腕力も魔力もスタミナも人間離れしたーーつまり魔族そのものの域であった。

 けれど俺は生白く角も尾も羽もない、人間そのものの(なり)で、それをからかわれてはびーびー泣いていた。でもきょうだい達は皆根が優しいので、後でちゃんと謝って夕食のデザートを分けてくれたりもした。

 この容姿は母の幼い頃の生き写しであるらしく、彼女はそれをたいそう喜んで、幼少期は父に帝王学を習う時間より母に水の魔術を習う時間の方が長かった。

 闇を炸裂させて人間を沢山殺す魔術より、水を操って魚の群れを作り出す魔術の方が得意だった。

 人間を串刺しにして真っ赤な血を浴びるより、きらきら輝く七色の飛沫(しぶき)を眺めている方が好きだった。

 でも、それがやっぱり魔王の末息子としては情けないと思ってしまうわけで。俺は他の魔術や剣術の修行に勤しんだ。

 あの日も、ちょっと離れたところに住んでいる老魔術師に教えを乞いに行って、その帰り道に、「それ」を見たのだ。


 堅牢な石と煉瓦の城が、薄紙のように燃え落ちていくのを。

 その中央、エントランスだった場所で、父だった生き物が一握の灰に変わっていくのを。

 そしてそれを、真紅の大鎌を携えた黒衣の死神がじっと見つめているのを。


 俺はそれを、城の外の茂みの陰から呆然と眺めていることしか出来なかった。

 熱風が荒れ狂い、死神の黒衣の裾と黒髪が揺れる。

 俺は叫び声が飛び出てしまわぬように口を押さえたまま、ただ目を見開いて、浅い呼吸ばかり繰り返していた。

 城の中庭が、兄様と姉様の部屋が、食堂が、地下室が、使用人の詰め所が、応接間が、客人用の部屋が、そして両親の私室がすっかり灰に変わってしまってから。その残骸から母ときょうだい達が恐る恐る顔を出した。

 逃げろ、と叫びたかったけれど、声が喉の奥に引っかかって出てこなかった。

 死神は家族達に近づいていき、まず母の額に触れた。

 その手からちらっと微かな炎がひらめき、母はばたりと倒れ伏した。

 きょうだい達はそれを見ていた筈なのに、洗礼を待つ子供のように、死神が命を刈り取っていくのを静かに待ち受ける病人のように、来たるべき時が来た、とばかりに静かに佇んでいた。

 死神の手が次々と触れ、皆ばたばたと倒れていく。死んでしまったのだ、と直感した。

 そして、死神が出し抜けに振り向き。

 無機質な翡翠色の目と、目が合った。

 ……そこから先のことは、あまりよく覚えていない。

 次々と上がる火の手。

 魔物達のうなり声。

 汗だくの身体に服が貼り付く感触。

 熱いのか冷たいのかわからない風。

 滅茶苦茶に走りすぎて痛くなった足。

 ばちゃばちゃと小川をかき分けていく自分の靴。

 すっころんでしたたかに打ち付けた身体の痛み。

 真っ黒な森。真紅の炎。

 これからもずっとずっと続くと思っていた俺の日常は。

 あの日、終わった。


 それから俺は人間達の国の中で、とある緑深い森の奥でひっそりと暮らしながら、剣と魔術の腕を磨いていた。

 いつか、死神を討つために。

 いつか、仇を討つために。

 でも、あの翡翠の目がーー

 今も、怖い。



 ……という事情を態々説明してやる義理はないので、俺は問いを発した後、黙ったまま〈死神〉を睨み付けていた。

 〈死神〉は静かに大鎌を下ろし、記憶を探っているようにも、さっぱり心当たりがなくて困惑しているようにも、あるいは話すことを整理しているようにも見える無表情で黙っていた。

「ーーわかった。僕には話す義務があり、君にはそれを訊く権利がある。そういうことなら、話すことにする」

 〈死神〉は最終的にそう言って、怖いくらい真っ直ぐに俺の瞳をひたと見据えた。

 その視線が脳みその奥深くまで貫き通すようで……やっぱり、恐ろしい。

「ーー君の父親であったというその男は。魔物も、魔物以外も手下に加えて、人間達のーーこの場合魔物達以外の種族のーー国を次々侵略していた。魔物達は、征服した国の人間を次々殺し、他にも暴虐の限りを尽くした。ここまでは、いいね?」

 俺はとりあえず頷く。

 といっても、魔物や魔族ーー即ち闇と血より生まれ、人よりも強い魔力と高い身体能力を持つ代わりに残虐な精神性を焼き付けられた者達ーーは人間に迫害された側なので、俺としては異議がありまくりだが、まあ人視点から見ればそうだろう。

 ……ただ。仮に人間を殺し尽くしたとして。食べ終えた後の皿や、虫に食われてがらんどうになった果実の後始末を誰がしてくれるのか、という問題はあり、父はよくそれを憂いていた。

「当然ながらそれを看過するわけにもいかないので、その世界の人間達も冒険者だの腕に覚えのある人間だのを使ってなんとかしようとした。しかし焼け石に水でしかなかったので、勇者を召喚した。勇者は暫くは調子良く勝利を積み重ねていたけれど、ある日突然『活動を停止した』」

「『活動を停止した』……?」

「そのままの意味。彼と、仲間と、滞在していた村がぴたっと止まっちゃった、らしい。原因は一切合切不明。……怪異ではない、っていわれてるけどね」

「……」

「しかし勇者が動かなくなっても魔物の進軍は止まらない。それで二進も三進も行かなくなって、僕が呼ばれた。

そしてあの日、僕は城で魔王と対峙した」

「……っ」

「魔王は言った。こんな日が来るとわかっていた、と。勇者が来ないことに気付いてはいたけど、もう彼は止まれなかった。魔物達の残忍さも、魔族達の怨みも、坂道を転がるように、とどまるところを知らなかったから。彼もまた、それに無理矢理背中を押されるように、闇雲に走り続けることしか出来なかった。

……そして最後に。私を止めてくれ、『落城』を印象づけるために、城も燃やしてくれ、と。……家族は、逃がしてやってほしいと。だから、僕はそうした」

「ーーえっ、じゃあ、俺の家族は……」

「生きている、はずだよ。最後に僕に関する記憶と、憎悪の感情だけ燃やしたけれど。伸びすぎた枝を整えたようなものだから、精神に影響はないはず」

「……そ、うだったのか……」

「知らなかったんだ。見に行けば良かったのに」

「……それは」

「ああ、見に行けなかったのか。ーー自分の無力さを突きつけられるようで」

「ーー!!」

「これは少し、言い過ぎた、のかな。人の心って、難しい」

 死神は淡々と、報告書でも読み上げるような語調で締めくくると、大鎌をぐるりと回し、切っ先をぴっとこちらに突きつけた。

「ーーしかし。僕が君の父親を殺したのは事実。そのことについて言い逃れをする気はない。その復讐をしたいと言うのなら、拒む気はない。ーーそれが、僕が負うべき責務であり、罪でもある」

 さっきまで空気を冷やし続けてきた氷晶が、ちらちらと舞う火の粉に触れた瞬間、灰となって燃え落ちる。

 ぱらぱらと舞う灰を踏みしめて。〈死神〉の大鎌に炎が宿った。

「けれど、僕にもやらなければならない事がある。そのために止まるわけにはいかない。相応に、抗わせてもらう」

 ……灰の上にただ一人立つ者。立ち塞がる全てを灰燼に帰す者。やがて全てを燃やし尽くすか、自らが燃え尽きるその日まで。

「……」

 俺は無言で、剣を構え直した。

 正直、頭の中はぐちゃぐちゃで。どこに心を持っていけばいいのかわからないけど。

 でも、やるしかない。

 ……だって、俺はこのために、あの日から今日まで、生き延びてきたのだから。


「ーー改めて。僕は〈生命の樹〉第十三席、序列第二位。〈死神〉の神舞飛羅」

「……闇と海の子、カイザリウス・ネーヴァ」


 そうして、絶望的な戦いが幕を開けた。



 父に教わった闇の魔術。

 母に教わった水の魔術。

 老魔術師に教わった炎や雷の魔術。

 思い出を刃に変えて貫かんとするかのように、俺は次々と魔術を放った。

 けれど。

 渾身の魔術は〈死神〉が操る炎、その片鱗に触れるだけで次々と燃え落ちていく。

 彼は大鎌をくるりと舞わ()して、いっそ優美なほどふわふわと炎を撒く。

 それだけで、俺の積み上げてきた全てが燃え尽きていく。

 じわと目に涙がにじむのがわかった。

 悲しいわけじゃない。悔しくて、情けなくて。

 武器が違う。

 育った環境が違う。

 魔力量が違う。

 魔術の効率が違う。

 才能が足りない。

 そして何より、覚悟が足りない。

 それら全ての要因が積み重なって、俺と彼の間にある高く分厚い壁になっているのがありありとわかった。

 名を名乗る前から、というか『人身御空』を灰にせんとした時から、「ああ、勝てない」とわかっていた。わかってしまっていた。

 それでも、後に引くことなんて出来なかった。

 仇を討つため。

 そして、俺のため。

 俺がここで、彼等の子であると証明できなければ。

 俺は、今まで、何のために。

「ーーよそ事を、考えている場合?」

「しまっーー」

 いつの間にか懐に飛び込んでいた〈死神〉の大鎌がぐるりと回る。

 慌てて迎え撃とうとする刀身をかいくぐるように、柄の下端が腹を抉りながら殴りつけた。

「ぐ、うっ」

 吹き飛ばされこそしなかったけれど、たたらを踏んだ視界の端で、ただの装飾というには余りにも鋭利すぎる、槍の穂先のような水晶の煌めきが紅い軌跡を描くのが見えた。

 接近戦潰しも、いっそ笑ってしまいたくなるほど完璧だった。

 魔術の撃ち合いでも、剣の間合いでも。

 ーー勝てない。

「う、うううーー」

 認めたくなくて、我武者羅に魔力を操った。

 今俺が使える中で最大火力の、奇しくも炎の魔術。

「〈炎よ、今ここに燃えさかり焼き尽くせーー『火球(フレイム・スフィア)』〉!」

 生まれた炎は、空き地の殆どを覆い尽くすほど大きかったけれど。

 ーー悲しいくらいに、普通の、ただの炎だった。

 対する〈死神〉は静かに火球を見上げた後、一瞬だけ瞑目して、再び大鎌を地面に突き立てた。

「〈空の果て、夜の果て。残響と反響の彼方。紙片の一切を紅蓮に焼べ、今、ここに焚書に処さん。灰燼に帰し、葬送を成す。万象、燃やし尽くさんーー『名も無き炎』〉」

 詠唱をしてくれたのは、もはや温情だろう。

 手のひらに収まるほど小さな、しかし今まで見た他の何よりも紅い炎は、ふわりと優しく火球の表面に触れ。

 そして、激しく燃え上がった。

 薔薇よりも、夕陽よりも、血よりも赤い紅色に。

 ……俺の右目から、さっき滲みかけた涙が流れ落ちていくのがわかった。

 やっぱり、悔しい。情けない。勝てない。俺は、俺はーー

 ーー無力だ。

 俺の渾身の魔術を焼き尽くした真紅の炎が、そのまま俺に触れて。

 逆巻き、うねり、飲み込んで。

 視界が真紅に染まった。



「……あれ」

 もう終わりなのだろうな、と思っていたけれど、何秒経っても俺は灰になっていなかった。

 恐る恐る目を開けてみるけれど、服も肌も、目視で確認できる範囲は無傷だ。

「ーー僕の炎は、僕が『ある』と思ったものは実在・非実在、存在・非存在含めて何でも燃やせるけれど。本当に何でも燃やしてしまっては困るから、枷をかけてある」

 当然ながら火傷一つない〈死神〉が、淡々と呟いた。

「よく使うのが、『最初に触れたものを燃やし尽くすモード』と、『事前に指定したものだけを燃やすモード』。

前者は、無差別攻撃は勿論緊急防御にも使えて中々便利だけど、燃やしたくないものを燃やしてしまう可能性があるのと、あと気を抜くと空気中の水分とか埃とかに反応して燃えてしまうのでちょっと扱いが難しい。

後者は、事故が起きにくいけれど突発的な事態には弱い。僕は大体は後者を使っている。

つまり今回は、『君の魔術』を指定して燃やしたから、君は燃やさなかった。それだけ」

「……」

 俺はぼけっと座り込んだまま、飛羅さんの本日二回目くらいの長広舌に、ぼんやり耳を傾けていた。

 ……終わるところで、終わらなくて。

 もう戦意喪失というか、放心状態というか、率直に言って呆けていた。

 飛羅さんはそんな俺を見て眉をひそめ、

「……と、態と長々説明してやったのだけど。いつまでそこに座り込んでるつもり?」

 無機質な声に、初めて苛立ちが乗った。

「僕は生憎、『肉親の復讐』という概念に、非常に珍しいことながら共感が出来る。……故に、理解が出来ない。

例え叶わないとしても、四肢がもがれたとしても、仇が目の前にいるなら死に物狂いで食らいついてくるものなんじゃないの?」

 そう言って、もう一度大鎌の先端を向ける。

 先程は、宣戦布告、覚悟の表明のために。今は、詰問のために。

「ーー君は、死にに来たの?」

 ……わからない。

 俺の前に続いていると思った道はあの日突然崩れ落ちてしまって。

 何処に向かって、何を目指して走ればいいのか、わからなくなってしまった。

 自分が今破滅に向かっているのか、それとも活路を見いだしたのか、それすら。

 進んでいるのか、戻っているのか。正しいのか、間違っているのか。

 わからないまま、滅茶苦茶に走っていた。

 そして、今日。

 あの全てを燃やす真紅の炎を見て。

 それから、仇を討つ理由の半分がなくなって。

 俺は……何処に行くんだろう。

 何処にも行けないなら。

 ……もう、いいんじゃないか。

 だんまりを決め込む俺に、飛羅さんは溜息を吐いた。

「君の真意は、わかった。

〈生命の樹〉に仇なすわけではなく、ただ僕を恨んでいるだけだということも。

個人的には赦してもいいとは思うけれど、曲がりなりにもアルカナの、しかも序列上位に危害を加えようというのなら、無罪放免というわけにもいかない。

……即ち。〈生命の樹〉の安全と未来を守るものとして。君に処断を下す」

 飛羅さんは俺の目の前まで歩み寄り、大鎌を静かに持ち上げた。

 斬首斧のように、その刃が真夏の日差しに照り映える。

「何か、言い残すことは?」

 なんだろう。沢山ある気がするのだけれど、その全てが喉の奥で絡まって出てこない。

「……そう。わかった」

 『何も言えない』という俺の言葉を聞き届けた飛羅さんは、痛みを堪えるように瞑目してから、すぐにその翡翠の瞳で俺を真っ直ぐ見つめた。きっと、忘れないようにするために。

 僅かに大鎌の刃が引かれ、それが弧を描きながら降りてくるのを、俺はぼんやり見ていた。

 もう終わりか。

 そっか。

 ……。

 ごめんなさい。






「あんまり、うちの新人をいじめないでくれるかな?」






相変わらずメンタルが不安定だったりさるゲームでガチャ石集めをしていたり中二チック過ぎる描写に悶えていたりしていました。


書くところがない裏話。

大鎌多分クッソ重いとは思うのですが、飛羅の使う大鎌には軽量化の魔術が付与されています。飛羅がめっちゃ腕力あるわけではない。

あとついでに変形機構や炎付与なんかもがんがん乗っけられています。〈太陽〉が凄く頑張った。

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