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第八話『流転』

 誰かの非日常は、誰かにとっての日常。秘密を守るということは、誰にも気付かれずに日常を過ごすということだ。

スタブレ第八話

 


 きっかけというのは何気ないものだ。ふとした瞬間から物語は始まる。

 それは剣雨の被害状況を報道するニュースかも知れないし、隣のクラスの子に弟が生まれたという内容の学級日誌かも知れない。明日の天気予報かも知れないし、昨日の晩御飯の話かも知れない。

 とにかく、病気で学校に来れてない女の子にプリントを届ける人に彼が立候補したのはたまたまだったのだ。少年が他のクラスメイトの誰も素性を知らないそのクラスメイトに会いにいく役目を引き受けると言い出した時は、皆が安堵のため息を吐いたものだ。とは同時に、教壇に立つ先生からその話が出た瞬間からクラス内では誰に押し付けるかを巡って激しく視線を交わし合っていた事もあり、少年には数奇の目が向けられる事となってしまった。

「病気が移るかも知んねーぜ?」

 お調子者のクラスメイトが少年にヤジを飛ばす。少年は振り返ってそのクラスメイトの方を見て笑って見せた。

「心配要らないよ。僕の身体は強いからね」

 真面目にそう返されては揶揄う事も出来ない。シラけてしまったクラスメイトは肩を竦めて口をつぐんだ。

「決まりだな。じゃあ星野は後でプリントを取りに来てくれ」

 そうしてHRは終わり、少年は職員室で先生からプリント類を受け取ると、病院の場所を聞いた。そこまで近い訳ではないが、有名な病院だ。

 数十分歩いて病院に辿り着く。中へ入って受付で部屋の場所を聞く。お見舞いと言うと受付の人は驚いた表情をした。そんなに珍しいものだろうかと首を傾げると一言。「彼氏さんですか?」

 少年は困ったように笑うが、こう答える他になかった。「ただのクラスメイトです」

 病室は病院のかなり奥の方にあった。人通りも少なく静かな廊下を歩き、目的の扉を開ける。

「こんにちは」

 少年は挨拶をしながら入ってみる。どんな子なのかも聞かされなかったので、失礼の無いようにという配慮だ。

「……どちら様?」

 奥のベッドに一人、身体を起こしている女の子がこちらを見ていた。淡い髪色と色鮮やかな虹彩の瞳が印象的だった。

「僕は……」

 軽い自己紹介の後に事情を説明する。そして目的のプリントを手渡す。

「……渡されても、私、分かんないよ」

 だが少女は困ってしまっていた。無理もない。学校にほとんど行けていないという事は、授業の内容も当然分からないという事だ。

「じゃあ、僕が教えるよ」

「え? いいよ、そんなの」

「遠慮しないで。クラスメイトでしょ」

「……それも、お願いされてきたの?」

「ううん。これは僕の思い付き」

「だったら———」

「———僕がそうしたいんだ。そうさせて欲しい」

「どうして? どうしてそこまでするの?」

 少年は笑ってこう返した。

「誰の助けになりたいって思う事に、理由が要るの?」

 それに対して少女が何も言い返せなかった事は言うまでもない。

 そこからは少年の独壇場だった。夜が耽るまで少年と少女は話をして、頷き合って、笑い合った。

 すっかり心を開いた少女は、少年が帰り支度を始めたあたりでとても寂しそうな顔をしていた。

「……ねぇ、星野くん」

「どうしたの?」

「その、明日も、来ない?」

 迷惑かもしれない。今日話しただけの関係の人から誘われても困るかもしれない。そんな気持ちから、躊躇いがちに問いかける。

 少年にはその気持ちが理解できた。その上で問いかける事ができているのは、本当に明日も会いたいと思っているからだという事も。

「もちろんだよ。キミさえ良ければ」

 笑顔でそう返す。もとより断る理由もない。家で帰りを待つ人も居なければ、宿題もここで済ませれば良いのだから。

「うん。うん! もちろん!」

 少女は満点の笑顔を少年に見せた。まるで病室に咲いた一輪の花のようだった。



***



 刃異人のスピーチについては結局、政府からの通達はそれ以降無かった。まるで最初から何事もなかったかのように今日もニュースは剣雨の被害状況やシェルターでの生活について報道している。

 ネット上では一部で話題に上がっては口論になっていたが、事実を知らない人たちの憶測が飛び交うだけに過ぎなかった。最終的には集団幻覚だったんじゃないかという説まで出る始末で、都市伝説レベルの事件という形で落ち着いたようだ。

 教室でもその話題が上がる事があった。スピーチについて言及していた先生にクラスメイトが問いかけたのだ。「先生はあの事件についてどう思う?」と。先生は何食わぬ顔でこう答えた。「どうでも良いかな。結局、先生たちには関係の無い話だったから」

 星野は何となくそれを聞いて寂しく思っていた。直接的な被害が無かったとは言え、あわや人類の危機が訪れるかも知れないという事件に対して“関係ない”とバッサリ言うのはあまりにも冷たいのではないだろうか。

 その考えを星野は如月に伝えてみた。

「……まぁ、あんたの言いたい事も分かるわよ、星野くん。でも多くの人にとって、関わりの無い出来事はどうでも良い事なの」

「でも……」

「たとえば、ある自衛隊のひとりが戦死したとしましょう。それがニュースで流れたら、みんなはそれを見て悲しむでしょうね」

「そうだね。死ぬのはやっぱり悲しいし」

「でもその人は多くの人にとって“知らない人”よ。次の日にはほとんどの人は“その人が死んだ”という事実を忘れてしまうの」

「そんな……」

「……もちろん、その人の家族や友人、関わりのあった人たちは、何も知らない人たちよりもずっと長くその事を覚えているでしょうし、ずっとずっと苦しむはずよ。だから今回もそう。結果、何もない事が分かった人たちからこの件は忘れていくわ」

「……そういうものなの?」

「そういうものよ。人は忘れる生き物なの」

 それにさっさと忘れてもらった方がこっちも楽だし、と如月は最後に小さく笑った。よく考えてみれば、この世間の状況を彼女は望んでいたのかも知れない。根回しの理由は、世の中をこれ以上の混乱に陥れない為だと考えるのが最も合理的だと星野は頷いた。もちろん如月はあれ以来、根回しの内容については教えてくれていない。聞いても理解できないと思っているので、星野は聞こうともしなかった。

 そんな如月は久しぶりに登校した際にクラスメイトに盛大にお出迎えを受けていたのが記憶に新しい。

 先生が「ごめんみんな、実は如月は海外留学に行っていたんだ。ビックリさせたいからと黙っておくよう言われていたんだが、明日帰って来る如月を逆にビックリさせてやろうと思うんだがどうだろう?」とクラスメイトを煽るので、素直なクラスメイトたちはいそいそと教室を飾って垂れ幕まで用意したのだ。こういう時の団結力は恐ろしいものがある。星野は手伝いながらもここまでやる理由がわからず、柊木に問いかけていた。

「企画自体は先生の腹いせだと思うけど、みんなは結構、こういうサプライズが好きなだけだと思うな」

 それにあの如月さんだし、と柊木は笑顔で折り紙を折っている。なんだかんだ、如月はクラスメイトたちに受け入れられていたようだ。星野を受け入れる寛容な子が集まっているだけはある。

 実に1ヶ月ぶりに教室に姿を現した如月は扉を開けてすぐに拍手とクラッカーと紙屑の雨を受け、呆然として立ち尽くしていた。

「……あれは本当に心臓に悪いわよ。あわや立ったまま気絶するところだったわ」

 当時を振り返って如月はそう言う。少し語気が強いあたり、そのビックリ具合は相当だったらしい。

「けどまぁ……悪い気はしないわね」

 我に返った如月は紙屑を頭に乗せたまま笑ったのだ。それを見てクラスメイトたちも安心したように口々に「おかえり!」と声をかけていた。先生はニヤニヤと笑いながらカメラを構える。そしてクラスメイトに囲まれて教室の中へ入ってくる如月にピントを合わせてシャッターを切った。

 柊木はと言うと、沙耶との激闘があった次の日に星野が教室に入ったあたりから様子がおかしかった。星野が席に座るなり、ちらちらと振り返って柊木が様子を見始めたのが最も挙動不審だった。さすがの星野も話しかけないわけにはいかないと席を立つ。

「な、なに、どうしたの?」

 近付いた星野に柊木は、あくまでも平静を装っている。だが自身の行動を省みて恥ずかしさが込み上げたのか柊木はだんだんと顔が赤くなってきていた。

「……あの、何か言って欲しい、かな」

 とは言え、星野もどう話しかけたものか悩んでいた。聞きたい事はある。もちろん神名が土壇場で戦場に現れた事についてだ。だがスターブレイダーの件に彼女をこれ以上巻き込むのは彼女の意志にも反するのでは無いかと星野は考えていたのだ。

「…………分かったよ、白状する。愛理にGOを出したのはあたし。侵入禁止区域までのタクシーを手配したのもお金を払ったのもあたしだよ」

 じっと柊木の顔を見ながらそんなことを考えていると、柊木の方から話を切り出してくれた。

「……意外だった。正直、柊木さんなら絶対に止めると思ってたよ」

「無責任だったのは分かってる。でも、あんなに必死な愛理を見たら……」思い出したのか、柊木は俯いてしまう。「……信じたくなっちゃうよ。みんなが帰って来る明日を」

 星野は自然と笑みが溢れるのを感じていた。それでも柊木は可能性を選んだのだ。何の保証もない未来に希望を託したのだ。

「ありがとう。神名さんを信じてくれて」

「……本当に、愛理からなかなかチャットが来ないから、すっごく焦ったんだからね」

 そう言って柊木はようやく顔を上げて、笑って見せた。

「おかえり、星野くん。約束、守ってくれてありがとう」



 そんな話をした次の日。つまり如月が帰って来る前日に神名は教室に姿を見せた。クラスメイトからは心配の声が絶えなかったが、神名は笑顔でそれらを受け流していた。まるでファンを遇らうアイドルのような立ち振る舞い。これでは事情を聞くにも聞けず、クラスメイトたちは遠巻きに神名を見ることしかできなかった。

「愛理ちゃんさ……なんか大人っぽくなったっていうか」

「わかる。雰囲気変わったよな」

 クラスの男子がコソコソと話している声が聞こえて来る。星野はもう少しその話を聞いてみることにした。

「男かな」

「男だな、あれは」

「つまり、アイツか」

「間違いない。ヤツが来てから愛理ちゃんは何か変だった」

 そう言いながら向けられた視線の先は誰もいない席。まだ1日しか来ていない神無月剣人の席だ。

 そのまま星野は神名の方を見た。柊木と何か話している神名はいつものように楽しそうにしている。この間の思い詰めたような表情はどこかへ行ったようだが、別にこれといって変わったところは無いように見える。

「おい、星野!」

 突然呼ばれてビックリした星野は机から転げ落ちそうになりながら振り向く。

「神無月のとこにお見舞い行ってたろ? 何か知らないのかよ?」

 先ほど話していたクラスメイトたちが星野を囲むようにして立つ。これは逃げられそうも無い。

「えーっと、何の話かな?」

「神無月はいつ帰って来るんだ? 入院してから随分経つだろ?」

「それは、もうすぐだって如月さんが……」

「如月……って白刃ちゃんかよ。どうして白刃ちゃんが出て来るんだ?」

 星野は慌てて首を振る。

「ああ、いや、違うんだ。如月さんが担当医とよく話をしていて……」

「……? まぁ良いか。それより、お前も気付いたか? 愛理ちゃん、なんかいつもより艶っぽくないか?」

 艶っぽい、という表現を頭に入れてもう一度神名を見てみる。発育が良く、それでいて凹凸のしっかりしたボディライン。あのスタイルの良いわがままボディをそう呼ぶなら、ずっとそうだったはずだ。今に始まった事ではないだろう。

「……星野にはまだ早いか。邪魔したな」

 反応が薄い星野に同情するような表情で肩を叩くと、クラスメイトたちは席に戻っていった。「気のせいかなぁ……」と自信をなくしているようだが。

「星野くん?」

 またも声がかかる。声の方に振り向くと、そこには神名が立っていた。

「……なんか、いやらしい目、してなかった?」

「いや、決してそんな事は」

 星野は全力で首を振った。言いがかりにも程がある。ただ言葉の意味を理解しようと観察していただけだ。邪な気持ちは微塵もない。

「ふーん。まぁ星野くんに限ってそんなことは無いか。……あっちはどうだか分かんないけど」

 神名はちらとクラスメイトたちの方を見やった。星野は笑顔でいることしかできなかった。

「それより、ちゃんとお礼言えてなかったよね。ありがとう、星野くん」

「良いんだ、……えっと、とりあえず場所を移そうか?」

 クラスメイトの視線が気になった星野は神名に提案する。柊木から聞いた以上の事を知らない星野は、念の為事情を聞いた方が良いだろうと思っていた。

「あー……そう言えば、そうだったね」

 神名は星野の物言いで察したらしい。前線で何があったのか、それまでに何があったのか、その話をするにはこの場所は適していない。

「……じゃあ、放課後、時間もらっても良いかな?」



 放課後。もうすっかり馴染みの部屋となってしまった神無月の病室に皆が集まる事になっていた。星野は扉を開けて神名と一緒に入る。

「あれ、如月さん?」

 と、見知った顔が先にベッド傍に立って腕を組んでいた。星野を見るなりため息を吐く。

「……何か来ちゃいけない事情があったかしら?」

「いや、そうじゃないよ。まだ忙しくて来られないんじゃないかって」

「事後処理は大体終わったわ。……人の居るところまで被害が及ばなかったのが幸いしたわね。警報ひとつでどうにかできたから」如月は手を広げて肩をすくめて見せる。「あとはどうにでもなれば良いのよ。とにかく、私の仕事は終わったの」

「そうなんだ。お疲れ様、如月さん。サポートありがとう」

「ふんっ……私にしかできない事をやっただけよ。……あんた達もお疲れ様。色々あって言いそびれてたけど、勝ってくれたおかげよ。ありがとう」

「カハハッ! 俺が負けるわけねぇだろ?」

「あんたは笑ってる場合じゃないでしょ? 隔離病棟に送り込まれなかった事に感謝して欲しいわね」

「あ? 隔離病棟? あんだよそれ、聞いてねぇぞ」

「あんたの右腕。もう隠し切れるレベルじゃなかったから、学会に売ったわよ」

「は?」

「言ったでしょ? 刃異人の侵蝕跡が見つかったらモルモットって。でも安心しなさい。あんたの人権は守ったから。譲歩に譲歩して、簡単な検査を3日に1回受ければ良いだけ、って条件にしたわ」

「譲歩って……元の条件はどうなってたんだよ」

「…………聞きたい?」

「いやいい! 聞きたくない!」

「ふふっ……」

 如月は楽しそうに笑っている。『人権は守ったから』という辺りで察しは付くが、“モルモットにされる”というのはあながち比喩でもないのかも知れない。

「……さて、それでこのバカを救った天使ちゃんは、何を聞かせてくれるのかしら?」

「天使……?」

「バカって言うな。最初にバカって言ったやつがバカなんだぜ?」

 神無月が騒いでいるが、誰も気に留めていないようだ。それが照れ隠しなのは星野にも分かったからだ。

「えっと……無月っちと将来を誓い合った話、とか?」

「うぉおいッ!」

「え……何、どういうこと?」

「誤解だッ! シラハ、お前絶対誤解してる!」

「あー、あの指輪ってやっぱりそうだったの? 神名さん」

「そこまでは考えてなかったけど……無月っちが男らしく『責任は取る』って」

「……私が居ない間に何したの?」

「誤解だからッ!! 言ったけどッ! そうじゃねぇからッ!!!」

 必死に神無月は訴えているが、頬を染めて照れている神名が全てを物語っているようにしか見えない。如月の冷たい視線が神無月を刺す。

「……そうじゃなくて、愛理ちゃん。あの時どうやってあの場所に来たのか、教えて欲しいの」

 ため息をついて如月は本題に話を戻した。思い出そうとしている神名の横で星野が代わりに答える。

「柊木さんのタクシーで禁止区域まで来たって事は聞いたよ。そのあとは如月さんから通信を受けて、僕が迎えに行ったんだ」

「星野くん、私が聞きたいのは過程の話じゃ無いの。私たちがあの場所で戦っている事は、私たち以外の誰も知らないはずよ。それがどうしてただの1クラスメイトでしかないあなたには分かったのかしら、って聞いているのよ」

「……ッ」

 この威圧感は何度経験しても慣れない。腕を組んで神名にそう問いかける如月の背後には見えない星剣が並んでいるようだ。回答を間違えれば殺されるかも知れない。そんな圧力をひしひしと感じる。

「そんなに怖い顔しなくて良いよ。心配しなくても、誰かから聞いた訳じゃないから」

「だったら何? 女の勘とでも言う気?」

「あ、それだよ白刃ちゃん! 勘だよ! なんとなく分かったんだよね」

 笑顔でそう答える神名を前に、如月はまだ疑う姿勢を崩さない。秘密を守ること。それが如月にとって最も重要だという事を星野は知っている。だから徹底的に疑う。信じるために、疑うのだ。

「……それじゃあ納得できないわ。侵入禁止区域もそれなりの広さがある。たまたま行った場所が最も近い入り口だったとは思えないけれど」

「うーん……そうだなぁ。今見せた方が早いかも」

 そう言うと神名は神無月の方を指差した。

「無月っちは左目の傷について誰も触れてくれないから、どうやって話を切り出すか考えてる。そうでしょ?」

 視線が神無月に集まる。確かに神無月の左目には瞼までパックリと切れた跡がある。虹彩の色も少し変わってしまっているだろうか。視力には間違いなく影響が出ているはずだ。

「……数ある思考の中から、それを選んだ事は褒めてやる」

「否定……しないのね」

「カハハッ……したくても出来ねぇよ。嘘ついたらバレちまうんだからさ」

 如月はもう一度神名の方を見る。神名は申し訳なさそうに笑っていた。

「……無月っちは、どうやってわたしを巻き込んじゃったことを説明しようか、ずっと悩んでたんだよね」

「まぁな。……あの日、ツルギの演説を見てた時、シホが気ぃ利かせてアイリと一緒に部屋を出てくれたけどよ。アイリはもう、あの時からツルギの言葉を理解してたよな」

「うん……」

 神名は頷く。如月は驚いた表情をすると、俯いて顎に手を当てて目を閉じた。あれは話を集中して聞こうとしているポーズだ。

「……それは俺の所為なんだ。ずっと言えてなかったけど、この右手がアイリに触れちまった時に、なんと言うか、アイリの魂と繋がっちまったんだよ」

「そんなつもりは無かったんだよ? 初めてお見舞いに行った時に、手を握ってあげようと思ったら———」

「———侵蝕反応が起こったのね。まったく……」

 如月は呆れたようにため息をついた。

「……あの戦場で神無月くんのバイタル数値はもう生きている人のそれじゃ無かった。あの出血量だったし、普通なら絶対に助からない。けど、愛理ちゃんが来て手を握るとあら不思議。輸血すればギリギリ助かる程度まで回復して見せた。あの一瞬で。……これは人智を超えた現象よ。それが可能だと分かっていたのは———」

「———一度、その現象を見ているから。だよね、神名さん」

 星野が継ぐと、神名は頷いた。星野は病室で神無月が急に目を覚ました場面を思い出していた。神無月はあの時点で何日も目を覚ましておらず、如月が言うには治療ポッドの効きも悪く傷も癒えていない状況だった。そこに現れた神名が事故とは言え、右手に触れた途端に目を覚ましたのだから、“右手に触れる”ことが“神無月を復活させる”ことと結び付くのも当然だろう。

「……最初は理解できなかった。でも無月っちが教えてくれたんだよ。あの冷たさは刃異人に触れた時と同じものだって」

「…………話したのね?」

「昨日の話だ。許せ、シラハ」

「まったく。……じゃあ本当によく分からないまま直感に従って動いた結果、あの場所に辿り着いて、レオの姿を見たわけね」

「うん。……あの剣士が星野くんって分かった時はビックリしたけど。わたしを見た瞬間に名前、呼んでくれてたもんね」

「あはは……こっちもビックリしちゃって……」

「…………大体事情は分かったわ。今回の神無月くん生還が、小さな偶然が重なった結果だって事も」

 如月は大きくため息をついて、額を押さえながら俯く。まさに頭を抱える人のそれだ。星野は如月から発せられるプレッシャーが消えたことに安心しながらも、これから来るであろうお説教に身構えていた。

「……愛理ちゃん」

「うん」

「どこまで聞いたか分からないけど、あなたの身に起こった事は、今後絶対に誰にも話さないと約束してちょうだい」

「うん、分かったよ」

「柊木さんにも話しちゃダメよ」

「分かってるよ、白刃ちゃん」

「それから、侵入禁止区域内は戦場なの。戦場に丸腰で飛び込むなんて無茶な真似は今後一切しないこと。分かった?」

「うん。心配かけてごめんね、白刃ちゃん」

「一番心配したのは置いて行かれた柊木さんの方でしょ。もう話したと信じてるけど」

 神名はしょんぼりしながらも頷いた。柊木から何を言われたのか星野は知る由もないが、相当叱られただろう事は想像できる。

 ため息を重ねた如月は今度はベッドの神無月の方を見た。

「……あんた達が正直に話してくれたから、私も正直に話すわ。あんたの右腕の事を」

「ま、大体察しは付いてるけどな。沙耶の答え合わせもあったしよ」

「そう。良かったわね、最期に話せて。あんたの血筋はどうも霊的な耐性が高いみたいだし」

「あー……やっぱそういう話なのか?」

「残念ながら、そういう目に見えないものの話よ。今更信じないなんて言わないとは思うけど」

 そう前置きすると如月は何処からともなくメガネを取り出してかけると、指を立てて話し始めた。

「まず、刃異人たちには交感能力と呼ばれる、いわゆるテレパスみたいな力が備わっているの。口の無い刃異人はそれを使って意思の疎通を行っているのよ」

「……今その話をするってことは、つまり、俺と沙耶はそのテレパスを疑似体験したって事が言いてぇのか?」

「相変わらず察しが良いわね。でもそれは疑似なんてものじゃない。本当に刃禺の持つ交感能力を使ったのよ」

「おいおい、ってこたぁやっぱコイツは……」

「そうよ。侵蝕とは刃異人が持つ“魂の形を鎧に具現化する”能力、つまり刃異人が刃禺になるその過程のことを言っていたの」

「……カハハッ! つまり俺の右腕はバグっちまったって事だな!」

「…………上手い事言ったつもり? 全然笑い事じゃないわよ」

 如月の冷ややかな視線はメガネ越しだと余計に冷たく感じる。恐ろしい程の冷気が部屋を駆け抜けた。

「すまん……続けてくれ」

「……とにかく、神無月くんは刃禺と同じ力を手に入れたって事よ。だから刃禺の言葉が理解できた事も、刃禺と会話も出来た事もそれで説明が付く。それに———」如月はちらと神名の方を見る。「———今回、魂を吸われた相手にも、それが少なからず継承されるって事が分かったわ」

「えっと……魂が、なんだって?」

「ちゃんと説明するわね。……刃禺が人を襲う理由。それは地球上で生存する為なの。人の生命エネルギー……つまり魂を消費する事で彼らは活動しているのよ」

「刃禺の鎧は人の魂を具現化したもので、刃禺は人の魂を使って生きている。……ってことは、何もしなかったら勝手に鎧が弱っていくってこと?」

「そうよ、星野くん。ちゃんと話を聞いていたようね。だから刃禺は人の魂にアクセスする必要があった。逆に言えば、人の魂があれば、鎧をすぐに治す事も、この地球で生き存える事もできる。……それは刃禺の力を持つ神無月くんにも同じ事が言えるわ」

「……だから、神名さんのカンは当たってて、刃禺である右腕に触れた事で、実際に剣人くんは神名さんの魂を借りて傷を修復する事ができていた」

「その時に神無月くんは愛理ちゃんの魂に触れたから、愛理ちゃんにも刃禺の能力が使えるようになった。……神無月くんの居場所がなんとなく分かったって言ってたのも、おそらくはこの交感能力を無意識に使ってたんでしょうね」

 如月はため息をつく。当の神名がぽけーっとしていたからだ。だが無理もない。実体のない話はあまりにも現実離れし過ぎている。

「……愛理ちゃん。念の為、簡単な検査だけ受けておいてちょうだい。今の結論からして、何処かに侵蝕跡が出てるかもしれないし、それで健康に害を及ぼさないとも言い切れない」

「う、うん。分かった」

「はぁ……神無月くん。あんたもしかして『責任取る』って言ってたのはこれに気付いてたからって事かしら」

「まぁな。自分の身体に起こった事だぜ? 誰よりも俺がよく分かってる」

「それもそうね」

 如月は冷たく同意すると、手元の時計を確認した。

「……随分話し込んじゃったわね。星野くん。もう遅いし、愛理ちゃんを送ってあげてくれる?」

「え? でも……」

「わるいな、星野。俺はまだ本調子じゃ無いんだ」

「えっと……神名さんもそれで良い?」

「もちろんだよ! 星野くんなら問題なし!」

 神名はいつの間にか如月を後ろからハグする形で如月の頭を撫でていた。なんだかんだ二人が直接会うのも久しぶりなので、神名もずっとそうしたかったのだろう。如月も満更でもなさそうにその胸に頭を預けている。

「そうだ、剣人くん」

 二人が二人だけの世界に入っている間に、星野は神無月の近くに座った。

「どうした?」

「あの指輪、どうしたの?」

「ああ……」

 神無月は胸元から何かを引っ張り出すと、それを星野に見せた。細いチェーンの先に繋がれているのは間違いなくあの指輪だ。

「これで満足か?」

「うん。……お礼はもちろん、言ったんだよね?」

「当たり前だろ。嫌ってほど言ってやったさ」

「……無月っち、何想像してるの?」

 訝しむ神名の視線が神無月を刺す。

「うぉッ……違う違う! ほら、さっさと送ってやれって。な?」

 神無月に促されるまま、星野は神名を連れて病室を出て行った。少しだけ名残惜しそうな如月が手を振って二人を見送る。

 そして扉が静かに閉まって、足音が遠ざかって行った。

「………それで、どうするの?」

 足音が消えたタイミングで如月が口を開く。

「どうするって……何をだよ?」

 如月の問いかけに神無月は悪態をつく。曖昧な質問だった。どのようにも捉えられる。

「あんた自身の事よ。あんたは本当に幸運な事に、3度目の人生を与えられた。今度も違う形でね。……言ってる意味、あんたには分かるわよね?」

「…………」

「これが最後のチャンスだと思いなさい。その拾った命をどう使うか、もう一度よく考える事ね」

 その忠告は2度目だった。最初に言われた時は、すでに覚悟を決めた後だった。だが今はどうだろうか。あの時から随分と状況が変わったものだ。今や神無月の身体の半分は人間のものでは無くなってしまった。頼れる仲間が、そして神無月を愛してくれる人が居る。

「……へっ。忠告貰ったところ悪いが、やっぱり腹は決まってんだよ」

 だがそれがどうしたと言うのだろう。変わったものは沢山あるが、神無月の魂は、その胸に抱いた執念と憎悪は、何も変わらない。

「そう。……まぁそうでしょうね。あんたはきっとそう言うわ」

 如月は確かめるようにそう言うと席を立った。

「なんだ、もう帰んのか?」

「そうよ。明日から学校だもの。帰って寝る支度をしなくちゃ」

 荷物を持ってきていない如月は身軽のまま病室の扉に手をかけた。

「そうだ…………愛理ちゃんを泣かせたら、分かってるわよね?」

 半分だけ振り返って如月は笑った。

「カハハッ……そっちの忠告の方が身に沁みるぜ」

 その回答に満足したのか、如月は扉を開けてその奥へ消えて行った。



 如月が教室に帰ってしばらくは平和な日常を過ごす事ができていた。程なくして神無月も教室に姿を現し、すぐに神名との関係について尋問されていたが、どうやら公表することにしたらしい。教室は阿鼻叫喚の嵐だったが、これまでとは違う笑顔を神無月に見せている神名の姿を見たクラスメイトは現実を受け入れ、ファンクラブも解体する流れとなったらしい。

 そんなことをしている間に中間テストも終わり、梅雨もそろそろ明けるかと言われ始めた頃。

 星野はレオ・エアリアルで侵入禁止区域付近をパトロールしていた。夜の時間になれば刃禺は何処かへ行って姿を現さない習性があると如月からは言われていたが、今日は事情が違うらしい。

『予想ポイントはその辺りよ。空に気を配りなさい!』

 如月からの通信が入る。言われて星野は夜空を見上げると、雲の隙間から覗く大きな月が目に入った。今日は満月だ。

『こんな時間に剣雨の警報なんて出してられないわ。なんとしても被害を抑えて頂戴』

「今更だけどさ。気まぐれで降ってくる剣雨の発生位置なんて、予想できるものなの?」

『……私の仮説が正しければ、かなりいい精度で出来るはずよ』

「仮説……?」

 星野が問いかけると同時に、視界の端で空の歪みを捉える。何もない空が曲がり、何かが勢い良く射出された。

「あ、あれが剣雨……」

『ボーッとしないで! 地面に落ちる前に全部破壊するのよ!』

「え!? う、うん!」

 落ちてくる光に向かって星野は加速する。かなりの精度と言っていたが、ドンピシャという訳ではないようだ。全力で飛んで間に合うかどうかと言ったところの場所に飛翔物は落ちてきている。

「……え?」

 星野は目を疑う。落ちてくる細長いものに混ざって、明らかに異質な影が見えたからだ。それは人の形にも見える。

「……見える、とかじゃない! 人だよ、あれ!」

『星野くん!? 星野くん!』

 如月の制止も聞かず、星野はさらに加速する。

「ごめん、レオ! あとで拾いに行くから!」

『おいちょっと待てッ! 考え直せってッ!』

「剣を握ってちゃ、空から落ちてくる人を救えないでしょッ!!」

 そして近づいてきた刃異人たちに向かって星剣を投げつけて迎撃すると、その間から落ちてくる人影を掴もうと両腕を広げた。

 レオが離れたからか、鎧は煙をあげて虚空へ消えつつあるが、飛んだ勢いは消えない。そのまま星野は落ちてきた人を両腕で抱き抱える。腕が千切れ飛ぶかと思うほどの衝撃が加わり、瞬時にそれがお腹で受け止められ、星野は思わず俯いてしまう。だが、確かにその人は星野の腕の中に収まっていた。

 落下速度が上がった星野はそのまま地面へ足と背中から着地し、背中を引き摺りながらもなんとか止まることに成功した。残っていたレオの鎧がなければ、背中はズル剥けだっただろう。

「大丈夫!?」

 痛みに耐えながらも、星野は顔をあげて声をかける。ほとんど星野の腕と曲げた足の上に乗るような形になったその人の姿が月明かりによって照らされる。

「———ッ」

 女の子だった。淡い色の髪に長いまつ毛。絹のような肌と、夜空のような黒いドレス。その全てが星野に衝撃を与えた。これまでに感じたことのないような動悸が星野を襲う。

「…………?」

 そしてその女の子が目を開く。色鮮やかな虹彩が目を惹く。星野と女の子の目が合う。

「…………その、だ、大丈夫?」

 星野はなんとか言葉を紡いで女の子に問いかけた。自分でも理解できないほどの身体の異常を感じていた。

「あら……あらあら。そうですか。……運命って、本当にあるのかもしれませんわね」

 そう言って女の子は微笑むと、星野の背中へ腕を回し、抱きついてみせた。

「なななな……ッ!?」

 星野は動揺して思わず手を離すも、もう地面に座り込んでいる形になっているので女の子を落とす事はない。むしろ抱き返す一歩手前のような構えになってしまう。

「会えて嬉しいですよ、星野くん」

「———ッ!? どうして……」

「あなたに会えれば嬉しいと、どれだけ願った事でしょうか……」

 月が静かに二人を照らしている。だが今日は少し雲が多いようだ。すぐに月は雲の影に隠れてしまう。

「……ごめん、その。僕たち、何処かで会った?」

「…………え?」

 女の子は慌てて星野から離れ、その顔をじっと見つめた。星野は目を見ていられず、つい逸らしてしまった。そして行動してから気付く。目を見て話せないなんて事は、星野の中ではあり得ない事なのだ。

「そう……ですか」

 女の子は残念そうに俯くが、すぐに顔をあげて笑みを取り戻した。

「分かりました。ではもう一度、はじめましてをしましょう」

 そう言うと立ち上がった女の子は、再び姿を現した月の光を背に、星野に丁寧にお辞儀をした。

「はじめまして。わたくしは十六夜 流星。あなたとの将来を約束した者ですわ」

 そして優しく微笑んだ。月の光のように。





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 第八話です。これにて神無月編はひと段落となります。ここからラストスパートに入っていきます。

 何が起こっていたのか、説明する回となりました。そして次の話につながるための導入回と。

 お気付きかもしれませんが、次回からは星野くん回となります。お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。彼に隠された過去を少しずつ見ていきましょう。

 ちなみに、神無月くんには個人的にもこれから幸せになってほしい気持ちでいっぱいです。いままで苦労した分、取り返してほしいですね。なかなかしぶとく生き延びていますし。

 というわけで、如月さんにとっても新たな悩みの種が生えてきたわけですが、これから彼らの関係はどうなってしまうのか、次回をお楽しみに!

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