1 反逆者
暗闇の中、無の空間に一筋の青白い光が揺らめいていた。やがて、その光は無数のデータと成り粒子のように舞い上がる。そうして生まれた情報は波のように廻渦り絶え間なく流れ続ける。
人類の時代は、ある時期を境に今まで以上に急速な電子化を果たした。それは、医療や文書、教育だけでなく人間自身も例外では無い。
先進国が主体となり世界で共同開発された、此処は《ネクサス・オービット》——人類が築き上げた究極の電脳世界。
現実と仮想が交錯するこの世界では、幾多の仮想都市が広がり、情報の流れが生命の鼓動のように絶え間なく動き続ける。人々は仮想分身としてこの世界に自由に存在し、情報の海を泳ぐ。
しかし、その自由の裏には「監視者」と呼ばれる恐ろしく冷酷な統制組織が存在し、秘密裏に犯罪を取り締まり、《ネクサス・オービット》の治安を管理していた。人々は世界の全ての行動を監視されていた。
「誰もが安全にこの世界を利用できるように」という名目のもと、監視者は常に目を光らせ、システムの異常や逸脱者を排除する。この電脳世界で彼らの目が届かぬ場所は殆どない。
——だが、それに抗う者たちがいる。
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「——接続、確立。ダイブ開始」
無機質な声とともに静かに息を吐き、一人の少年が電脳世界へと飛び込んだ。その名をカイという。彼は「異端者」と呼ばれるこの世界に縛られることの無い監視者の監視をすり抜けることが出来る特殊な存在、すなわち《ネクサス・オービット》の管理外にある“逸脱者”だった。
彼らの目的はこの《ネクサス・オービット》に真の平和をもたらすこと。
カイの意識が完全に電脳世界へと接続されると、彼の身体は異物情報としてこの世界に具現化した。黒を基調としたボディースーツに、青い発光ラインが走る。彼の眼には、流れる情報を解析する無数のコードが映り込んでいた。
「目標地点に到達。予測地点より2.4秒のズレ……警備が以前よりも厳しくなっているようだがまぁ許容範囲か」
彼の目の前には、果てしない情報の渦が渦巻いている。その中心には、まるで要塞のような《オービット・コア》――巨大な制御塔がそびえ立っていた。その外壁は絶え間なく変化するデータで覆われ、表面には無数の監視プログラムが巡回している。タワーの最奥部には、この世界を統制する「監視者」の中枢が存在する。
「決戦前夜の大仕事だ。やれるか、カイ?」
「勿論だ」
「気をつけてね、カイさん」
「応ッ」
カイは声の主達に応答しつつ視界の隅にあるインターフェースを操作し、目的地のデータを検索した。
【目標:オービット・コアへの潜入】
【制限時間:900秒】
【リスクレベル:S】
「時間との勝負か……いつも通りだな」
かつて自身が所属していた監視者への宣戦布告。不思議な緊張感を纏い、震えそうな手をキツく握る。
「――フッ……。不思議な縁だ――」
空を仰ぎながらカイは誰にも聞こえぬ声でボソリと呟く。
彼は手をかざすと、周囲のデータフローを解析する。アクセスコードの隙間を突いて侵入しようとしたその瞬間——
カイの眼前に一筋の鋭い光が襲いかかる。
「やはり来たか、カイ……」
怒気を孕んだ少女の声が響いた。青白い光の粒子が舞い上がり、その中から純白の装甲を纏った少女が姿を現す。彼女の名はアイリス。その瞳には、カイの動きをすべて計算し尽くしたかのような静謐な光が宿っている。
「幻零ノ暗影・No.02、アイリスか……」
アイリスはカイの前に立ちはだかると、冷たい視線を向けた。
「あんたのくだらない思想に付き合うつもりはない。大人しく消えなさい」
「悪いが、俺は消えるつもりも引くつもりもない」
カイはアイリスを警戒しつつ両腕を振るい、手の中に蒼白の双剣を出現させた。電脳世界において、彼の意識が形作る武器だった。その刃には無数のデータコードが流れ込み、時折バチバチと青白い稲妻が走る。
アイリスもまた、腰に携えていた純白の刀を鞘から引き抜き刃先をカイに向け静かに構える。アイリスのそれにも無数のデータコードが流れ込むがカイの蒼白の双剣とは異なり、その刀身は熱気を帯びていた。
「お前はいつもそうだな、カイ。変わるつもりはないのか?」
「変わらないのはお前のほうだろう? この世界が本当に“正しい”のかどうか、お前だって疑問に思ったことがあるはずだ」
そんな会話を交わしながら両者はお互いの隙を伺い、ゆっくり間合を詰めていく。
「……くだらない――」
冷たく言い放つアイリスは僅かに苦い顔をしていた。
それに動揺したカイを見逃さなかったアイリスは、一歩踏み出す。
カイは半歩遅れてアイリスの動きに応じる。
——次の瞬間、青と白の閃光が交錯した。
その衝撃が《ネクサス・オービット》中に波紋となって広がる。それにより一瞬、通信障害システムエラーが起こる。
そんなことにお構い無しで二人の攻防は激化していく。
カイとアイリスはお互いに鍔迫り合いの末一度後ろへ退く。
着地と同時に地面を蹴った二人の切っ先は、お互いの首に吸い込まれるように軌道を描く。
――斬られた。
そうはっきりと感じた瞬間、カイの意識は別の場所へと引っ張られた。