リサ・ガスター・ヴェル・エルダーランド その4
翌日リサの居室に新たな机と椅子が運び込まれ、共同研究の期間中アガサはリサの居室で過ごすこととなった。
二人は連日実験を繰り返し、議論を重ね、時に他の研究者を訪ねて自分たちの研究に関する意見を求めた。
そうしてひたすら試行錯誤を繰り返しながらも、少しずつではあるが着実に前進していく日々を重ね、やがて二人が共同研究を始めてからそろそろ一年が経過しようとする頃。
その日の午後、二人はいつものようにリサの実験室にいた。
部屋の中央で実験時の計測に用いられる時空魔法を展開するアガサと、素肌の上にローブを纏い部屋の隅に立ってアガサを見つめるリサ。
「リサ様、準備完了です」
そう言ってアガサが壁際に移動すると、リサは身につけていたローブを脱いで一糸まとわぬ姿となった後、部屋の中央に移動する。
「リサ様、実験を始めましょう」
アガサの声に頷いた後、リサは両目を閉じ、見事な双丘に蓄えられた魔力を意識しながら頭の中でこの日のために構築した複雑な術式を展開していく。
そして術式の展開が完了すると、一度深く呼吸した後、
(発動っ!)
新たな魔法を発動した。
するとリサの乳房周辺の空間が波打つように揺らぎ始め、それと同時にリサの身体が輝き始め、そして最後にリサの全身が眩いばかりの輝きに包まれた。
そしてその輝きが消え去ると、そこには胸が男性のように真っ平らになったリサの姿があった。
「…どうやら成功したみたいですね」
そう言いながら歩み寄ったアガサがリサの正面に立って平坦になった胸を見つめると、乳房があった辺りは楕円状に黒く変色していた。
「何というか、見た目は光源が全くない暗闇の部屋を覗き込んであるような感じですね。
手で触れてみてもよろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ」
リサの許可を得たアガサは、自分の右手をリサの胸の黒く変色した領域に差し伸べる。
「見た目は空洞のようなのに、触るときちんと感触があるんですね。
リサ様、私の手の感触はありますか?」
「いいえ、全くないわ」
「そうですか。
では、ご自身の乳房についてはいかがでしょうか?」
「そちらは何というか、ちゃんと乳房と体が繋がっているように感じるわ」
「なるほど」
そう言ってアガサはリサの胸から手を離し、後ろに下がって少し距離をとる。
「それでは次に、上体を前に大きく倒して乳房の重さを感じるか確かめてください」
アガサに言われたとおりに、リサは自分の上体を水平近くまで大きく倒す。
「重さは感じないわね。
乳房自体はそこにあると感じるのに重さは感じないなんて、とても不思議な感覚だわ」
「では一旦体を元に戻した後、上体を左右にひねったり屈伸運動をしてみてください。
乳房に動きを感じますか」
再びアガサに言われたとおりに、一度体を元に戻してから上体を左右にひねったり屈伸運動を何度か繰り返してみるリサ。
「これも動きを感じないわ。
体は動いているのに乳房は静止しているように感じる。
何とも奇妙ね」
リサの応えに満足げな表情をするアガサ。
「ありがとうございます。
これで当初予定していた項目は全て確認できましたので、魔法を解除していただいても大丈夫です」
「そうね、魔法を安定させるのもそろそろ限界だわ」
そう言って再び両目を閉じると、
(…解除)
リサは魔法を解除する。
すると再び胸元の空間が波打つと共にリサの全身が輝きに包まれ、それが消え去ると、リサの胸には見事な双丘が復活していた。
実験が完了したので、リサが侍女に手伝ってもらってドレスを着た後、二人は居室に移動してそれぞれソファに座る。
テーブルの上には既に紅茶が注がれたティーカップが二つ置かれていた。
二人はそれぞれ目の前のカップを手に取り、注がれた紅茶に口をつける。
そうしてしばらくの間紅茶の味と香りを楽しむと、カップをテーブルに戻した後にお互い視線を相手へと向ける。
「いやー、何というか良い意味で予想外の結果でしたね」
「そうね、確かにこんなにうまくいくとは思っていなかったわ」
「正直なところ、身体の一部のみを亜空間に収納できるだけでも成功だと思っていたんですけど、収納された部分には重さも身体の動きも伝わらないとは。
何というか、少し出来すぎのような気がして、ちょっと恐ろしく感じたりもします」
「実際に胸を亜空間に収納してみた身としては、何とも得がたい経験をした気がするわ。
あえて近い感覚を選ぶとすれば、湯を張った広い湯船に仰向けに浮かんで静かに漂っている時の胸の感覚、とでも言えばいいのかしら」
「それは、わかるようなわからないような…。
まあでも、私もいずれは体験することになるでしょうから、その時を楽しみにすることにします」
「そうね、楽しみにしていてちょうだい」
そう言うと、リサはソファの肘掛けに肘を載せたまま両の手のひらを組み合わせ、少し上方を見つめながら思案するような仕草を見せる。
「これで魔法が発動することを確認する実験は完了で、結果としては、まあ大成功というところね。
ただ実用化を考えると、まだまだ解決すべき課題が山積みというか…」
「そうですね。
必要とされる魔力の量は、現状結構厳しい感じですが、それでもまあ比較的何とかなりそうな気がします。
それ以上に深刻なのは、術式の複雑さと魔法発動後の安定の難しさですね。
現状リサ様でなければ術式の展開と魔法の発動は出来ませんし、リサ様でも発動した魔法を十分程度しか安定して維持できないのですから、一般の人たちでは到底使いこなすことなどできません」
「消費魔力の低減、術式の簡素化、発動後の安定性の改善は当然取り組まなければならないけど、実用化のた めにはやはり魔導具に頼ることになるでしょうね」
「魔導具を作るとなると、かなり複雑なものになりそうで、それはそれで頭が痛いですが」
「魔法の用途から考えると、身につけるものということになるでしょうけど、下着だと着替えのために複数必 要となるから、費用の面で難しいわね。
それに下着だと洗濯する必要もあるし」
「となるとアクセサリー類でしょうか。
髪留め、ネックレス、ペンダント、チョーカー、イヤリング、ピアス、ブレスレット、指輪、アンクレット、後はベルトとかもありかも…」
「私が最初の利用者として想定しているのは体を動かす職業の人たちだから、揺れたり落とす可能性があるのは良くないわね。
あと、腕や脚に着けるというのも嫌がられそうな気がするわ」
「そうなるとチョーカーが最有力候補でしょうか」
「まあその辺りは追々考えていきましょう。
そもそも現時点では魔導具にできるかもわからないんですもの」
「まあ、そうですね」
「さて、ある意味ここからが本番よ。
とりあえず今日は早く帰宅してゆっくり休むとして、また明日から頑張りましょう」
「そうですね。
まだまだ道のりは長いですし、頑張りましょう」
そう話をまとめた二人は各自の机の上を軽く片付けると、居室を出てそれぞれの家への帰途についた。
明けて翌日。
リサの居室で顔を合わせた二人は、今後の研究の進め方について議論した。
そしてこの魔法を使えるのがリサしかいない状況の打破を当面の目標とし、そのためには消費魔力の低減・術式の簡素化・安定性の向上といった魔法自体の改良と、魔法を補助する魔導具の作成を平行して進めることとした。
そして研究は続けられていったのだが、その日々は最初の一年間のような着実な歩みとはならなかった。
魔法の改良のうち消費魔力の低減に関しては、ある程度の進歩が得られていたが、術式の簡素化と安定性の向上に関しては、試行錯誤を繰り返してもなかなか結果に繋がらなかったのだ。
また魔導具に関しては、現状でどの程度の大きさになるかを見積もって見たところ、なんと直径2メートルの球という結果になった。
流石にこれでは開発を平行して進めるのは難しいということで、魔法の改良がある程度進むまでは魔導具の開発は先送りということになり、これがまた研究の進捗に影響を与えた。
そうして結局のところ、アガサが直径20センチの球状の魔導具を併用することによって初めて約五分間の魔法の発動に成功した時には、既に研究開始から二年半の月日が経過していた。
しかしながらここからはまた再び着実な進歩を得られるようになり、更にその進歩はすこしずつではあるが加速していった。
そうして研究開始から三年三ヶ月を迎えた頃。
「遂にここまで来ましたね」
「そうね」
二人は完成した魔導具を見つめながら言った。
それはチョーカーの形をしており、多少武骨ながら女性が首にはめても気にならない程度には小型化されていた。
「これを使えば、私の想定する最初の利用者なら半日程度は安定して魔法の発動を継続できると思うわ」
「そうなると、試しにリサ様が最初の利用者として想定されている方に使っていただくのも良いかもしれませんね」
「それは確かに良い考えね。
うーん、そうね……。
…………。
………。
……。
…」
そう言ってしばらく思案を続けるリサだったが、その後いかにも良いことを思いついたというような表情をしたと思ったら、
「どうせなら、派手にデモンストレーションすることにしましょう!」
と言った。
お読みいただきありがとうございました。
よろしければ感想、評価、ブックマークなどいただければ幸いです。