リサ・ガスター・ヴェル・エルダーランド その2
ところで、剣と魔法の世界を描いた物語において君主や貴族の国や民に関する意識というのは、それぞれの物語で正に千差万別である。
彼らの大半が所謂『ノーブレス・オブリージュ』を強く意識している場合もあれば、逆に享楽に耽ったり民を搾取の対象としか見ていない者ばかりの場合もあるし、前者と後者が対立しているような場合もある。
それではこの世界はどうかというと、前述のとおり魔獣の討伐が人類の生存のための喫緊の課題であり続け、そのためには君主家や貴族家の者たちが自ら討伐を先導することが重要なため、彼らの『高貴なる故の義務』に対する意識はおしなべて非常に高いといえるだろう。
そして君主家や貴族家の血を引く女たちにとって、魔獣の討伐こそが最も重要な果たすべき義務となる。
エルダーランド王国においても、王太子である第一王女は政務に専念しているものの、第二王女から第四王女の三人はいずれも軍に所属し、それぞれ部隊を率いて日々魔獣討伐の任務にあたっている。
しかしながら第五王女であるリサは軍人の道を進まなかった。
いや正確に言えば、彼女も幼い頃には姉たちを見習って軍人の道を進もうとしていたのだ。
しかしながらある理由故に、彼女はそれを断念せざるを得なかった。
その理由は何かと言うと、彼女は運動神経が欠落しているのではというほどの酷い運動音痴だったのだ。
例えば剣を持たせた場合、剣を振ること自体は何とかなってもその方向が全くの明後日な方向になってしまう。
魔獣を倒すには魔獣のいる方向に剣を振らなければならないのだから、これでは到底倒すことなどできない。
剣が駄目なら攻撃魔法で魔獣を倒せばよいのではと思うかも知れないが、この場合にも問題がある。
実はリサは魔法の詠唱に限るならば複雑な魔法でも素早く唱えることができ、また発動後の効果も安定している極めて優秀な魔法使いだ。
しかしながら攻撃魔法を唱えた後、その魔法を魔獣に向けて放とうとしたところで、運動音痴故に放つ方向がこれまた全くの明後日な方向になってしまうのだ。
この世界において魔物の討伐とは、軍隊が指揮官の指揮の元で集団で行う行為である。
そのような状況においてどこに飛んでいくかわからない魔法を打つ魔法使いなど、役に立たないどころかむしろ味方に被害を与えかねない危険な存在でしかない。
そのことを母や姉たちに指摘されて、リサは軍人の道を諦めざるを得なかった。
リサは転生者であることもあって幼い頃から精神年齢が高かったし、また母や姉たちが王族としての責務を果たす姿をつぶさに見て育った。
それ故リサ自身も無意識のうちに、王家の娘に生まれた者として高貴なる故の義務を果たすことを意識するようになっていった。
だからこそ軍人の道を断念した時にはやはりそれなりの期間落ち込んだ。
しかしながら、リサはエルダーランド王国の第五王女なのだ。
軍人になれなかったからといって、高貴なる故の義務を放棄するわけにはいかない。
自分に出来ることで国や民に貢献出来ることは何かないかと悩み抜き、その結果リサが選んだのは魔法と魔導具の研究だった。
この世界では、魔法は魔力を消費することによって発動される。
人間が魔法を発動する場合には自分の体内に蓄えられた魔力を用いることになるが、既に説明したとおりこの世界では人間の場合魔力は胸に蓄えられるため、男性よりも女性の方が多くの魔力を体内に蓄えることが出来る。
そして強力な魔法を唱えるためには多くの魔力を必要とするため、男性よりも女性の方がより強力な魔法を唱えることができるのである。
またこの世界では、魔法には火水風地光闇の属性魔法、病気や怪我の治療に用いられる回復魔法、時間や空間に影響を与える時空魔法の八種類が存在し、どの種類の魔法を唱えるかによって得られる効果が変わる。
こういったことは魔法の基礎理論と言えるが、この世界では基礎理論に関しては解明し尽くされているというのが一般的な認識である。
八種類以外の未知の魔法や体内の魔力を用いずに魔法を発動する方法などを探し求めている者も極少数ながらい
るが、彼らの探求が実を結ぶことはまずないであろうと思われている。
一方で魔法で得られる具体的な効果については非常に多岐に渡り、細かい効果の違いを考えれば未だ知られていない魔法は多数存在していると考えられている。
また同じ魔法でも唱え方の違いによって必要とする魔力や発動後の安定性がかなり異なり、唱え方もまた改良の余地が大きいとも考えられている。
つまり魔法に関しては、基礎研究の余地はほぼない一方で、応用研究に関しては非常に広大な余地が残されているものと思われている。
そして魔法の応用研究には魔導具が深く関わっている。
魔導具とは魔法の発動を補助する道具であり、複雑な魔法の詠唱を容易にする、発動に必要な魔力を減らす、発動した魔法を安定化させる、発動した魔法を長引かせる、などの効果がある。
魔導具の研究に関しても、その余地は非常に広大であるとみなされている。
エルダーランド王国において魔法及び魔導具の研究は、『魔法の塔』と呼ばれる機関が中心となって行われている。
『魔法の塔』は単に『塔』と呼ばれることが多いので今後はそう呼ぶことにするが、塔には魔法及び魔導具に興味を持つ者たちが集い、日々新たな効果の魔法や魔導具を求めて研究が行われている。
研究者は性別では女性が八割男性が二割といった感じで女性が多いが、身分は王族から平民まで幅広く分かれている。
リサもまたそんな研究者の一人として塔に所属し、魔法や魔導具の研究に携わっている。
休日や王女としての公務がある日などを除き、リサは朝の身支度と朝食を終えると自分の住む離宮から馬車で塔へと通う。
塔に到着すると自分に割り当てられた部屋に入り、午前中は必要な事務手続きをこなしたり文献を読んだり実験を行ったりして基本的に一人で過ごす。
昼食を終えるとリサは他の研究者達の元を訪れ、自分や彼らが行っている研究について意見を交わしたり彼らが行う実験を見学したりして過ごす。
研究者同士で交流をして互いに刺激を与え合うことは新たな発想を得るきっかけとなるので、リサも同僚との交流には意識して時間を割くように心がけている。
その日リサは幾人かの研究者を訪問した後、ある研究者の部屋を訪れた。
「ご機嫌ようアガサ、今大丈夫かしら?」
リサがそういって声をかけると、居室の奥にある実験室の入り口から三十代半ばと思われる女性が顔を出した。
「これはリサ様、ようこそ私の研究室へ。どうぞお入りください」
アガサと呼ばれた女性は、そういって笑顔でリサを招き入れた。
彼女はそれなりに規模の大きな商家の長女として生まれたが、跡取りの座を妹に譲って研究者としての道を選んだ変わり者である。
リサはアガサの居室に据え付けられたソファに座り、アガサは自分の執務机の椅子に座ってリサの方を向く。
「実験の途中だったみたいだけど、最近の調子はどうなの?」
「いやぁ、相変わらずと言うか、なかなかうまくいきませんねぇ」
リサの問いかけにアガサはぼやき半分苦笑半分といった感じで応える。
アガサは商家の出身ということもあって、人々の仕事や日常生活で役立つ魔法や魔導具を生み出すことを研究の目標にしている。
そしてそんな彼女がライフワークとして取り組んでいるのは収納魔法の改良である。
収納魔法とは時空魔法の一種で、『亜空間』と呼ばれるこの世界とは別の空間を魔法で作り、そこに物を収めて持ち歩けるようにする魔法である。
重い物やかさ張る物でも収容魔法で収容すれば容易に持ち運ぶことが出来るため、軍隊で軍人が行軍する場合や庶民の買い物時など様々な場面で重宝されている。
そんな便利な収納魔法であるが、アガサからするとまだまだ改良の余地が大きい。
具体的な改良すべき点は大小多岐に渡るが、アガサが最大の課題と考えているのは亜空間の容量に実質的な制限が存在することである。
そしてそれは、亜空間の生成及び維持に必要な魔力量が関係している。
世間一般の認識では、収納魔法は必要とする魔力量が非常に少ない魔法であり、特に生成された亜空間の維持に関しては、体内魔力が少ない男性でも魔力の自然回復で補える程度の魔力しか消費しない。
しかしそれは前述したような使い方をしている場合に限った話であり、それを超えると消費魔力量は急激に増大する。
このことをリサの前世の世界で収納に用いられる物を基準として具体的な容量を示して説明すると、通常収納魔法で生成される亜空間の場合、男性の場合はみかん箱一箱分、女性の場合はみかん箱五箱分といったところが容量の上限になる。
この程度までなら前述のように、体内魔力の自然回復分で亜空間の維持に必要な魔力消費を補える。
しかしながらこれが例えば六畳間一部屋分の亜空間となると、必要な魔力量は維持するだけでこの世界で最も魔力量が大きい女性のそれの更に十倍程度にもなるので、到底実現不可能ということになってしまう。
「まぁ収容魔法の容量の話は昔からよく知られていることなので、これで私程度の研究者が十数年研究した程度で問題を解決してしまったら、逆に先達の方々は一体何をやっていたのかということになってしまうので、まあ当然といえば当然なんですけどね、あはは…」
アガサはそういって笑うが、それでもなかなか思うような結果が得られないことには、内心忸怩たるものがあるのだろう。
「せめて亜空間を生成した人以外の人が物を出し入れできるようになれば、物の受け渡しなどにも使えるようになるんでしょうけどね…」
アガサの様子を見てリサは思わずそんなことを言ったのだが、
「…なるほど、言われてみれば確かにその通りなんですが、何で思いつかなかったんだろう。
いや、流石はリサ様と言うべきでしょうか。
これはちょっと真剣に研究してみたいのですが、アイデアをお借りしてもよろしいでしょうか?
もちろん何らかの成果が出た際には、リサ様のアイデアであることをきちんと明記させていただきます」
どうやらアガサにとっては思いも寄らぬ発想であったらしく、その反応は非常に真剣なものであった。
「ええ、もちろん構わないわよ。
これで収納魔法に新たな用途が実現するのなら、わが国にとっても喜ばしいことですもの」
リサがそう答えて快諾すると、アガサはその直後から新しいアイデアに基づいた研究を開始した。
その日からアガサは正に水を得た魚といった雰囲気で、亜空間に術者以外がアクセスする方法を模索した。
リサは時々アガサの考えた事について意見を求められたが、そのように頼られることは研究者として嬉しいことなので喜んで応じた。
そんなこんなで日々が過ぎていき、一ヶ月ほど経過した頃。
お読みいただきありがとうございました。
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