リサ・ガスター・ヴェル・エルダーランド その1
(もし来世があるのなら、今度は巨乳に生まれたいな…)
「……そんなふうに考えていた時期が私にもありました」
離宮の居間に据えられたソファに座りながら、リサはそうつぶやいた。
「姫様、どうされました?」
目の前に置かれたティーカップに紅茶を注いでいた侍女のエマが、リサのつぶやきを聞いて問いかける。
「ううん、何でもないのよ」
リサはそう言ってカップを手に取り、注がれた紅茶に口をつける。
口の中に広がる、紅茶の味と香り。
「うん、いつもエマの入れてくれる紅茶はおいしいわ」
「それはようございました」
主人のお褒めの言葉に笑みを浮かべるエマ。
そんなエマに向かって自分も笑みを浮かべたリサは、カップをテーブルに戻した後に何気なく視線を自分の胸元に向ける。
そこに見えるのは、ドレスの胸元を押し上げる見事な二つの山と、山の谷間をつーっと流れる一筋の汗。
「…ふぅ」
リサは人知れずため息を付いた。
電車に跳ね飛ばされて三十五年の人生を終えた田中理沙は、気がつけばエルダーランド王国の第五王女であるリサ・ガスター・ヴェル・エルダーランドとして転生していた。
転生したのは前世で言うところの剣と魔法の世界で、人種が前世のヨーロッパ系だったり、ダンジョンがあったり、ゴブリン・オーク・オーガといった魔獣が存在したりで、そっち方面のお約束がてんこ盛りだが、一つそういったお約束とは大きく異なる特徴がこの世界にはあった。
それは何かと言うと、この世界においては女性は成長すれば必ず巨乳になるのである。
何だそれはふざけているのかと思うかもしれないが、これにはちゃんと理由がある。
前述の通りこの世界は剣と魔法の世界なので当然のように魔法が存在するが、その魔法の行使に必要な魔力がこの世界においては胸に蓄積されるのだ。
そして形の違いから容易に想像出来るように、女性の方が男性より多くの魔力を蓄積できることとなり、その結果男性は生活レベルの弱い魔法しか行使できないのに対して、女性はより強力な魔法を行使できる。
それだけなら女性が全員巨乳になるとは限らないが、ここでもう一つこの世界にはお約束からやや離れた事情が存在する。
これも前述した通りこの世界には魔獣が存在するが、この魔獣を倒そうとした場合単純な物理攻撃だけでは倒すことが出来ず、何らかの意味で魔法を絡めることが必須となるのである。
具体的にはいわゆる攻撃魔法を用いるか、あるいは剣や槍といった武器に魔法を通した状態で物理攻撃を行う必要がある。
これらの事情により、この世界においては魔獣の討伐は女性のみが行える行為となっている。
ところで一般的に剣と魔法の世界では魔獣は人類の生存を脅かす要因であるが、この世界においてはその脅威はかなり深刻なもので、それ故魔獣は継続して討伐されなければならない。
強力な魔獣や沢山の魔獣を討伐するために女性に対してより強力な魔法の行使が求められ、強力な魔法には沢山の魔力が必要とされ、それらの結果より多くの魔力が蓄積できる巨乳の女性の生存率が上がるような遺伝的圧力がかかり、長い年月をかけて全世界レベルで女性の巨乳化が進行していったのだ。
この世界の女性がすべて巨乳であることにリサが気づいたのは物心が付いてから割とすぐのことだったが、その際リサは文字通り歓喜した。
前世の最後の願いを神様が叶えてくれたのだと。
そして第二次性徴が始まる年齢になるとリサの胸は膨らみ始めその後かなりの速さで成長し続けるのだが、それに従ってリサは巨乳の現実を思い知ることとなる。
すなわち、実は巨乳はそうでない女性や男性が想像するよりもずっと大変なのだと。
その大変さの要因を考えると、それは巨乳の大きさにたどり着くだろう。
今世においてリサは現在十八歳で胸の成長はほぼ完了しているのだが、現在のバストサイズを前世での方式で表現するならKカップになる。
ちなみにこのサイズはこの世界では「中の上」から「上の下」といったあたりになるであろうか。
それはさておき、これだけの大きさになると胸自体がある意味で障害物となってくる。
例えばうつ伏せになろうとした場合明らかに胸がつっかえるし、直立した状態で足元を見ようとしても胸が邪魔して見えない。
また重量も相当なものとなり、片方だけで約3キログラム、両方だと6キログラムにも及ぶ。
これだけの重さのものをぶら下げているのだから、体に掛かる負担も相当なものだ。
女性が巨乳な世界なので下着も胸をサポートするような方向で発展しているし、魔法があるので胸を固定したり重さを軽減するような魔法も存在するのだが、それでも肩こりは深刻な問題であるし、激しい運動をすると胸に痛みが生じるのも辛いことである。
上記二点はこの世界の全ての女性に共通のものだが、エルダーランド王国の女性には更にもう一つの悩みがある。
この世界においてエルダーランド王国は地理的に低緯度に位置しており、気候は一年を通して高温多湿だ。
流石に前世の日本における夏の都市部のように最高気温が35度だの40度だのを記録することはないが、それでも一年を通じて汗ばむ陽気が続く。
そしてこの世界にエアコンは存在しない。
扇風機相当の器具を用いる、水の蒸発熱を利用する、魔法で風を生じさせるなどの方法がとられているが、汗をかかない日常というのは王族や貴族であってもなかなか手に入らないものだ。
気候故にエルダーランド王国では身分を問わず皆比較的薄着ではあるが、それでも女性は皆胸を支えるための下着を着用せざるを得ず、そうなるとアンダーバストに汗が溜まったり胸に汗疹が出来たりすることとなる。
こういった汗に伴う不快感にエルダーランドの女性は一年中悩まされるのである。
ちなみに前世の日本で生きていた頃、理沙はこういった「巨乳故の悩み」を巨乳の持ち主たちから聞かされること少なからずあった。
そしてそういった場面において理沙は表面的には
「へぇー大変だねぇ」
と大人というか無難な反応を示していたものの、心の中では
(けっ、持てる者の自慢かよっ!)
と僻み根性を丸出しにして毒突いていた。
しかしながら転生してリサとなり、自分自身がかつて僻んでいた相手の立場になると、これらの問題を実際に経験することとなり、その大変さを正に身をもって思い知ることとなった。
そのため前世で内心毒づいてしまった人たちに対しては
(巨乳の辛さ大変さも知らないのに思い込みで僻み根性丸出しにして毒突いてしまい、大変申し訳ありませんでしたっ!!)
と大いに反省したのである。
閑話休題。
この世界が典型的な剣と魔法の世界と異なる点として、これまで『女性は成長すれば必ず巨乳になる』『人間の魔力は胸に蓄積される』『魔獣は単純な物理攻撃では倒せず魔法を絡める必要がある』の三点をあげたが、実はこれらに関連してもう一つ異なる点が存在する。
中世ヨーロッパを元ネタとしていることもあって、剣と魔法の世界における社会は、国のトップが皇帝や国王と言った君主、その次が貴族、そして最後に平民という身分のある社会である。
そして君主や貴族の当主、更には平民でも商家や農家の家長など、ある家の長となるのは基本的に男である。
つまり社会全体が男系を基本としている。
これに対してリサが生きているこの世界は、社会の仕組み自体は君主がいて貴族がいて平民がいる身分社会であるが、一家の長となるのは基本的に女である。
つまり社会全体が女系を基本としている。
これは男性より女性の方が強力な魔法を行使することが出来、その結果魔獣の討伐というこの世界で人類が生存していく上で非常に重要な役割を担えるのが女性だけであるということと深く関連している。
そしてエルダーランド王国もリサの母が当代の王であり、父が王配、そしてその二人の子供として、リサを含む五人の王女と二人の王子がいる。
王女が王子の倍以上いるのも、ある意味女系の社会らしいといえるかもしれない。
お読みいただきありがとうございました。
よろしければ感想、評価、ブックマークなどいただければ幸いです。