150.手がかり(3)
――私の師匠は、変だ。
セレスティアは、そう思いながら子供のようにはしゃぐ師匠の姿を見つめていた。
彼女の“弟子”になってから、一体どのくらい経っただろうか。竜にとってはそう長い時間ではないが、お互いのことを知るには十分すぎる長さだろう。
師匠は、銀色のドラゴンだ。歳は分からないが、少なくとも自分なんかより随分上なのだろうとセレスティアは推測する。
彼女の持つ魔力は凄まじい。近づいただけで、圧倒的強者であることが理解できるほどに。
だがそれだけでなく、彼女の豊富な経験からくる知識も、技術も、セレスティアにとってはどれも新鮮で革新的なものに映った。
魔力が少なくて苦しんでいたあの頃が、まるで嘘のようだ。
技術だけでなく、体内の魔力量そのものすら、後天的な訓練で伸ばせるなんて知らなかった。そしてそれ以上に、この世にこれ程まで多種多様な戦術が存在するなんて知らなかった。
師匠は「まだまだ」と言うが、少なくとも今の自分なら、あの時攻撃してきた群れの“仲間”相手くらいには負けることはないだろう。
『師匠……これ、なに?』
『実験だ』
不思議そうに首を傾げるセレスティアは、師匠から小さな指輪を受け取った。
『実験?』
『そうだ』
自慢げに頷く師匠を、セレスティアはじっと見つめた。セレスティアが、師匠を「変」だという理由はこれだ。
師匠はいつもよく分からないガラクタを作る。このガラクタを師匠は「魔導具」と呼んでいるが、これはどうでもいい話だ。
何日も掛けて魔導具を作り上げたかと思えば、少しだけそれで遊んで、すぐにどこかへポイと捨ててしまう。それか、気まぐれで人間にあげたりしている。よく分からない。
その上、これら魔導具の効果はどれも微妙なものであり、てんで役には立たないものばかりだ。動作に必要な魔力量もドラゴン基準だから、人間に与えたとて到底扱えるような代物ではない。
そんな回りくどいことをしなくとも、直接魔法を使えばいいじゃないかとさえセレスティアは思っていた。
『……?』
『おい……貸してみろ。私が付けてやる』
ギラギラと光沢を放つ輪っかを前に、それが一体どんなものなのか分からなかったセレスティア。見かねた師匠がその指輪を奪取し、セレスティアの小さな指にそっと嵌める。
『これは、指に嵌めて使うものだ。人間がよく使う装飾品だな』
『ん……!!』
セレスティアはそんなことよりも、師匠に指輪をつけてもらったことに興奮していた。魔導具そのものには懐疑的なセレスティアだったが、師匠の作ったものを触れたり、貰ったりするのは大歓迎だった。捨てられた「ゴミ」は、実のところセレスティアがこっそりと収集しているのは内緒だ。
それに、師匠がよく行う「人間の姿を真似る」という行為も、セレスティアはずっと理解ができなかったが、今日この日ばかりは良いものだと思った。
そんなふうに喜ぶ彼女はおいておいて、師匠はセレスティアの肩をぽんと叩いた。
『いや、プレゼントではないんだが……まあいい。セレスティア、少し離れてくれないか』
『離れる?』
『ああ、その木の側だ』
指さした先の木は、なんの変哲もない森の中にある木々の1つだった。風がさらさらと吹き抜け、青空のもと緑の葉っぱが揺らめいている。
木漏れ日に照らされながら、セレスティアは言われるがまま木の下へと移動した。
丁度いい位置にセレスティアが移動したことを確認すると、師匠はおもむろに平べったい何かを手に取った。少し離れた岩場から切り出した石板。艶のある白っぽい表面には、なにやら文字ではない、うねうねとした模様がびっしりと刻まれていた。
この石板こそが、今回の実験の主役だ。セレスティアに渡した指輪と対になる、師匠とっておきの新作魔導具だった。
『そのまま動くな……よ』
師匠は、少しずつゆっくりと石板に魔力を注ぎ始める。指先からじわりと溢れ出る魔力は非常に濃密で、呼応するように石板自体が淡く輝きを放っていた。
そしてやがてその魔力は石板全体に張り巡らされた模様に行き渡り、その一つ一つに込められた効果を順番に発揮していく。
『見ろ、成功だ』
やがて――その魔力はひとつの線のようになり、空間をうねうねと進みはじめた。その目指す先は、他でもないセレスティアだった。
その線はゆっくりと、だが着実に前へと進み、やがてセレスティアの身につけた指輪へと収束する。
『これで――お前の居場所がいつでも分かる。凄いだろう』
結ばれた魔力の流れは、石板と指輪を1本の線で結び、離れた2つの魔導具の居場所を互いに示していた。
つまり、この石板は道しるべ。魔力をもとに、指輪の位置を指し示すことができるという魔導具なのだ。
『……?』
だが……セレスティアはまたもや首を傾げた。
実のところ、これはドラゴンにとっては不要なものだ。魔力に敏感な彼らは、離れたところにいる同族の存在をも検知することができる。特にセレスティアと師匠ほどの関係ならば、その長年の生活により感覚が研ぎ澄まされており、かなり遠く離れた場所でも位置を割り出すことすらできる。
だから、改めて居場所を特定する魔導具を作る必要なんて無いのだ。別にこんなものが無くても、師匠の居場所くらい簡単にわかる。
そんなセレスティアの思考を汲み取った師匠。彼女は呆れ顔のまま、はぁとため息をついた。
『お前は分かってない。これは、役に立つかどうかではない。この限られた制約の中で実現することに意義があるんだ』
『師匠、どういう意味?』
『実験は大成功ってことだよ』
相変わらず師匠の言っていることは理解できなかったが、実験が上手くいって機嫌が良さそうだからよしとした。
『さあ、セレスティア。それを返してくれ』
『……捨てる?』
『まぁ、な。あくまで試作だ、もう必要ないだろう』
その言葉を聞いたセレスティアは、指輪をぎゅっと握りしめた。
『……だめ』
『駄目、だと? なんだ、また私の試作品を集めているのか?』
「また」という言葉に、セレスティアはぎくりとした。どうやら、魔導具を勝手に集めていたことは既に師匠にバレていたようだ。
ただそれはともかくとして、セレスティアは意を決して師匠に交渉を持ちかけることにした。
『師匠、貰う、私』
『なんだ?』
『師匠、それ、持ってて。私、これ、持つ』
セレスティアは、師匠の持つ石板の方を指さして言った。
「自分が指輪を持つから、師匠にはその石板を持っていてほしい」と、そういうことだろう。
『お前……そうか。逆じゃダメか?』
『うん』
こくりと頷いたセレスティアに、師匠は頭を掻いた。
この魔導具は単方向にしか使用できない。指輪はただの目標地点であり、この魔導具の主体は石板側なのだ。その本体たる石板を師匠に預けるということは、「自分の位置をいつでも探せるようにしておけ」という意味に他ならないが……
『昔から、その生意気さだけは変わらないな。お前』
『えへへ』
『褒めてないぞ』
大事そうに指輪を握るセレスティアの姿を見て、師匠は困ったように笑った。
こんな飾りっ気のないただの指輪の何が良いんだ。師匠はそう思いつつも、抱えるように持った石板をぎゅっと握る。
『師匠、ありがとう。大切』
『……好きにしろ』
セレスティアは、手にした指輪を指に付けてみたり、空に掲げてみたりして、なんだかよく分からないが楽しそうだ。
だがその一方で、片割れに残ったのはずっしりと重たい石の板だ。師匠は、自分で作っておきながら、その取り回しの悪さに眉をひそめた。
頭の中に理論や実験結果が残っているからこそ、一度作った魔導具はおろか、物自体にあまり固執することが無いのだ。そんな彼女にとって、この大きさの物体は確実に持て余すことになるだろう。
(もう少し小さく作るべきだったか? 捨てられないというのは難儀だな……)
彼女は若干の後悔を覚えつつ、そそくさと自らのねぐらへと帰ることにした。その背には、指輪を手に未だ浮かれているセレスティアの姿があった。