4. オレオール父子
「いやあ、小さな商会を引き継いでからたった三年で市場を独占するまでに成長させた商業の天才と呼ばれるジョアンヴィル殿に、こんな形で逢うことができるなんて、まさに天からのお恵みですなあ。実は商業組合の集まりなどで何度かお見かけしたのですがね、いつでも大勢の人に囲まれていらっしゃるので私なんぞがその中に入っていくのは気が引けてしまいまして。」
リガロは茶が冷めるのも構わず先ほどから延々と喋り続けている。
ライアンはその向かいで優雅に茶を飲みながらにこやかにその話を受け止めている。
ときどき相槌を打ったり口を挟んだりしながら。
「オレオール様はシャイなお方なのですね。」
臆病者、下心が丸見えだぞ、という意味である。
けれどもリガロは裏の意味にはまるで気がつかない。
「よく言われます」
ライアンが反応してくれたことに気を良くして大きく口を開けて笑うばかりだ。
ライアンはリガロの口から飛ぶ唾を避けてさりげなくティーカップを身に寄せるが、リガロはそれにも気づかなかった。
いや、その動作に気づいてはいた。
「ああ、それでお茶はどうですか。娘は茶を淹れるのがとても上手いんですよ。才能があるんじゃないかと思うのですがね、いや親バカでしょうか」
ライアンは柔らかに首を振る。
「いえ、本当に美味しいですよ。こんなに美味しいお茶は久し振りに頂きました。」
これは本音だ。
リガロの横に控えたガロンに金の眼を向けて微笑む。
ガロンは微かに怪訝そうな顔をしたが、やはり褒められるのは嬉しいのか少し頬を赤くして微笑した。
「それはよかった。」
リガロは娘を振り返りもせずに、冷めた茶を申し訳程度にすすった。新しい茶を求めることもしない。
「娘は今年で十八になるんです。そろそろ結婚も考えなくてはと頭を悩ませているのですが。」
いかにも困ったという風に眉を寄せるリガロの横で、ガロンが微かに表情を硬くした。
「それは大変ですね。まあ私ももう二十三歳ですから人のことを言える立場ではありませんがね。
しかし昔も今も結婚したいという願望は全くないのですよ。このまま先代のように一生独り身を貫いても良いかとさえ思っているところです。仕事と結婚したようなものかもしれません」
ライアンはこの応接間に入ってから初めて、声を上げて笑った。
リガロはややひきつれた笑い声を上げる。
ガロンはその横で目を丸くしている。この世に結婚しない人間がいるなんて思いもしなかったのだろう。
「し、しかし私はもし結婚していなかったらと考えると寂しくなってしまいますよ。こうして妻や子供たちと過ごしていられて本当に幸せなのです。
それに、人には立場というものがありますからね。当主というのは否応なしに結婚しなくてはならないものです。」
そう言うリガロの言葉にもライアンは特別興味を示さない。
「ガロン嬢に良い相手が見つかることを願っています。」
その話題に幕を下ろすように言った。
「ええ、有り難いお言葉です。」
リガロも頷いて口を閉じざるを得なかった。
応接間が静寂に包まれる。
ライアンがカップを置く音が妙に大きく響く。
カップを置いたライアンはふと扉の方に顔を向けた。
するとノックの音が聞こえた。
「誰だ」
リガロはちょうどいい時に助け船が来たとばかりに答える。
「父上。僕です、アーレンです。」
「おお、アーレンか。入れ。」
「はい。失礼します」
入ってきたのはリガロにはあまり似ない柔和な雰囲気の男。髪の色はリガロよりも濃く、瞳は緑がかっている。
ライアンより少しだけ年上に見えるが、立ち上がったライアンの方が彼よりも背が高かった。
アーレンは入って来るなり鋭い眼でライアンを見た。
刹那、二人の視線が交差する。
先に目を外したのはアーレンだった。
ふっと顔を緩めて、
「どうぞ楽になさってください」
と座るように促す。
「失礼します。」
ライアンはアーレンが座るタイミングを見計らって元のように座り直した。
アーレンはガロンの反対側、リガロの左手に座る。二人で父親を挟む恰好は、傍から見れば理想的な親子たちだ。
「息子のアーレン・オレオールです。お噂はかねがね。お目にかかれて光栄です。」
アーレンが改めて名乗る。
「はじめまして。ジョアンヴィル商会長のライアン・ジョアンヴィルです。」
ライアンは相変わらずの微笑で答える。
二人は握手を交わす。
「こう言ってはジョアンヴィル殿に失礼かもしれんが、二人は何だか雰囲気が似ているようですなあ。」
リガロが嬉しそうに言った。
「そうでしょうか」
ライアンは握手の手を放してアーレンの顔を見る。
「僕は確かに何だか親近感が湧く気がします。よろしくお願いしますね、ジョアンヴィル殿。」
アーレンはライアンとよく似た笑い方をしながら答えた。
「ああ、オレオール様の仰ることが何となくわかった気がしますよ。――アーレン殿とは気が合いそうです。」
にこにこと微笑み合う二人。
「これは嬉しいことだ。」
とリガロが浮かべる笑みは息子のそれと全く似ていない。
「ところでアーレン殿は何か用があってここにいらっしゃったのでは?」
ライアンが小首を傾げると、リガロがふるふると首を横に振った。
「いや私が呼んだのですよ。せっかくのご縁だから少しだけご紹介させていただければと思って。」
「そうでしたか。」
「……ご迷惑でしたか?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。」
ライアンはそう言ってから
「ちょっと失礼」
と懐中時計を取り出す。
「ああもうこんな時間だ。そろそろ行かなくては。」
上目遣いで三人を見た。
「それはそれは。随分長く引き留めてしまって申し訳ありませんでしたな。」
上機嫌なリガロはライアンに従って立ち上がり握手を求めた。ライアンは快く応じる。
そしてその隣のアーレンに顔を向ける。
「せっかくいらっしゃってくださったばかりなのに、申し訳ありません、アーレン殿。」
「いいえ、お顔を見られただけでもよかったです。」
アーレンは静かに答えた。
続いてライアンはガロンにも目を向ける。
「ガロン嬢も、またどこかでお会いできるかもしれませんね。」
ガロンは不意打ちを喰らったように目を丸くしてから、
「……はい。」
と小さく頷いた。
老執事ハリスがライアンを玄関まで送り出す。
「ハリスも、少しでも長くお元気で。」
ライアンはハリスにも手を差し出した。ハリスは驚いた顔をしたが、すぐに手を握り返して頷く。
「では。」
と背を向けて帽子を被るライアンを、
「お気をつけてお帰りください。」
深く頭を下げて見送った。
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