ラダミーア従属〜教団の襲撃
479.10.6〜12.20
ラダムンの決戦で大敗して以降、ラダミーア王国の威勢は弱まり、各地の領主達は過酷な軍役と甚大な被害に苦しみ、ラダミーア王国から離れていく者が続出。ラダミーアの支配から脱して独立する者、反乱を起こして諸郡に攻め入る者、サウゼンスやノスローに寝返る者、領民を見捨てて国外逃亡する者、民衆や部下達に殺される者、自殺する者など様々であった。
領主不在の地は賊や反乱軍が跋扈して荒廃し、ラダミーア国内は騒乱が絶えず、財政破綻し所領もシヤルが王の時代の三分の一程度にまで激減してしまった。
ラダミーア衰退により、ムスス教団の安堵地に反乱軍や賊が襲いかかる様になり、ラダミーア支部の司祭は信徒達と共に防衛に務めたが、農地が荒らし回された上に教会が焼き払われるなどの被害にあった。司祭は教団の総本山があるデルトムに救援要請を出し、教祖の子孫にして教皇のデイリアラット・ムススは救援要請には応えたが、デルトムのキンスに阻止されて果たせなかった。
ゼルギジェはデイリアラットに献金してキンスを牽制したが、ドミ諜報機関によって未然に防がれ失敗した。
ラダミーアに賓客として留め置かれていたトロガはラダミーアの武官に散々に責め立てられ、レヴェンには「そなたは我が国に災いをもたらしにきたのではあるまいな?もしそうであれば叩き斬るところだが…」と半ば責める様に問い詰められ、ロロッジからは「貴公とは一切の関わりを絶たせてもらう」と絶交を言い渡された。
11月の半ばにトロガはラダミーアから追い出される形で出立し、道中でドミ諜報機関やルミエの影に襲撃されながらも12月19日正午には西ギスヴァジャ入りしてトマシュとラオスに任務失敗の報告をしたが、激怒したトマシュから厳しい叱責を受け、ラオスがトマシュを宥めながらもトロガに降格と謹慎を申し渡した。
後日ラオスはトロガの宅邸に訪れて彼の口から事の次第を詳細に聞き、トロガを励ましてすぐに復帰できる様にトマシュを説得し、処分が緩和されるように取り計らった。
480.1.5〜13
北方辺境異民族軍3,500がルノス郡に攻め込み、北部領主達は1,800余りの手勢を集めて懸命に防戦したが、多勢に無勢であり、ルノス領主のタラグ・ルノスが負傷して戦意喪失。恐怖に駆られたタラグは部下たちを置き去りにして一目散に逃亡した為、主力が抜け落ちた北部領主軍は3日ほどで瓦解し壊滅した。
11日に北方辺境異民族軍はルノス郡に侵入して好き放題に略奪して回り、ルノス郡は一夜にして何もない焦土と化した。
ルノス郡のムスス教団は北方辺境異民族達の略奪・暴行に抵抗したが、神官達は懸命に防戦した末に全滅し、隠れていた女子供は連れ去られ、教会とその周辺は廃墟と化した。
タラグは地理に疎く、彷徨い歩いていたところを北方辺境異民族によって捕らえられ、13日の正午に首を刎ねられた。タラグの一族郎党も北方辺境異民族によって皆殺しにされた為、ルノス家は滅亡した。
480.1.12〜27
ラダミーアの武将ノラシガ・リスーラがラダミーア王レヴェンの王命を受けて11日に3,000の兵を率いてルノス郡防衛及び奪還に動き、16日にはルノス郡に到着して北方辺境異民族軍2,900と交戦し、一週間に及ぶ攻防の末に撃退に成功した。
27日、戦功によりノラシガは奪還したルノス郡を与えられたが、ノラシガは都市圏に近い郡の領主を望んでいた為、都市圏外のルノス郡を与えられた事に不満を感じた。
ノラシガの同僚達は表向きは彼を哀れみ励ましたが、裏では笑い物にしていたので、ノラシガは更に惨めな気分になった。
480.2.24〜3.7
ノラシガは故郷のスウラン郡を離れてルノス郡に赴任したが、焦土と化したルノス郡を巡察して嘆息した。ルノス郡館跡に陣を張り、一応の復興にはあたったが、100人にも満たない僅かな領民と20人の兵では労力以前に明日の食料にも事欠く有様だった。
レヴェンは輜重隊を編成してルノス郡に送らせ再興を支援したものの、他の北部領主達がこれに憤り、王家の輜重隊を騙して物資を奪い取り、ルノス郡以外の北部領主達で山分けにした。
29日、輜重隊の消息が途絶えたのを伝え聞いたレヴェンは憤怒したが、北部領主の窮状を察して怒りを堪えた。
しかし、レヴェンは激しい頭痛に見舞われ体調を崩した。レヴェンの代わりにロロッジは北部領主達に報奨を与え、一方で私財を投じて食料や物資を買い集め、それらをまとめてルノス郡に送り届けた。
北部領主達は報奨にやや気をよくしていたので、ロロッジが送った輸送行列は難なくルノス郡に到着。食料が尽きて困惑していたノラシガ達はなんとか飢えを凌ぐ事ができた。ノラシガは剥いだ木の皮を彫ってロロッジに感謝の文を送り、それ以降二人は文通して親密になっていった。
480.4.20〜27
ラダミーア東部に跋扈している賊がラダミーア弱体化に付け込んで周辺部を荒らし周り、調子に乗った賊はバハカルンやノスロー、エティホにまで手を出していた。
20〜24日にかけて賊は手当たり次第に襲い掛かったが、ドミ諜報機関が事前に情報を掴んでノスローとバハカルンに知らせていた為、ノスローのラガナットは迎撃に出て賊を大破し、バハカルンのビリンガムは賊を罠にはめて捕縛し尋問して情報を吐かせた。ノスローとバハカルンは損害無く、エティホは村が一つ壊滅したものの、賊に猛反撃を加えて撃退した。
23日にバハカルンからギスヴァジャに輿入れする一行が百人を超える賊の襲撃を受けて従者達が負傷する被害に遭ったが、賊は返り討ちにあった。
襲撃の中でバハカルンの姫であり、美魔女ビリンガム・スーノの娘であるフィーナ・スーノは少しも動揺せず、宝物の弓と矢で応戦し、近づかれると宝剣・グリンビラで斬り結び、多数の賊徒を倒した上に剛腕の賊将バラットス・ライザムを一騎打ちで破り生け捕るなど懸命に応戦したので、彼女の侍女であるナルルワや他の従者達も奮戦して援軍が来るまで耐えたという。ナルルワも得物の槍で奮戦し賊将ククドンを負傷させて撃退し、五人の賊徒を倒す武勇を見せた。
賊徒が崩れた所にドミ諜報機関の護衛団が合流した事で賊徒達は算を乱して逃げ去った。
バラットスは北方辺境でも名の知られた勇猛な賊将だったが、フィーナとの一騎打ちでは終始劣勢を強いられた。フィーナの抜群の技量が宝剣の鋭さを引き出し、バラットスの得物の槍は泥を切る様に切断され、バラットスは強敵相手に使う豪剣に持ち替えて戦ったが、これも十合余り打ち合ったところで刃が砕かれた。バラットスは体格差や頑健な肉体を生かして体術で応戦したが、フィーナの体術はバラットスを凌駕しており、バラットスは頸動脈と腕を極められて落馬し敗北した。
一騎打ちでバラットスが敗北したのを見た賊徒達は戦意を喪失し、フィーナが賊徒達に投降を促したので彼の部下の賊徒達は武器を捨てて降参した。
フィーナはバハカルン七戦姫の一人に数えられる程の武勇を持っており、伯母のカフデリンデをして「北方辺境五地方でフィーナに敵う者は私とラガナット殿以外存在しないだろう」と言わしめた猛者だった。生け捕られたバラットス達はドミ諜報機関の者達によって東ギスヴァジャまで連行されることになった。
26日に各所で撃退された賊はラダミーアにある根城に退却していたが、道中でロロッジ率いる討伐隊の待ち伏せを受けて壊滅し、続いて27日に根城が総攻撃されて跡形もなく破壊された。
賊はほとんどが捕縛されてラダミーア本国に連行され、半数が刑役に服し、一部はエティホに送られて処刑。残りはそれぞれの勢力で棒罰および労働刑に服した。
480.5.25〜6.3
バハカルンの姫フィーナ・スーノが東ギスヴァジャ王テヘズ・ギスヴァージャ・バウベズに嫁ぎ、両国間で婚姻同盟も結ばれる。
バラットス・ライザムと部下の賊徒達はフィーナとドミ諜報機関に剛勇を見込まれたので、テヘズはバラットスの腕前を確認し、テヘズは彼を圧倒した。バラットスはテヘズの剛勇に敬服し、テヘズもバラットスの武勇を評価して武官として召し抱えた。彼の部下の賊徒達もバラットスの直属の部下として召し抱えた。
フィーナはテヘズを見て手合わせを所望し、テヘズはそれに応えてフィーナと手合わせした。五十合余り打ち合ったところでフィーナの得物が叩き落とされ、態勢を立て直そうとしたところを組み伏せられたのでフィーナは負けを認めた。フィーナはテヘズに惚れ込み、テヘズはフィーナを気に入って可愛がったという。両者の関係はギスヴァジャの者には微笑ましく映り、バハカルンの者には国の行く末を案じる風に映った。
レーラムはバハカルンのスーノ氏出身の曾祖母がいる為、両国の婚姻同盟の話はビリンガムを通じて知っていた。それが六カ国連衡同盟締結の一因になり、それを実現したテヘズに先王であるイルマンの面影を見てテヘズの先行きに期待した。ギロウとドミはフィーナを見てビリンガムの策略を看破し、テヘズに「嫁に寝首をかかれない様に」と諫言したが、テヘズは既にフィーナとビリンガムの腹を見透かしており、その上で「互いに利用しあい、害を潰し合えるのだ、…恐らく10年は保つだろう」と言った。
ギロウはテヘズの言に背筋が凍りつく感覚を覚え、ドミはテヘズに改めて畏れを抱いた。ダラルはフィーナの侍女ナルルワに惚れて樽酒の蓋を豪快に叩き割り、中の酒を豪快に飲み干して己の体力と頑健さと絶倫さをウリにして口説いてしまう失態を演じたが、ナルルワはダラルの逞しさに見惚れていた。フィーナはナルルワに許可を出してダラルとの交際を考えてはどうかと言い、ナルルワとダラルは交際を始めた。
同時にサウゼンスにもヤージカルから準帝族に列し宰相家の娘であるリアーネ・チノルカがカミル・イスェラ・サウゼンスに嫁ぐ。
リアーネはルミエが見込んだ才媛であり、カミルとも面識があって仲が良かったという。
リアーネの異母妹であるネシェは才媛と呼ばれたリアーネと比べて容姿も含めてあまりにも凡庸であったが、ソルマはネシェを一眼見てその素質に気づき、チノルカ家当主に交渉した結果、東ギスヴァジャのバウベズ副王家に嫁ぐ事になった。表向きの言上はサウゼンスを立て、チノルカ家の悩みを解決する風だったが、実際はチノルカ家の真の至宝であるネシェを奪い、帝王の為にチノルカ家を牽制する事にあった。テヘズとソルマの腹など知る由もないチノルカ家当主はサウゼンスとギスヴァジャの二国と繋がりが出来て更に権勢が強まった事を内心喜んでいたという。
チノルカ家次期当主・ホギト・チノルカは教養が高いだけで実務に疎い目障りな異母姉・リアーネが嫁いだ事に安堵したが、事務に強く気配りができて頼りになる実妹・ネシェが東ギスヴァジャに嫁いだ事に大きな衝撃を受け、抗議したが既に遅かった。
ホギトは溜まった雑務を処理する中でネシェが抜けた穴の大きさを改めて実感し、家が傾く事態に陥る前に事務関係の人員を増員する事を父に勧めたが、現状維持の事実が見えていない父に一蹴されたのでやむなく独自に人材を求める事にしたという。
ホギトは内乱の続く辺境のギスヴァジャに向かったネシェの身を案じるあまり手紙を送り続け、ネシェから返信が届くと安堵したという。
ネシェはチノルカ家から追い出され、ソルマ達に連れ去られる形で東ギスヴァジャに向かったが、心身壮健なネシェは東ギスヴァジャへの難路続きの旅を楽しんでおり、道中でソルマが東ギスヴァジャの成り立ちを語る中でソルマが立派な人物だと確信したという。執事や使用人顔負けの事務・雑用技術を持つネシェはソルマの世話を積極的に焼いたため、東ギスヴァジャに到着する頃にはネシェはソルマたちの身の回りの世話を完璧にこなしていたという。
東ギスヴァジャの都市であるバウベの教会で婚礼の儀を挙げ、ソルマとネシェは夫婦になった。ソルマとネシェは道中ですぐに打ち解けていた為、問題もなく事は進んだという。
トマシュへの報復に執念を持ち、公務以外であまり人を寄せ付けなかったソルマはこの頃から公務以外でも人を惹き寄せるようになっていった。
婚礼の儀にはテヘズとフィーナも立ち合い、テヘズはソルマの態度が柔らかくなった事からドミ諜報機関から得た情報を利用した策が見事に的中した事に内心僅かに喜び、ネシェとフィーナは性格的に上手く噛み合ったのか、仲が良くなった。
480.6.4〜16
レヴェンは更に体調が悪化して寝込むようになり、二日おきに意識が回復したり寝込んだりを繰り返し、13日には昏睡状態になる。その翌日にロロッジはドランツェを連れてレヴェンを見舞ったが、レヴェンが回復する事はなかった。
ロロッジは万が一を覚悟してレヴェンの代筆官にドランツェを後継者にする内容の遺言書を書く様に仕向け、ロロッジはその内容を確認した上で王勅の封をし懐に仕舞い込んだ。
480.6.18〜26
18日の正午、第十五代目ラダミーア王レヴェン・タスダミル・ラダミーア死去。享年二十九歳。在位十六年の治世であった。
19日早暁に葬儀が執り行われ、葬儀はラダミーア流の王族葬儀に倣って行われ、嫡子のドランツェが先頭、ロロッジがドランツェの背を支えて進み、その周りを近衛兵が固め、ラダミーア王族の傍系がその後ろに、親族、家臣らがそれに続いた。
葬儀の列を襲撃しようとした賊はロロッジの手の者によって撃退され、乱入して矢を放った賊もイシュマ・エディガスが叩きのめし、矢は親衛隊のホゾラン・セラティムが防いだ。
20日早朝から次期ラダミーア王の後継候補が挙って名乗りを挙げたが、ロロッジの大喝で場が静まり、彼がドランツェをラダミーアの玉座に座らせ、レヴェンが付けていた王冠をドランツェに被せて新王即位を宣言した。
21日〜24日にかけて反対勢力が抗議や武力蜂起したが、いずれもロロッジに説得または鎮圧された。古傷だらけで強烈な威圧感を放つロロッジ、北方辺境でも精鋭と名高いロロッジの部隊を前にした反対勢力はたじろぎ、戦闘にはならなかったという。
26日午前、全ての反対勢力が鎮静化し、ヤージカルからの公式文書でもドランツェの正当が認められた為、レヴェンの後は僅か2歳の嫡男ドランツェ・タスダン・ラダミーアが第十六代目ラダミーア王を継ぎ、ロロッジ・クランフ・ラダミーアがその後見人となった。
480.6.27〜7.1
ドランツェが王位を継承してすぐに各地の領主達が離反し、南部の領主はサウゼンスに、東部の領主はエティホやノスロー、バハカルンに鞍替えし、西部及び北部の領主は北方辺境異民族と組んで独立。巷には虚言の道士達が「これは亡き先代王レヴェンと将軍ハギンの祟りじゃ、王賊ロロッジが野心を露わにした事でたいそうお怒りになっておいでじゃあ、祟りじゃあ、この祟りはラダミーアの者がロロッジを討たねば収まらぬぞ、速やかになさらねば更なる災いが降りかかるぞぉ、恐ろしや恐ろしや」と流布しており、虚言の道士達は民衆の不安を煽りつつ、各地の教会に放火し、富豪や商人達を皆殺しにして財産を奪い回っていた。
27日にロロッジは手勢を集めて虚言の道士達を追い、28日には根城を突き止めて直ちに猛攻を加えて破壊し、阻んできた60人以上の賊徒を斬り捨てた。ロロッジ達の苛烈な猛攻に虚言の道士達は戦意を喪失して逃げ惑った。
ロロッジ達は執拗に追撃し、ロロッジ達の強烈な気声と容赦ない攻撃に追い詰められた虚言の道士達のうち数名は錯乱して崖から転落。数名は抵抗しようとして叩き伏せられ、斧でめった打ちにされて事切れた。腰を抜かした虚言の道士達は捕縛され、仲間の首が飾られた檻車に乗せられて市中引き回しにされた。
29日には崖から落ちて亡くなった道士二人の遺体が運び込まれ、奇跡的に生き延びた道士三人も崖下を捜索していた部隊に捕らえられ、皆まとめて処刑場に送られて斬首刑にされた後、晒し首になった。30日に虚言の道士達はロロッジ達の拷問に耐えられずに処刑を嘆願したが、ロロッジはドミ諜報機関やルミエの影、ケヘテリ諜報団や西ギスヴァジャ特務機関の関与を疑っていた為、虚言の道士達の嘆願を無視して拷問を続けた。ついに耐えられなくなった虚言の道士達は各々の情報を暴露した後に事切れた。
いずれの諜報機関の関与も見つからなかった為、ロロッジは各諜報機関のいずれかが賊を唆したのであろうと推理すると同時に敵の用意周到さに悔しがった。
ロロッジ達の猛攻に晒されていながらも天気と地の利を生かして仲間達を指揮しながら戦い抜き、仲間達と共に巧妙に身を隠して追撃からも逃げ果せた賊将のネフは、熱りが冷めるのを待ってラダミーアに投降する事も考えたが、捕らえられた仲間達がロロッジの苛烈な拷問で悉くが命を落とした事を伝え聞くと、国外への逃亡を決意し、仲間達の同意を得て南進。戦場で影の如く様子見に徹していたドミ諜報機関はネフの戦いぶりを高く評価し、越境したネフをスカウトした。ネフはその誘いを受け仲間達を連れて東ギスヴァジャに転居し、ドミがテヘズに推挙するとテヘズは何度かネフに質問し、ネフは全てに良く答えたので、テヘズは上機嫌になりネフは高禄で召し抱えられ、ネフの仲間達もその部下としてそのまま採用された。
テヘズはネフを「知勇兼備の良将だが、軍略を極めれば名のある軍師になれる逸材」と評価し、ネフをギロウに預けた。ギロウはネフを教育する為に従軍軍師に任じ、平時から陣中に至るまで熱心に教育がなされた。ギロウとネフの師弟関係は生涯続き、ギロウの下でネフは頭角を表していく事になる。
因みにネフは孤児であった為に姓がなく、後にタクルシャ家と近縁のナカルト家の娘ニルシィ・ナカルトを嫁に迎えてネフ・ナカルトと名乗る様になる。更に長子のソロデンはラヴォジの副将になり、次子ユゼはギスヴァジャの能吏になり、ネフの末娘のルカディアはリィウの軍師として活躍する事になり、その子孫達もバウベズ王家に代々仕えて活躍したという。
7月に入り、虚言の道士達を全員処刑したロロッジは頭のモヤが晴れないまま残党狩りを打ち切り、道士達の被害にあった民を慰撫して落ち着きを取り戻させたが、ロロッジの苛烈さと残酷さを見せられた民達の心には新たな不安の種を植え付けられていた。
ラダミーアの民と兵は「あの道士達の言う通り、王国に逆らったら皆殺しにされる…」という不安が深く刻まれ、それを察知したロロッジはすぐに誤解を解こうとするが、ロロッジが近づいただけで子供達が顔面蒼白になって腰を抜かし失禁してしまった上に泣き叫び、無法者や強盗達ですら腰を抜かし弁明しながら命乞いする有様で不安を払拭する事ができなかった。
ロロッジの嫡男であるユゾアは父の苛烈さと非情さに戦慄し「父に逆らえば自分もこうなってしまう」という消えない不安を植え付けられ、ロロッジは家庭内の関係維持にも苦戦する事になった。
ロロッジの父ハギンの死、外戚にして有力貴族の筆頭格だったメジェド・ラスムとその一族の裏切り、ラスム氏に次ぐ有力領主だったロホドンとその中でも有力な一族郎党の戦死と家臣団の瓦解、所領激減による経済の破綻、過酷な軍役と増税による相次ぐ住民反乱、支配力の低迷による中小領主の離反…。
レヴェンが存命中はなんとか持ち堪えていたラダミーアだったが、レヴェンの死後は問題が一気に表面化し、ロロッジは腹心のイシュマ・エディガスとクマール・ロナクと共に国家保全の為に奔走する事になるが…。
480.7.2〜8.12
新王即位の儀を終えたロロッジは、ルミエの影に渡していた書状の返答の為に単身サウゼンスに乗り込んで行き、18日早暁にサウゼンス王ノルテニアとの会見が成り、ノルテニアにラダミーア王国の従属の意向を伝えた。
ルミエはロロッジの修羅の如き形相を見て口を挟む余地がないと察し、ノルテニアは若き日の自分もこうなっていたやも知れないと思い、ロロッジの心中を察してほぼ無条件で従属を受け入れた。
カミルは「王国に従属した王国は王位を剥奪されて然るべきでは?」とロロッジを詰ったが、ロロッジは「我がラダミーア王国はサウゼンス王国と同じくヤージカル帝国成立から続く王国。ヤージカル帝国と関係の無い他の王国ならいざ知らず、同じ帝国の臣下にして我がラダミーア王国が同格のサウゼンス王国に頼った事で王位を剥奪される謂れはございません、そうですな?ルミエ王妃殿下」と反論し、兄のスェランからラダミーア王国の処遇についての意向を伝えられていたルミエは「その通りです、同じ帝国の臣下ですもの、これからもより良い関係であり続けたいですわ」と答えた為、ロロッジとカミルはカチンときたが、ロロッジは耐え、ノルテニアの鋭い眼力を感じ取ったカミルはこれ以上言うのを控えてロロッジに非礼を詫びた。
サウゼンスに鞍替えして以降、ラダミーア侵略を強く訴えていたメジェド・ラスムは、ラダミーアがサウゼンスに従属する旨を聞いて方針転換し、姪をラダミーアに打ち込む楔にするべく姪を言いくるめ、姪の異母弟にあたるドランツェに宛てて手紙を書かせ定期的に送り続けた。
メジェドはラダミーア南部の領主達を次々と調略してサウゼンスに鞍替えさせると共に勢力を増したが、メジェドの後継者であるケマドス・ラスムの力量が微妙であった為、所領拡大はノルテニアに与えられた所領の範囲内に留め、それ以降は領内問題の解決と領内開発に力を注いだ。
八月には公式にラダミーア王国はサウゼンス王国への従属が決定し、ロロッジは急いで帰国した。
帰路の途中でラスム氏の手の者や西ギスヴァジャ特務機関、ドミ諜報機関の者たちに妨害されたが、ドミ諜報機関の者達はわざとロロッジを逃す素ぶりを見せた為にロロッジは無事にガミダラ山脈を越える事ができた。
八月の十日にはロロッジはラダミーア入りして報告し、十二日にはドランツェに報告して労った。
ロロッジは帰国したその日から部下たちに語り、共に苦味の強いものを食してラダムン決戦に敗退しサウゼンスに従属する事になった悔しさを度々思い出し、いずれサウゼンスを超えてサウゼンスを従属の憂き目にあわせることで報復する事を決意させた。
480.8.19〜22
エティホ王国から傍流王族のモルン・エティシオ・ハサリクが使者として訪れ、ドランツェとロロッジは会見し、両国同盟の更新が成された。
ラダミーアがレヴェンに代替わりして以降、相次ぐ東征作戦の失敗などで徐々に関係が冷えてきつつあったラダミーアとエティホは、ラダミーアがラダムン決戦に敗れてサウゼンスに従属する方針に転じた辺りから亀裂が生じた。エティホ国王は明らかにラダミーアを格下に見る様になり、側近たちがしきりにラダミーアとの同盟破棄を唱え、将軍達はラダミーアを侵略して征服するべしと声高に喚くようになった。
しかし、以前からレヴェンとロロッジと親しく、親ラダミーア派の筆頭格だったモルンはエティホ国王に「ラダミーアにロロッジがある限り侵略は困難を極めます。攻め込めば長期戦に持ち込まれるは明らかかと。かといって短期決戦を強行すれば双方とも無事では済みませぬ。仮に勝ったとしても北の異民族、後背のリナキアやノスローに攻め込まれては苦戦は必至。下手をすれば我が国もラダミーアの様に他勢力に屈服するはめになりますぞ。それに長年の誼にて結ばれた盟約を破れば信用を落とすだけでは済みません。対外工作においてラダミーアとタスダンを敵に回し、四方に敵を抱えた我らは完全に孤立するでしょう。それよりは異民族とリナキア、ノスローへの備えを固め、今後も後背の守りを任せるべくラダミーアとタスダンとの同盟を維持すべきでしょう」と半ば脅迫めいた進言を行い、同盟破棄とラダミーア侵略を計画していたエティホ国王と側近達を思いとどまらせたという。
しかし、エティホ国王の側近達の半数は外国を知らず対外工作に明るいとは言えない者ばかり揃っており、同盟更新の任務を終えて帰国したモルンを「弱腰野郎」「腰抜け貴族」と罵った。
モルンはラダミーア国内でなんとか国を立て直すべく奮闘する国内の文官達とエティホ国王の寵愛を受けているのを良い事に自分を馬鹿にする側近達を比べて頭痛が襲い、サウゼンスを反対に従属させてやるという気概で死に物狂いの調練を行うラダミーアの将軍と適当な理由をつけて練兵に手を抜く側近派の将軍とを比べて胃痛が走り、精悍な顔つきでどんな過酷な戦場でも制覇してやるぞという凄まじい闘志を漲らせるラダミーア兵と休憩と長期休暇が多くやる気のない顔つきで暇を持て余す兵達を見て「これでどうやって侵略できるというのだ…」とため息をついた。
480.8.26
タスダン王国から執権のジラー・ムーノンが使者として訪れ、ロロッジが対応してラダミーアとタスダンの同盟を更新。
ジラーとロロッジはソリが合わなかったので、折衝中に徐々に険悪な空気になったが、途中でドランツェがおやつを欲したので空気が一変した。
ジラーはタスダン産の銘菓を差し出し、まずジラーとロロッジが毒味し、その後にドランツェに献上して共に食した。その隙にジラーとロロッジから指示を受けていた文官達が両国同盟交渉を続けていた為、ドランツェが満足した時には既に交渉が纏まっていた。
ジラーとロロッジは内容を確認して双方とも問題なしと認めた為、無事に同盟更新が成ったという。
480.9.3〜487.11.14
北蛮大陸全土に拠点と信徒を持つムスス教団の教皇・デイリアラット・ムススが東ギスヴァジャ王テヘズに教団の聖地返還と巨額の献金を要求し、毎年千人余の奴隷と豪華な供物を献上する様に通告したが、テヘズは歴史的事実を紐解いてデイリアラットを説得して柔らかく拒絶した。デイリアラットは若造のテヘズの一言一言に難癖をつけたが、テヘズは理路整然とした弁舌でデイリアラットを圧倒、デイリアラットは詭弁を用いるもテヘズの能弁に敵わず、度々やりこめられ、反論すればしてやられた。弁が立ち、冷静で肝が座っているテヘズにデイリアラットは大層腹を立てて怪力で捩じ伏せようとしたが、今度はテヘズの威圧感がデイリアラットを圧倒した為、デイリアラットはテヘズから発せられる重圧と畏怖の念を強く拒絶するかの様に荒ぶり席を蹴って退散した。
「教皇様は随分と俗世に馴染んでおられる、枢機卿も気苦労が絶えまい」
トマシュとの争いや修羅達の蠢くギスヴァジャで日常を過ごしてきたテヘズにとって、デイリアラットなど取るに足らない存在だった。
テヘズの対応を根に持ったデイリアラットは罪状を捏造してテヘズを破門し、各地の大司祭と信徒達に檄を飛ばして異教徒殲滅を掲げて一斉蜂起した。
デイリアラットはテヘズに関係のあるサウゼンス、フィルノスロー、東ギスヴァジャ、西ギスヴァジャ、デルトム、ラダミーア、エティホ、ノスロー、カキャボ、バハカルンにムスス教団の宣戦布告にして根絶表明である「神罰状」を布告し、「ムスス神の加護」を授けられた信徒達が暴れ回った。
しかし、東ギスヴァジャはテヘズの善政によって臣民に不満なく上手く統治されており、ムスス教団の影響力もさして強くない事や東ギスヴァジャ地方の宗教は自由である事もあってか、デイリアラットの檄は空振りに終わった。
王族伝統に則って一応は教団の大司祭の地位にあるテヘズを一方的に破門にした教皇のデイリアラットは、テヘズが泣いて詫びに来るとたかを括っていたが、テヘズを始めとする東ギスヴァジャの者達の反応は薄かった。寧ろテヘズを破門にした事で他の支部の司祭や神官達から余計な反感を買ったデイリアラットは送られてきた多くの抗議文を見て益々腹を立てた。常日頃から「我が一声かければどんな大国だろうと三日のうちに滅ぶ」と豪語し、「神意に背けば神罰が下り国を滅ぼすであろう…」などの文句で大陸中の王を脅して貢がせ、国家転覆に絶対的自信を持っていたデイリアラットが唯一内部扇動と圧倒的大兵による蹂躙に完全に失敗した例となった。
東ギスヴァジャに攻め込んだムスス教団もドミ諜報機関によって動きは筒抜けであり、テヘズの意を汲んだ司祭や神官長らが説得に赴き、半数は説得に応じて帰郷し、半数はギロウ、ドミ、ダラル、フィーナ、ネフ、バラットスらの先制攻撃を受けて各個撃破の憂き目にあった。
ムスス教団の信徒達の中に賊出身の者が多くいたので、ネフとバラットスの姿を見るなり驚いて尻込みする者達がおり、ネフとバラットスはかつての誼を持ち出して投降する様に持ちかけ、攻め込んできた教団の者達を寝返らせるなど功を挙げた。
ギロウは僅か70人を率いて古代詩に似た鬨の声を挙げて騒ぎ立て、リジインドからの間道を通って攻め込んできた教団の暴徒2,700は三方から発せられたとてつもない鬨の声に驚き仰天して慌てて逃げ帰った。
ドミとダラルはそれに追い討ちを仕掛けた為、教団の暴徒達は総崩れになって退散した。
ムスス教団の主力部隊3,200が東ギスヴァジャ西南部の死霊の森に入り、祠や供養塔を破壊しながら進軍していたが、休息中に集団幻覚に陥って同士討ちを始め、死した者達は死霊王の供物と化した。
道義に反するとして祠や供養塔の破壊に反対していた者達は同士討ちから逃げ果せたが、ソルマ率いる防衛軍に見つかって捕らえられ、デイリアラットの檄に応じなかった神官達が彼らを説得して帰国させた。
いち早く教団の神罰による騒乱を治めたテヘズはドミ諜報機関を駆使して盟友を援護した。
西ギスヴァジャのトマシュは尊大な口調で突きつけられた「神罰状」を見て激怒し、傲慢な態度の神官達をその場で斬り殺し、神官達の首をデイリアラットの元へ送り届けて対抗した。攻め込んできたムスス教団の軍勢を蹴散らして回ったが、味方の約半数が教団の神罰状に恐れをなして教団に親族を供物に捧げてトマシュを裏切り、ラオスもリジイン家から裏切り者が続出して収拾に時間がかかった。トマシュとラオスは忙しく立ち回り、各地の教団の襲撃を迎撃・鎮圧して回ったが、教団の徹底した目潰し攻撃や捨て身の特攻戦術を連続して喰らい、多くの将兵が道連れにされた。ラオス自身も陣中での軍議中に三連装縦列強弩による毒矢狙撃を受け、身につけていた鉄盾と鉄鎧を貫かれて矢傷を負った。
ラオスが狙撃されたことでリジイン家の精鋭達は動揺したが、ラオスが一喝して動揺を鎮め、動揺の隙をついて攻め込んできた教団を返り討ちにし、狙撃に最適な場所の付近に神速の精鋭を送り、逃亡中の狙撃手三人を捉えて追撃し捕縛したが全員が自決した。
ラオスは己の症状から毒矢の成分をすぐに看破して適切な処置を施したので一命は取り留めたが、二日間寝込む羽目になったという。ミシャンとロゲンはラオスの穴埋めに奔走し、メテルスも手勢を率いて教団の襲撃を防ぎ、捕縛した神官を脅迫して物資を接収し中でも高価な嗜好品はトマシュの好みのものを厳選して献上し機嫌を取った。また、教会の薬草園から傷病に効くものや滋養強壮にいいものを調達して倒れたラオスに送り届けたりもした。
因みにメテルスがラオスに対して珍しく機転が利いたのは九月の末にメテルスの娘が男児を出産した為であり、孫ができて有頂天になっていた為である…。なお、メテルスの孫はルキニスと名付けられた。
10月半ばにリジインドの診療所でミシャンの嫡男のドラウスが誕生したが、ミシャンは公務に追われて出産に立ち会えず、二週間ほどしてからミシャンは妻とドラウスに会いに行った。
ドラウス・クルシャフ・リジイン…この漢は後にリジイン家を継承し智勇に優れ、後に槍術を極めて「七十五の槍を持つドラウス」の異名をとる事になるのだが…今の時点でこのことを知り得るものはいない。
サウゼンスのノルテニアもムスス教団の「神罰状」を見てすぐに応戦態勢を整えたが、宮殿内で司祭が多数の信徒達を率いて謀反を起こし、兵の半数以上が教団に味方して同士討ちを始め、首都内では教団の幹部が民を扇動して数万人の民が蜂起し暴動を起こすなどした為、ノルテニアは親衛隊のみで反乱鎮圧にあたる事になったが、却ってノルテニアは電光石火の進軍速度を発揮し反乱を瞬く間に鎮圧してムスス教団の襲撃を防いだ。
反乱鎮圧の際にノルテニアは呪詛で強化された毒矢で狙撃されたが、不思議な事に毒矢がノルテニアを避けていったので、暗殺者は驚愕しノルテニアは無事に生還した。
ドミ諜報機関の者達は「ノルテニアにも神の加護があるので神罰は無効である」と流言を流して教団の者達を動揺させた。
ノルテニアは教団の影にいる闇の構成員を発見し捕らえて尋問したが、構成員は幻術を用いて脱走した。
ルミエはカミルらを指揮してゴバル地方に攻め込んで来る教団を迎撃し、影を用いて内部の反乱の芽を潰して回り、内部扇動による被害を最小限に留めたが、自爆上等の信徒達の暴れぶりに苦戦したカミルが負傷し、二人の将軍が戦死する手痛い打撃を受けた。
カミルの負傷と二人の将軍の戦死を伝え聞いたルミエは表情ひとつ変えずに指揮を執り続けていたが、内心は穏やかではなく、檄に応じた教団所属の教会の所領を削り、税を重くするペナルティを課して報復した。
ゼルギジェはゴバル地方切り取りに動員令を出したが、遥西大陸から大軍が迫っている事を知り、国境の守備と遊撃隊を残してすぐに遥西大陸からの侵略に対応した。
フィルノスローでもムスス教団が暴徒となって暴れ回り、ヤテリ自身が精鋭を率いて鎮圧に向かった。統治が不安定だったフィルノスロー地方南部全域で反乱軍が一斉蜂起した為、各地で苦戦を強いられたものの、東ギスヴァジャからの援軍やデルトムからの援助で態勢を立て直し、猛反撃を加えて反乱軍と教団を蹴散らし、一気にフィルノスロー南部を平定した。
バハカルンやカキャボ、ノスローでも少数のムスス教団の暴徒が暴れ回ったが、いずれも万全の態勢で迎撃して撃退に成功していた。
第一波を全て撃退されたデイリアラットは激怒したものの、頭を冷やして方針を転換。今度は戦力を十分に整えてから集中攻撃する方針に定めて各地の信徒達を呼び寄せ、末端の信徒達を教義と称した調練と洗脳を施した。
こうしたムスス教団の襲撃が七年間にわたって続いた為、北蛮大陸は更なる混乱状態に陥り、ヤージカル帝国の弱体化を招いた。