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ラダムンの決戦〜ラダミーア衰退

 479.6.21〜9.25

 6月の半ばにケヘテリ王ゼルギジェの元に西ギスヴァジャの援軍要請の使者が到着し、メテルスは言葉巧みにゼルギジェのプライドを刺激して援軍の約束を取り付けたが、ゼルギジェとメテルスは互いに条件の上乗せと雁字搦めの約束の応酬を繰り返した為に話が平行線を辿る一方となり、見かねたラオスの影がメテルスに釘を刺し、ゼルギジェの側近のバダルが苦言を呈して漸く交渉が纏まったという。

 7月26日にはゼルギジェは遥西大陸と北方辺境の備えに85,000程残し、ミンガフス将軍と軍参謀のバダル、王太子ノーランを伴って14,000の軍勢でケヘテリから出撃し、ケヘテリ東部の諸勢力にも出撃要請を送り、計27,000の軍勢がゴバル西部へと迫った。

 7月27日にはトマシュ率いる12,000の軍勢がダヤッカスを出撃し、ラオス率いる8,500が東ギスヴァジャのギロウ率いる10,000と対峙し、ミシャン率いる2,000とロゲン率いる3,000余りの軍勢がそれぞれの後詰めとして向かった。


 7月の18日にはラダミーアに西ギスヴァジャの使者であるトロガが訪れ、ロロッジの口添えでラダミーア王レヴェンと会見。

 西ギスヴァジャの宰相ラオスからの文書と秘策を預かっていたトロガはレヴェンに文書と秘策を渡してレヴェンに疑われたが、ロロッジの助言とトロガの「ならば私が人質となり、我が王の文書が虚偽であった場合は速やかに処断なさいますように」と主張したので、レヴェンはトロガを賓客として留め置き、ロロッジの手の者で身軽な若者を使者に任じて西ギスヴァジャに返答した。

 ラオスから領土奪還の手伝いと記された文書と日付のみが刻まれた玉を見たレヴェンは、ハギンとロロッジに命じて大戦の準備を進めた。

 8月の14日にはサウゼンス南部のキャボロでノルテニアの従兄弟で名将と名高いユアンとサウゼンスの若き麒麟児として頭角を表したカルシャが率いるサウゼンス軍18,000とトマシュ率いる西ギスヴァジャ軍12,000が対峙(第二次キャボロ攻防戦)し、ギスヴァジャ中央ではラオス率いる8,500とギロウ率いる10,000がベヤセヌ川を挟んで対峙(第三次ベヤセヌ川の戦い)し、ゴバル西部ではケヘテリ王ゼルギジェ率いるケヘテリ軍27,000と王妃ルミエを大将に王太子カミル、ルアーダ将軍を中心に参謀のヘスコッド、猛将スロトフらが参陣したサウゼンス軍25,000がゴバル平原で睨み合って(第三次ゴバル西部の戦い)いた。


 8月の20日にはラダミーア王レヴェンはケヘテリ王ゼルギジェ、西ギスヴァジャ王トマシュと連動する形で自ら18,000の軍勢を率いてガミダラ山脈と周辺要地の奪還に動いたが、サウゼンス王ノルテニア率いる16,000の軍勢が既にガミダラ山脈を超えてラダムン南部に布陣していた。

 ウレムザ将軍は長年の国境守備による念入りな調査の末にガミダラ山脈やラダミーアの諸郡の地理及び気候や地勢を知り尽くしており、ノルテニアに迅速に行軍できる桟道を教えた。

 先日サウゼンスに鞍替えし、長年ガミダラ山脈とラダムン郡及びラダミーア諸郡を守備していたメジェドがラダミーアの細部に至るまで記された地図を製作してノルテニアに献上しており、それらの要素がサウゼンス軍の神速の行軍を手助けしていたのである。

 

 ウレムザ将軍とメジェドは長年相争った間柄であったが、互いに戦友として認め合っていた為、驚く程息があっていたという。

 その部下達は濃霧に包まれたガミダラ山脈を僅かな迷いすらもなく的確に案内し、サウゼンス軍は迅速に山脈を越えてラダムン平野を見下ろす位置にあって水源が近く、ラダミーア軍が築いた長城型砦がある事から休息や守備に好ましく、メジェドの領地が近く補給が容易な地に陣取り、サウゼンス軍の将兵は十分な補給と休息を取って臨戦体制を整えていた。

 更にバハカルンからカフデリンデ率いる500の手勢、カキャボからバウロとサウス率いる600の手勢、ノスローからギシュフ率いる700の手勢が続々とサウゼンス軍に合流し、東ギスヴァジャからはダラル率いる7,000の軍勢もドアンを経由してサウゼンス軍に合流し、サウゼンス側の兵力は計24,800の軍勢に膨れ上がっていた。

 天候は朝から霧雨で視界が悪く、互いの斥候と威力偵察隊が遭遇して小競り合いとなった。小競り合いは約十分程度で終わり、互いに怪我人を出して退却した。

 威力偵察隊の報告を聞いたレヴェンは、ノルテニアの進軍速度の速さに驚愕したが、それ以上に釘付けにしているはずのカキャボのバウロとサウス親子やバハカルンのカフデリンデ・スーノ、ノスローのギシュフ・トコーダルや東ギスヴァジャのダラル・ヘルクェソンがサウゼンス軍と合流していたことにも驚いた。

 ハギンはカフデリンデとギシュフの名を聞いて辛酸を舐めさせられた苦い経験を鮮明に思い出し、サウゼンス軍が既に作戦展開済みである事を予測して備えを厳重に固めた。

 ロロッジは誘引戦術と粘り強さに定評のあるギシュフを警戒する様にレヴェンに言い、ハギンはカフデリンデの並外れた武勇とバウロの撹乱戦術とダラルの猛攻に警戒する様に助言した。

 レヴェンはかつて父が苦戦したノルテニアに強い対抗心があったが、山を背に陣取り、攻め登るには厄介なラダムンの丘陵に加えて長城型砦もあるサウゼンス軍の陣地を見上げて攻撃時の劣勢を確信し総攻撃を断念した。

 その代わり、ラダミーア軍はラダムン平原にある砦跡に陣を移し、砦跡を利用して新たな砦を建築して長期戦の構えをとった。

 サウゼンス軍に機先を制された事でラダミーア軍兵の動揺を感じ取ったロロッジとガハンが士気を維持する為に濃霧に紛れてサウゼンス軍に奇襲攻撃を仕掛けたが、メジェドとバウロに撃退された。

 バウロはガハンの手勢を追撃したが、ロロッジの伏兵に遮られて失敗し、メジェドは強化型弩でロロッジの副将を狙撃して負傷させたが、ロロッジの手勢が守りを固めた為に追撃の機を逃した。

 

 ロロッジの報告を聞いたレヴェンはサウゼンス側の応酬を予期して見張りを徹底させたが、抜け道から手勢を率いてきたカフデリンデ達は一瞬の隙をついてラダミーアの中軍を強襲。

 しかし、ハギンは既に手を打っており、カフデリンデを逆に誘い込み、包囲して袋叩きにしたが、カフデリンデの武勇は桁がはずれており、互いに30人余りの負傷者を出して痛み分けとなった。ラダミーア軍兵に包囲されて一時間余り猛攻に晒されたカフデリンデだったが、擦り傷一つなく生還した。

 朝にはノルテニアが自ら鬨の声を上げてラダムン平原に攻め込み、側面攻撃にはダラルとギシュフが参加したが、ハギンらが先手を打って側面攻撃を封じ込め、ロロッジが気勢を上げて正面の守備を固めたので、ノルテニアは一撃離脱に切り替えて引き上げた。

 前線で叱咤していたレヴェンは引き上げたノルテニアを挑発したが、直後にノルテニアの騎射の一矢がレヴェンの頬を掠め、ノルテニアはレヴェンに微笑みかけてから去る。レヴェンは頬にできた一文字の擦り傷を自覚すると、屈辱と激怒を堪えて気を引き締めた。

 ノルテニアが自ら斬り込んできた様を見たラダミーア軍の将兵は「あれが北都の戦鬼か、なんて恐ろしい将だ…」と畏れた。

 レヴェンは味方の士気の下りようを見て一喝し、ラダミーアの将兵はすぐに落ち着きを取り戻した。

 23日にはサウゼンスの援軍として合流していたノスローのクノムとニルがカキャボのサウスと共同して物見の任務を与えられたが、偶然にもサウスを馬鹿にしていたラダミーアの貴族の子息が抜け駆けを企図して取り巻き達とともに出撃していたところで互いに遭遇戦となり、クノムとニルは即座に勇戦してその子息の取り巻き達を打ち据えて捕らえ、サウスはわざと弱腰を必死で堪えている風を装い、ラダミーア貴族の子息を挑発して一騎打ちに持ち込み、散々に叩きのめして落馬させ、捕虜にした。

 ラダミーア貴族の子息は腕っぷし自慢の乱暴者で有名だったが、サウスはそれを正面から叩きのめす武勇を見せつけた。

 クノム達は物見の任務を続行し、サウスは捕虜を引き連れて陣に戻って報告。バウロは無茶をしでかしたサウスを叱りつつも息子の武勇を自慢に思い、後でサウスを褒めた。

 クノム達は物見の任務をこなし、報告を聞いたギシュフは「最近は小波ばかりで退屈しておったが、久々に大波が来そうだ」と言ってバウロやカフデリンデらと共にサウゼンスの大将幕舎に移動した。


 ノルテニアはラダミーア貴族の子息とその取り巻き達を解放してやり、ラダミーア貴族の子息達は屈辱から復讐を企図し、サウゼンス内部から得た情報をラダミーア本陣に持ち帰って報告した。

 報告はハギンとロロッジを介してレヴェンに伝わり、レヴェンはノルテニアに挑発されている事を知りながらも本来の目的もあって攻撃を決断し、ハギンとロロッジは攻撃に賛同しつつも守りの固い地には攻め入らない旨を伝えて熱くなりすぎない様にレヴェンに釘を刺した。

 24日、25日、26日、27日に朝昼の押し引きを繰り返す小競り合いと夜襲のやり取りがあったが、いずれも互角であり、有効打にはならなかった。

 ノルテニアは悠然と構えていたが、レヴェンは生来の気性が災いして神経を擦り減らしていた。

 長期戦を企図していたはずのレヴェンだが、連日連夜の夜襲と早朝の襲撃に激怒し、ハギンの諫言も聞かずにとうとう軍を動かしてしまった。

 29日にはラダムン平野でサウゼンスとラダミーアがついに決戦に及び、早朝にはギシュフが敵陣に突っ込んで散々に挑発してから引き返し、それに釣られたラダミーア軍兵が弓矢を放ちながらギシュフを追撃。

 ギシュフは笑いながら降り注ぐ弓矢を器用に交わしながら味方の陣に駆け込む。

 待ち構えていたサウゼンス軍が突撃の銅鑼を鳴らし、ラダミーア軍はサウゼンス軍の突撃の銅鑼の音を聞いて慌てて攻撃の合図を送り、両軍とも総攻撃に移って凄まじい攻防戦に発展した。

 

 先ず優位に立ったのは機先を制したサウゼンス軍であり、ノルテニアを中心に編成したサウゼンスの精鋭達が一斉投石と一斉弓射を放った後に騎馬隊がラダミーア軍に猛攻を加える。

 ラダミーア軍の急先鋒はギシュフに叩きのめされ、サウスが敵百人隊長を討ち取り、バウロが援護射撃でサウゼンス軍の突撃を支援。

 それを迎え撃つのはロロッジであり、大盾と長槍による鉄壁の守りでサウゼンスの猛攻に耐え、ハギンが援護し、レヴェンが叱咤激励してよく耐えた。

 しかし、カフデリンデとダラルが第二波として突撃してきた時は流石のロロッジも崩され始め、ハギンが援護して漸く耐えている有様にまで追い込まれた。レヴェンは配下の猛者二人に側面攻撃を命じたが、ノスローのギシュフによって猛者二人とその配下達は打ち破られ、レヴェンもメジェドが側面に迂回しているのを察知してこれを防ぎ、クノムとニルの横槍を見破って未然に防いだ。

 カフデリンデの鬼神の如き奮闘とダラルの凄まじい猛攻にロロッジ率いる2,368の隊は将兵ともに疲労が重なり、カフデリンデとダラルは何度も強行突破を図り、ロロッジを一騎打ちに引き摺り出そうとしたが、その度にロロッジは守りを固めて逸らした。

 ロロッジは何度も一騎打ちに引き摺り出されそうになって疲労困憊になり、采配が存分に振るえなくなって一時後退を余儀なくされた。ロロッジの後退と同時にハギンは予備戦力を全て投入して守りを固めたが疲れ知らずのカフデリンデとダラルは嬉々として猛攻を加えてきた為にハギンも苦戦したが、精鋭部隊の投入で粘り強く戦い、辛くもカフデリンデとダラルを押し返して第二波を防ぎ切った。

 しかし、ギシュフが負けを装ってラダミーア軍兵を誘い出しに移った為、レヴェンは「其奴を追うな!」と怒鳴りながら伝来を送ったが時既に遅く、レヴェンの重臣であるロホドンは「今度は我らが攻撃する番ぞ!かかれ!」と攻撃を命じると、彼が率いる1,600が追撃に移った。

 ギシュフは巧みに付かず離れずの距離を保って逃げ続け、ロホドンはそれを追い続けたが、ギシュフの姿が忽然と消え、気付けば深入りして窪地に誘い込まれていた。

 サウゼンスの伏兵によって高台からの一斉射撃を受けたロホドンは「しまった!罠だ!退け!」と叫ぶが、ロホドン隊は次から次へと前進して止まらず、降り注ぐ弓矢の雨に逃げ惑った。そこへ側面からサウゼンス軍の騎将エルゲンが逆落としの勢いで突撃し、ロホドンらは混乱する。ロホドンはすれ違いざまにエルゲンの大薙刀の一閃によって首を刎ねられ討ち取られた。

 ロホドンを失った軍勢は益々混乱し、混乱の中でロホドンの一族郎党も次々と討ち取られていき、救援に訪れたラダミーア軍兵も誘い込まれる様にして次々と死地に飛び込んではわけもわからないまま討ち取られていった。

 ロホドンを含む1,600人は1,472人の負傷者と128人の戦死者を出して全滅。誘引されたラダミーアの各隊合わせて2,433人が負傷し、600名以上の戦死者を出すという大損害を出した。


 「前線で何が起こっている!?追撃に出たロホドンらを早く下がらせい!」

 レヴェンは声を荒げながら何度目かの伝令を走らせ、各隊の状況を伝え聞いては反撃の機会を窺っていたが、サウゼンス軍の波状攻撃がそれを許さなかった。

 

 「ロホドン様の軍勢!全滅!ロホドン様とその御一族が討ち死にいたしまして御座います!」


 伝令がレヴェンに報告すると、一瞬だけレヴェンに間があったが…


 「なんだとぉぉ!おのれぇぇぇ!……かっ…はっ!?」

 「ああっ!?王様!誰ぞ!至急医師長を呼んで参れ!王がお倒れになられた!」


 味方の惨状を伝え聞いたレヴェンは怒りと悲しみの余り虚空に向かって咆哮した後に全身が激痛に見舞われ、陣中で倒れた。

 ロロッジは全身に十四箇所の傷を負ってしばらくは無理のできない状態になった為、ハギンが全軍の指揮を代行したが、レヴェンが倒れた事でラダミーア軍の動揺は広がり、敗勢は覆し難かったが、ハギンはなんとか軍を維持した。

 9月1日にはノルテニアから決戦の継続か講和かを問う使者が訪れ、レヴェンの意識が戻らない状態だったので、ハギンは強気に対応して使者を送り返した。

 2日にはレヴェンが目覚め、ノルテニアから再び使者が訪れ、使者はロホドンとその一族郎党の首とレヴェンの子であるドランツェの返還を条件に講和を勧めてきたが、レヴェンは講和にはまだ早いと断った。

 ノルテニアはルミエの影に命じて密かにドランツェをラダミーア本国に送り返した後にラダミーアと決着をつける算段を整え、9月4日には再び決戦が行われたが、レヴェンは再び体調を崩して満足に指揮を執れる状態ではなく、ハギンが全軍を指揮してサウゼンス軍と戦った。

 ラダミーア軍は死に物狂いでサウゼンス軍と戦ったが、サウゼンス軍もノルテニア自らが全軍を鼓舞して獅子奮迅の戦いぶりを見せたので、両軍とも拮抗を保っていた。

 しかし、ラダミーア軍は最初の奮闘で死力を出し尽くしてしまったのか、一旦崩れると脆く、前線が崩れると総崩れになった。

 ハギンとロロッジの隊だけは最後まで健在だったが、ハギンはレヴェンとロロッジを退却させ、自らが殿軍になってラダミーア全軍の撤退まで死に物狂いの戦いぶりを披露しつつ、ジリジリと後退して時間を稼いだ。

 流石に歴戦の武将であるハギンは巧みに敵の追撃を交わし、サウゼンス軍の猛追撃を全て捌ききったが、ハギン隊6,000のうち5,200名が負傷し、788名が戦死するという凄まじい被害を出した。

 ハギン自身も全身に二十箇所に及ぶ切り傷と矢傷を負い、全軍が撤退し終えたのを確信した後に撤退したが、戦場から離れた際に出血多量で昏倒し、翌日には亡くなった。享年55歳。

 更にラダミーア王レヴェンも帰国後に過度のストレスや高血圧が原因で盛大に吐血。以降は激昂するたびに激しい頭痛と胸痛を伴い吐血するようになり、480年6月に頭痛で倒れてから昏睡状態に陥り、意識が戻らないまま亡くなった。享年29歳。在位16年の治世だった。歴代のラダミーア王の中で最も若くして亡くなり、衰退の原因も作ったので歴代で最も愚かな王とも評された。

 レヴェンが亡くなった事により、ラダミーア王は僅か2歳のドランツェが継承することになり、ロロッジがドランツェが成人するまで後見する事になったが、決戦に敗れた影響でこれまで従ってきた者達がラダミーアを見限り、常に反乱を起こしていた領主達は嬉々としてサウゼンスに鞍替えしたので、ラダミーアの所領は三分の一にまで激減。多数の重臣と古参の将兵を失ったラダミーアの衰退は誰の目にも明らかだった…。

 ロロッジはラダミーアの存続の為にレヴェンの夢だった北方辺境統一路線をサウゼンスに従属して国を保つ方針に変更。家臣の半数が反対したが、冷静に状況分析していたロロッジの説得によって家臣達は納得せざるを得なくなり、サウゼンスへの従属が決定した。

 ロロッジはハギンとレヴェンの墓前で詫びた後にサウゼンスに乗り込み、ノルテニアに会見して交渉。

 ノルテニアはロロッジに一目置いていたので、ラダミーアがサウゼンスの属国になる事をほぼ無条件で承諾した。

 エティホとの同盟も延長する事になり、ロロッジはエティホ国王と会見して無事に同盟を延長したが、もはや対等には見られていなかった。

 ロロッジは血気盛んな若い者達から「臆病者」呼ばわりされる事となり、中堅の文官達からは「売国奴」と呼ばれて名声を著しく落とした。ラダミーア王国はしばらくサウゼンスの属国になる道を歩む事になり、ラダミーアは長い冬を過ごす事になる。

 ラダミーアの冬が明けるのはノルテニアの死後、さらにドランツェの死後、ドランツェの子・ソルキュが成人する日まで待たねばならなかった。

 

 

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