ヌウロタの死〜ラダミーア・タスダンの乱
478.12.5〜12.10
ノスローのクシャン郡にあるクシャゼリア家の領主館でノスローの国老・ヌウロタ・クシャゼリアが死去。
直前までは元気に薪割りや城壁材の運搬を手伝っていたが、その日の夜に就寝してそのまま亡くなったという。
ラガナットは領地を留守にしていたので、ヌウロタの遺言の通りに代わりに妻のアマリアが喪主を務め、ヌウロタの葬式を執り仕切った。
ヌウロタの戦友であるダッサカとトギアロはヌウロタの好物である地酒を三等分して談笑し「将軍、次鋒のワシらも近くにそちらへ参ります故、いつものようにお待ち下され」と言って見送った。
12月6日にはラダミーア側の中小領主達がそれぞれ15人〜40余人の手勢を率いてヌウロタの葬儀の列を襲撃したが、各所にダッサカとトギアロの部下達が伏せていた上、ダッサカとトギアロが怒号をあげて迎撃したので、ラダミーア側の領主は「ヌウロタがまだ生きているのでは?」と疑い、ラダミーア側の領主は嫌な予感がして撤退。ヌウロタを噂でしか知らない中小領主達は逃げたラダミーア側の領主に疑念を抱いたものの、そのまま襲撃を続行した。
しかし、中小領主達の手勢ではノスローの精鋭部隊に対抗出来ず、襲撃に参加した者達のほぼ八割が生け取りにされて捕虜になった。
12月8日にはドミ諜報機関の者が「幸せになり、洗いざらい吐く」お香を炊いて捕虜からどこの手の者かの情報とタスダンとラダミーアの動きの情報も得たので、ノスロー王はテヘズの教唆通りに備えを固めた。
ヌウロタの死去とほぼ同じ時、ラダミーア王・レヴェンに待望の第一王子が誕生。母は正室のタスダン氏。レヴェンはハギンとロロッジに公務を代理させ、自らは急いでタスダン氏の元に駆けつけた。
王子はドランツェと名付けられ、ドランツェ・タスダン・ラダミーアと名乗る事になり、傅役にはレヴェンの側近で建国の功臣の家柄であるホムド・エディガスが命じられた。
しかし、ホムドと対立関係にある譜代の重臣の家柄であるメジェド・ラスムはサウゼンスとの国境で南の守備の要であるガミダラ山脈の守備を任されていたが、内心は王家を掌握するのに固執しており、タスダン氏に王子が生まれない様に薬を用いたり、万が一王子が生まれた時を想定して以前からその傅役をやる事をレヴェンと約束していたが、エディガス氏の手の者やラスム氏に虐げられ続けていた侍女や下男らがロロッジに密告してレヴェンに企みが漏れていた為、レヴェンはその約束を反故にした。約束を反故にされた事でメジェドはレヴェンとホムドを深く恨んだ。
更にレヴェンと側室のラスム氏との間に生まれた娘のイルシェリは弟のドランツェを憎悪し、ラスム氏も王子を産んだタスダン氏に嫉妬した。
その亀裂に付け込むようにして、ルミエの影やドミ諜報機関が流言を用いてメジェドの野心をくすぐり、ラスム氏を疑心暗鬼に陥れ、イルシェリを唆してラダミーアを混乱させる舞台を整えつつあった。
478.12.18〜27
ヌウロタの死去の報告を聞いてタスダンの大臣達は祝宴を開き、各派閥の中堅及び末端の者達がこれ幸いと動く。
軍部側派閥の末端の者達は先手を打つためにノスローの急襲を計画していたので、すぐに計画を実行に移した。
軍部寄りだったジラー・ムーノンはこの計画について「各々方はヌウロタのみを見ていますが、ノスローにはまだラガナットやヌウロタの育てた若手達がおり、将は勇猛果敢、兵は精鋭です。秘策があるといえど、その戦力では戦うことも難しいかと。攻めるならいっそ他の派閥を抱き込んで総力を結集し、ラダミーア、エティホ、リナキア、ヴァネグリアに牽制を依頼し、砦の一つでも落として様子見をすべきでは?」と指摘し、タスダンの派閥はラガナットの留守や女子供のみが留守を守っている状況、ノスローの同盟勢力が遠い事を理由に攻撃の好機である事を主張した。
しかし、ジラーは溜め息をついてにかぶりを振り「ノスローにはラガナットの影に隠れた名将がおり、カキャボのバウロや東ギスヴァジャのテヘズ、サウゼンスのノルテニアは各所に独自の情報網を持ち、間者使いが巧み、更に兵は精強、特にサウゼンス軍の行軍は神速の如し、東ギスヴァジャ軍の行軍も電光石火の行軍を是としています。ノスローも我々の襲撃に対する備えはしていましょう、即刻出撃したとて一刻の猶予の内に決着を付けなければ、サウゼンスかカキャボ、バハカルンの挟撃にあい、引き際を間違えれば全滅します。仮にあなた方が申す通りにそんなに簡単に倒せる相手なら、我が父やエンビマフ将軍が既に倒しております。実力も実績も両将軍に及ばず、彼我の戦力差も測れないあなた方では戦力を無駄に消耗するだけで終わります。上司を勝たせたいのならば、堅実な方法を探るべきでしょう」と言って制止したが、タスダンの派閥の者達はジラーを「妄言多き者」と無視し、120人あまりの手勢を率いてノスローに攻め込んだが、ドミ諜報機関とルミエの影達によって即座に動きが伝えられた為、テヘズの教唆で調練の仕上げに動いていたバハカルンのスーノ家とカキャボのカリオス家の手勢が先に戦場予測地に到着して待ち構えた。更にタスダンの派閥がかき集めた手勢の内の半数はドミ諜報機関が買収しており、交戦と同時に後方の部隊が丸々ノスロー側に寝返ったのでタスダン勢は三方向から挟撃されて混乱し、何もできないまま撃退された。
潰走して自国に逃げおおせた軍部側派閥の者はすぐに告げ口してジラーを道連れにしようとしたが、ジラーは敗報に讒訴を加えられる前に先手を打っており、保身を確実なものにしたので不問にされた。
タスダンの軍部側派閥は消耗して権力争いに不利になり、ここぞとばかりに官僚側派閥の者達が攻勢に出たので、ノスローに遠征した軍部側派閥の者達は官僚側派閥の攻撃を凌ぎきれずに蹴散らされた。
タスダンの軍部側派閥の者達は上司に「ジラーが妖言を用いて衆を惑乱した」「ジラーが敵に通じているので敗れた」「ジラーが我らを欺き罠に嵌めた」などと讒訴したが、派閥の幹部達は戒めを曲解して自滅した部下達を処罰し、予め忠告してくれていたジラーを不問にした。
軍部側派閥の者達はジラーを激しく憎悪したが、一部の者達はジラーの父であるベルサの殿軍によって助けられた恩義があったので、ジラーを弁護しつつ同志達を宥めて正気に戻した。
478.12.28
ドミ諜報機関やノスローの影を通じて訃報を伝え聞いたラガナットが急遽帰国し、父の墓を参った。
ヌウロタが既に家督と実権をラガナットに譲渡していたので、ラガナットはクシャゼリア家当主として引き続き軍事を担い、アマリアもラガナットをよく補佐した。
ヌウロタが育てた若手達はラガナットの直参になり、それぞれが昇進した。
479.1.2
ラオスは大陸間六カ国連衡同盟締結の報告を聞き、一人飲みの盃を置いてテヘズの真の狙いに気づきながらも対策が遅れた事を遺憾に思い、思索に耽った。
メテルスはこれをネタに無礼講の宴の席で暴言を吐いて回り、酔った勢いでラオスの邸宅に訪れ、ラオスに皮肉と罵声を浴びせたが、ラオスに気圧されて論破され、メテルスの妻がラオスに謝りながら夫を引きずって帰った。
リジイン王太后はテヘズの外交戦略を虚仮威しと思ったが、各国の結束と連携の良さを聞いてテヘズを甘く見ていた事やラオスの忠告が現実のものとなった事を悔いた。
リジイン一族のミシャンや他のリジイン一族の一部も宴席で六カ国連衡同盟の報告を聞いて顔色を変えて宴席を抜け出し、ある者達は宴会を中止して王宮に参内し、ラオスやリジイン王太后の下を訪ねて今後の方策について議論した。
ラオスは胸中にあった対処策を一つ一つ明らかにして諸将と官吏達を安心させつつ、対処の為に速やかに動く様に諸将と官吏達に通達した。
ラオスはフィルノスロー王のと関係を維持する様にオードムら官僚や叩き上げの武官達と親しいミシャンに命じ、ラダミーアにはロロッジと文通して親しい仲のトロガを派遣し、ケヘテリにはゼルギジェと性格の似たメテルスが直々に出向かざるを得ない内容を記した書状を送り、ヤージカルには先帝の臣下だった縁でスェランと関係の深いロゲンを派遣して関係の維持を命じた。
479.1.4
デルトム王国のキンスが東ギスヴァジャ王国を訪れてテヘズに会見し、同盟を更新しつつ、フィルノスローとの同盟延長やサウゼンス王国との同盟延長の他、反トマシュ包囲網の形成について策をいくつか提案し、テヘズは提案を修正した妥協案を出して逆にキンスを驚かせた。
献策したつもりが献策されたキンスはテヘズに礼を述べてから帰国し、テヘズは各国の使者と会見した。
トマシュはクヒリアとドルフと共に過ごしていたが、リジイン王太后が病に倒れた為、トマシュ達はリジイン王太后を看病した。
王太后の忠実な部下達もリジイン王太后を心配した。
王太后はこれを機にトマシュに仕えるように言うが、王太后の部下達は「それだけは聞けません」と拒否し、代わりに若手達をトマシュに仕えさせる事を約束した。
月末には王太后の部下達が育てた若手達が密かにトマシュに仕え、クヒリアとドルフの護衛も兼ねた。
479.2.6〜18
六カ国連衡同盟の締結時に煮詰められたカキャボ統一の件により、バウロはバハカルンのスーノ家から側室をもらう事になり、マチェットは隠居して孫のケルディフがシュゼーリン家の当主に、ケルディフの子であるリュース・シュゼーリンがケルディフの後継者に定められ、リュースもバハカルンのスーノ家から妻を娶る事になった。
バウロにはアマリアの従姉妹にあたる姉妹の妹・セリカ・スーノが、リュースには姉妹の姉であるミィゼナリア・スーノが嫁ぐ事になった。
しかし、セリカは2歳、リュースとミィゼナリアもまだ4歳と幼い為、婚約という形で話を続けた。
バウロはラダミーアとの婚姻同盟を破棄したが、妻子とは離縁せずに以前のままの関係を維持した。バウロはミーアとの間に生まれた14歳の長男のサウスを後継者に指名し、自らは隠居してサウスを後見する立場をとった。
サウスは母の故郷の王国であるラダミーア王国の下級貴族から格下扱いされて不快な思いを抱いていたので、対等かつ適当に接してくれるテヘズ達の方が心証は良かった。
ラダミーア寄りの印象があるバウロが隠居した事でカリオス家はシュゼーリン家との協調路線を固め、カキャボは両家の元で統一の機運が進んでいく。
ラダミーア王のレヴェンはバウロの手切通告に激怒したが、ハギンは「バウロは四方を囲まれ、存続の為にも無理を避けたのです、彼の15年の働きに免じて不問にするべきでしょう」とレヴェンを宥めた。
なんとか怒りを静めたレヴェンは、先に起きた反乱の鎮圧を優先し、各将軍に命じて国境付近の郡を荒らしまわる反乱軍を撃破した。
しかし、ガミダラ山脈とラダミーア南部の一部を守備していたメジェドが突如としてノルテニアに寝返り、ラスム氏がタスダン氏を始末してメジェドの側に逃亡し、イルシェリもドミ諜報機関の者達に依頼してドランツェを攫わせた為、レヴェンは驚愕した。
ラダミーアはガミダラ山脈という分厚い盾を失った為、サウゼンスに南方から直接刃を突きつけられたに等しい危機的な状況に陥った。
レヴェンは急遽兵を集めて所領奪還に動いたが、長年ガミダラ山脈を守護していたメジェドの守備は万全であり、討伐隊はいずれも撃退された。
ラダミーアは六カ国連衡同盟を前に迂闊には動けなくなっており、西ギスヴァジャやケヘテリとの関係を強化しようとするが、ハギンとロロッジは西ギスヴァジャのメテルスによって仲を割かれた恨みがあったので、反対まではせずとも不服を申し立てた。
レヴェンは西ギスヴァジャ王トマシュの側近であるメテルスではなく、宰相のラオスを通じて西ギスヴァジャ王国との同盟を模索したが、ドミ諜報機関によって使者は始末され、連絡も悉くが妨害された。
ラオスもラダミーアやケヘテリ、ソムトリケ、サイラス、タスダン、ヴァネグリアとの同盟を以て六カ国連衡同盟に対抗せんとしていたものの、テヘズ達の計略がラオスの防策を超えて勢力を揺るがしていた為、いずれの成果も芳しくなかった。
ケヘテリ王ゼルギジェにはラオスの防策手紙が届かなかった為、テヘズの外交戦略を「この期に及んで虚勢をはるか、どうやら奴は自滅の道を選んだようだ」と言って嘲笑い、予め用意しておいた策を実行に移したので、ラオスの西の防策は潰えてしまった。
ゼルギジェは六カ国連衡同盟の形成で東ギスヴァジャ王国が同盟国から過度な介入を受けて滅びるとみており、ヤージカル帝国の重鎮達に「東ギスヴァジャ王国が外国と手を結んで帝国に反旗を翻した」と手紙を書いて送り、帝王スェランにも使者を遣わして叛逆者のテヘズを討伐するように勧めた。
しかし、ヤージカル帝国の重鎮達はテヘズを高く評価しており、帝王スェランも自ら許可証を発行するほどテヘズを信頼していたので、面従腹背の外交姿勢で帝国からの信用が低迷していたゼルギジェの扇動工作は失敗。ゼルギジェは却って帝国の信用を損ない、スェランに注意を受けて恥をかいたという。
ほぼ同じ事を考えていたモタラやソムトリケもラオスの忠告文を無視してテヘズ討伐の扇動をおこなったが失敗し、モタラ王もソムトリケ王もスェランから注意を受けて恥をかいた。
モタラ王は南部交易を操作し、ソムトリケは大陸間交易の権利を盾に利益を独占する様になり、ヤージカル帝国の財政に影響を与えたが、代わりにテヘズ達が切り開いた北部東西交易に新たな風が吹いて多大な利益をヤージカルにもたらしていた為、モタラ王とソムトリケ王は悔しがったという。
初代帝王の弟の末裔で帝王スェランの妹ルミエを妻にしているサウゼンス王ノルテニアや外国の貴族の末裔で建国の大功臣の末裔にして強大な軍事力と広大な領土を持つフィルノスロー王ヤテリが連衡同盟に参入している時点で抑止力と影響力は計り知れないものがあり、更に帝王スェラン自らがテヘズに力を貸しているとあっては今までちょっかいをかけていた諸勢力も迂闊に手を出せなくなった。
テヘズの根回しにより、ノルテニア、ヤテリ、テヘズが第二位階級への昇格が確定し、ノルテニア、ヤテリ、テヘズが大王を名乗る事を許された。ケルディフとバウロは新たに第六位階級の官位を叙任され、バハカルンのスーノ氏は第五位階級の官位、ノスロー王はヤージカルからも王に任ずると追贈された。トマシュとゼルギジェとレヴェンは箔をつける為に昇進を狙っていたが、デルトムとサウゼンスがそれを妨害していたので、昇進は叶わなかった。
大陸間六カ国連衡同盟は北蛮大陸、中央大陸、北方辺境に影響を及ぼし、ヤージカルとヴェルノを結ぶ北部大陸間東西交易路が再び開通し、長らく疎開地になっていた北方辺境に文明と繁栄の光が差し込みつつあった。
479.2.23〜3.28
ノスローでダッサカが亡くなり、3月25日にはトギアロも亡くなった。二人とも享年71歳であった。
ダッサカとトギアロは平民出身であった為、生前から爵位の贈与を断っていたが、ノスロー王は50年以上戦功を挙げ続けてきた二人の功を無視出来ず、孫に爵位と蓄積していた褒美を与え、ダッサカの孫には彼が住んでいたノンビンの地を由来にノヒン姓を与え、トギアロの孫には彼が生活を営んでいたヒルキンの森に由来してヒルキの姓を与え、それぞれにラガナットが切り取った領地から二百石程度の領地を与えた。
ラガナットは直々にダッサカの孫であるクノム・ノヒンとトギアロの孫であるニル・ヒルキを召し抱え、若手の部下を直臣に付け、クノムの下男3人とニルの古馴染み二人を含むそれぞれ10人の兵士を与えた。
クノムとニルは生前のダッサカとトギアロから五つの戒めを刷り込まれ、ラダミーアから流れてきた学者が開いた塾で教育を受けていた為、すぐに領主として適応し、善政を敷いたという。
479.4.3〜4.25
タスダン王が病死。享年54歳。在位28年の世であった。
477年の夏には王太子が死去していた為、王太孫のフィザーガ・ラダミーア・タスダンが僅か6歳で王位を継いだ。
フィザーガが王位を継いだ背景には伯父にあたるレヴェンの影響力があり、王太子やフィザーガの周辺にはラダミーア派が固められていたが為である。
フィザーガが王位を継いだのに反発したエティホ派やリナキア派は、それぞれフィザーガの弟や従兄弟達を担ぎ上げてフィザーガに退位と譲位を迫ったが、ラダミーア派は頑強に抵抗して反対勢力を黙らせた。
しかし、22日にはフィザーガを後見する立場にあった大臣が病死し、24日には大臣の息子が刺客に襲われて重傷を負い、翌日には亡くなった。
479.5.7
大臣の一派が崩れた為、フィザーガの後見人はジラー・ムーノンが務める事になった。
ジラーは早速討伐令を作成してフィザーガに読ませ、同派閥の一部に密書を送って反対勢力の排除を図った。
しかし、反対勢力も「君側の奸であるジラーを討つ」という大義名分を掲げて総攻撃に転じ、ジラー達は劣勢に追い込まれた。
479.5.13〜26
劣勢に立たされたジラーだが、皆が堅守に務めて反対勢力の攻撃を凌ぎ、反対勢力が声高に「奸物ジラーの首を取れば千金を与え、重臣に取り立てる」と寝返りの打診を続けたが、反対勢力のほとんどは数にものをいわせて約束を反故にする様な人物しかおらず、ジラー派は将兵は勿論、民や奴隷に至るまでが反対勢力の寝返りの打診を無視した。
反対勢力はジラー派の死に物狂いの防衛と反撃にあって浮き足立ち、結局は攻めきれずに後退した。以後も反対勢力は波状攻撃を仕掛けたものの、ジラー派は良く防御して撃退した。
ジラーはフィザーガを安心させると共に先王の代筆者を説得して偽の勅書を認め、それを捕虜に持たせて解放。同時に反対勢力の実力者の一角に内応の使者を送って敢えて断らせ、解放した捕虜が持っていた偽の勅書が反対勢力の首魁の下に届き、反対勢力の首魁は味方を疑い、疑いをかけられた実力者は怒って反対勢力から出奔。
その出奔が反対勢力の結束を弱め、ジラーは解放した捕虜を使って反対勢力内部に内応者を潜伏させる事に成功した。
反対勢力の攻勢が緩んだので戦況は膠着状態に陥り、内応した武将が反対勢力の中でムーノン家を貶める事に余念がなかった将軍の首を手土産にジラー派に投降し、ジラーとフィザーガは武将の投降を許した。武将は手土産の不足と卑しさを恥じて詫びたが、ジラーはその武将の心意気と付いてきた兵士たちの忠誠心を買って働きを労った。
479.6.4〜6.11
タスダンの派閥闘争は激化し、ジラーは自宅を襲撃されたがトトノアの活躍で無事に逃げ果せた。刺客達はジラーらしき人影が潜り込んだ土牢を捜索したが、未知の仕掛けが多い土牢に手を焼き、結局は諦めてジラーの痕跡を辿る事は出来なかった。
父のベルサの代から暮らしてきた粗末な家屋は支柱の一つを抜いただけで容易く崩れ落ち、賊が投げ込んだ松明の火があっさりと燃え移り、すぐに火が回って燃え尽きたという。
王宮内の陰口で大体の計画を察知していたジラーは、予め貴重品や重要機密をベルサが築いた地下室に保管しており、そこから繋がっている複数の抜け穴の一つから脱出し、王宮の井戸から王宮に侵入。
フィザーガの許可を貰った後にトトノアの私兵隊と合流し、更に親衛隊を率いて反対勢力を逆包囲し、殲滅した。
これにより、反対勢力の首魁の首を取って勢力を盛り返したジラーは、反対勢力の残党を説き伏せて降伏させ、フィザーガの弟を丁重に迎えて保護し、中立だったエンビマフ家もジラーに味方したので、ジラーはタスダンの実権を掌握するに至った。
ジラーはフィザーガとその弟をよく交流させて古のデルトム王国の兄弟の故事を出して兄弟がよく協力して国を守る様に諭し、仲直りさせるように仕向けた。
ちなみにジラーの地下室にはタスダンのあちこちの山村に繋がる通路もあったが、調査を重ねても気づいた者はいなかった。
この隠し通路は後にテイナフが発見し、ある作戦に役立てることになる。