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11/22

ギスヴァジャ東西諸事〜六カ国連衡同盟締結

 465.12.6〜

 トマシュが成人するまでに幾つかの縁談と婚約があったが、トマシュ自身が激しく反対した為、悉くが破談・婚約破棄となった。

 トマシュの気性の激しさと横暴さに釣り合う家柄などなく、トマシュの母であるリジイン側妃は頭を悩ませていた。

 リジイン側妃はトマシュの正室に相応しい者を探し回っていたが、候補には上がっても実際には問題が多かったりして悉く失敗し、見合いに持ち込んでもトマシュが応じなかったり、相手の態度が気に食わず癇癪を起こして相手を殺害したりした為、全く進まなかった。

 側妃勢力の者たちはリジイン側妃のみが得するのを最重視しており、トマシュ自身に無関心で優先順位もリジイン側妃の二の次であったのがトマシュの婚期が遅れた原因の一つでもあった。

 

 476.12.10

 ギスヴァジャ西部の王・トマシュ・リジインド・バウベズは母のリジイン王太后が見繕った公爵家・セヘルム家の令嬢との婚姻を条件付きで受け入れた。

 その条件とは「数多の監視の下、無干渉に徹すること」であり、トマシュはセヘルム家とは形だけの婚姻しかしない事を表明している。

 

 476.12.11〜12.14

 トマシュは見合いに訪れたセヘルム公爵家の令嬢と何も語らないまま過ごしたが、セヘルム公爵家の使用人が些細な粗相をしたことが気に入らず一刀両断にすると、セヘルム公爵家の令嬢は蒼ざめて沈黙した。

 トマシュはそれを理由にセヘルム公爵家との婚姻を破棄し、リジイン王太后は禍根を断つ為に容赦ない仕打ちを行ったが、テヘズの手の者に妨害された為、セヘルム公爵家はギスヴァジャ東部の親戚であるマフスラ伯爵家の領地へ亡命した。

 セヘルム公爵領はラオスが接収し、ラオスが見込んだリジイン一族であるミシャン・リジインを領主に任せて統治させ、ミシャンは以前と変わらない統治を行って動揺を鎮め、テヘズ派の工作を未然に防いだ。

 そこそこ豊かなセヘルム公爵領をモノにしようと画策していたメテルスだったが、ラオスによってメテルスが用意していた公爵領強奪の手勢の八割が働かずに公爵領を守護した為、メテルスの企みは阻止された。

 先手を打って瞬く間に公爵領をモノにしたラオスにメテルスは歯軋りし、昔から使い走りにこき使っていた傍系一族のミシャンに理不尽なイチャモンと嫌味を書き連ねた書状を百通以上送り続けたが、ミシャンはメテルスの最初の書状を見て「そろそろ大人になってください」という手紙を一通だけ送り、残りの書状は見ずに証拠に取っておいた。

 メテルスは憤慨したが、すぐに頭を切り替えて別の手法を企んだが、ラオスの予防策によって企みは露と消えた。


 476.12.15

 リジイン王太后は練兵場の休憩所にてトマシュに「嫁を娶る気は無いのか」と問うと、トマシュは「母上が余計な事をするのであれば今回の様な事を何度でも繰り返す、俺は俺で勝手に娶らせていただく」と答えた。

 リジイン王太后は「私の存命中に孫に会えるのか?」と問うと、トマシュは「母上が黙ってて下さるなら、いずれ会えますよ」と答え、リジイン王太后は「私が黙っておく期間は十年だ、それまでは勝手にするがいい」と言って宮殿に帰って行った。

 密偵の報告によってそれらを知ったラオスはトマシュの企みを察して先手を打った。

 メテルスは次の企みを実行に移そうと暗躍していたが、それらもラオスの計算のうちであり、メテルスはまたもや準備に手間取ることになる。


 477.1.3

 トマシュは年明け早々にどこからか若い娘を連れて宮殿に入り、臣下達の前で娘を「この娘が我が正室となるクヒリア・ニルスである、異論はあるか?」と凄まじい威圧感を出しながら紹介し、ラオス以外の臣下達はトマシュの威圧感に身動ぎひとつできないまま沈黙を強いられ、クヒリアはトマシュの正室になった。

 ラオスは機転を利かせて冗談混じりだが理路整然とした諫言を行い、場の空気を和ませてからニルス家の顔も立てる為の御膳立てをした。

 クヒリアの兄であるアビダン・ニルスはラオスの機転を無駄にしない為にトマシュに妹を頼む様に願った。トマシュはアビダンに「丁重に扱う故、案ずることはない」とだけ言い、ラオスはアビダンを諭して納得させ、憤怒のクヒリアを宥めて場を凌いだ。

 リジイン王太后は容姿端麗にして気が強く遠見の才略があるクヒリアを見て過去の自分と重なり微笑んだが、クヒリアは睨み返した。

 リジイン王太后は行動を起こそうとする臣下達を制止し、トマシュに「いいでしょう、ではクヒリア・ニルスは今からクヒリア・ニルス・バウベズと名乗り、ギスヴァジャ王・トマシュの正室と認めます」と言った。

 クヒリアは無言で憤怒の表情を浮かべたが、トマシュは益々クヒリアを気に入り、リジイン王太后もクヒリアを気に入った。

 ラオスは前途多難の婚姻に渋い顔をして胃が痛むのを感じ、ミシャンはラオスに胃に効く軟薬湯を差し出して慮った。


 477.1.15〜1.22

 クヒリアがトマシュの正室になった為、ニルス家は中立から西部側に立たされることとなり、ニルス家の周囲は東西のいずれかに与する事を迫られ、テヘズとギロウの調略の影響が少ない領主はトマシュに与し、他はテヘズに与した。

 19日の朝にニルス領はアビダンと仲の悪かった猛者のクシンズ・ルゲら各領主の侵攻を受けたが、戦上手のアビダンは要所に戦力を集中して迎撃し全て撃退した。

 立場を鮮明にしなかったコウゲン・ギバトはトマシュ派の攻撃を受けて所領を追い出され、隣接領の領主であり、同じくトマシュ派に所領を追われたニュレ・ダガンサと共に敗走し、親交のあるギロウの領内に逃げ込み、テヘズの傘下に入った。

 20日の昼頃にクシンズはアビダンの反撃を受けたが、僅か3騎を率いたギロウが救援に訪れ、アビダンは肉薄してきたギロウと一騎打ちになるが、出会い頭にギロウの鋭い突きで得物の剣を弾き飛ばされた為、アビダンはとても敵わない相手と見て捕縛を回避し後退した。

 ヒリグス率いる50騎がギロウの後詰めとして到来し、ギロウは敗勢のクシンズ勢を鼓舞して持ち直し、ニルス勢はギロウ達の猛攻に押されて撃退された。

 クシンズはギロウに感謝し、テヘズの傘下に入った。

 22日にはサウゼンスからノルテニア率いる千人余がサズキャボ北部に侵入して諸城を攻撃し、前線の城が陥落。連動してテヘズがニルス家を圧迫し、アビダンは苦境に立たされた。


 477.1.26〜2.19

ノルテニアが電光石火の侵略速度でサズキャボ北部を侵食したものの、ラオスが伏兵を用いてノルテニアの補給部隊を撃滅し、補給を断たれたノルテニアは直ちに退却を決断し、疾風のごとき速さで軍をまとめて引き返した。

 一足違いでトマシュがサズキャボ北部に到着し、領地を瞬く間に奪還。トマシュは逆侵攻に移るがラオスは「ノルテニアが退いたのは東部との謀があるからです、侵攻したとて王は振り回されて疲れるだけでございます」と諫言し「であれば、王はサウゼンスに逆侵攻をするふりをしつつ、急転してニルス家の救援に向かい、そこに待ち構える東の王を急襲すればよろしい、わざわざノルテニアとテヘズの思惑通りに動く必要はありません」とも献策したが、トマシュはどちらも聞かずにサウゼンス南部に逆侵攻をしかけるが、ノルテニアの伏兵によって足並みを乱され、テヘズ配下のラルヘドによって後方奇襲を仕掛けられ、ドミによって兵站を断たれた為、トマシュは散々に振り回されて撤退した。

 ラオスは対策を実行し、精兵と罠を用いてラルヘドを撃退し、騎馬隊を駆使してドミを猛追し諜報部隊を蹴散らしたが、テヘズの逆襲を察知して追撃を諦め、軍兵をまとめて引き上げた。直後にジグラス率いる援軍が到着するが、ラオス勢の旗印を見たレーラムは「流石はギスヴァジャの麒麟児、いい引き際ぞな、自分なら向こう側に兵を置いて追撃を鈍らせ、その隙にこちら側に移動させておいた遊撃隊と挟撃して返り討ちにするが、ジグラス殿は如何するかね?」とラオスの備えを看破してジグラスに助言し、ジグラスはかぶりを振りトマシュ勢を追撃せず引き返した。

 ラオスはレーラムが見抜いて対策してくるであろう事を見越していたので、すぐに伏兵と遊撃隊を引き上げさせた。

 ラオス勢が撤退し終えた直後にレーラムの遊撃隊が到着したが、敵の動きの方が速かったので追撃もできず、すぐに引き返した。

 

 テヘズはドミ諜報機関の報告によってラオスが引き上げた事を知ると、すぐにニルス領の攻囲に戻ったが、ラオスの策でトマシュが襲来する噂が流れた為、テヘズはすぐに包囲を解いて後退した。

 トマシュは昼夜兼行の強行軍でサウゼンス国境からギスヴァジャ中部にまで猛進してニルス勢の加勢に向かったが、テヘズ達は既に引き返して守りを固めていた。トマシュは兵だけを引き上げさせ、自らはテヘズ勢に切り込んで大暴れしたが、トマシュの癖を知り尽くしたテヘズの采配で巧みに気勢を削がれ、トマシュが暴れたにもかかわらずテヘズ勢の雑兵数人が負傷したのみに止まり、ダラルとギロウがトマシュの怪力を受け流し、トソンが牽制してトマシュの行動を制限し、ミンフル達が縦列小弩木車隊を率いてトマシュを狙撃した。テヘズの計算の内から抜け出せなかったトマシュは徒労を強いられ、何の成果もなく引き上げざるを得なかった。

 ドミはテヘズの教唆を受けてラオスを牽制し、ラオスは救援と撹乱を妨害されたものの、トマシュの救援に成功し、トマシュ達は無事に引き上げた。

 ラオスはテヘズ勢に計略を仕掛けていたが、テヘズに悉く対策されて成果無しだった。

 ラオスの失敗を聞いたメテルスは嘲笑い、ラオスを馬鹿にしたが、逆にラオスの正論に言葉を詰まらせてしまい、簡単にやり込められてしまった。メテルスはそれを根に持って事実を捻じ曲げてトマシュに讒言したものの、トマシュはメテルスの讒言を笑って聞きながした。

 メテルスは妻に愚痴を聞いてもらい、娘に頬を撫でてもらって慰められた。


 477.5.12〜6.23

 テヘズはノルテニアと共同してドアンを攻め、ギロウが先鋒を務めて32の砦を陥落せしめ、四つの郡を占拠してドアンを追い詰めた。マフガ、ヒリグス、タンザーロも次鋒争いをしながら功を競い合い、ギロウに続いてドアンの賊徒を次々と蹴散らした。ドアンの頭領は懸命に防戦を指揮したものの、東ギスヴァジャ王国の勢いは凄まじく、如何に強兵の多いドアンといえども攻勢を止めるのは困難を窮めた。

 また、ドアン側の主戦力だったバンヨンを失った影響が非常に大きかった。要所に内応者が多数潜んでおり、前線が一旦崩れると戦線は崩壊。寝返りや逃亡者が相次ぎ、堅牢な要塞と恐れられていたドアンの要塞はドミノ倒しの如く次々と砦を攻略され、容易に本拠地まで押し込まれた。

 テヘズはバンヨンを始末する前からバンヨンの徳を利用して縁者や部下達を厚遇し、反間計にてドアンの内部を侵食していた為でもあった。

 しかし、ドアンの本拠地は流石に攻め落とすことはできず、ドアンの頭領も籠城して長期戦の構えを取り、西ギスヴァジャ王国に救援要請の使者を何度も送ったが、ドミ諜報機関によって全ての使者が捕らえられた。西ギスヴァジャ王国も救援の為に動いていたが、援軍を送る旨の使者も全てドミ諜報機関に捕らえられたので、ドアン側は日に日に西ギスヴァジャ王国への疑念を募らせた。

 そのタイミングで「西ギスヴァジャ国王は女に溺れて動けなくなっている」との噂が流れ、ドアン側は益々西ギスヴァジャ王国への疑念を募らせたが、「東ギスヴァジャ王国に降ると皆殺しにされる」との噂も流れていた為、ドアン側は辛うじて戦意を維持した。

 メテルスの流言・引き抜き工作対策にライガンとドミとレーラムを配置し、メテルスの流言と消沈工作は悉く防がれた。ジグラスとソルマは国内の守りを固めて西と南の備えを盤石にし、カイト、マフガ、トソン、ミンフルが新領地の役人として配置されて民心を安定させた。

 連戦続きでラルヘドが過労で倒れた為、タンザーロとダラルが兵の調練を担当した。

 

 477.7.5

 西ギスヴァジャ王の正室であるクヒリア・ニルス・バウベズが懐妊し、トマシュは大いに喜び、リジイン王太后も喜んだが、クヒリアは素直に喜べなかった。

 ニルス家は格上げされて公爵家となり、ギバト家とダガンサ家の旧領が与えられた。後にニルス家はトマシュの次子ヨシュムが継承して王族領となり、区画整備が進んで大いに栄えた。因みにニルス領はラヴォジの代で旧ギバト領と旧ダガンサ領がニルス領に統合されてニルス郡(ギバト町、ダガンサ町、ニルス市からなる)が形成され、後世でまで続く地名となった。


 477.7.26〜8.18

 東ギスヴァジャ王国の猛攻により、ドアンの本拠地が陥落。ドアンの頭領と主だった幹部達が捕らえられ、ドアン頭領は処刑された。幹部達はテヘズに許されて生かされた。

 ドアンが滅亡したことでカキャボやサイラスと隣接したが、テヘズは事前に友好関係を築き、東西交易通商条約を締結した。

 カキャボのマチェットは以前と変わらない友好関係、バウロ・カリオスもサウゼンスの盟友であるテヘズを相手にするのは得策ではないと判断して友好関係を維持し、サイラスは地方随一の実力者であるカビアンカやトレリアとの悶着が解決していない中でカキャボやタスダンとも対立していたので、更にテヘズとも敵対するわけにはいかず、やむなく友好関係を築いた。

 カビアンカはテヘズと手を組まず、トレリアはテヘズの支援を受けておいて使者を追い払ったが、ドミ諜報機関によって既に組織内が買収されていた。

 カビアンカのボスはテヘズを「貴族様のくせに食えない奴」と評し、テヘズとは表面上の友好関係に留めた。

 これにより、テヘズは後顧の憂いを断ち、対トマシュ戦に専念できる様になった。


 477.9.3〜9.10

 ラダミーア王レヴェンが第二次東征作戦を発動させ、東カキャボのバウロ・カリオスやエティホ国王、タスダン国王にも出撃要請が出たが、ドアンが滅びた事でバウロは孤立しており、身動きが取れなかった。

 エティホ国王は1,500人の軍兵を率いてラダミーア軍と合流したが、タスダン国王は国内に疫病が流行し、自らも病に侵されていた為に参陣を見送った。

 冷静に状況を分析していたハギンはレヴェンに周辺郡を切り取っての撤退を進言したが、レヴェンは意固地になり前よりも少ない兵力でノスローへ侵攻した。

 しかし、万全の態勢で待ち受けていたラガナットはラダミーア軍を一歩も寄せ付けずレヴェン達は撃退された。

 ラガナットは後退するラダミーア軍を追撃し、ラガナット隊の凄まじい猛攻にラダミーア軍は浮き足立ち、ラガナット自身の抜群の武勇と軍勢の中を無の荒野を駆け抜けるかの如き姿は「ノスローの軍神」と恐れられた。

 レヴェンとロロッジは万全を期して守備を固めていたが、ラガナットの雪崩の如き猛攻はラダミーア軍を好き放題に蹂躙し、レヴェンの本陣も散々に引っ掻き回され、本陣は混乱したが、レヴェンとハギン、ロロッジの怒号と叱咤で落ち着きを取り戻し、ハギン隊とロロッジ隊の力強い叱咤と奮闘がラダミーア軍を鼓舞して総崩れにはさせなかった。

 しかし、翌日にはバハカルン勢とサウゼンス勢、東ギスヴァジャ勢がノスローの援軍に現れた上に北方辺境異民族軍が留守のラダミーアを襲撃した報告が入った為、レヴェンは数的不利と見て思いとどまり、後顧の憂いの他にサウゼンスと東ギスヴァジャと事を構える意味を考えた末に口惜しさを堪えて撤退の決断を下した。

 ラダミーア軍の殿軍はハギンが務め、ノスロー、バハカルン、サウゼンス、東ギスヴァジャ連合軍の追撃を出没自在、千変万化の用兵で巧みに凌いだ。

 ハギンは見事な撤退戦を見せて「進退上手のハギン」の異名をとり、ロロッジは劣勢時の立ち回りや粘り強い戦いぶりで「不動のロロッジ」の異名で知られる様になった。

 ラガナットは崩せなかったハギンとロロッジを「ラダミーアで注意すべき名将」と評価した。

 レヴェンは帰国してからも精力的に動き、北方辺境異民族を撃退して国内の賊を蹴散らして不穏分子を取り除いたが、無理が祟って数日間は寝込んでしまった。

 

 477.9.12

 ギスヴァジャ地方東部を統一したテヘズは、対トマシュに動く前に南のフィルノスロー王国との同盟を模索。

 しかし、フィルノスロー王のヤテリ・デルトーア・フィルシムは西ギスヴァジャ王国と同盟を結んでおり、テヘズと対立していた。

 そこで、ヤテリの宰相であり、ギロウとも親しいオードムを通じてヤテリの意向とフィルノスロー王国の問題に確信を得た。

 婚姻の仲介次第という条件をつけられたが、テヘズにはドミ諜報機関から得て久しい情報があり、その情報は今のテヘズの方針にも沿っており、ヤテリの求める条件に全て合格し、フィルノスローを味方にする手札にもなり得た。


 477.10.1〜478.12.9

 テヘズは国内を固めつつ、自らは王者の黒鎧を装着し、豪槍テランシャを担いでノスローへ向かった。

 テヘズの護衛にはギロウとドミ、ダラルが付き、留守はレーラムとソルマに任せた。

 10月4日にはドミ諜報機関の地理情報を頼りにテヘズはドアンの旧領を巡察して周り、影武者をバウベの城に返し、テヘズ達はサウゼンス入りした。

 7日には西カキャボ入りし、マチェットとバウロの歓待を受けるが、マチェットは体調が優れず、孫のケルディフがテヘズ達を接待した。バウロはテヘズに今後の事を相談し、テヘズの教唆を受けてラダミーアとの関係を断ち切る方針に切り替えた。

 これにより、カキャボはシュゼーリン家とカリオス家の両家の下で統合の動きを見せる様になり、テヘズの思惑の通りにカキャボは統一されていく事になる。

 20日にはバハカルン西南部入りし、11月14日には南ノスロー入りしてクシャン郡を治めるクシャゼリア家の厄介になる。

 クシャゼリア家の隠居であるヌウロタはテヘズにラガナットとアマリアを紹介し、今後はラガナットがクシャゼリア家の当主として活動する旨を伝えた。

 クシャゼリア家当主のラガナットとテヘズは意気投合し、テヘズにしては珍しく酒が進んでいた。

 25日にはラガナットの取次でノスロー王と面会し、テヘズはノスローと同盟を結ぶ事を提案し、ノスロー王に断る理由もなくすぐに軍事同盟が締結された。

 テヘズは同盟ついでにノスロー王にフィルノスローとの関係を再構築してはどうかと提案し、巧みな弁舌でノスロー王を乗り気にさせたが、テヘズはすぐに決断を迫らなかった。

 27日にはノスロー王が第一王女のリリムを紹介し、テヘズはドミ諜報機関からの情報通りの彼女を見て適任と直感し、リリムは王者の風格を漂わせるテヘズに見惚れてしまった。

 それ以降、リリムは頻繁にテヘズに会いにいき、話をしたという。


 12月2日にはリリムがテヘズとの会見を望み、テヘズはそれに応じた。リリムとテヘズは他愛のない話をしていたが、リリムの表情は恋病のそれであり、テヘズはそれを察しながらもそれを許さない姿勢で話を進めた。

 双方とも話は平行線を辿っていたが、テヘズの意志は異常に固く、結局はリリムが折れる形でテヘズの意向を受け入れた。


 4日にはノスロー王がテヘズに婚姻を勧めようとするも、テヘズの話術がそれを許さず、ノスロー王はフィルノスロー王にリリムを嫁がせる方針を固めざるを得なかった。

 リリムは己の意志に反する婚姻に不快感を示し、テヘズの護衛で親族でもあるギロウに相談したものの、ギロウは板挟みによって難色を示した。

 リリムの懇願に折れざるを得なかったギロウは、譲歩してテヘズとの舌戦に挑むが、長い問答の末にギロウは言いくるめられた。

 リリムは折れたギロウを労り、テヘズの説得によって納得させられてしまい、ノスローとフィルノスローの婚姻成立に協力する確約を交わした。


 12月8日にもリリムはなんとか翻意を促したものの、ノスロー王は頭痛が酷くなった為、ギロウはラガナットに頼んで場を治めた。

 10日にはラガナットがリリムを説得したものの、リリムはラガナットを「ラガナット爺はいつもうるさいから嫌い」と言い、それに少し堪えたラガナットは説得を諦め、代わりに妻のアマリアがリリムを説得した。

 アマリアはリリムを説得する傍らでテヘズとギロウに辛辣な物言いをし、ギロウとドミは背筋が凍える感じがした。

 11日に国老のヌウロタが訪れ、リリムはヌウロタの説得によって漸く折れる決意をした。

 

 12日に一足違いでサウゼンスからルミエの使者が訪れ、リリムとカミルとの婚姻話を切り出されるが、ノスロー王は先約があるのを理由に丁重に断った。

 15日にはノルテニアとカミルがノスローに訪れ、ノスロー王に会見したが、ノスロー王の意志は覆らない事を察して婚姻話をせずに同盟の締結に話を持って行った。

 ノルテニアはテヘズと会って今後の事を話し合う為に場を儲けたが、ノルテニアもテヘズも腹の内は見せず、互いに無言のまま会見を終えた。カミルはテヘズに挨拶だけをして去っていき、ノルテニアはいつもの営業笑顔でテヘズに別れを告げ、テヘズも営業笑顔でノルテニアに別れを告げた。

 両者の作り笑顔に両国の関係維持に強い懸念を示したギロウは両者を呼び止めて言葉をよく交わす事を強調して強制的に話をさせ、腹芸のできないノルテニアはすぐに本心をテヘズにぶつけた。

 ノルテニアの直言にテヘズはいくつかの修正をつけ、テヘズの辛辣さにノルテニアはちょっとした修正をつけて互いの蟠りを解く事には成功したが、ソリの合わない二人の仲は微妙なままだった。

 カミルは父とテヘズの仲を見て複雑な表情をしていたが、ギロウに諭されてすぐに考えを改めた。


 16日にはノルテニアとカミルは颯爽と去っていき、テヘズ達もフィルノスローへ向かう為にノスロー王や重鎮達に別れと再来を告げてノスローを後にした。

 17日にはテヘズ達は迅速にノスローを出てバハカルン入りし、ドミ諜報機関が調べ上げた数多の最短ルートをテヘズが再構築し、電光石火の如き速さで帰路を激走し、21日にはカキャボ入りして一日休息をとったあとに再び帰路を激走。25日にはサウゼンス入りして27日の夕方にはギスヴァジャ入りし、29日の朝にはバウベに帰還を果たし、無事に年を越したという。

 一月の移動距離を僅か半月で移動するという、過酷な強行ではあったが、テヘズ、ギロウ、ドミ、ダラルをはじめ、影達も一人として脱落せずに帰還した。

 テヘズ達の帰還速度が速すぎた為、メテルスやラダミーア、タスダンの妨害は悉く空振りに終わり、ラダミーアの間者は鉢合わせしたバハカルンの巡察部隊と交戦して損害を被り、メテルスは忠実な部下がタスダンの間者達に包囲されて間者と差し違えて失うという誤算が生じて落胆した。


 1月3日にはフィルノスローと外交交渉するべくギロウ、ドミ、ダラルを伴ってバウベを出立し、20日かけてギスヴァジャ地方東南部の丘下からソムトリケとフィルノスローに通じる桟道を通って獣道を通り、25日から翌月の4日にかけて山道を通り、フィルノスロー地方東部に到達した。

 

 2月13日にはフィルノスローの宰相であるオードムと秘密裏に面会し、ノスローのリリム姫との婚姻確約を知らせ、オードムは急いでフィルノスロー王・ヤテリ・デルトーア・フィルシムに取り次いだ。

 ヤテリはオードムの言を聞いて玉石の机を拳一つで木っ端微塵に砕いてオードムにどういうつもりかを問い詰めたが、オードムは「国家の大事に繋がる一大事につき、こうして取り次いだ次第です、ギスヴァジャ王から話を聞いてみてはいかがでしょう」と悪びれもなく言った為、ヤテリは怒りを堪えてテヘズとの会見に応じた。


 2月14日にフィルノスロー王ヤテリと東ギスヴァジャ王テヘズが正式に会見し、互いに忖度なしのやりとりが行われてオードムとギロウが主を補佐して間を取りもつ。

 機を見て巧みにフィルノスローとノスローの婚姻同盟の締結の話題を出したものの、ヤテリの気持ちは揺るがなかった。

 テヘズが前々から計画していた東ギスヴァジャ、サウゼンス、フィルノスロー、カキャボ、バハカルン、ノスローが互いに同盟を結んで大陸間六カ国連衡同盟を成立させるという計画をヤテリに打ち明けたが、それを聞いたヤテリは「軟弱者がホラをふくな」と言ったが、ドミとテヘズの周到な仕込みによる六カ国連衡同盟を成立させるに足る証とメリットとデメリットを段階的にヤテリに示されると、最初は気乗りしなかったヤテリも徐々に乗り気になる。

 頃合いと見たオードムとギロウが揃ってヤテリを説得。

 更にテヘズはヤージカル帝国の帝王スェランから王に発行される特別な証書に書かれた「大陸間六カ国連衡同盟締結の許可証」をヤテリに見せ、鑑定の結果、証書が本物である事が確実との報せがあり、ヤテリもついに折れた。

ヤテリはノスローとの婚姻同盟と六カ国連衡同盟の締結を承諾。

 ほぼ同時期にサウゼンス、カキャボ、バハカルン、ノスローからフィルノスローとの連衡同盟を望む使者が訪れた為、ヤテリはテヘズにしてやられた気分になり、各国の使者を丁重にもてなした上で快諾の返答と物資を持たせて送り返した。

 

 3月2日にはテヘズはフィルノスローを出て4月10日には東ギスヴァジャのバウベに帰還し、4月20日には諸々の決裁を済ませて再びノスローへ向かった。

 5月4日にはサウゼンスのノルテニアとルミエに六カ国連衡同盟の確約を取り付け、18日にはカキャボのマチェットとケルディフとバウロに、6月2日にはバハカルンの王に、6月17日にはノスロー王とラガナットにそれぞれ確約を取り付け、今度はリリムをフィルノスローに送り届ける為にラガナットと共に指揮を取った。

 ドミ諜報機関により、ラダミーアは北方辺境異民族で手一杯、タスダンは王と大臣が病で危篤とあり国内の反乱鎮圧で身動きが取れない状態であり、エティホは家督争いで動けない状態でヴァネグリアはリナキアと対立してノスローは眼中にないとあり、テヘズは次の仕込みを各国の間者に知らせつつ、己はラガナットと共にリリムを護衛してフィルノスローに向かった。


 7月6日にはバハカルンを通過し、23日にはカキャボを通過、8月11にはサウゼンスを通過してギスヴァジャ入りし、9月26日にはヤテリとオードムの許可が降りて開通したフィルノスローのもう一つの街道が通行可能になった為、テヘズ達はリリムを護衛して街道を通過し、10月8日にはフィルノスローの都に到着した。


 10月16日にはヤテリとリリムの婚姻の儀が執り行われ、17日には盛大な宴が行われ、18日にはノルテニア、カミル、ケルディフ、バウロ、バハカルン王スーノ氏、ノスロー王、ヤテリ、テヘズ、ラガナットが一同に会して大陸間六カ国連衡同盟の締結の儀が行われ、互いが互いを助け合い、大いに繁栄するという目的の下で盟約が結ばれた。

 19日から23日にかけて宴が続き、25日から翌月6日までは六カ国連衡同盟の方針について議論をかわし、盟主はノルテニアかヤテリに候補が上がったが、ノルテニアとヤテリは盟主を辞退し、マチェットとケルディフとノスロー王、スーノ氏がテヘズを推薦し、テヘズが連衡同盟の盟主を務める事になり、当面の方針は国内の守りを固めつつ、実力を蓄える方針になった。

 

 この「大陸間六カ国連衡同盟」の成立により、ラダミーア、タスダン、ヴァネグリア、リナキア、西ギスヴァジャ、ケヘテリ、北方辺境異民族は大いに衝撃を受け、これまで威勢を奮ってきたラダミーア、タスダン、ヴァネグリア、リナキア、西ギスヴァジャ、ケヘテリにとって大いに脅威となりうる強力な敵が現れた。


 478.4.22

 西ギスヴァジャの首都ダヤッカスの宮殿にてトマシュとクヒリアの長男が誕生する。その男児はクヒリアによってドルフと名付けられた。

 トマシュとリジイン王太后は大いに喜び、ドルフはトマシュに抱きあげられて祝福されたが、ドルフはトマシュの頭に小便をかけて泣いてしまったが、トマシュは全く意に介さずにドルフを抱いていた。

 クヒリアはトマシュの姿を見て複雑な思いに駆られていたが、ドルフの先行きが不安で仕方なかったという。

 

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