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北蛮中南部群雄諸事

 北蛮大陸中南西部ゾリガン地方


 ダンケヌ地方の西、ジイードス地方の北、トヤドン地方の東、サントラタ地方の南部に位置し、北にケヘテリジブ大岩山を源流とする大河が流れ、ヤージカル商船の上り停泊場にもなっている。

 交易で栄える一方で銭にものを言わせて強権的に振る舞う輩も多く、それに反発して水賊になった者や南部のゾランに移住する者も多い。

 水賊の大親分であるカイン・サクリスの縄張りであり、カイン水賊団が幅を利かせて地方のほぼ全体の治安を守っているが、商家達は迷惑に思い、ゾリガン王家はその存在を目の上のたんこぶの様に疎ましく思っている。

 北部は大河と複数の河川が並び、その先にはヤージカルに通じる大河と大陸南部に通じる河川が交差しており、雨季は洪水が起きやすい。中部は河川沿いに広大な沼と湿地帯が存在し、雨季は水位が上がって中部そのものが湖(ゾリガン湖)になる。中部は冬〜春にかけて水位が下がり、雨季〜夏にかけて水位が上がり、湖になるので船そのものでできた集落が形成される。

 稀に水位が上がらない時もあり、その年の冬は陸地が明確になる。南部は肥沃な大地が広がり、そこに農耕都市ゾランが存在する。

 ゾランは雨季〜晩秋にかけて南部で稲作が進められ、冬〜春にかけて北部で畑作が進められるので、ほぼ一年中農作物が収穫される。ただし、ゾランは季節によって居住区が変動する為、意外と人口は少なく、ケェヌジラやソムトリケほど収穫高は高くない。

 それでも、大陸南部で見れば抜群の収穫高がある為、ここを押さえれば南部の平定に有利であるとされる要衝である。

 その為、ゾリガンとジイードスは古代からゾランを巡って争いが絶えない間柄である。

 因みにゾランに攻め込むには船が必要不可欠である為、大陸北部の生まれの者達には容易に攻め込めない地勢になっており、大陸南部の生まれの者達にとっても季節によってはゾランの価値を損なわない程度に攻め込む必要がある為、季節と天気を十分に考慮する必要がある。

 

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 北蛮大陸中南遥西部トヤドン地方


 ゾリガン地方の西、遥西大陸の東に位置する地方。

北蛮大陸でも西の最果てと呼ばれ、遥西大陸でも東の最果てとも呼ばれる辺境である。大河沿いにある港町兼地方都のトヤドン以外は不毛の大地が広がり、人口も非常に少なく、集落もほぼ存在しない。

 地方全体の人口も50万人に届かず、労力不足が深刻である。

 各集落は帝国の善政によってトヤドンの役人に協力的であるが、トヤドン各郡を治める領主達は帝国に左遷された恨みが今もあり、役人に協力的ではない。

 遥西大陸と魔境の人種が殆どを占めており、言語も若干違うが、メンゴルーダ大王国法、ヤージカル帝国法共にトヤドンも北蛮大陸と記されている。デュノクスを治めていた旧メンゴルーダ王族はトヤドンを遥西の新大陸側と法に定めてはいるが、領主を派遣した事実も記録もなく、徴税官を騙るごろつきが領民の有力者を脅してタカリに来ている。

 大陸境界線は曖昧ながらも一応は北蛮大陸であり、ヤージカル帝国の代々の帝王と臣下達の努力により、現地の民もその認識を持つに至っている。

 亀の様な姿の巨大な地龍が闊歩する地域があり、その地域では山脈そのものが動き、地形が変わる所もある。

 大河添いには黒い魚が群れをなして泳ぎ、虎視眈々と餌を狙っている。人や馬を丸呑みにしてしまう程の巨大な魚であるが、知能は高くなく、原住民達は己を囮にして黒魚を大河から引き離し、陸に上がった黒魚を楽々〆てご馳走にしている。黒魚は一匹で大体百人分の焼き魚ができる。蜜の様な食感がする生食可能な肉厚葉の樹木や洞穴で育つ旨みの凝縮されたシメジの様なキノコも特産であり、それを餌とする大型の昆虫の繭から採取した生糸やそれを用いた質の良い衣服の生産地であり、ヤージカルやモタラの貴族からの注文があったりする。

 交易品は焼き黒魚や衣服や生糸、樹液蜜や乾燥キノコの詰め合わせなど。

 

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 北蛮大陸中南部ダンケヌ地方


 ゾリガン地方の東、グルタリケ地方の西、ヤージカルの南、モタラ地方の北に位置する地方。

 ヤージカルの南を守る地勢にあり、ヤージカル帝国の大陸統一後は功績のある帝族であるキュリウゴ・アズルダ・ヤージカルがダンケヌ地方を賜り、キュリウゴ・アズルダ・ダンケヌと改名してダンケヌ王家を興したとされる。

 ヤージカルの対岸にあり、ヤージカル商船の停泊場もある。気候は温暖に近い寒冷。北部は平地だが、中南部は沼地や森林が広がり、良質の木材や繊維が採れる。南部は山岳と森林があり、モタラとの国境紛争が度々行われる。

 ゾリガン、グルタリケ、ナイルハン、モタラに街道が通じており、互いに交流はあるが、ヤージカルやモタラとの関係次第で近隣外交関係が目まぐるしく変わっている。

 北蛮大陸の首都であるヤージカルと北蛮大陸南部の大都市であるモタラに近く、ヤージカルやモタラからの商隊や人の往来が多い反面、それを狙う水賊や盗賊も多く、武装護衛集団が定期的に巡回している。

 軍事力もそこそこあり、大陸中南部において動員兵力は40万人以上とされ、ダンケヌ兵は精強にして沼地や湿地帯、森林での戦いに長けている。

 

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 北蛮大陸中南東部グルタリケ地方


 ダンケヌ地方の東、ナイルハン地方の西、ケェヌジラの南に位置する地方。

 西は密林、南は丘陵地帯、北と東は平地が多い。大河沿いにある地方で、ケェヌジラの対岸に位置している。

 ヤージカル商船はグルタリケには停泊しないが、ケェヌジラ商船はここに停泊し、商隊はここを経由して南部の都であるモタラや港のあるナイルハンに向かう。

 モタラの商隊もケェヌジラやソムトリケに向かう際はグルタリケを経由する。

 泥採取場が東にあり、焼成煉瓦の技術はナイルハンと同等に発達し、石炭・鉄鉱山が南にあり、鍛治技術もそこそこ発達している。

 特産品はグルタリケ煉瓦、グルタリケ鉄荷車など。

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 北蛮大陸東部ナイルハン地方


 ソムトリケ地方の南、グルタリケ地方の東、ルドソンフ地方の北に位置し、北蛮大陸第三の東の玄関口に位置する半島型の地方である。

 東部には大きな湾があり、ソムトリケと同じく中央大陸や南夷大陸、極東諸島などと貿易をしている。

 良質の泥採取場が多数あり、それを用いた煉瓦造りが盛んでありナイルハン煉瓦は特産品になっている。

 グルタリケ方面以外は狭い山道しかないので、ルドソンフ方面の人の往来は少なく、流通はグルタリケに集中してしまっている。

 北部以外は平地が少なく、丘陵地が多い為か集落にも偏りがあり、首都直通の街道があるソムトリケと比べると繁栄面では見劣りする。

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 北蛮大陸南部モタラ地方


 ダンケヌ地方の南、ジイードス地方の東に位置する広大な平野が広がる地方。

メンゴルーダ大王国時代からヤージカルと並んでモタラも都として栄えていた場所であり、メンゴルーダが追われてヤージカル帝国が支配した時代でも大陸南部の都として栄えた。

 モタラはヤージカル帝国の功臣が挙って所望したが、帝王は宰相の次子で秀才と名高く治績も多大なテテロン・リマナにモタラ地方を与えて王家を興す事を許し、テテロンはリマナ姓を捨ててモタラ姓を名乗り、新たな王家を興したのがモタラ王家の始まりとされる。

 気候は温暖で過ごしやすく、南部に広大な農耕地を持ちゾランほどではないが農業も発展し、交通路も整備されて往来が盛んで、商業も発展している。平和が続いている為か大陸南部では抜群の人口を誇るが、兵の質はソムトリケと並んで大陸でも最弱に位置しており、基本的に質より量で勝負する傾向にある。

 モタラは南夷大陸のメンゴルーダ後都、中央大陸のヴェルノ大央都や北蛮大陸の首都ヤージカル以外の地方は取るに足らないと見ている節があり、周辺地方を見下したかの様な態度を取っているので顰蹙を買っているが、その経済力と圧倒的な動員兵力を前に表立って逆らおうとする者は少ない。

 モタラ王家の動員兵力は約120万人で武装も立派であり、ヤージカルにも引けを取らないが、将は素人、兵の練度と士気は低く、将兵ともに給金・休暇・待遇に煩いので、実際に運用すると何かと問題が多い。他の地方の領主達はモタラやソムトリケを避けて兵を雇う傾向にある。


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 465.11.9

ヤージカル帝王崩御の影響でサントラタとゾリガンの両王家が帝国から独立する動きを活発化させる。

 新たに帝王となったスェランが法外な課税を要求してきた両王家に対して貿易規制を設ける。


 466.1.5〜1.21

ゾリガン王が農耕都市ゾランを買収しようとするも、ヤージカル帝国の小宰相キトム氏が多額の投資を行ったので、ゾランは買収話を拒否。ゾリガン王は激怒して兵500と小軍船10艘を差し向けてゾランに攻め込むが、水賊の大親分のカインがゾランに味方し、ゾリガン勢の軍船を丸ごと乗っ取り、船を失ったゾリガン勢はカイン水賊団に痛めつけられて退却した。


 466.1.8〜1.23

ゾランを巡りジイードス地方の公爵家が率いる軍勢2,000、軍船6艘、小軍船20艘とゾリガンの領主連合1,800、小軍船30艘とが小競り合いを起こし、両軍とも水練に長けた猛者達であったので一勝一敗で拮抗。ゾリガン王は積極的に介入してゾランを我が物にしようとしたが、ヤージカル帝王が先に仲介の使者を遣わせており、ジイードス公爵家とゾリガン領主連合の盟主は停戦に同意した。

 ゾリガン王はジイードス公爵家を激しく非難したが、ジイードス公爵家は聞く耳を持たず兵糧が尽きる前に撤退し、ゾリガン勢も補填された資金が残っている内に撤退した。

 ゾリガン王はヤージカル帝国を誹謗中傷したが、スェランの使者が反論してゾリガン王を論破した。

 ゾリガン王はこの仕打ちを根に持ち、水賊達に賄賂を渡してヤージカル商船を襲撃させ、一隻も残らずに焼き払わせた。

 水賊達は世話になっているヤージカル商船の商人達と物資を残らず避難させた上で依頼を達成していたので、ヤージカル商隊の被害は抑えられた。


 466.2.7〜2.15

スェランの使者がゾリガン王に謁見を申し込むが、ゾリガン王は仮病を理由に会わず、使者を延々と抑留し続け、隙を見て殺害を図ったが、スェランの影が刺客を始末して使者を守った。

 使者の始末に失敗したゾリガン王は結局スェランの使者に会わず、下郎を遣わし簡素な手紙一枚だけを使者に渡して送り返した。

 一方で水賊達に依頼して使者の乗る船を沈める様に仕向けたが、水賊達はヤージカル帝国を挑発するゾリガン王を見限り、逆に使者を護衛して無事にヤージカル帝国へと送り届けた。

 使者はスェランに「ゾリガン王に強い反抗の意思あり、されど反逆のつもり無し」と伝え、影から暗殺の報告を受けていたスェランは使者の眼光の鋭さを見てやむを得ずに抗議だけにとどめておいた。


 466.2.18〜2.28

ケヘテリの次期国王であるゼルギジェの使者がゾリガンを訪れたが、ケヘテリを辺境の弱小王国と侮っているゾリガン王は会おうともせず、適当な小役人に使者の対応をさせ、刺客達に処理を命じた。

 使者は直感でゾリガン王の刺客が追ってくる事を察知し、急いでゾリガンから離れた。

 使者から伝え聞いたゼルギジェはゾリガン王の器の小ささを嘲笑し、トラシェに報告したが、トラシェはゼルギジェを嗜めて外交関係の悪化を良しとしなかった。


 ゾリガン王はゼルギジェに「愚かな王太子殿下は悔しさの余り父王に侵略をおねだりしたのかね?」といった手紙を送ったが、ゼルギジェは鼻で笑い「一王国の挨拶の遣いの者を三下を扱うかの如く粗略に扱う無教養の国王陛下は一から学び直す事を強くお勧めする」といった手紙を送って応酬したが、ゾリガン王は手紙を見た上で鼻水を拭う紙に使い、再び手紙を送り返した。

 ゼルギジェとゾリガン王は性格的に似ていたのか、数年間は積極的に悪口を書き綴った手紙のやりとりをしていたが、いつしか普通に文通する様になったという。

 結果的にケヘテリとゾリガンは友好関係を結ぶ事には成功していたので、デルトムに睨まれた上に南北から外交的に圧迫を受ける事になったサントラタは迂闊に動けなくなった。


 466.3.2〜3.11

ナイルハン地方の領主とルドソンフ地方の領主間で貿易摩擦が生じ、グルタリケ地方の公爵が仲裁にはいる。


 ダンケヌ地方の領主がモタラに対して不当な商売をやめる様に通告したが、モタラ側は正当な商売である事の証明があり、ヤージカル帝王のスェランも宰相達と影による厳正な調査を行なった上で承認していたのでダンケヌの領主の言い分は通らなかった。

 ダンケヌ地方の領主達は既得権益の損害を恐れてモタラにフィルノスローから雇った荒くれ達をけしかけて脅し、モタラの商店街の一部が破壊される騒ぎになる。モタラの大富豪であるランクール家が報復の為にダンケヌ地方南部に経済制裁を加えた。

 ダンケヌ地方南部は流通が混乱し、ダンケヌ地方の領主達は必需品の確保が間に合わずに物資欠乏を招き、領民達の反感を買う。


 466.3.22〜4.29

ダンケヌ地方南部で散発的な住民反乱が起き、領主達が鎮圧または説得に手間取り、ランクール家はダンケヌ地方南部の領主達からの謝罪と領土の一部買収を条件に経済制裁を取り消す案を提示したが、領主達は激怒してランクール家の提案を一蹴し、強引に反乱を鎮圧した。

 ランクール家は領主達を封じる為に食料が出回らない様に流通を制御して締め上げたが、領主達はますます態度を硬化させ、ダンケヌ国王に泣きついてランクール家を讒訴した。

 ダンケヌ国王は領主達の言い分を聞いてヤージカル帝王のスェランと交渉して必需品を融通してもらい、ランクール家に経済制裁を止める様に根回ししたが、ランクール家はこれを拒否した。

 ダンケヌ王は以前にモタラ王に巨額の「迷惑料」が詰め込まれた銭袋だけを渡され、小吏によって粗略に扱われた事があったので、ランクール家をダシにモタラに圧迫をかけた。

 

 ダンケヌ地方の流通混乱の影響でナイルハン地方の領主とルドソンフ地方の領主がまたもや貿易摩擦を起こし、ダンケヌ国王の手の者は「元凶はモタラのランクール家の傲慢にあり」と噂を流し、ランクール家はナイルハンとルドソンフの中小領主達から恨みを買った。

 

 466.5.6〜7.8

ランクール家の一族が暴漢に因縁をつけられて殴り殺される事件が起こる。暴漢はダンケヌ国王の印が押された木札をばら撒いてから雲隠れし、捜査団の目はダンケヌ地方に向けられた。

 モタラの商家連合はダンケヌ国王が背後にいる事を理由にランクール家には味方せず、ナイルハンとルドソンフが揃ってモタラと対立する姿勢を見せた為、モタラの王は看過できないと判断して事態の収拾の為に臣下達を動かした。

 

 466.7.9〜7.28

モタラ王はダンケヌ王に使者を送り、騒ぎ立てる領主達への処罰とランクール家への謝罪を要求し、断った場合は苛烈な経済制裁の嵐がダンケヌ地方全体を襲う旨を伝えた。

 しかし、ダンケヌ王は礼を示さないモタラの使者に強い不快感を覚え、気が変わって返答を保留し使者を抑留した。

 使者はダンケヌ王を鼻で笑い「大国の王の使者をこうも蔑ろに扱うとは、小国の王は心も貧しいと見えますな」と言った後に賄賂を渡して懐柔しておいた官僚や兵士たちに導かれて帰国していった。

 ダンケヌ王は同格の王家である筈のモタラの外交姿勢に激怒したが、交易路をナイルハン〜モタラから思い切ってケェヌジラ〜ゾランとヤージカル〜タルパヤンに切り替え、これまで仲が微妙だったグルタリケやゾリガンとの外交関係に修好の動きが出てきた。

 ゾリガンとしても強力な軍事力を持つダンケヌはゾランの挟撃を担う相方として魅力的であり、グルタリケとしてもダンケヌを避けずに南北交易できる事や貿易規制の撤廃が期待できたことから友好関係の締結には前向きだった。

 反面、ジイードスはダンケヌのモタラとの敵対を強く警戒しており、モタラとの同盟を延長してダンケヌと敵対する動きを見せた。

 モタラの使者はありのままをモタラ王に伝え、モタラ王は使者に褒美をとらせた。モタラ王は予め準備しておいた軍勢を動かし、ダンケヌに軍事的圧迫をかけつつ、ダンケヌ南部の領主達に死か屈服かの二択を迫り、同時に領主達の家族や縁者にも誘降工作を仕掛けた。


 466.8.4〜8.28

モタラ軍約5万がダンケヌ地方南部の国境線にて布陣したが、ダンケヌ軍は約6,000の兵で国境線の防衛のみに留めて一向に打って出なかった。

 5日にはモタラ軍は使者を遣わして一方的な降伏勧告を突きつけたが、ダンケヌ軍は余裕たっぷりに対応したのでモタラの使者は赤面して帰って行った。

 6日には勝ったつもりでいるモタラ王が総攻撃を号令し、モタラ軍は総攻撃を仕掛けるが、平地での訓練しか経験の無いモタラ兵に森林・山岳戦は過酷であり、足場の悪い登り坂が続く地で満足に戦う事など出来ず、疲弊したり足を挫いて動けなくなったところを百戦錬磨のダンケヌ兵によって簡単に蹴散らされた。

 この一戦でダンケヌ軍は3人が軽傷を負い、モタラ軍は3400人余りが負傷したという。

 モタラ軍は戦を知らない血気盛んな若い将軍の無茶な指揮が兵の不満を刺激して戦意を低迷させ、卓上の遊戯気分で作戦を立てる側近の献策が王の判断を惑わせ、幕僚達は内部の権力争いを持ち込み、味方同士で足の引っ張り合いをし、未熟な伝令があちこちに飛び回って誤報や曖昧な情報を伝えるなど、モタラ軍は戦う以前の問題が多く、更に大軍である事が災いして勝手に混乱し、ほとんど自滅に近い形で敗退したという。

 モタラ王は味方の損害を気にもせずに戦を継続したが、ダンケヌ軍の戦意は旺盛で地の利があるのにもかかわらず、モタラの将軍達は無策で攻撃を繰り返すだけだったので、ただいたずらに損害を増やすだけであった。

 12日にグルタリケ軍のザンヴィス・ノクラティ将軍が2,500の兵を率いてダンケヌ軍と合流し、二十万石相当の兵糧を提供し、更に巧妙な持久戦の策を提案した。

 ダンケヌ王はノクラティ将軍の策を取り入れ、モタラ軍に対して大量の丸太と旗を用いて擬兵計を展開した。

 15日にはモタラ軍先鋒が血気に逸って抜け駆け攻撃を仕掛けたが、予想をはるかに超えた敵勢を見て驚き、慌てて後退した。その隙にダンケヌ軍は砦を補修し、グルタリケ勢は簡易的な半円形の堅陣を築いて守備を固める事に成功した。

 モタラ軍の参謀は王に「ダンケヌ軍の守備の固さを侮ってはならない、敵の戦意が高い今は挑発して誘い出し、包囲して袋叩きにするべし」と助言し、散々挑発して釣り出そうとしたが、ダンケヌ軍は挑発の応酬を行い、モタラの将軍は激怒して単独での力攻めをはじめ、血気盛んな将軍達は作戦を無視して次々と力攻めをはじめたが、地の利があるダンケヌ軍の守りは固く、モタラ軍は多大な損害をだしただけに終わった。

 誘い出すつもりが逆に誘い出されて叩かれたため、モタラ軍の参謀は対立派閥の讒言により、激怒した王によって身分を剥奪されて投獄された。

 16日にはジイードス軍が3000の精兵を率いてモタラ軍と合流し、17日にはゾリガン軍が2000の兵を率いてダンケヌ軍と合流、19日には複数の小競り合いが起きたが両軍共に一勝一敗で痛み分けだった。強兵揃いのジイードス軍は寡勢なれど非常に手強く、遭遇戦かつ半数以下のジイードス勢にゾリガン勢は散々に押され、後半はダンケヌ・グルタリケ勢の援護で漸くジイードス・モタラ勢を押し返した。

 モタラ軍は20日に数にモノを合わせて面攻勢を仕掛けたが、軍の連携が全く取れなかったために各個撃破された。

 21日にダンケヌ軍は積極的に行動してモタラ軍を撹乱し、モタラ軍は散々に引っ掻き回された。更にその夜には雪辱に燃えるゾリガン勢が夜襲を敢行してモタラ軍の軍需物資を強奪し、22日の早朝にはダンケヌ勢が中軍を急襲し、グルタリケ勢が手薄になったモタラ本陣近くを奇襲してモタラ王を慌てふためかせた。

 モタラ王は相次ぐ作戦失敗と敗退の報告にイライラしながらも一応は工作の出来を待ったが、25日には全ての工作が失敗に終わったと聞いて怒号を放つが、側近たちが宥めてなんとか正気を保った。

 28日にはダンケヌ軍にヤージカルが後方支援を行っているとの報が入り、さらにジイードス地方で中規模反乱が起きた事からジイードス軍はモタラ王に謝してから慌てて撤退し、モタラ軍はヤージカルからの仲介の使者と対面した後にダンケヌと講和を結んでから引き上げた。

 モタラ王は屈辱に感じたが、ヤージカル帝王に逆らうわけにはいかず、すぐにダンケヌ地方への経済制裁を解いた。

 この出来事は「第一次北蛮中南抗争」と呼ばれ、中南部勢力間の長年の関係が招いた破滅の抗争として記された。




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