EP0-1『枕営業』って言わないでください!
「あのぅ……、枕営業されてるんですか?」
森でできている小さな道の真ん中で大量の枕に囲まれた俺に発せられたその声に振り向いた。
そこには結ったブロンドヘアーの華奢な少女が不思議そうにこちらを見ている。
その瞳は一切曇りのない水晶玉のようで、彼女の心情さえも読み取ってしまいそうなくらい透き通っていた。
「いや、そんな事はしてないよ。先ほどひょんなことから沢山の枕をもらってね……。ところで君は誰だい?」
「あたしはセラン=アールグレード! 実家が貧乏でお父さんとお母さんも病気で働けないから、お金がいっぱい稼げる方法があるって顔のいかついお兄さんに招待されて来たんだけど迷っちゃって。聞くと仕事は枕営業っていうからちょうど枕に囲まれてるあなたを見かけたから聞いてみたの!」
心情を読み取るどころか向こうからすべて情報が駄々洩れだった。
「あの……まず君はその枕営業って言葉の意味は……」
「枕をいっぱい売るお仕事かなと思ったけど!」
「…………」
これは非常に危ない。
ここまで純粋に生きてきて風体を見る限りではあるがよく犯罪に巻き込まれてこなかったなと思う。とりあえず直接的にその意味を教えるのは少しばかり気が引けるので遠回しに言うことにした。
「おそらくなんだけど、そのいかつい顔をしたお兄さんは君に悪いことをしようと企んでいるんだと思うんだよ。だから周りの衛兵さんとかにちゃんと相談して……」
「え!? 枕に栗のイガイガをいっぱい入れてお客さんに売っちゃうとか!?」
悪いことの基準が枕を売ることを前提としてる!?
イガイガというのは栗の殻斗の部分のことなのだろうけどこの世界でも栗は存在しているのか? いやまぁそれはいいとして彼女の言うこともなかなかの悪いことではある……。
君の貞操の危機なんだよ? とは言えないし話す限りなかなか理解してもらうのも難しそうだ。いったいどうすれば……。
「とりあえずあなたの言う通りならあたしが行くべきだったところは悪いことしようとする悪いひとたちが集まる悪いところなのね!」
「う、うん……」
何か単純ではあるが理解してくれたようでよかった。さて、これでこの子を近くにいる衛兵さんに預けて早速店構えを……。
「じゃあ! あたし、あなたのところで働くッ!」
「……はい?」
「あなたも枕売る仕事じゃないんだけどお仕事始めようとしているんでしょ? 他に働く人はいるの?」
「いや、僕しかいないけど」
「なら大変になるのは目に見えているわね! じゃああたしをあなたのお店で働かせて!」
なんだって! 俺だってこの世界に来て何もまだ分からない状態でなんとかやっていこうと計画を立ててやっているなかでそんな急にひとり割り込んできたらその導線が破綻してしまうじゃないか! ましてや売り上げの一部を持っていかれるとなったら猶更そんなのごめんだ!
「いや、ごめん。僕は別に働ける人を募集していないし」
「うぅ~~。お父さんとお母さんにあげるお薬を買うお金がないから何とかして働いて雀の涙程度であろうと稼ごうって街までやってきたのにそれが悪いことかもしれないって『あ・な・た』に言われて……。働き口なくなったあたしはもうどうすればいいの……うわ~~~~ん」
ひえ~~~! 完全に俺に責任を感じさせる言い回しをものの数秒でぶつけてきやがった! 何も知らない雰囲気出しているくせに意外と世知にたけてやがるぞ! そんな嫌なあ・な・たなんか聞いたことがない!
そう言われるとセラン? って名前だったっけ。彼女をここで突き放してしまうと被害妄想かもしれないが近くの街へいって俺に対してよからぬ評判を吹聴してまわるかもしれない。そうとなると店構えとか以前に身の危険を案じなければいけなくなる! それはどうしても避けたい。
「わかった! ……実は僕もこれから初めての営業なんだ。かなり不慣れな状態からのスタートになる。君を一時的に雇うけど賃金を払えなくなっても文句は言わないでくれよ!」
「ほんと!? やったー! もちろん文句なんて言わないよ!」
「変な噂も流さないでくれよ! 枕営業とか!」
「違うの?」
「違う!」
「じゃあ、あなたのお仕事って何?」
「ええっと……」
どう説明しようか迷ったが、口で伝えるより見せた方が早いと思って俺は右手を近くの森の中へかざした。
「これだよ」
そこで軽くある言葉を唱えて、念じた。
すると右手の手のひらから青い光がぽっと浮かんで、手の向けた方へと飛ばすと光は暫く滞空し、強い光を放ちながら螺旋の帯のように形を変えてその光はゆっくりと実像をこの世界に残していった。
「……え? あれは馬車?……じゃなくて」
そこには彼女の言う通り馬車のようなでも小さな建物でもあるような奇妙なものがそこに現れた。
「いちおう、移動式の宿屋だよ」
僕がそういうとセランは目を輝かせて僕の方へと顔を向ける。
「すっごい! 今の魔法でしょ? こんな大きな宿の馬車っぽいなにかなんて出せるなんてちっとも聞いたことないわ! なんか良くわからない変わったなにかの魔力を持っているのね!」
微妙にちくちくする言葉のような気がするが褒められていると思っておこう。
「でも普通に街とか村とかで宿屋をやろうとはしなかったの? そっちの方がお客さんいっぱい来そうだけど」
確かにそうだ。もともと様々な人が行き来するところで商いをする方が儲かるに決まっている。前の世界でプレイしていたRPGゲームでもそうだったしな。それなのに今俺は人の気配もしないこんな森の中で宿屋を経営しようとしている。でもちゃんとそれには理由があった。
「何か目的がありそうね。……うん、それでもいいわ! あたしあなたのところで働く!」
ふんっ! と仁王立ちで息を荒げて、すっかりやる気に満ちている。
もう俺はそれを邪魔する気さえも起きなかった。
「じゃあ、いつまでこの経営が出来るか分からないけどよろしく」
「よろしく! あ、そういえばあなたの名前を聞いていないわ! あたしも言ったのにこのままじゃ不平等よ!」
「あ、そうか。俺、いや僕の名前は……」
一瞬前の世界での、本来の名前で答えようとしてそれを飲み込んだ。
改めて近くにいるセランへの目を合わせて少し笑ってみせた。
「カイトだ。カイト=ハーゼンクレーヴァー」
俺は、必ず。元いた世界に帰ってみせる。