指輪と老人と堤防 題:宝釣り堤防
あ、しまった。
僕は人生最大の山場でそう思った。
月と高速道路のハイライトが水面に映る堤防でそう思った。
跪いて、僕から指輪を嵌められるのを待っていた彼女にとってもこんなことが起こるとは思いもしなかったろう。
それを裏付けるように闇夜に沈んだ堤防には崩れる波の音しか聞こえなかった。夜釣りに来ていた初老も空気を読んだようにため息の出そうな背中を微動だにもしなかった。
僕は一年を共にした彼女に、その1周年の日を狙って、デートに誘い、完璧なプロポーズをするつもりだった。
ディナーを終えて、ネットの記事にあったデートスポットにオススメだというこの堤防に来て告白し、彼女から少し照れくさそうにOKの返事をもらった。
用意していた給料3ヶ月分、いや6ヶ月分のダイヤモンド付きの指輪を憧れたドラマのワンシーンのように取り出してキラキラと輝く海を背に必ず彼女を幸せにすると決心した、はずだったのに……!
あぁ、あの記事め、あんなのは嘘だ。
こんな暗がりで、こんな寒さで、こんな舞い上がる気持ちで、指輪を彼女の細い薬指に嵌めるという行為がどんなに繊細かを注意書きで書いておくべきじゃないかッ!
まさか、指輪を海に落とすだなんて!
やらかした。
人生この前もこの先も2度とないようなやらかしだ。
死ぬ前かのように、僕の頭の中には一瞬にしてさまざまな彼女との走馬灯が流れていった。
終わった……
「あーあぁ……海に落としちゃった」
彼女が呆れながら半笑いでそう言った。
「い、今すぐ海に飛び込んででも探してくる……!」
上着を脱いで、海に飛び込もうとする僕を彼女は後ろから抱きしめた。
「バカバカ。そんなことしたって見つからないし、ただの入水自殺になるだけよ! 私と結婚するんでしょ?」
「ユリカ……」
俺は胸がじわじわと熱くなってきた。
夜海に反射するあの煌めきの誰か一つでも彼女に渡すことができたなら……
俺は向き直り、ユリカを強く抱きしめた。
「っと……あんさんら、お熱いのを邪魔して悪いんじゃが」
俺たちが熱烈に抱きしめあっているのを横から釣り人の老人が竿を携えながら、話しかけてきた。
「これ、釣れたからやるよ」
「えっ……?」
老人に言われてその釣り針に引っかかているものを見た。
そんな奇跡があり得てしまうのか!?
それはなんということか! 指輪だったのだ!
「こ、これって! マサキが落とした指輪じゃないの!? おじいちゃんありがとう!!」
ユリカは老人から指輪を受け取ると、そのまま僕に渡してきた。
「これは……」
「ほーらぁ、今度は落とさないでよ? 嵌めてよ、指輪。私の薬指に」
僕は受け取った指輪をユリカの薬指にはめた。
でも、実はその指輪は僕が買ってきたものとは別の指輪だ。それでも、こんな奇跡は二度とないだろう。僕らの縁をもう一度結んでくれたこの指輪以上に彼女の指に似合うものはきっとないのかもしれない。
カップルが無事去った後の堤防、釣り人の老人はあいも変わらず、釣り糸を垂らしていた。
「ふは、儲けもんじゃ。この堤防にカップルがたくさんくるように仕向けてからは良いもんばかり釣れるのぉ」
老人の横に置いてあるバケツの中には数十数百の指輪が入っていた。
「この堤防は宝釣りの堤防。来たものから高価なものを落とさせ、釣るものには高価なものを釣らせる。ワシは指輪が釣れてラッキー、カップルはドラマチックな告白ができてラッキー。誰も損しないよのぉ」
高良釣堤防。
デートスポットとなる前はパワースポットととして崇められていたこの場所。金銀財宝を飲み干す怪異な場所で、明日もまたカップルの大舞台が演出される。