朝日さして雪解ける
私は迷っていた。正直になるか、押し殺すか。今日も私は押し殺した。「おはよう」と言って送り出さなかった時に見せた彼の顔が頭から離れない。寂しそうで、満たされていないあの顔。私の勝手な気持ちで彼の心を曇らせてしまった。だけど、正直になってしまったら、彼は迷ってしまう。どの道、彼の夢の邪魔をしてしまう。そんな思考の袋小路の中で、私はあてもなく希望を探していた。
私は自室のベッドの上で、何をするでもなく、ただひたすら天井を見つめていた。静寂に包まれた部屋の中で、時間は無常にも過ぎていく。いくら考えても答えは出ない。いっそ目を背けてしまおうとも考えた。しかし、それだけはできなかった。その選択は絶対に後悔する。もう二度と、後悔はしたくなかった。
「雪、ご飯できたわよ」
母の声が扉の向こうから聞こえた。私はため息をついて、枕をグッと握りしめる。
「いらない」
最近、食欲が湧かない。私の体は食事よりも、この問いの答えを求めていた。答えを探す道。膝まで積もった雪を踏みしめて、体を芯まで冷やす風の吹く雪原で、その先に答えがあると信じてただひたすらに歩き続ける。踏みしめる足の気だるさも、体の訴える空腹も、何も感じなくなった。そこまで手を尽くしても、私は答えに辿り着けないでいた。
「雪。一体どうしちゃったのよ。先月まであんなに元気そうだったじゃない」
母の心配そうな声が聞こえた。いつしか聞いたあの声が。母はきっと気が付いている。だけど、私を気遣って知らないふりをしている。私が話したいタイミングで言い出せるように、私が耐えられなくなったらすぐに寄り添えるように。
「ねぇ、母さん。私、どうしたらいいかわからないの」
絞り出すように、ゆっくりと呟いた。母の姿は見えなかったが、真剣に耳を傾けてくれていることは、何故か感じとれた。
「私の願い、陽陰さんの夢。叶えられるのはどちらか片方だけ。でも、私にとってはどっちも大切で、だから、私はどっちを選べばいいのかわからないの」
悩みを打ち明けると、扉の向こうにいる母は優しい声でこう聞き返した。
「今の雪は、どっちを選んでるの」
「今は……押し殺してる」
彼がここから出ていく時、もし彼に「いってらっしゃい」と言ってしまったら、もう彼が帰ってこないような予感がするのだ。「おはよう」の言葉も、彼と最初に交わす言葉だからこそ、終わりを意識してしまう。あと何回、彼におはようと言えるか考えると、終わりが近づいてくるような気がしてしまう。目を背けてもどうにもならないのはわかっている。それでも、気休めにはなった。だからこそ、彼が帰ってくる時はたまらなく嬉しくなってしまう。なんの解決にもなっていないのに。
「また、雪の悪い癖が出ちゃったのね」
母の声は、弱々しく儚げだった。そして、後悔しているようにも聞こえた。
「雪は子供の頃からずっと、誰かのために我慢しちゃう子だったの。友達のため、地域の人たちのため、見知らぬ誰かのため、雪は数えられないくらい我慢したの。雪が歌手になる夢を諦めたのも、私たち家族に迷惑をかけないためだったよね」
母の言葉を聞いて、私はハッとした。母はずっと後悔していたのだ。自分の不甲斐なさ故に娘が夢を諦めてしまったことを。私はずっとろくな稼ぎもないまま夢を目指すより、家族を支えるために働くことの方が良いと思っていた。それが一番良いと自分に言い聞かせていた。しかし、それは逆に母を苦しめてしまっていた。
「だから、今も我慢しちゃってる。でもね、母親として、もうこれ以上雪には苦しんでほしくないの。我慢して、苦しんで、夢まで諦めて、今度は大切な人も諦めるなんてそんな酷い話があっていい筈がないわ」
母の声はだんだんと泣き声が混ざるようになっていった。母は昔から私の自由にさせてくれた。私がこうなってしまったのは、自分のせいだ。それなのに、母は悲しんでくれている。自分を責め立てる母を見て、親子だなと思った。でも、母と私とで一つだけ違うところがある。
「だから、雪の好きなようにしなさい。雪にはその資格があるんだから」
母は、誰かの背中を押せる人だ。目を背けて逃げ続ける私とは違う。
「ありがと、母さん」
雪原に朝日がさす。見つからなかった答えはすぐそばにあった。風は止み、頰を伝う雪解け水はとても温かかった。光を反射して輝く道の上を、私は歩き出した。