第78話:戻った先で
裏世界の住人が表世界に溢れれば、それは表世界の崩壊さえも起こせてしまう。
表世界は裏世界と違って、法という名の下、秩序のある世界だ。
悪しき心を持った裏世界の住人が表世界に行けば、その法で裁くことも可能ではあるが、その法に裁く前に甚大な被害が出てしまうだろう。
冬の後輩である、暁美保がいい例であり、逆に表世界から裏世界へと『運び屋』によって売られていった冬の姉の雪のような被害者も多々現れてしまうのは容易に想像ができる。
だからこそ、表世界を守るために、裏世界最高機密組織『高天原』が創設した、許可証協会がある。
その許可証協会が囲う、裏世界の秩序を守るための、人を殺しても咎められない殺人許可証。そしてその所持者達が、昨今の平和な表世界を作り出しているといっても過言ではない。
冬は、その一員として、
「大変かもしれませんが、弓さんから教わった型式で、これから頑張っていきます」
弓から任された、裏世界の秩序を守るというその意識とともに。
弓から教えられた型式で、表世界の人々を守るために、冬はこれからも戦い続けることを誓う。
なんて。
エレベータで考えていた冬だが。
いざ、表世界へと戻り我にかえってみると、自分には自身の問題が山積みだと思った。
いまだ姉の行方も分からなければ、報復対象の親さえ見つけられず。
裏世界にどっぷりと浸かり始めたことといい、瑠璃や松と向かう世界樹のことや、更には猛者とも戦うことになってきた自分の行く末を思うと、ため息しか出てこない。
「瑠璃君なら、型式について色々知っているでしょうか」
自分よりも先に上位入りした瑠璃に、型式を聞いてみるのも悪くない。
「松君がもし知らないなら、型式を教えてあげないと」
自分と同じく下位で燻っていた松に、上位へと至る方法を伝えないとなんてことも考えた。
……あれ? 誰が教えるんでしょうか。
弓さんとコンタクトする方法はないし、水原さんに教えてもらえるわけもない。
瑠璃君や僕でも教えることは出来るのでしょうか。
そうだとしたら、松君の師匠になれるのですね。
とはいえ、弓のように教えられる自信はない。
姫に教えを請おうとしたら、「あ゛?」とか言われて、また遊ばれて、『流星群』みたいに、新しく会得した『舞踊針』も不名誉な名前をつけられてしまうかもしれないとも思う。
……それはそれで。
どんな名前をつけられるのか知りたいですね。
等と歩きながら考えているうちに真夜中に。
気づけば、自宅の前に立っていた。
「妙に長く留守にしていた気がします……」
自宅なのに自宅でゆっくりできずに、帰ったら拉致られるここ最近の日々。
姫を遺跡に案内することになってから始まった自主的(?)な拉致は、自分にとって有意義なものであったことは確かだが、しばらくはゆっくり休みたいと、松に一度壊されて新品に換えた自宅の扉の前で思う。
「ただいまです……」
その先にいる最愛の恋人に癒してもらおうと思いながら扉に手を開け、疲れた声で帰ってきたことを告げた冬は、そういえば、と、思い出す。
自宅には、和美がいる。
和美をストーカーから保護していることをすっかり忘れてしまっていた。
この家にストーカーが来ることはないとは思うが――まったくそれを果たせていないのは棚にあげて――我が家でも油断してはいけないと思い至る。
とはいえ、疲れているのは確かであり、和美がいるからスズとイチャつけない状況だったことは残念に思いつつ。
弓に拉致られる前に疲れきった姿を保護対象に見せてしまった手前、今度は心配させないようにしゃきっとしなければと、玄関とリビングを繋げる、人がぎりぎりすれ違える程度の廊下をきりっと見て――
「……?」
――違和感を感じた。
同居人がいるはずの家のなかは暗く、静かだった。
その静けさに。
リビングの薄暗さに。
先程思い出した和美のストーカーの影が過る。
それはこの先に誰かがいるという気配を感じたからこそ過ぎったものでもある。
確実に、誰かが家の中にいる。
スズや和美ではなく、もう一人。
冬の空間把握能力で感じるもう一人の気配。
その気配は少しずつ、近づいてきていた。
少しずつ。
だが、動きは早い。
感じる気配は、リビングに併設されているもう一つの部屋から。
そこは寝室だ。
なぜ寝室の方から……。
そこにはまだ二つの気配が残っていることから、恐らくはスズと和美の気配だと考える。
次第に、冬の脳裏には、最悪のシナリオが浮かんできた。
ストーカーが、自宅にいる。
あり得ないと思うが、そこで音無のような希薄な気配をもつ存在もいることを思い出した。あのような気配であれば、誰にも気づかずに侵入を果たすことも可能だろうと考えが浮かびだす。
音無であれば冬の自宅を知っている可能性はあるが、流石に彼と接点がほとんどなかった冬としては、彼がこの家に来る理由もないとも思う。
それに、あの時気配が同時に消えたとはいえ、彼が和美のストーカーだとしても、この家に入り込むとは流石に思えなかった。
だが。
音無が。あの希薄な気配が。
型式によるものであれば。
あの気配の正体にも説明がつく。
しかも冬は、型式を覚えてきたばかりであり、型式の無限の可能性を見てきたばかりである。
自然と、あの力はどれかの型式の力によるものだと考えてしまっていた。
今は彼は関係ないので、彼についての考察を意識から消して、型式の力のみに焦点を当てていく。
和美を狙うストーカーが、同業者または裏世界に精通した人物であったなら。
もし、この家にその力を使うストーカーが侵入してきていたのであればと冬は考えた。
そうであれば、和美のストーカーというのも疑わしくなってくる。
和美も、情報屋として香月店長の元で動き出していることから、裏世界の何かしらに狙われ始めた可能性も否定はできないが、裏世界で殺しを経験している自分を狙った可能性も出てきたとも思う。
そうであれば。
スズが、危険に晒された、またはすでに事が起きてしまった可能性が。
冬はそう結論づき、瞬時に型式を発動する準備を整える。
やがて。
猫でも飛び出してきたかのような勢いで、しゃっと、音を立ててリビングから一つの影が飛び出してきた。
その機敏な動きに、冬は、「やはり敵っ!?」と身構えようとした。
だが、その動きは冬より早く。
その影は。
冬の前まで一気に詰め寄った。
「せ、先輩っ! あ、あのっ! お疲れ様ですっ! き、今日は私にしますか!? 私だけにしませんかっ? それとも私なんていかがですかっ!」
選択肢は、常に一つ。
先日にも、誰かから聞いたようなことを言いながら、目の前に突如現れた、レースがワンポイントの可愛らしいパジャマ姿の後輩が立っていた。
なんで、暁さんがいるんですか……
冬は驚きを隠せなかった。
その驚きは、紅蓮浄土を見たとき以上に。
なぜ、今すぐにでも就寝できそうな完全武装な美保がいるのかと。
もし、美保が冬の命を狙う刺客であれば、それこそ致命的なまでに、冬は、動きを止めた。
「あーっ! 美保ちゃん私の台詞取らないでー」
美保に数秒遅れて、キャミソールタイプのルームウェア姿の和美が追いかけてきて。
「……うん。二人とも。選択肢くらいあげてね……」
諦めにも見える、疲れた表情を浮かべながら見慣れたぶかぶかパジャマ姿のスズも続いて現れ。
パーティーでもしていたのかと思うほどに、三者三様のパジャマ姿に。
先ほどまでの緊張や考察はなんだったのかと。
どっと。
疲れを催し、地面に膝をつけて項垂れるしかなかった。
『おかえりなさい、ですね。ラムダ』
枢機卿の声が聞こえる。
枢機卿はよく出来た人工知能だと、冬はこのときだけは、枢機卿だけが癒しの存在だと、思った。
『ちっ』
舌打ちさえ、なければ、だが。




