第55話:裏に潜む
夜も遅くなった冬の自宅。
緑色の半透明な液晶画面が浮かび、そこに映る情報画面と、カリカリと静かに機械音の鳴るリビングで、冬はフレンドリストに並ぶ二つの名前とチャット機能を使って話をしていた。
そばかす:
⇒明日、ほんまに大丈夫かいな。
ガンマ:
⇒考え事してると痛い目見るよ?
⇒裏にいるのは、かなり巨大だからね。
そばかす:
⇒ほー。
⇒わいの枢機卿は情報開示してくれんから裏にいるのわからへんねん。知っとんのか?
ガンマ:
⇒まあね。一応君達よりランク高いからね。
そばかす:
⇒嫌味かそれ
ガンマ:
⇒嫌味だね。
そばかす:
⇒かっ。明日覚えとけや。後ろから不意討ちしてぶすりと行くからな。
ガンマ:
⇒言ったら不意討ちにならないよ。
そんな会話が流れ、心配してくれる二人にお礼を言うと、「明日病院で」と言い合ってログアウトする。
『……なるほど。あなたは、私の警告を無視して飛び込むのですね』
警告なんてされてないような気がしますが。と、目の前の機械音声の女性と思われる枢機卿にツッコミを入れたくなった。
『……規定に触れますが。あなたが相手にしようとしている、ガンマも言っていた情報を開示しましょう』
「いいんですか? ランク以上の情報を与えても」
『……考え事をしたまま死なれても困りますので。話せる部分だけ話をしましょう。……断片的になることはご容赦を』
そう言われて、自分がまだ迷っていることに気づき、意識を変えなければならないと思う。
明日は、裏世界の仕事をする。
以前のような高ランクのシグマが傍にいてレクチャーをしてくれるわけでもなく、同業者と共に行う、本格的な仕事だ。
『……病院と癒着しているのは、殺人許可証所持者です』
「……は?」
<B級殺人許可証所持者『ラード』と言う男です。同じくB級殺人許可証所持者『戦乙女』が追いかけている相手でしたので、私から依頼を受けて正式に追っていました>
ランクからして格上の相手。
しかも、冬が動くまでもなく、水面下で戦っていた人がいたことに驚いた。
『裏世界のなかでも古参。あらゆる悪意を撒き散らす大きな組織の幹部が『ラード』です。勢力の一部を削いで気持ち程度の弱体化させることしかできないほどの巨大な組織の一部門の長。表世界を守る許可証協会の、最大の障害といっても間違ってはいないでしょう』
「なぜ、殺人許可証所持者が……?」
『……あなたは、殺人許可証所持者が全て善意を持つとでも思っていますか? ひとごろし』
枢機卿に言われて、冬は改めて気づいた。
殺人許可証所持者だからと言って、やっていることは、表の世界で言えば犯罪・忌避することであり。
殺人許可証は、表世界でも名のある証明書だが、それを取得しようと考える時点で乖離しているのだと。
シグマのような、人格がまともな上位所持者を見ていたからか、冬は自分の考えが麻痺していたことにも気づく。
所持者が皆、まともな思考を持っているわけではない。
裏世界がなぜ独立しているのか。
国家として認められたのか。
――考えが違うのだ。
『人には、支配欲があります。表世界でも世界を支配しようと考える輩もいるのですから。力を得たら考えも歪む方もいますよ』
「……なるほど」
『自分以外は自分の為に生きる餌や獲物と考えれば、人の売り買いや奴隷も現れ、命も軽く扱えるでしょう』
枢機卿が、『私には理解できない感情です』と付け加え、静かになった。
欲なら僕にもありますね。
それこそ、これからの道には必要のない欲ですが。
冬が、これから切り捨てようとしている欲は、つい先程悩んだ、長年の想いだ。
これから裏世界で姉さんを探すなら……やはり、表の世界には関わるべきではないのかもしれません。
表世界に関わらないのであればその想いは尚更捨てるべきだ。と、思えば思うほどに冬の胸の奥で「ちくり」と痛みが走る。
冬にはこの痛みは何かなのかはすでに理解できていた。
でも、この痛みは、なくなることはないとも思う。
――を忘れることなんて、出来るわけもない。
これからずっと、この痛みと生き続ける。
それで彼女が幸せになれるのであれば。
想えば想うほどに、苦しくなる心が体全体に流す感情を胸の奥に押し込め、冬は枢機卿の話に戻った。
枢機卿も律儀に冬の考えが纏まるまで待っていたが、冬が顔を上げたことを確認すると話を再開した。
『ピンキリですが。殺人許可証は、D・Cを下位、B・Aを上位としています。Cから上は、比べ物にならないほどの任務難易度と、高ランクの殺し屋との遭遇率、伴う死亡率が格段に変わります。殺人許可証所持者が表世界で会わないのはここにあります』
ランクが上がるにつれて任務も変わる。
試験中に出会った、不変絆という殺し屋組織に所属する男を冬は思い出した。
あのような不思議な力を使う太刀打ち出来なかった存在と再度出会えば、冬は生き残る自信はなかった。
『且つ、特定の条件を経て上位と至れます。あなたは、まだ特定の条件を満たしていない。だから下位なのです。同じく、許可証協会が定める殺し屋の脅威度ランクも、許可証ランクと同じと考えてください』
続けて枢機卿から伝えられた話は、冬が感じていたことを的確に捉えていた。
これから手を出す相手のバックにいるのは、不変絆とも同格。
B級と言えば、メイド――水原姫とも同格の相手でもある。
ピンキリとはいえ、ランクがランクだ。
冬が想像できないほどの死線を越えてきた証が、ランクに現れていた。
更に組織の幹部であれば、組織全体とも戦う必要が出てくるということだ。
真っ向勝負で勝てる相手でもなければ、搦め手でも勝てる相手ではない。
『だからこそ。なりたての初心者に情報は与えません。裏世界の深奥にもいかせない。表の仕事が与えられます』
「死ぬから、ですか」
『ええ。死にます。殺人許可証所持者は総勢百名程度。それが目下、裏世界の馬鹿どもが表世界に行かないように目を光らせているとお考えください』
「数が少ないからこそ、漏れる。それを、刈り取るのが、下位所持者の役目……」
『ご明察』
枢機卿は、表裏の情報を蓄え判断する必要があるのだと、枢機卿の役割を漠然と理解した。
『裏世界で許可証協会とそこに関わる一部の組合が唯一の味方だと思えば、規模感が分かりやすいですか? 広大な地下世界、裏世界。そこに溢れるほどに存在する住人や組織。それらを圧倒的に数の少ない存在が、圧倒的な力で抑え込んでいる。それが、裏世界です』
蓋をしなければどうなるか。
その蓋は許可証協会や関係者。そして許可証所持者で、流れていくのは裏世界の凶悪な存在達だ。
そして、その流れる先が表世界であれば――
『下位所持者の仕事、と言っても、必要なことなのですよ。だから、時には上位所持者も同じ仕事をしている。……もっとも。上位所持者は休むために表世界に出ているようなものですが』
気を引き締めるどころではない。
瑠璃が『巨大』だと言った意味が分かった。
『どうして、私が警告したか、分かりましたか?』
理解はした。殺人許可証所持者の役割も漠然と理解した。
だけどやはり。
警告されましたっけ?
と、疑問は浮かぶ。
『私にも事情がありまして。あなたを死なせるわけにもいかないのですよ』
「? それは、どういう――」
『シグマからよくしろと言われていますから』
なぜシグマさんが?
いつでも助け船を出してくれるシグマに冬は感謝の気持ちが現れたが、どうしてそこまで面倒を見てくれるのかはいまだに分からないままだった。
『表世界に薬をばら蒔く――ああ、あなたはシグマと任務をしていましたね。アレは、ラード率いる裏世界の闇に関わる最下部の組織ですね』
冬の初仕事も関係していたことに更に驚くが、枢機卿から『薬なんていくらでも表に出回っているでしょう』と言われ、昨今流れる麻薬関係のニュースを思い出した。
『あなたの初仕事の相手なんて、腐るほどいますよ。Gのようにわらわらと現れては消える屑が、どこから薬を得ていると思いますか?』
「やはり、裏世界、から?」
『上質なものを求めるなら、ですね。とはいえ、所詮は副産物の失敗品です。あなたが助けた少女は、その失敗作の被験者でしたね』
それのどこにB級殺人許可証所持者が関係しているのか、よく分からない。
『売り手』も兼ねているのかと過るが、組織の幹部で殺人許可証所持者でもある相手が、そんなことをしているとも思えなかった。
『色々あるのですよ。情報開示はここまで。――ああ、そう言えば』
そこで、思わせ振りに枢機卿は言葉を切った。
かりかりと、枢機卿の母体であるパソコンの処理の音が、静かな部屋に響く。
枢機卿から聞かされた裏世界の一部のお話。
枢機卿が何かを冬に伝えようとしている話はなんなのか。
少しずつ、冬の物語が幕をあけ――え、今まで開いてなかったの!?




