第53話:相変わらず鈍い彼 2
スズの受難は次の日も続く。
学校。食堂にて。
冬は相変わらずの賑わいを見せる食堂に訪れていた。
今日は例のメイドも、すでに御主人様なる存在を捕まえてべったりなので比較的静かであるが、以前とは違って御主人様に恍惚な表情でしなだれる姿と、そこに更に飛び級をしてきた天才少女と財閥お嬢様も加わっているので、別の意味で盛り上がりを見せている。
「……あ、永遠名先輩!」
冬はそんな自分を呼ぶ声に反応し振り向くが、声をかけた人物に、しまった、と心の中で思った。
「……暁さん」
そう呼ばれた少女は、嬉しそうに冬の前まで来る。
リハビリも先日終わり、今では目が見えなかったことが嘘のように、まるで今までの時間を取り戻すように元気である。
冬としては、ラムダとして出資した後出会っておらず、ほぼ正体がばれていることに会いたくない人物の筆頭であった。
「手術うまく行ったんだね。おめでとう!」
冬の隣にいたスズが未保に祝いの言葉を挙げ、冬も、あたかも初めて知ったかのような芝居をしながら合わせて祝った。
「? なんかぎこちなくない? 冬」
そんなスズの手には、食堂名物、食堂のおばちゃんスペシャルこと、八文堂のクレープパンが納まっている。
どうやら、この味にはまったらしい。
「ありがとうございます!」
四年間の暗闇生活を取り戻すかのように、元気な少女になった未保。
今では、前のような消極的におどおどとした性格ではなく、はきはきと、自分に自信をもったのか、積極的な性格に変わっていた。
ここまで変わるものかと驚いた。
「永遠名さん。あの……ラムダさんに伝えて欲しいことがあるんです」
積極的にはなったが、それは同性の人たちに対してであり、まだ、異性に対してはどこか一歩引いている感じである。が、冬だけにはなぜか積極的だった。
「? らむだ?」
「……誰のことか分かりませんが、その人に会ったら伝えますよ。何でしょう?」
とりあえず、隣のスズの疑問は、説明できるわけがないので無視しておく。
「眼を、閉じてもらえますか……?」
「? はあ……」
言われた通り眼を閉じる。
考えてみれば、このような暗闇だけが彼女の目の前の光景だったのかと、無事治ってよかったと思っていると、仄かに熱を帯びた手で、両頬を包まれた。
以前食堂で出会ったときはスズに羽交い締めされて顔を触られたことを思い出していると――
「先輩、しっかり、閉じてくださいね」
「え、あ――ふぎゅっ!?」
――少し遅れて、冬の唇に柔らかい感触が触れる。
冬が驚いて目を開けると、目を閉じた未保の顔がアップで映り。
辺りからざわめきと冷やかしが飛ぶ。
……なぜ。
驚きのあまり、未保の唇が自身の唇に触れていることに、遅れて気づく。
「……先輩……」
しばらくすると、未保は唇を離して目を開ける。うわ言のように呟くと、驚いている冬の首に腕を回し、更に密着して唇をまた合わせた。
冬の視界の隅に、驚きの表情を隠せずうろたえるスズが映るが、未保を引き剥がすわけにもいかず。
ぽんっ!と、唇が離れて、首に回った未保の腕が離れていく。
「……えー、っと……?」
いきなりの出来事に、放心する冬。
その隣では、先ほどの光景にショックを受け、冬を見つめたまま硬直しているスズ。
そんな風に、隣にいるスズを気にする冬を、潤んだ瞳で上目使いに見続ける未保。
「……言えなかったんです。だから、言っておいてもらえますか?……ありがとうございました。ご恩は、一生忘れませんって……」
その言葉は、ラムダに向けられた言葉ではなく、明らかに冬に向けられた言葉だった。
「……はい」
やれやれ。いろいろと誤魔化そうとしましたけど、やっぱりばれますよね……。
そう思いながら、はにかむ未保に、笑みを返すと、恥ずかしそうに、スズをちらっと見てから未保は走り去っていった。
そんな冬の肩が、がしっと、捕まれる。
先程までメイドに絡み付かれていた、某御主人様が、嬉しそうに耳元で囁く。
「お前も、俺の仲間入りだな」
「……そちら、かなり円満じゃないですか」
そんな、同胞を見つけたかのように嬉しがる『御主人様』と一緒にしないで欲しいと思いながら。
隣でぽとりとクレープパンを落としたことにも気づかず固まったままのスズをどうしたら再起動させら――いや、スズにどうこの状況を説明したらいいのか。
なぜ、自分は浮気現場を見られたかのような心境で、恋人でもないスズの誤解を説くにはどうしたらいいのかと、必死に考え出しているのか分からないまま。
無情にも。
昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。
それから数日後の放課後。
「……ぐ~……」
相変わらず、一時間目から、昼以外はずっと冬は熟睡していた。
「……冬……起きなよ……」
いつもなら起こす時は、どんな手段も選ばないスズだったが、最近は、元気もなく冬に対して遠慮気味になっていた。
数日前の食堂での出来事が原因ではあるのだが、それを冬に問いただすことは違うことも分かっている。
「……先、帰るね……」
起きない冬を見つめていたスズが、バッグを持って教室を出ていく。
問いただしたところで、冬はきっと、自分には正直には話してくれない。
いつも近くにいた幼馴染みが少しずつ。
自分から離れていく感覚に、言いようもない衝動に駆られてしまう。
自分にとって、冬はなんなのか。
冬にとって自分はなんなのか。
秘密を教えてくれず、ただ怪我をして帰ってくる冬を見るのも辛い。
いっそのこと、この心のなかに渦巻く感情を忘れてしまえば楽になれるかもしれない。
でも、それを忘れるには、冬と過ごし、冬のことを見ていた時間も長く――
「……あ、水無月さん」
教室を出て自分の気持ちを考えながら階段に差しかかった頃。
スズは後ろから声をかけられた。
「あ、えっと……音無君……?」
振り向くと、女子の間で気さくで優しいと評判の同級生が、バッグを肩に担ぎ、評判通りの優しそうな笑顔を浮かべて近づいてきた。
「あ、名前覚えてくれたんだ」
音無と呼ばれた青年は嬉しそうに微笑みながら、スズの正面に立つ。
「だって同級生だよ? 全員覚えてるよ」
「それは凄い。じゃあ、一組から全員言ってみてくれる?」
「う……意地悪……」
「あははっ」
そんな音無がなぜ声をかけてきたのか。一人で考えていたかったスズは、渦巻く感情を抑え込んで歩きだした。
そんなスズを、慌てて音無が追いかけてきて、隣に並んで歩く。
「なんだか、辛そうな顔してたけど。なにかあった?」
「……特に?」
一人にして欲しいのに。
ただ、気にしてくれて声をかけてくれた同級生を蔑ろにする罪悪感を覚え、それ以上追求されないように話の流れを変えようと――
「音無君は居残り?」
「違うよ。……その、待ってたんだ」
「え?」
それが。
変な方向に話が転がっていく。
少しずつずれていく二人の心。
そんな中現れた同級生の音無君。
……あれ? 冬、どんどんと裏世界から離れていってるような……




