第44話:異変
常立骨董品の一室。
ぼしゅっと、ライターで煙草に炎を灯し、一吸いして白い煙を吐き出しながら、シグマこと常立春は考えに更ける。
冬達新人許可証所持者のレクチャーを終え、自身の自宅へと戻ってきた春は、目の前のなにもない空間に浮かぶ三つの緑色の半透明な液晶画面に触れていた。
すっと、春が液晶画面を横にスライドするように指を動かすと、その画面は半透明な情報枠が現れて、左の枠はチャット型の画面へ切り替わる。
右枠ディスプレイは少し形の違う世界地図に変わった。中央に大きな樹木の形があり、『世界樹』と記載されているそれは、裏世界の世界地図だ。
春の指の動きと共に見た目を変える、その宙に浮く画面は、許可証所持者が許可証と専用媒体を連携することで操ることができる、枢機卿の情報共有画面である。
そんな春が三つのディスプレイを触りながら考えていたのは、邸宅で冬と任務をしていた時に樹と会話した内容だった。
「おい。大樹」
外で警備をしていた殺し屋の最後の一人の命を刈り取った大樹に、シグマは声をかけた。
大樹の持つ大きな黒鉄の鎌が、夜空の星に照らされ、死神のように妖しく光る。
鎌をくるりと、手を離して一回りさせる間に、かしゃかしゃと柄に刃が収納され持ち手に近い柄も収納されていく。一回転する頃には、ぽすりと、大樹の手のひらにコンパクトに収まった鎌が落ちた。
「なんですか」
鎌の刃程に小さくなった自身の獲物を袖の中に収納しながら、シグマの呼び掛けに大樹は答える。
「お前、試験を受けてないな?」
冬を内部の殲滅に行かせ、松と瑠璃を別の場所で仕事に就かせたのは、大樹こと樹と話をするためだった。
シグマは、今年の許可証試験に深く関わっている。
その中に、いくら探しても『千古樹』という受験者はいなかった。
「試験……。冬達も言っていたが、なんの話だ?」
「殺人許可証所持者になるには、国家試験を受ける必要がある」
「……知らなかった」
樹が試験と聞いて驚くように目を見開く反応を見て、シグマは本当に知らないのだと理解した。
「試験、受けないと、没収か?」
出来たら苦労しない。
先日、枢機卿に樹について確認した際に、分かったことが一つあった。
正しくは、一つしか分からなかった、が正しい。
「いや、今更……剥奪もできんよ」
枢機卿は、樹を認識していなかった。
樹というキーワードを出すと、枢機卿は同じ言葉を返してくる。
『最上級権限により閲覧不可』
つまりは、分からないということだけが分かったと言うこと。
許可証協会の心臓ともいえる枢機卿に情報のプロテクトをかけることが出来るのは、母体である高天原の上層部と枢機卿自身だけだ。
枢機卿を作ったシグマにもその権限があるのだが、それは枢機卿さえ知らない事実ではある。枢機卿でさえ認識できないというのは異常ではあるが、その最上級の権限を持ってしても開くことはできないのは同一権限だからであり、これ以上の権限は存在していない。
そして、そのプロテクトが解除できないのであれば、樹の所持者権限も解除することはできない。
不正、ということさえも、証明ができないのだ。
「そうか。よかった……」
ほっと、安堵の息を吐いた樹が次に発した言葉に、シグマは確信した。
「『夢筒縛』に、取ってこないと家から追い出すって言われたから」
出会って間もないものの、今まで一度も見せなかった笑顔を見せると、樹は「仕事が終わりなら帰る」といつも通りの感情の読めない無表情に戻り、去っていく。
「夢筒縛……だ、と……?」
去っていく樹の背を追いながら、シグマは、樹から出た大物の名前を呟く。
裏世界は自由で無秩序な世界だ。
だが、そこに無秩序をよしとしない勢力が現れ徒党を組んだ。
それは組織となり、無秩序をよしとする集団と敵対することになった。
それが、裏世界で今も続く図式。
高天原という、実質裏世界を支配する組織が発行する許可証協会の殺人許可証所持者と、裏世界に無秩序を撒き散らす、殺し屋協会率いる、数多の殺し屋組織。
その、高天原には、頂点ともいえる存在がいる。
最高評議会『四院』
兵器を愛してやまない無所属
『焔の主』こと『刃渡焔』
<許可証協会>と高天原の科学組織<天照>を管理する
『流の主』こと『久遠静流』
<情報組合>の膨大な情報を管理する
『疾の主』こと『形無疾』
そして――
裏世界の象徴――正規の裏世界の入り口からも見える『世界樹』の元管理者。
『縛の主』こと『夢筒縛』
『人喰い』と呼ばれ、特S級賞金首として許可証協会からも狙われながらも、最高評議会にいまだ名を残す要注意人物。
人体実験施設『月読』機関の創設者。
世界の禁忌に触れ消えた、無秩序の裏世界でも汚点と言われる大罪者であり、
S級殺人許可証所持者
シリーズ:『ファイ』
そんな、行方の不明な存在の名を。
これから先、関わるはずがなかった裏世界最悪の存在の名に。
自分のお気に入りが関わりだしていることに、何か不吉なことに巻き込まれ出しているようにも思えた。
「樹は、『縛の主』の関係者……か」
数日経った今でも、あの時聞いた質問の中に、許可証協会が探す大物の名前が出てくるとは信じられなかった。
「なぜ今更見つかるような真似をしたか――いや、樹が冬に関わるように仕向けたのか……? どちらにせよ、調べる必要があるな」
「はる~」
そんな真剣な考えを刈り取るような間延びした声につられ、春は吸っていた煙草を灰皿に擦り付けて消し、ため息をつく。
「……お前にも関係する厄介な話、なんだよなぁ……」
自分を呼んだ恋人――ファミレスでは見得を張って嫁と言ったがまだ結婚していない――の呼ぶ声に反応して、目の前の液晶画面に触れて消すと、席を立った。
ファミレスで樹を送迎した時に、途中目を覚まして一人で帰った樹を追いかけなくてよかったと思う。
あの時、追って夢筒縛がいると思われる拠点に、何も知らずに辿り着いていたら……。
死んでいただろうから。
「シグマ。遅いですよ」
恋人だけがいたはずのキッチンに辿り着いた春を待っていたのは、メイドだ。
「お前、帰ってなかったのか」
「帰りたいですよ。こんな愛の巣にいるくらいなら。今すぐにでも御主人様と私の愛の巣で噛みつきたいくらいに」
そう言う無表情のメイド――姫は心底嫌そうに答えて、
「ですが。帰ってよかったのですか?」
すっと、姫が体を半身にすると、姫の体で隠れていた食卓に並ぶ料理と、ふんすっと、鼻息荒く、どや顔する恋人が見えた。
「ピュアに作らせたままで――」
「助かった!」
『縛の主』の拠点に辿り着かなくても、今ここで死を迎えそうになっていたことに。
姫が手を加えて食べられる料理になっているであろうことに。
まだ、俺は生きている。
春は、自分が今日も生きていることに感謝をした。
また、トイレとお友達にならなくてよかったと安堵の吐息を漏らす。
「どゆこと!?」
一人理解出来ない恋人に呆れながら。
改めて、『縛の主』のことを恋人のためにも調べなければならないと思う春であった。
裏世界の頂点でもある『主』の名前だけが登場しました。
この『主』達がいったい何者なのかは……あー、いつ出るんだろぅ




