第439話:『仙』の型 6
縛が書いた人形。それは一筆書きでできる簡単なものであった。それこそ、色をつければ巷のお店で売っている、何の変哲もないジンジャークッキーにもよく似た形だ。
「まず、第一段階。これはお主らが普段使っている型式のことであるな。そしてここから――」
誰もが、なぜ縛がそんなものをいきなり書いたのかと思ったところで、縛は、その人形の周りに、第一段階の型式と思われる、人形全体を護るように膜のようなものを描いた。
「第二段階。お主達は、自身に型式を多重にかけようとするからうまくいかぬのだ。そもそも我らは、型式を使うだけで疲れるであろう。まずは疲れぬように体そのものを型式から守らねばならぬ」
その膜に対して、外から押さえつけるような矢印を書き込む。
「つまり、第二段階は、自身が発現した型式に対して、同一型式を、使うのだよ」
「……型式に、型式……を?」
「あくまで同一型式であるな。他の型式を重ねようとすると、脳がパンクするのでやめておくとよい」
縛は、「できなくはないがな」と付け加える。
「さて、そして第三段階。二段階目で押さえつけていた型式に、さらに型式を重ねる」
縛は、矢印を消して、その代わりに炎のような模様を書き足した。
「押さえつけられていた型式が、同一型式をかけられることで活発化するのである。そうすると、押さえつけられていた型式は、より何倍もの型式となって答えてあふれ出す。その結果が、先ほどの溢れ出ていた威圧のようなものであるな。これが、『仙』の型である」
「……え? ここで『仙』の型?」
「ふむ。である。第二段階の時点で、『仙』の型であるな。つまりは、我の言う『仙』の型は、型式を重ね合わせ、本来の型式を昇華させる、という意味あいのものであるよ。だから、第二段階、第三段階両方とも、『仙』の型である」
樹と和美、未保は、開いた口がふさがらない。
そんな中、チヨだけは、「ほほぅ……つまりは鍛工と変わらないのかな、かな」と鍛冶屋としての自分を発揮している。
「そうであるな。確かに言われてみれば、『弁天華』が言うように、武器作りと似ているかもしれぬ。鉄を何度も熱してはそれを形作るために叩いて鍛える。この段階も、言ってしまえば、第一段階の型式を第二段階の型式で覆って圧縮し、第三段階で解放するでな。だが、何度も槌を振るって鍛えるというのは、我は三段階までが限界であったよ」
そう言うと、縛は最後に、人形の炎の模様を消して、第二段階と同じく人形に向けた矢印をいくつも書く。
ただし、そこには第二段階とは違う書き方がされていた。
「そしてこれが、四段階目、である」
体の内部――ちょうど臍の辺りに、丸い円が書かれて、そこに矢印が向かっている。
「縛さん、縛さん。いまついさっき、三段階までしかできないって自分で言ってなかったかな、かな!?」
「型式を重ねて鍛えるという部分では我は三段階目までが限界であるな。もっと上には行けるだろうが。だがこれからの四段階目。……丹田。ここは体といってもまた別枠でな。体の中枢機関でもあるからこそである。ここに、型式を閉じ込めるのであるよ」
縛はさもあっさりと。
四人に、型式の境地を、説明する。
そこに、まったくといっていいほど、後悔も嘘もなく。
惜しげもなくあっさりと伝えられたそれに、型式を使う三人は、いまだ無言で呆けるようであった。
「……えーと……? そんな簡単な方法で……?」
「い、いえ。でも、和美さん。これ今まで誰も気づかなかったかもしれませんよ」
「え、うん。まあ確かに……。言われてみれば、確かにやったことなかったかも……」
二人が我にかえったかのようにそれぞれ考える。
二人も型式初心者ではあるが、それでも使ってきたことには変わりない。その中で、型式という力を、複数を重ねることはしたが、同一型式を重ねるということはしていなかった。正しくは、しても意味がない、という認識をしていたからだ。
同じ能力に同じものをかけたところで、二倍になるわけでなく、能力そのものが消されるということを聞かされていたからでもあり、実際試したら消えたからである。
そこまではどこの型式使いでもやっていた。そして、人や物に対して行ったできなかったという実体験を蓄積し、そして口伝していったのだ。
同一型式を、
重ね掛けすることは、できない、と。
だが、それが、型式に、であれば?
型式に型式を掛け合わせる。
そのようなことを行う者は、短くも長い裏世界の歴史の中で、誰も行わなかったことなのである。
人や物というものは有機物である。
型式は、無機物である。
無機物。しかも誰もが色として見えるだけのそれに、型式をかけるなんてことを、誰がやろうと思うのだろうか。
できるなんてことを知らなければ、試そうなんてことを起こさないだろう。そしてそれがなければ、四段階目の丹田という場所に、型式を押し込めるなんてことも試すはずがない。
誰かしらは行ったかもしれない。
だけども、型式である。
使うだけで疲れるのである。疲れを倍にするような行為を誰が行うのか。戦いのために使う技術であるのに、疲れて戦えないなんて本末転倒である。そして、その力を有効に活用できないのなら、同じ疲れるにしても、別の型式と掛け合わせてより多様性に溢れることができるのだからそちらを使い技術を高めるほうがいいのである。と思うほうが必然であろう。
体全体にかけているから、型式をもう一度体全体にかけることはできない。だけども体の一部分にであればかけることは可能ということも、思いつかないことである。
「人の中枢、丹田に凝縮させるとな。体全体に行き渡るのだ。ほれ、よくアニメや漫画であるだろう。なんだったか……忍者とかがやってるあれだ。そう、チャクラ。あれであるよ。あれを、凝縮したことで、体に行き渡り、循環する。際限なく溢れ出る永久機関に近い力へと変換できるのだ」
誰もが行おうと思うようなことであるものの、行ったからといって成功する試しもない。成功しても純粋にその型を強化するだけなので魅力もない。
そう思えてしまうものなのに、実際は型式という力を何倍にも増幅することができる。型式を超えた型式。
それが、『縛』の型の発展型であり、昇華した型――
――『仙』の型の正体である。
が。
「と、言ったのだが。そういえば――」
『仙』の型の説明をして正体を伝えた縛が。
一つ、違う、と。
「『仙縛』があったな。今の話に」
自らの説明に、補足をする。




