第401話:『舞踊針』改め——
滑らかに、時には激しく動いて気配を消しては光に照らされ煌めきに見せてまた気配を現していた冬の糸は、まさに今、変幻自在という言葉が正しいかのように、激しく、気配をその場に常に晒しながら高速で荒々しく動く。
それはまるで鞭のように。蛇がのたうち回るように。今か今かと、相手に食らいつき、結びつき、そして切り裂くその瞬間の指示が与えられるのを、滞空して姿を見せ続ける。
きゅるりと音をたてては近場の自然物に絡みつき、固定される糸は、万遍なく標的を囲んだ。
動くだけでどこかしらが切り落とされる。
そのような、鼠一匹その場から抜け出せない。とでもいうように、精密に精巧に緻密に張り巡らされた糸。
「動くと切れてしまいそうだ」
思ったことをそのまま口にすると、糸に全方位囲まれた男——天津は、拡げていた両腕を落とすと、顎髭を撫でるように手を添えて考え込むような仕草をとった。
「で、ここからどのように展開をするのだ? これらは先ほどこの体の本来の持ち主、夢筒の『人喰い』で簡単にチリと化すことくらいみていただろう?」
ちょんっと、目の前の絶え間なく動く糸に触れるような動作を取る。
それだけで本来は、触れた指が高速振動するその糸によって切れるはずであるが、逆に糸のほうがぱつんっと大きな音を立てて切れてパラパラと落ちていく。
指先だけで『人喰い』を発動したのだ。
「ええ。今のあなたの行動で、あなたへの理解もほんの少しですができました」
「ほう。こうやって少しずつ理解を深めていくというわけか。なるほど、糸で囲んで相手の出方を見て、そしてその糸に対する行動で相手を知る。……長時間相対すれば、それだけ相手のことがわかるということか」
「……」
そこまでではないのですが……。
と、冬は思わず声に出しそうになり、糸を操る動作を少しだけ大げさに行って自身の言葉を遮った。
糸に触れた相手のことがわかるなど、そんなことができるわけがない。
今わかったのは、『縛の主』が使っていた『人喰い』を、この天津という父親は指だけでも行えるということを理解しただけである。指だけでもできるなら、全身で『人喰い』と同じことが行えるのだろうと推測しただけであった。
ただ、そのような深読みの勘違いによって、少しでも警戒してもらえるなら冬としてもありがたかった。
冬が今一番行うべきことは、階下へ向かっている樹の援護——つまりは、時間稼ぎである。
それが、自分の命をかけた時間稼ぎだったとしても、この命を差し出してもいいと思える状況であったからこそ、冬は冷静にそう分析し、糸を操る。
いつも以上に冷静でいられているためか、冬の糸は縦横無尽に、まさに自分の意思を体現するかのように動き乱れて整えられていく。
これまでにない糸との一体感。
冬は改めて、自分の選んだ武器が、『糸』でよかったと思いながら動かしていく。
「で?」
少し時間をかけすぎたのか。ほんの数秒であるが、その時間で興味が少し薄れた様子の天津は、冬へと一文字の言葉で問いかけた。
冬は辺りに自分のもう一つの武器である、『針』を無造作に投げ捨てた。
すぐさま投げ捨てられた針の針穴に糸が通り、針を持ち上げ空へと舞いあげる。
「……針?」
目敏く気づいた天津が、空を見上げるように針の軌道を追った。
いくつかの針は近くの自然物に突き刺さり、中継点となり、さらに糸を活性化させていく。
もう一度針を投げ捨てると、冬は型式を発動させた。
「それは……なんであったか。——そう、型式。その中の、『疾』の型、で、あったか?」
「はい、僕のもっとも得意であろうと思われる型式です」
「型式は万遍なく覚えるもの、と認識していたが。特化する者もいるのだな」
「そう、ですね……ある程度万遍なく覚えて熟知し、そして自分の得意分野を発展させていくものだと思います」
自分の使っている『人喰い』がその特化した型式であるのに、と、冬は天津が型式という存在を知っていながら、それを理解しないままに『人喰い』を再現していると知り、絶句した。
型式は、【創造】と【想像】の力である。それらを術式として発動するのが型式の型である。
人が創り出した理想の力。
小さな頃に思い描いた、例えば火を操って敵を倒したい、水を操り人を癒したい、といった、アニメや漫画であるような力を、具現化することのできる、裏世界の秘儀でもある。
だが、人が創り出したものである。
天津のような神からしてみれば、そのようなことをせずとも、『縛の主』——人力でできたものは、考えるまでもなく使えるということなのではないか。
そう思うと、力の差が歴然と理解できてしまい、自然と顔が蒼褪めた。
「ふーむ……。なるほど、こういうものか?」
まさに今、顎髭をさすり考え込むという行動がぴったりその言葉と合うかのような。そのうちそのような結果が訪れるので先に動作だけしておいたような、そのような印象を冬に与えながら、天津は軽く腕を振るう。
振るわれた腕が『人喰い』であると身構えた冬であったが、振るわれたその腕から出たものは別の物。
「……『焔』の……型……?」
天津の手から溢れだしたのは火。大きな火柱だ。
それを冬は、呆然と見ながら思い出す。
この炎を、見たことがある、と。
すぐに思い至る。
許可証試験の時に、初めて型式の力を受けて敗北を喫したあの時のこと。
<俺はさぁ……お前……今はお前等、か。まあ、同業者だと思ってたわけだわ>
辺りに漂う焼ける匂い。
玄関ホールに火の手は上がっていない。
<だから、ちょっと手加減して殺そうかと思ってたんだけどな>
だが、火の手は上がっているのだけは確かである。
<ん? あ~……どちらにしても、殺してる、か>
<な……なんや? あれ>
<……手が燃えて……>
焼けているのは、絆の手だ。
まさに、火の手である。
許可証取得二次試験。
懐かしくもあり、苦い思い出でもある試験の時に、冬は試験失敗の原因である男に型式をぶつけられている。
殺し屋組織『血祭』構成員
脅威度:Bランク
不変絆
彼が初めて——いや、冬が初めて見た型式。
それが、絆の使う、型式であった。
そんな強烈な印象を与えられた型式と似通ったそれを、忘れるはずがない。
「垂れ流し程度では、人を殺すことはできても、人が創り出した武器類を焼き切るのも難しいものなのだな」
天津が放った炎は、天津の周りを囲む糸を焼く。
だが、冬の糸は、そう簡単に焼けて切れるものではない。
ピアノ線とはいっているが、元は炭素鋼——つまりは、薄く研ぎ澄まされているとはいえ、鋼鉄である。
千度以上という熱にも耐えられる鉄の一種であるのだから、そう簡単に溶けて消えるようなものではない。
強いて言うなら、限界までピンと張られた糸が、その炎の勢いに押されて切れることはあるかもしれない。
初めて意識的に使った型式であろう天津のそれが、耐えず動く糸にぶつかっても、糸は切れずにそこにある。
それが天津の炎が弱いこなとを物語っていた。
「……そうですね。それが僕に当たっていれば、僕が燃えていたかもしれないですね」
「人というのは脆いものだな」
炎は、冬に向かって放たれていた。
放たれた炎は、張り巡らされた糸の高速移動によって作り出された摩擦や細かな気流によって逆に阻害され、届くことはなかった。
「ですが……」
冬は、軽んじていた。
時間を稼ぐ。
相手もそれに興じてくれている。
だが、それが、いつ相手が飽きて終わらせるか、ということがこんなにも早くに訪れるわけがないと、心のどこかで思っていた。
警戒をしていたつもりであったが、この目の前の天津への警戒は、自然と薄れてしまっていたことに気づく。
もしかすると、冬は、すでに時間を稼げたと思っていた節もあったのかもしれない。
それだけの時間が過ぎているから。
樹がすでに階下の神社——仲間の元に辿り着けるほどの時間が経っていると思ったから。
だけども、所詮はまだ、数分程度なのである。
仲間たちが逃げ出すための時間は、足りない。
意識を整える。警戒と最大限に。
再度、冬は針を投げた。
それは先ほど投げた針と同じく、『疾』の型で操り、自身の周りに浮遊させる。
くるくると冬の衛星のように回り続ける針。
「お。やっと何かしら動くか。プラネタリウムにも飽きた頃だ」
差し当って、天津が、糸をプラネタリウムだと形容したが、またここに新たな惑星が現れたようにも思え、それはそれで天津からみれば面白いものであった。
「お待たせしました。僕の戦い方はこのように時間がかかるもので」
「構わない。楽しみだ。どのようなことをしてくれるのか。最後まで見届けよう。興じよう——」
「——来い。息子よ。
父へ、そのすべてをぶつけてみよ」
糸の結界で動けなくする。
そして、ふよふよと衛星のように回っていた針が止まり、先端を天津へ向けると、
「弾け——」
「——『不用心』」
姉であるひめ姉が名付けた、その技の名を紡ぐ。




