第393話:滅びの足音 6
「さっきも言ったけど。僕の目的は、ただスズと共に生きたいだけなんだ」
国津はそういうと、冬をじっと見つめた。
「本来の僕の体で、僕がスズと共に生きる。それが元々の目標。それは天津のおかげで諦めることになったけど。……表世界でのんびりと生きるためには、記憶をいじる必要があった。もちろん、スズには、裏世界で生きてきたことや、あらゆることを忘れてほしかったからね」
国津の発言の「記憶をいじる」という箇所に、樹と縛がぴくりと反応する。
それは、二人が気にしていた答えであり、今この場にいない雪が、自分を信じられなくなり疑心暗鬼に陥るほどに悩ませたそれへの回答であった。
「だから僕は、スズを奪還するように仕向けて、世界樹に巣食う悪と許可証協会を争わせた」
雪が裏世界でスズを助けたことは、スズからも同一見解を得られた。春からもそうである。
だが、その時に、記憶の乖離があって、それが雪の不安を掻き立てていた。
自分はなぜ冬を探していたのに。助けたスズの近くに冬がいたのに。
なぜ、気づかなかったのか。
その疑問はやがて疑惑へと移り、縛から先に聞かされたことで、理解する。
誰かが、裏世界すべての記憶を改ざんした、と。
「もちろん、僕が表舞台に出てしまうと危険だ。あの頃はまだ僕は冬の体にいたからね。だから操った。その体——冬、君の体にいるときに、主導権を一時的に奪って、ひっそりと、だね」
そう言う国津に、心がざわつく。
「運命共同体とはまさにこのことだね」
誰かが自分の体を使って何かをしでかしていたと聞いて、いい気分はしない。
嫌悪感が、冬の心の中を支配する。
「お主が……裏世界すべてを巻き込み、裏世界の均衡を崩した戦いを起こしたということであるな」
「そうだね。世界樹に君――『縛の主』がいないのなら、それこそ一人で暴れてスズを助けてもよかったんだけど。それを天津に勘づかれたらそれこそすべてが終わる。消されるだろうから。だから、時々さ。冬の体を奪い、活動し、そしてあの争いを起こした」
争いはあった。
すべて、自分が起こした。
そう白状したようなものであった。
冬や樹からすると、その、国津が起こしたと国津自身が暴露した、裏世界を二分し、<許可証協会>の衰退と<殺し屋組合>の台頭を起こした誰もが口を紡ぐ事件そのものは、経験しているわけでもないので知りようもなく、誰からも聞くことのできない禁忌であるからこそ、ぴんと来るわけでもない。
とんでもないことが起きた、という漠然とした知識があるだけである。
それが。
国津という男が、スズという女性を助けたいがために、起こした事件だという。
そして、その事件において、彼はあらゆる人の記憶をいじった。
「姉さんが助け出したスズを見た時に、すぐに実行に移したよ。裏世界の天井に天津が残していた洗脳装置を使って、僕はあらゆる記憶をいじった。いやぁ……姉さんが、助け出したスズを護衛しながら表世界へ向かった時に、ひょいっと顔を出したときの姉さんの驚きようったらなかったよ」
けらけらと笑う国津。
冬は、そんな国津が、自分の本当の自分であったとは到底思えなかった。
姉がどれだけ自分を探してくれていたのか。
裏世界で春に買われた姉が、どれだけ努力したか。
裏世界を知り。裏世界の力を知り。それらを短い期間で手に入れ、裏世界でも恐れられる許可証所持者となった姉。春というバックアップがあったからかもしれないが、冬はとてつもない労力もあったのだろうと感じていた。
そんな姉が、記憶を改ざんされる前に弟に出会っていた。まるで今までが徒労であったかのようである。
その改ざんされている出来事に、記憶の改ざんさえできる型式『幻惑』の使い手でもある雪が、自分の記憶が改ざんされていたと、疑惑を持つことも、理解できた気がした。
「あなたは……」
「冬。そうだよ。君と姉さんはね、もうかなり前に出会っていたんだよ。裏世界で。君は小さい頃から、こっそり、裏世界で活動していたのさ。なぜなら、僕が、スズを助けるために、姉さんとその仲間達を操り、世界樹に攻め込ませたんだからねっ!」
笑う。
これまで、何もかもを操り、自分の本体である天津さえも騙して世界を改変した国津は、この結果を誰かに伝えられたことに、笑いが止まらなかった。
誰もが改ざんによって世界を塗り替えられている。
それを知るのはただ一人。改ざんをした本人であり、どういった改ざんをしたのかさえも知っているのは本人だけである。
スズという女性を手に入れるため、争いを起こした。それは今も、争いという部分だけが禁忌として残る。
だけど、その発端が何かは誰も知らない。
たった一人を助け、手に入れるために起こされた、一人の欲求のままに起こされたその争いは、今は誰もがわからないままに口を閉ざす。
その争いの中で犠牲になった者たちも、きっと改ざんされて知られることもなく息絶えているのであろう。
「僕は……あなたがどれだけひどいことをしたのか、理解はできません」
「あれ? どうしてだい?」
「あなたが行ったことが、この裏世界にどれだけの影響を与えたのかなんて、僕には関係ないですし、僕がこの世界を知った時点で、この世界はすでにこうであったからです」
「……ああ、そうか。なるほど。言われてみればそうだね。僕が改ざんした世界の後しか知らない君たちからしてみれば、そうであるんだね」
国津は、白けたように言うと、縛を見て「でも、あなたは違うでしょ、『縛の主』」と笑う。
「ふむ。……まあ、我はどちらも知っているが、お主が改ざんしたときに、我は裏世界にもいなかったのでな。何も感じんわ」
「ちなみに俺も。記憶を型式に捧げているようだから、知らんな」
「……君たちは。……——ほんっと、張り合いがないね」
国津は、よく知るはずの縛と樹さえも同じくその争いに関心がないことに、ひどく呆れた。
「でも」
そんな呆れた国津へ、答える相手がいた。
その相手——冬に、国津は期待に笑顔で答え、続きを促す。
「あなたが、姉さんの気持ちを踏みにじったことだけは、僕にはわかりました。だからそれが、僕のこの体で、あなたがまだいた時に起こした出来事で、僕の意思ではないととしても、僕は、あなたを、許せません」
そういうと、冬はゆっくりと立ち上がった。
国津への敵意を冬が露わにしたことで、国津は更に喜んだ。
「そう。そうだよ。僕は僕だ。君じゃないんだよ。僕がやった所業は君がやったことではないんだ。僕は人を陥れることが大好きだ。色々裏で動いてその結果が実って人が堕ちていく様がとても好ましい。これは僕が人ではないから思えることなんだろうね」
国津は、自分が冬ではないということを声高に伝えた。
自分であった冬が、国津という自分を否定し、冬ではないと国津へ言うことも、彼にとって自身の確立を感じる。
国津にとって、自身が体を冬に渡して新たな体を手に入れていることもあり、自分という存在を認められているようで、喜ばしいことであった。
「許せない。大いに結構。そうやって僕が僕であることを感じさせてくれる君が好きだよ、冬」
「僕は、僕であったあなたが、僕であったことが許せません」
「許せない。いいよ、いいよ。君からのその敵意は僕にとっては甘美だ。自身であった存在から受ける憎しみや怒りはとても素晴らしいものだ。そう思うよ」
国津が笑いながら立ち上がる。
互いに似た姿の二人が睨み合う。
「そりゃそうだろう。僕が君を憎んでもいなければ君に怒りを感じているわけでもない。なぜなら君が僕にとって取るに足らない存在だからだ」
「僕はまったく思いませんけどね」
「へぇ? 言うじゃないか。だったら僕に見せてくれよ——」
「——その、弱い体で、どこまでできるのか」
「——その、弱い心で、どこまで耐えられるのか」
「——脆弱な君が、何を護れるのか」
「僕に。この皇国津に、見せてくれよ。僕であった、過去の存在」
そういうと、国津の体から、紫の光があふれだした。




