第391話:滅びの足音 4
「樹の話から推測したことを話していくべきか」
「答え合わせだね。いくらでも」
国津が縛へと話を促すと、縛はゆっくりと今起きている事の推測を話し出した。
「まず、先に樹とひよっこが話したそれは、大方合っているのだろうな」
「そうだね、粗方合ってる」
「補足するなら、『冬』としてのお主は、天津から逃げるために夏を利用した、という点であるか」
「ふむふむ? 続けて」
「天津の伴侶として選ばれた夏は、強制的に天津の分霊に耐えうる体を作ることを強要された。操られ、そして完成とともに、後悔し、その成果ともいえる姉とひよっこを連れて表世界へと逃げた。おそらく、今我らがいるこの場へと逃げようとしたのではなかろうか。ここは天津が封印されていた場でもあるでな」
そこまで言うと、縛は一度言葉を切った。
考えるような仕草を取り——いや、正しくは、後悔しているといったほうがいいのかもしれない。
それは、次の言葉で如実に感じられた。
「相談、してもらえれば、体を作ることも手伝ったし、逃げることも手伝ったのだが、な……」
天津に選ばれて精神支配を受けたのであるから、縛に相談することはあり得ない。そうわかっているが、その結果が夏を失ったことにも繋がったと考えている縛には、今ももどかしさがあった。
天津という敵に有利な体を作る。
縛からすると、妻を盗られた相手でもあり、その因縁と恨みはそれ以外のことを含めて根深い。それでも、相手に有利なことをしてまでも、そばにいるべきだったと感じるほどに後悔していることがうかがえた。
「いやいや。天津も、君が関わることをよしとしなかったんじゃないかな。だって、そうでなければ、君が勘づく頃に、追いかけるテイで表世界へと逃げたりしないだろうしね」
「ほう。そんな理由であったのか。……それは誠の話か?」
「そこに一緒についていった僕が言うんだから間違いないでしょ。『縛の主』が怖いから、ではなく、君と戦うのは分が悪いと感じたんだろうね」
「表世界へ、逃げた……?」
冬が、国津の言葉に反応する。
冬は表世界に来た時点での記憶はあるが、裏世界で生きてきた記憶はない。
両親と姉と自分。
姉に可愛がられて育ち、そして姉がいなくなり、両親が原因——正しくは、父親である天津によって起きたことを調べ上げ、復讐をするために表世界で生きてきた。もちろん姉の情報を探しながらである。
言われてみれば、と。
なぜ、天津は、夏と姉弟を連れて表世界にいたのか、という疑問が現れた。
表世界で『運送屋』という表世界で人を拉致して裏世界で売る事業を拡大するがために、というわけでもないと冬は思う。
それが、国津の言う、『縛の主と戦うことを避けた』のであれば理解もできた。それとともに、神と奉じられた天津にそう思わせる『縛の主』の底知れぬ力にも畏怖した。
「——いや、違うであろうが……まあ、なんとなく、あやつが表世界に逃げた理由はそれであるとしておこう」
「おや? それ以外にも理由があったってことかな? それは知りたいね」
「知ってどうする」
「僕だって、君たちがいう分霊という立ち位置ではなくてさ。天津を倒して自由になりたいわけさ。それが弱みであれば知りたいじゃないか。どこに彼の弱みがあるかなんてわかったもんじゃないからね。あれは正真正銘の神であるから」
僕と違って。
という言葉が、冬の心にも刺さる。
半分忌まわしき神の血を引いた冬。
その半分の血は、その神を封じ込めていた尊敬に値する巫女の血でもある。
「ああ、そういうことか。……お主、天津を欺くために、表世界に共に行ったのか」
「そうだよ。純粋無垢な自分を演じてね。そこにいる副人格の冬がその名残だね。素直で優しい弟を演じた僕。……今は、というか、今君の周りにいる誰もがそれが正としているから、冬はそうであった、ということになるんだけどね」
「……僕は、僕ですよ」
「僕が言うことじゃないけどさ、君はそれでいいんだと思うよ。さっきも言ったけど、僕はもうその体に未練はない。その体の持ち主として、君は冬として生きればいいさ」
国津は、「そこに、もう何もしかけはないよ。僕からの僕であった君へのプレゼントだ」と付け加えると、にこやかに冬を見つめた。
冬は、国津にいわれて、どこか、すっと、心の中につかえていたものが消えたような気がした。
冬という副人格であった自分。そう知った時。
主人格のスペアであり、いつか塗り潰されるのではないかという恐怖もあった。
自分という存在も、創り出されたものであり、本来の自分ではないという疑心があった。
だが、それを、主人格が否定した。
自分は自分でいい。冬として生きていい。
人に言われるようなことではないとも思う。
だが、冬の悩みは主人格である国津からの肯定で心が晴れた気がした。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。神の分霊として、元々の僕であった君への情けとでも思うといい。君と僕は、今はそういう関係であるからね。神と人。それでいいじゃないか」
国津は神であり、冬は人である。別の存在であり、神から人への施しであると国津は言った。それは国津と冬は違うという決別でもあり、国津は、冬の敵であると、そう強調したようにも冬には聞こえた。
冬は考える。
考えてみると、冬は国津に対して恨みがあるわけではないと感じた。
やり直し前に、自分の目的のために現れて樹の力を利用しただけであり、それによって冬はやり直しができた。
それがなければやり直しができなかったのであって、今こうやってこの場にいることは、感謝するべきことでもあった。
流れされている。
そう思えなくもなかった。
「……唯一あなたに感じるのは、妬み、くらいですか……」
冬はそう小さく呟いて、自傷した。
今自分の中にある国津への感情は、妬みのみであった。
自分の知らないスズを知っていることへの妬み。
スズを解放することができたのも国津である。
スズもまた、主人格であった国津のことが好きで共にいたのであり、今もそうであると思うと痛む気持ち。
自分がスズに好かれていないのではないかという不安もあって、国津がスズに近づこうとしたときに声を荒げてしまったことを今更ながらに笑ってしまう。
だけども。
スズをこの男に——自分であった他人に、渡したくない。
それだけは、改めて冬は思った。




