第384話:唐明大社にて 17
「ああ、まあ、その。なんだ?」
落ち込んだというわけでもないが、それでも落ち込んだかのように影を落とした雪に、樹は慌てて声をかけた。締まりの無い、唐突とした、なんの意味もない声かけでもある。
別に樹が悪いわけもでもないし、縛が悪いとも思っていない。
だが、縛の答えによって雪が何かしら衝撃を受けたということは確かであった。そして雪は妊婦でもある。
そんな相手の気分の浮き沈みに、何かしら影響が出てもらっても困るし、この場で産気づかれても困る。何かいい言葉で場を和ませようとしたものの、そんなの樹は行ったこともなければ、どちらかと言えば場の空気を壊すクラッシャーな樹である。
「スズちゃん、やっぱり私、あなたを助けられている……?」
ここに上ってくる間の質問を、再度問う。
「はい、私は雪さんに、助けられてますよ?」
「そう、よね? そうだよね?……じゃあ、私は、どうやってスズちゃんを、あのビルを借りて、住まわせてたのかわかる?」
「それはあの時——……あれ……?」
答えようとしたスズの言葉が止まる。
「私……助けられてる。けど……助けられた後の記憶が、ない……?」
違和感。
スズのその答えは、雪が求めている答えの一つであった。
やはり、と。雪は、自分だけでなく、その場にいたはずのスズでさえ、知らない——つまり、関わった彼女たちには空白の記憶があることを物語っていた。
「……おい、『縛の主』」
「なんだ、『天常立』」
「お前は、この状況を、何か知っているのか?」
自分が宝物のように抱きしめている妻の考える様に、助け船を出そうと縛へと春は声をかけた。縛の春の呼び方に、冬がぴくりと動いたが、それは後回しにして、縛からの答えを待つ。
「ふむ……」
縛は、じっと、雪をみた。
「……まあ、まずはお主達。母親にお参りしてから話すべきであろうな」
すっと、縛が指を差した先には、冬達がこの場所へと来ることになった、一つの目的。
母親の墓参りの対象である、皇夏の墓だ。
「ほれ。お主達——夏が心配していた姉弟ともに無事であるという報告と、旦那が出来たことや夏の孫ができること。ひよっこのほうはハーレム作ってることとかも報告が必要であろう? 樹、お主ももう一度お参りしておけ」
「なんで俺がもう一度」
「恋人ができたこととかも報告しておくといい。見ていなくとも、きっと嬉しいであろうよ。お主達のことを誰よりも気にかけていたのだから。ではなければ裏世界にわざわざ戻って助け出すための力を得ようなんて思うまいて」
まるで、自身の妻が今も生きてそこにいるかのように。その墓にここにいる家族が夏へ語り掛けることが嬉しいかのように。
縛の、彼等とその墓へ向ける表情には、慈愛が満ちていた。
それがここにいる家族に対してなのか、それとも、自身の妻であった夏に対してであったのかはわからない。
それは血がつながっていないにしても、家族というものであろうとする慈しみ、温かさを、夏という自身の妻が見れなかったこの家族の繋がりと光景を、見せたかったのだろう。
「……とりあえず、お参りしよっか」
雪が春に指示して自分を下ろさせると、重そうなその腹を労わりながら、ゆっくりと墓の前へと行き手を合わせだした。その横にはいつでも何があっても対応できるように護衛のメイド二人と枢機卿が固め、同じく手を合わせてお参りする。
「……すまない」
「お主がなぜ謝る。……ああ、夏を殺したことについてか」
春は、雪の行動を皮切りにお参りする姿をみながら、縛へと近づき謝った。
春は、お参りする家族たちとは違い、そこに眠る夏を殺した張本人である。
弱かった自分。その自分が犯した罪。
それが、その墓である。
「……俺があの時、感情を制御できていれば、今もここにいたんだろう。そう思えば、俺は取り返しのつかないことを——」
「——それはないであろうよ。夏が我と共にあるのであればその幸せは起こりえたであろうが、あの頃の我は動けなかったからな。お主が殺していなくても、たどり着けずにどこかで死んでいたであろう。だからお主は、そこで夏を止めてくれた、と考えておるよ。殺したことについてはそこまで深く考えるな。あの世界はそれが当たり前である。それに、お主がそうしたからこそ、ここに今あやつ以外が集まっておるのだ。いたら集まらぬわ」
「……そう考えてくれるのは嬉しいが、それでも殺めてしまったことは。……お前に伝えても仕方ないことかもしれないが、俺の謝罪は受けてほしい」
「ふむ。……受け取ろう。だがお主にいうとしたら、むしろ、誇りであるよ、我にとってはな。家族のためにそのように動けるということが夏らしい。だから、お主が夏を殺めてしまったということについても、それ以前に、『天常立』をそこまで苦戦せしめたということを、称賛してやりたいわ」
縛はそう言うと、雪と冬を見てから、春へと視線を向けた。
雪と冬はお参りをすませ、合流した樹とチヨを交えて情報交換と世間話をしている。それは春と縛が話す機会が必要であろうという考えからでもあり、彼等もまた、少し考える時間が欲しかったのかもしれない。
「……それに、理由もある。夏が裏世界で生きていられなかったであろう、理由もな」
「それは、話を聞いてもいいのか?」
「話しておくべきであろう。なぜなら、お主達、先の話を聞く限り、少し拗れているようであるからな。我も少し話をしたいこともある。特に、あの時何があったのか、おおよその推測をお主達に話して答え合わせをしたい」
「俺たちの情報で、なにかしら突き止められるのか?」
「十中八九、我が今思っていることは合っているであろう。だが、一つだけ、わからぬことがあってな。我はそこの答え合わせをしたいわけだ」
縛が何を話すのか。
春はあらゆる部分において、間接的に関わってきた。こと、話を聞くに連れて、自身の妻の記憶の混濁は、これからのことを決めるためにも、解決しなければならないと感じていた。
「出来れば、もう少し、休ませられる場所で話をしたいもんだが」
ちらりと、お腹が重そうな雪を見ては、その周りの誰もが雪の一挙一足にハラハラしてる様を見て、呆れながらため息をついた。
「そうしてやりたいとこではあるが、ここには我が子を育て諸悪から守るために型式を教えるつもりだったのでな、降りるのも二度手間である」
「……諸悪?」
縛達がなぜここにいたのか。たまたまかち合っただけではあるが、その理由の一部に疑問が湧く。
「永遠名天津。生神から守る手段であるよ」
「……その辺りももう少し知りたいところだが、ここで型式を教えるつもりなのか」
「山であるし。霊験あらたかであろう? 格好から入るのにもちょうど良い」
くくっと笑うと、ふと縛が思い出したかのように真顔になった。
「……そもそも。お主達は、なぜそんな修行ができる場所に、妊婦を連れてきているのだ?」
ごもっとも。
縛の当たり前の問いかけに、ぐうの音もでない、春であった。




