第380話:唐明大社にて 13
「らっくちん、らっくちんかな、かな!」
「降ろすぞ、ない乳」
「ひどっ。とかなんとかいいつつー? ほんとはいっくんもスキンシップ求めてたんじゃないかな、かなぁ?」
「……否定はしない」
「ならよし! かな、かなっ!」
上機嫌なチヨを抱っこしながら山を登る。
禁域と呼ばれ、神域とも言われる、社の裏手の道。
石碑の横にあった、封じるようにしめ縄をかけられていた鳥居。
その鳥居も雪に埋もれて半分くらいは見えなくなっていたが、縛が腕を振るえば、そこにいとも簡単に道ができた。
積もりに積った雪は溶け、さらりと階段脇を、ちょろちょろと音を立てて水となって流れていく。
螺旋のように階段は続く。その道を、最初から歩く気もなく抱っこを所望してきたチヨを抱きしめつつ、樹は縛と山を登った。
「ほれ、そこまで長い道でもなかったであろう?」
歩いてしばらく。
時間に追われているわけでもないのでゆっくりと階段を登り続け、小一時間ほど進んだそこは、山の頂上。
山と言っても小高い丘のような印象を受けるその山は、頂上には開けた空間があって、崖のようになった岩壁には小さな神棚のような社があった。
その下には、人間一人分くらいが入れるような穴があり、その穴は真っ暗で奥を見ることができない。
岩壁に絡むように、一部樹木が生えている場所に、ひっそりと三つの墓があった。
二つは今にも朽ちそうな墓であり、土塊でできているような年代を感じさせた寄り添うように連なる墓だった。
もう一つは、二つの墓から離れた場所に設置された、近代的に大理石でできた墓。真新しく、ここ何年かで作られたものであろうと思われた。
恐らくその新しい墓が——
「これが、な。我の妻、夏の墓である」
自分の、母親。
皇夏であると。樹は、縛の言葉と共に確信し、その墓の前へと自然と立つと、ゆっくりと腰を下ろし、その前で静かに目を閉じる。
会ったことのない母親。その母親との初対面。
自然と手を合わせ。安らかに眠るよう祈る。
樹がしばらくして目を開けると、隣でチヨが手を合わせて拝んでいた。
そんなチヨの頭をぽんっと撫でると、樹は立ち上がって後ろに立っている縛を見た。
「後、そこの墓のそばであるが、恐らく、お主の仲間の、『紅蓮』が消えた場所でもあろうな」
「……なに?」
「ここで何かと戦ったか、または何かを知ってしまったか、であろう。おそらくは後者であり、前者でもある。戦うまでもなく負けたと考えるべきか」
樹は祈りを済ませて立ち上がったチヨを見つめる。
縛が指した場所が、ちょうどチヨがいた場所でもあったからだ。
「え。ここで青柳さん、いなくなったのかな、かな!?」
「あれだけの強者が、戦うこともできず、か」
チヨが驚いてそそくさと樹のそばへと寄ってくる。
『紅蓮』。
A級許可証所持者、青柳弓。
彼は弱いわけではない。それこそ、新旧許可証協会のなかでも、上から数えたほうが早いほど、知識も武の力も持ち合わせた傑物である。
そんな人物が、手も出せなかったとも考えられるほどのなにかがここであった。
そう考えると、樹は背中にひやりとしたものを感じる。
「そこになにかあるわけでもないので安心するといい。残滓はあるがな」
「残滓……?」
「ここに来るまで恐らくとは考えていたが、『神隠し』の痕跡であるな。次元の揺らぎである。そんなことできるのは数がいるわけでもない」
縛が辺りを見渡すような仕草をとる。
すでにこの辺りにはその神のごとき所業を行った者はいないとわかっているからこそできる余裕の動きでもあった。
その行動に、じっとその場を見ても、何か見えるものはない。縛は『縛』の型を昇華させ、仙人のごとき力を得たからこそ、何か人には見えないものが見えるのかもしれないと樹は考え、ため息をついた。
「ここで、『紅蓮』は戦うまでもなく、『神隠し』をされ、消えた、と……」
「おそらくは別次元へと飛ばされたのであろう。戻ることはなかろうて」
「そうか……」
「意外とあっさりと青柳さんのこと終わらせちゃってるけど、すごいこと言ってないかな、かな」
「次元の違う話を詰め込みすぎて、『紅蓮』の話に構ってる暇はあまりないとは思ってるがな。それにすでに起こってしばらくなら、対処のしようもない。残念ではあるがな」
樹は、「冬が聞いたら悲しむな」とほんの少し寂しげにいうと、チヨも同意した。
誰もが口を閉じると、その場に静けさが訪れる。その静けさは、周りの冷気と相まって、刺すような寒さを感じた。
「……時々、ここに来ているのか?」
刺すような寒気の中。沈黙を破り、樹は改めて自分の母の墓を見ながら縛に聞いた。
「久しぶりではあるがな。年に一回は最低でも来ている。そこにな、死んだ夏の体はしっかり埋葬されているのでな。来てやらんと可哀想であろう?」
「そうか……」
「もっとも、普段の管理は任せておるがな。ほれ、先に言った、天音夫妻にな」
「……夫妻……? ああ、東雲和泉と。……夫婦なんだな」
石碑の前で聞いた、縛と共にこの世界を救ったと思われる縛の仲間の二人。
天音鏡と、東雲和泉。
縛の話を聞く限り、その二人は生まれ変わりだという。
この社が全盛期であったであろうその時代。その時代において『幸せを運ぶ巫女』として生きていた女性と、その夫の生まれ変わり。
「俺の先祖、になるわけか」
「我の、ではないがな。夏の先祖であるからして」
「そう聞くと、すっごい不思議かな、かな」
母親の先祖。それが石碑に刻まれた二人の名である。だが、今の二人は、縛の言葉を信じるなら生まれ変わりであって、その二人そのものではない。だけども、縛はその二人が人ではなく、神であり、研究対象だったとも言う。
「何が不思議なんだ」
「生まれ変わりって言うけど、ここに封じられている天津って神様を知ってるんじゃないかな、かな。で、その天津って縛さんの恋敵で、縛さんはいっくんのお父さんなんだから……あれ?」
「……ん? まさか……」
「ああ、言われてみれば……」
ふと、そこで、全員が一斉に気づいた。
「あの石碑を見る限り、まさか、天津は。俺の先祖でもあるのか……?」




