第377話:唐明大社にて 10
「そういえばお主達。山登りは得意か?」
トタン板の寂れたバス停から一本道を歩き続けると、目の前に大きな山が見えてきた。
今は剥がれ落ちている箇所もあるが、石でできた赤い鳥居をくぐると、急な階段があって、その階段を見上げてみると、まるで天に昇っていくかのような錯覚を樹は覚えた。
その先に社があるというのであれば、天に昇っていくというのもあながち間違っていないのかもしれない。
神を崇める社であるのだから、その上がり切った先に神の住む頂きがあるのであれば、である。
「苦労坂と言ってな。百八の急な階段からなる坂である。煩悩の数と一緒でな。一歩一歩踏みしめて歩けと小さいころによく言われたもんだ」
「ほえー……本当に急な坂なのかな、かな!」
「この坂をこれから上るのか」
「そうだ。だから、先に聞いた。山登りは得意か、と」
急な階段を上がるだけであるから、正しくは山登りではない。
そう言おうとしたところで、
「表世界に住んでいるような普通の人には、な、この坂でさえきついのだが、上り切った後に、禁域へと進むのでな。そこからが山登りだ。だから問うておる。山登りは得意か、とな」
「……なるほど」
「それに、見てみよ。この階段を」
縛に言われて、樹とチヨは改めて鳥居の奥に続く階段を見た。
苦労坂と呼ばれる階段。
階段……。
と、二人は、そこに鳥居があって階段がある、と聞かされているからそこは階段なのだろうと思っているのだが。
そこに階段らしきものはない。
そこにあるのは、積もりに積った雪だ。
その階段の周りが木々に囲まれているとしても、そこに積もりに積った新雪が深雪となってそこに鎮座していることから、誰も住んでいないことを物語っていた。
「お主達にここで声をかけたのはこれが理由であるな。昔は人がいたからこうも積ることもなく誰かしらが雪かき等を行っていたものであるが。……このような山奥でやらなければすぐに雪に埋もる」
「はー……つまりあたいたちは、これからここを上っていくってことかな、かな!」
「そうであるな。まあ、山登りというより、雪山登りではあるのだが。雪がより一層疲れをもたらすであろうな」
穢されていないその雪をこれから踏みしめるとしても、埋もれた足をそこから取り出すという行為や踏みしめるという行為で足を高く上げたりするだけでも体力は奪われる。
それが苦労坂と呼ばれるほどの急な坂なのであればなおさらであろう。
「いっくん、あたい、登れる気がしないかな、かなぁ……」
「おんぶでもしてやろうか?」
「それはそれでいっくんが疲れないかな、かな?」
「いや、まあ……夢筒縛もそうだが、俺たちは型式を使えばそこまで疲れないだろう」
「……型式……」
チヨは、裏世界に住むとはいえ、非戦闘員である。
樹や縛のそばにいれば——いや、他にも様々な戦いの中で何度も死に追いやられているチヨである。彼らが使う型式というものの恐ろしさはよくわかっているし、それを数えきれないほどに身に受けている。
「型式って……どうやって覚えるのかな、かな?」
「そりゃお前……いや、覚える必要ないだろう?」
「いやぁ……さすがにこういうところで足手まといなのかなぁとか思うと……むしろ、今までも型式が使えていたなら生き残れかもってことも、今考えてみればあったんじゃないかな、かな?」
言われてみれば。
と、樹はチヨとやり直しをしてきた今までを思い出してみる。
『焔の主』と戦ったときも、少しは使えれば、逃げることもできたのではないかとも思えば、自分がチヨを殺してしまった時だって致命傷にならなかったかもしれない。
「ふむ……一つ聞くが。『弁天華』、お主は何度も型式を近場で見ているわけであるな? 時には食らったこともある、と」
「そりゃあもー。むしろいっくんが私に着させる服って、確か型式で作ってるんじゃなかったかな、かな?」
「……待て。そのような未知の素材をお主は着ていたのか」
「言われてみれば未知の物質かな、かな!」
「型式は、一度食らえば使えるようになる、だったな」
型式研究者でもある縛が、型式で作られたその服が、一体どのように作られているのか少なからず興味を持ったところで、樹によって話が戻される。
縛は、後で樹に研究用に何かしらの服を作ってもらえれば研究もできるということもあってすぐに考えが切り替わった。
「だったら、チヨも使えるんじゃないか?」
「え、あたい使えるのかな、かな!?」
「いや使えぬな」
縛は、魔法のような力を使えると言われて嬉しそうな顔をしたチヨに、一言で絶望を与えた。
「縛さん……もう少し、もう少し希望をもたせてほしかったかな、かなぁ……」
「何か理由でもあるのか?」
「ああ、理由はあるな。……それが『弁天華』が刃渡に狙われる理由の一つでもあろう。使えぬというか、使いづらい、であるだろうが」
「……どういうことだ?」
「まあ、それはおいおい話すとして、だ。とにかく、『弁天華』は型式をおいそれと簡単には使えぬ」
「うわぁ……縛さん、使えないってそんな連呼しなくても、かな、かな……」
更に追い打ちをかけられたチヨが、その場でいじけた。
「まあ、それだとここが歩きにくかろう。それを少し軽減してやるから許せ」
「どうやってだ?」
そんなチヨを見て、縛は、まるで自分に娘ができたような錯覚に囚われながら笑った。
樹とチヨが夫婦となれば自身の義理の娘となるのであるから間違ってはいない。そんな娘が、歩き疲れるのもどうかと思い、型式を使って自身を強化できないチヨに、助け船を出すことにした。
「うぬ? 簡単であろう。『焔』の型を使えば——」
そう言うと、縛は、自身の手を振るった。
振るった先は、階段。天まで高く伸びていくその階段に振るったその手には、赤くともった炎があった。
炎は一気に周りの酸素を取り込み巨大化。
瞬く間に広がり、階段があるであろうその場所へと振り抜かれた手の軌道に沿って落ちていく。
「——このように溶かせば、少しは楽ができるであろうな」
その炎は、雪だけを焼く。
熱された雪はいとも簡単に「じゅっ」と声をあげて蒸発していく。
ほんの一瞬の出来事。
ほんわかと湯気をあげる階段が、その場に姿を現した。
雪が綺麗さっぱりなくなったことで、急ではあるが階段を歩くという行為だけとなったので、確かに余計な体力はつかわなくなった。
だけどそれよりも。
二人は、縛が行ったその行為そのものに唖然としていた。
「……」
雪を消したから、というわけではない。
それは、疲れるので積極的にやろうとは思わないが、やろうと思えば樹だってできただろう。
「さて。そろそろ歩きながら話でも……ん? お主達、どうした?」
「いや……夢筒縛……『焔』の型も、使うんだな」
夢筒縛は、『縛の主』である。
だからこそ、縛は、——いや、樹が出会ったことのある他の主、例えば『焔の主』刃渡焔も、同じく『焔』の型を極めていたからこそでもあろう。
『主』は、単一を極めた者につけられる名でもある、と樹は思っていたし、その名である型式だけを使う、と、思っていた。
「当たり前であろう」
だが、それは。
「『縛』の型が最も優れているだけであって、我は他の型式だって普通に使っておるわ。そこに忌避感はないぞ? 型式を万遍なく使えなければ、それこそ型式研究さえもできなければ、スズを液体人間等にもできまいて」
言われてみれば、そうであった。
と。
樹は、認識を改めることにしたが、やはり腑に落ちないことは確かであった。




