第371話:唐明大社にて 4
コツ、コツ、コツ、と。
ゆっくりながら、石段を歩く音が静かなその場所に響く。
辺りの木々は雪化粧。その木々が埋まる、石段と同じく段々の土地も雪に埋もれ。
だけどもその石段は、雪に埋もれずそこにあることを強調してくる。
石段そのものが、まるで熱を持ち、雪をはじいているかのように。
歩く分にはとても楽である。
周りを見る限り、腰辺りまでの雪が積もっているのだから、それをどかして急な階段を上るのかと思うと重労働である、と春は思っていた。
だけども、そのどかすべき雪は綺麗になくなっている。
その荘厳さに、一段一段、この先には神がいて、その神へ向かう一歩に、自分の死と再生が行われているかのような感覚を覚えながら、ゆっくりと大事に石段を踏みしめながら上がっていく。
そんな、異常な光景に。
これは、型式だな。と。
春はそう思う。
周りが雪に埋もれる中、石段の周囲のみがくっきりと現れたこの状況は、異常である。
これが神の仕業であるなら、それこそそこに鎮座する神が本物である証拠だ、などと、脳内だけで考えては馬鹿馬鹿しいと、何かあるたびに癖になったため息をついた。
実際この先にあるのは『社』である。
神を祭る社。
古き時代に都にも知られていたと言われる、今は廃れて消えた神域への入口、『唐明大社』へ向かう、石段である。
百八の煩悩と同じ数の急な階段阪。
この坂を上り切った先にはまだ階段はあるそうだが、そこに、第一社がある。
続いて更に奥。
苦労坂よりは比較的斜面がなだらかになるが、長い階段が続く。
その先は、禁域。
許された者しか入ることのできない領域。仕える神職の者しか入ることのできない禁足地である。
神が、鎮座する領域。
そして、小さな山の頂点。
そこに——
「——向こうに見える山の上、そこが『紅蓮』の行方が分からなくなった場所だ。そこで許可証の信号が途絶えた。なにかしらの妨害によって信号が途絶えていると考えれば、『紅蓮』がまだそこにいる可能性もあるわけだが、な」
春は、冬へ聞かせるように言った。
弓に懐いている冬に、少しでも希望を持ってほしかったからだ。だけども、言っている春本人が、許可証の信号が途絶えるという異常に、そこに弓がいないことはよくわかっていた。
「……師匠は、ここで……?」
「ああ。……で、そこに、お前の母親の墓もある」
何か、因縁めいている。そう思わずにはいられない。
『紅蓮』は何かを確かめにいき、そこで事故に巻き込まれた可能性が高い。
それが、冬達の母親に関係しているかは分からない。
そこは、そのように、神の領域でもあるからだ。
捨てられた神域。
「……お義兄さん」
「なんだ」
「……姉さんをお姫様抱っこしながら話す内容では、ないように思います」
「いいでしょー。ある意味夢よねー」
「……いや、お前、帰れよ」
「なんでー? はるが運んでくれるからいいじゃん。家族全員揃っているんだからちょうどいい墓参りでしょー?」
流石に一人にするわけにもいかず。
かといって、実は姫によって任じられた雪の護衛の『機械兵器』が辺りを警戒しているのだが、その護衛に運ばせるわけにもいかない。強制的に雪を帰還させるためにその護衛を使ってもよかったのだが、それをしたところでどうせ雪は諦めないのだろう。
それに、二体の姫に似たメイドに連れられる妊婦、というのも、妙な光景でもある。
結果、頑固で話を聞かない雪と、目の届くところにいてもらったほうがいいと、話し合いの末決まり、急な階段を歩かせるわけにもいかずに春が抱っこしているわけである。
本人の、ご要望に添って。
『ちなみに私は、冬をお姫様抱っこして裏世界を走り回りましたよ』
「どういう状況それ!?」
「……あれは、もう……忘れてください……」
『何を言いますか。あれほど至高に満ちた時間はありませんでしたよ。……姫さんのほうが抱っこしている時間は長かったですが』
「姫ちゃんも何してるの!?」
『なんだったらもう一度、抱っこされてみますか?』
「勘弁してください……」
思わず思い出す、やり直し前の状況。
スズを救おうとして、その結果負けた時のこと。
戦うまでもなく負けたあのときより、自分は強くなっているだろうかと、冬は自分の手を見てみる。
「……そうだ。この先に、母さんのお墓があると言ってましたが、スズと母さんは、なにかしらの関係があるんですか? スズもここが故郷と言ってましたが」
きっと、今は強くなっているはず。
次に出会い、戦うことになった時、勝てるとは言わないまでも、少しは善戦できるはず。
今は義兄もいる。枢機卿もいる。
決して、戦ったからといって、負けることはない。
自身の弱さを知り、まだまだ強くなれることを知り、そして仲間の大切さを知った。
そして、これから、自分の母親と、自身の出生を、自分の知らないスズの正体を知る。
考えをまとめながら、冬は先頭を歩く春の背中を見ながら隣の枢機卿に階段前の続きを促した。
『……この社は、とある神を封じていたと聞きます』
「神、ですか……?」
『ええ。さすがに私も、そのような超常的なものを信じきるわけにはいきませんが。その神を封じ、鎮める巫女。そして封印の要石としての役割をもっていたのが、『幸せを運ぶ巫女』、その後継に当たるのが、あなたの母親です』
神。
この場所に流れる空気が、本当に神がいるのではないかと考えさせるには十分な雰囲気であった。
『その巫女は、ある日、憑りつかれたように溺愛し監禁していた宮司……神主でもありますか。その男より逃げ出します。その結果、どうなりますか?』
「……神が、現れる、ですか?」
『そうです。ですが、そうしてはならないので、代わりの巫女が母親の遠い親族からあてがわれました』
「……」
『それが、水無月家。水無月スズ。それが、あてがわれた代理巫女です』
「巫女……」
冬は、一度上を見上げた。
上る前にはまだ小さかった、第一の社の入口を現す鳥居は、今は大きく見える。
空に上るかのように。そして真っ白な空を背景に見える鳥居は、とても美しく思えた。
「その先。禁足地の先の山の頂上で、私は夏さんの代わりに、神を封じ続けたの。夏姉さん、幸せになってもらいたかったから」
スズの声が、すぐ後ろから聞こえた。
「ちょ……ぜぇぜぇ……冬、ちゃん……ちょっと……話は、この後に……」
「せんぱ……みなさん……はぁはぁ……どうして、そんなに、疲れてないんですか……っ!」
その後ろに、息も絶え絶えといった、和美と未保を見る。
苦労坂。
それは、人が歩くには、辛い道。
その階段は、天へと上る、地獄の坂。
今、二人は。
ちょうど、その地獄を味わっていた。
「……少し、休みますか?」
思わず、話し始めたその腰を、自分から折ることを選択するほどに。
それこそ、雪が、『家族全員』と、和美と未保を入れて言ってくれていたことに、いつもならはしゃぎ喜ぶ二人であるのだが。
そんなことが、できないくらいに。
二人は、ひどい顔をしていた。
苦労坂とは、よくいったものである。




