第369話:唐明大社にて 2
枢機卿が歩き始めたのを見て、冬も追いかけるように歩きだす。
未保と和美が不安そうなスズの左右に分かれ、スズの手をぎゅっと握ると、共に冬の後ろを歩きだした。
『スズさんは、皆さんが知っている通り、『縛の主』に創られた、疑似人工生命体。それは知ってますね』
冬が自分の隣に来て話を聞く体勢になったことを確認すると、枢機卿は話し出した。
「はい。それは僕も記憶にあります。僕ではない主人格ではありますが、うっすらと、世界樹の中でスズと話をしていた自分が記憶にあります」
「冬……それはもう気にしなくても……」
「……」
『確かにスズさんは、『苗床』という存在で、世界樹に存在しておりました。ですが、それはあくまで『苗床』という存在となってから、となります。これが、スズさんが、疑似人工生命体と呼ばれる所以——つまりは、人間であった生命体を、人為的に手を加えたということになります』
「じゃあ、スズは、元々は、人間だった……」
『ええ。だから、冬。その知らないスズさんは、あなたの主人格も知らないのですよ。だから……」
「だから、冬……そんなの、気にしないで……」
枢機卿に目配せされて、スズは冬へ気にしないよう声をかける。
スズは、焦るかのように枢機卿の続きを促す冬を見て、冬もまた不安なのだと感じて俯いてしまう。
実際、今の冬が気にしても仕方のないことでもあり、主人格とも関係のない話を今から枢機卿は話そうとしているから、冬に気にされても困る話でもあった。
『……スズさん、話しても?』
枢機卿が後ろにいるスズを見る。視線に気づき、スズは一度深呼吸をしてからこくりと頷いた。
枢機卿は苦しそうなスズを見てため息をつくと、一度冬の頭をこつんっと叩いた。
痛くはない程度。でも痛いとは思えてしまう程度の、塩梅のいい平手。枢機卿としても愛する弟を傷つけたくないからであり、普段撫でるその頭の感触が損なわれないための配慮でもある。
「う……すう姉、なにを……」
『もう少し、スズさんのことを考えなさい。余裕がなさすぎです』
「あ……」
言われて自分が焦っていることに気づく。
何にと言われれば、それは主人格への劣等感であり、自身が仮初の存在であるという漠然とした不安であろう。
「スズ、すいません」
「気にしないで……って言っても、気になるとは思うけど、本当に気にしないでほしいかな。ちょっと、自分としても話すといろいろ変わっちゃう話だから……」
「ほんとは、お墓までもっていきたいレベルなのかなスズちゃん」
「そのレベルですね和美さん」
『今から話すことは、関係さえも覆しかねない話ではありますね』
「それ、私たちも聞いても大丈夫なんですか? スズ先輩」
「二人にも、私のことを知っておいてほしいかな。もちろん無理強いはしないけど……」
そう言って笑顔を見せたスズに、顔を見合わせてにまぁっと奇妙な笑顔を見せた和美と未保は、スズの両側面から抱きついていちゃつきだす。
「いいんですかぁ? スズ先輩の先輩への優劣なくなっちゃいますよ~?」
「話しても覆らない話だし」
「スズちゃん、意外とよゆ~。それが正妻の貫禄ってやつ?」
和美が、自分で言っておきながら「あれ? じゃあ私たちって、冬ちゃんのどこポジ?」と何気ない疑問を呟いているが、冬からしてみると、優劣をつけるわけにはいかないので、そういう話はやめてほしいとも思う。
元々、一夫一妻制の世界であるのだから、そこで三人も恋人にしている冬が悪いのだが……
『馬鹿なことを言うんじゃありません。あなた達はそのように優劣はつけられるものではありませんよ』
と、なぜかそこに枢機卿のお叱りの声がかかった。
「なんですうちゃんが怒るの!?」
『当たり前です。あなた達は等しく愛でられるべきです』
「すうさん、でもそれってこのご時世では難しくないですか?」
『難しくありませんよ。……?』
枢機卿は、なぜそこまで和美と未保が疑問に思っているかが理解できなかった。ここが、裏世界と表世界の常識の違いだったのだろう。
『——……ああ、なるほど』
枢機卿が考え込むと、すぐに答えを出した。
『あなた達、まさか。表世界と冬の事情をごちゃまぜにしていませんか?』
「「「「え?」」」」
四人が揃って枢機卿へ疑問符を投げかける。枢機卿の呆れたようなため息に、自分たちが何か間違ったことを言っただろうかと不思議に思う四人。
『冬はもう裏世界の住人です。裏世界の住人というだけでも自由をモットーとしていますし、そこに許可証という殺人をしても許されるという許可を得ているわけですから、表世界の常識が当てはまるはずがないでしょう?』
と、枢機卿に言われて、そういえば、と誰もが思う。
言われてみて気づくとはまさにこのことであった。
許可証という常識はずれな証明書を持っている相手が、法に則って動くというのもおかしい話である。
「え、それじゃ……」
『裏世界で重婚が罪、なんてこと、あるわけないでしょう……。なので、あなた達は平等なんですよ……でなければ私が冬にそのように勧めませんよ……一応、私は、世界の均衡を保つ一つであるわけですから。そのようなことはしません。許可証協会でも推奨してますよ』
勧められた記憶はないですが。
と思わずツッコミそうになった冬ではあるが、がしっと左右から和美と未保に掴まれてびくっと体を揺らしてしまい、出かかった言葉を引っ込めてしまう。
「じゃあ、旦那様として、これからも末永くよろしくだね、冬ちゃん」
「私もお二人に負けない良妻賢母目指して頑張りますよ、先輩っ」
「え、ええ……」
二人のいい笑顔に、もうそれくらいのことしか言えなくなった冬。
今この瞬間、冬に、ほぼ確定に近い三人の妻候補が出来てしまった瞬間であった。
『で、そろそろ。本題に入っても?』
呆れた枢機卿が、改めて問いかける。
だけどもその枢機卿は、自分の計画——『最愛の弟とその嫁を愛でたい』計画が、また一歩進んだことに、一人(具体的には全枢機卿)でほくそ笑んでいるのは、冬たちは知らない。
その日、世界中の許可証所持者持参の枢機卿が、いきなり起動してよく分からない歓喜の声を上げたというが、それは、ここの四人のあずかり知らぬところである。




