第351話:『縛』との密談 2
「なるほどな。……つまり、お前はやり直しを繰り返している、とそういいたいのだな?」
「……我が、そういいたいのだが、なぜお主が言うのか……」
牛乳瓶で目線を隠した『縛の主』夢筒縛は、ため息混じりに俯き頭を抱えた。
そんな動きから、樹は先制を打つことができた、と、珍しく縛の意表をつけたことに満足した。
目の前の丸机に置いてあるコーヒーカップを取り、一口含んでは、「美味い」と一息つく。自身の問いに答える気のない樹に、縛は「相変わらず読めぬ」と口元に笑みを浮かべる。
説明することなく、やり直しをしていることを伝えて先制。
それこそ言われた相手は、何のことだといいかねないが、目の前の男は『縛の主』である。
その言葉だけで、ある程度の推測はできるのだろう。
だが、その推測も。たったそれだけのことを伝えられただけであれば、あらゆる可能性を考える必要も出てくる。
なまじ頭の良い人物であればあるほど、思考は止まらなくなる。
ちょっとした、樹の嫌がらせ、でもあり、それ以上聞かれたくないためのカードの切り直しでもある。
「ふふふ……つまりお主の力を手に入れることが出来れば、我は世界を牛耳ることも出来よう」
「奴隷……お主もよくもまあ……真似できるものだな」
「似てたかな、かな?」
「似てるかと言われれば似てはおらぬな。むしろ我をどう思っているのかよくわかるところから周りにどう見られていたのかと思って新鮮ではある。……ああ、すまぬ。すでに奴隷ではなかったか。訂正しよう。【弁天華】」
樹と同じく、『縛の主』という裏世界の頂点の名を冠する存在をおちょくれる――もとい、好機と捉えて便乗した和風メイド服姿のチヨではあったが、<鍛冶屋組合>で囁かれて自身の弐つ名に「うわぁ……嫌味返しかな、かな」と、縛の仕返しに自分のことを奴隷といわれたことを忘れてうぬぬと呻いた。
縛からしてみると、久方ぶりにあった樹とチヨである。チヨのことを樹が奴隷解放したというのも情報としては知っていただけで、本来裏世界での奴隷扱いは、名前を呼ぶことさえ奴隷程度でいい、が正しい。奴隷上がりというのもまたそのような扱いである。少しはまし、程度である。
奴隷が裏世界の頂点の一人に舐めた口を聞き、それを許すというのも破格の扱いではあるのだが、二人を巡り合わせた際にも同様に、チヨは樹を、今回のやり直しのときも【やり直しの怒りと空白の世界】から助けるために縛に酷い趣向を伝えてヒかせていることから、縛もそれが自身と彼女の間柄として考えていた。縛にとっても、気さくに接する数少ない存在であった。
逆に、チヨとしては、樹と何度も何度も繰り返しやり直しを経験している。縛の扱いなど慣れたものであり、気さくに接するのもまた当たり前だったりする。
また、チヨは樹がやり直しを繰り返さないためにも、細心の注意を払って樹と縛が近づかないよう様々な動きをしていたため、今世においても樹以上に縛との接点が多かったりするので、縛に今回のようなやり取りもしても咎められることもないことは理解できていた。
とはいえ、圧倒的力を持つ存在ではあるので、危ない橋ではあるとは思う。この辺りは、やり直しによって何度も死を経験したチヨならではなのかもしれない。誰よりも死というものを経験し自身の命の軽さを知っているからこのようなことが出来ると考えれば、怖いもの知らずであるのかもしれない。
たとえこの場で殺されても。とニュートラルなところ。
冬や樹の中でもっとも自身の命を軽んじているのはチヨであろう。
だが、チヨのその考えは、今、樹と縛が相対「できてしまった」ことにより、考えを改めなければならない。
「……あ。そうか。今の、いっくんがやり直ししないから結構危なかった?」
「……いや、お前、死ぬこと前提で考えるなよ?――……っ!?」
樹もさらっと言ったものの、チヨの危うさ、そこに気づく。
普段からのチヨの行動を思い返し、樹がやり直せること前提の行動であったのではないかと。
自分の命を軽んじているのだと。
気づいて、一瞬にして青褪めた。
「……ん……? ああ、今の態度か。気にするな。樹、お主の伴侶であるのだから気にはならん」
「……ごめんなさい」
「謝るようなことでもあるまい? 自身の子の伴侶とは仲良くしておくべきであろう」
「誰が自分の子だ……」
相変わらずの言動に、樹はほっとした。
チヨという最愛が縛によって何度も殺されていることを目撃している樹ではあるが、下手なことを言って殺されるところを見るのは、流石に縛以外のチヨの死亡ケースの中でも経験したことがない。
温情にあふれる縛に、樹は感謝する。
だが、樹もチヨも、当たり前のことに気づくことが出来た。
「このやり直しは、もう、後がないってことか……」
命は、失われれば、そこで終わり。
やり直しがで来ていたからこその考えであった。
樹もチヨも。
互いの命をやり直せるという特殊な状況下にいたからこそ、そんな当たり前のことが希薄となっていた。
「……ふむ」
縛の考え込む姿に、樹の体がぶるりと震える。
特に樹は、自身がやり直しを何度も経験し、何度も様々なケースを経て、自身が誰にも負けない――大抵は本気を出せば勝てる、ないしは逃げることができると自負しているから自身が死ぬとは思ってはいなかった。
それこそ、繰り返すやり直しの後半においては、冬だろうが瑠璃だろうが『刻渡り』の春でさえ瞬殺でき、チヨを狙う『焔の主』でさえも撃退、あっさりと倒せる程度の力を持ち合わせているほどである。
やり直す場合は、事が終わってから縛を自らが探してやり直しをしていた。
縛を探すには労力がかかる。
縛がどれだけの存在であるかと考えてみると、労力がかかるというのも頷けるであろう。
裏世界で死んだものと扱われていながらも生存していると信じて疑われていない存在。そして、裏世界を自然の脅威、土地の侵食によって滅ぼそうとする『世界樹』の管理者であり、数多の研究成果により冬のような力を持った人を創り出すことに成功している存在。
更には、A級許可証所持者『紅蓮』こと、型式探求者の青柳弓をして『型式を超える力を使う存在』と言わしめる、『仙』の型ともいえる力を使うことのできる化け物。
そんな縛を、さらっと見つけられる探知能力さえも養っている樹である。
そう簡単に死ぬわけがない。
そんな樹が、戦ったことのない存在。――正しくは、戦えなかった存在、である――それが目の前の牛乳瓶。『縛の主』夢筒縛である。
今世では、敵対していない。
だが、敵対したこともあるのだ。




