第350話:『縛』との密談 1
都内。
とある喫茶店。
その喫茶店は和風のメイド服を着た接客で一部に有名な喫茶店であった。
店内もそれに合わせて、いや正しくは店内に合わせて和風のメイド服、なのではあるだろうが、明治初期の香りを思わせる照明を少し暗くして雰囲気を出している店内だ。
壁には様々な趣向が凝らされており、自由に読んでいい凝り固まった書籍や、はたまた刀掛けに置かれた太刀や短刀が話題に花を咲かせては、その窓から見える景色には近代のビルが立ち並ぶ。
過去と現在。和と洋。それらが融合しあっている、そんな印象も受けるのも、一部のコアな客層に人気であったとも言える。
とはいえ、そこまで繁盛している店というわけでもない。場所が入り組んだ場所にあるということもあり、数名なコアな客が、静かに。優雅に。様々な飲み物を頼んでゆっくりと時間が過ぎるのを待っている。
そんな喫茶店。
その喫茶店の奥。そこは選ばれた者しか入れない個室が複数室ある。
その中の一室。
樹は、そこで、この喫茶店の和風メイド服を見ながら、ことりと置かれたコーヒーを一口含んで、余韻に閉じていた目を開けて前を見る。
そして、一言。
「いい、コーヒーだ」
そう、言った。
「でしょうなっ! なんであたいがこれ着させられているのかさっぱりだけど、なんでなのかな、かな!」
和風メイド服。それを着たチヨが、樹に個室で給仕しているという状況に、樹はとても上機嫌であった。
今日もし帰ることができるなら、いや、むしろこのまま帰宅するまでその服装でいてもらおう。そして帰ったらお楽しみだ。
そんなことを考え脳裏でどうしてくれようかと考える樹である。
「本当にあんたは、あたいを見ているのか、それとも服を見ているのか、時々どっちなのかとわからなくなるわ」
そんなことさえ長年とも言える時間を過ごしたチヨにには丸分かりである。
「ん? それはお前だろ。お前が着ているからいいんだ」
「……真顔で言わないで欲しいかな、かなぁぁぁぁっ!?」
ぼすんっと樹の隣に座り、チヨは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「……いっくん、緊張してる?」
とはいえ、今はまだこれから来る本命との出会いの前。樹が静かに緊張をしていることはチヨには分かっていた。
その緊張がいったいどういうものなのか、チヨも理解できているからだ。
和風メイド服を着ているのもそのためであり、少しでもその緊張が解れればと、自分の身を捧げているようなものでもある。何で着ているかと先ほど言っていたが、本人がなんだかんだで着ているのだから、樹だけでなくチヨも毒されているのであろう。
裏世界で『コスプレ鍛冶師』等と呼ばれているのも、分かる気がした。
流行らせたのは、樹であるが。
「少し、というか……また会った時にどうなるのか、それが心配だ」
樹は、世界をやり直しをしている。
そして今回、やっと全てが上手く行ったやり直しだった。
そのやり直しの発動条件が、『縛の主』への怒り、である。またその怒りは、やり直しを行うにつれて本人の意思関係なく蓄積していき、今では『縛の主』を見るだけでやり直しの型式が発動するまでに至っている。
「……恐らく今度は、見るだけではなく、直接声を聞くくらいで、飛ぶ」
最後にやり直しをした時、更にその怒りが蓄積されたと考えると、樹はそうであろうと確信していた。
この怒りの蓄積は、やがて電話越しに声を聞くだけでも、もしかすると、『縛の主』が存在していると分かった時点でやり直しをしてしまうことにも至ってしまうのではないかと恐怖さえ覚えてしまう。
抜け出せない怒り。
そして増幅し続けてはやり直しを続ける。
やがては、やり直ししていることさえ分からないままにずっとやり直しを続ける境地へと至る。
どうなるのかさえ分からない。
そのような危険性を孕んだ型式なのであろう。
それが、やり直せるというとんでもない力の代償でもあると、樹は思っていた。
「いっくん」
そんな樹を、チヨは包むように抱きしめた。
「大丈夫かな、かな。飛んでもまた、あたいは傍にいるから」
「チヨ……」
ふわりと香るチヨの香りに、樹は改めてチヨを見る。
そのチヨをゆっくりと今度は自分から抱きしめ、顎をくいっと持ち上げた。
チヨの瞳に映る自分。
恐らく自分の瞳にもチヨが映っているのだろうと思いながら、その瞳に吸い込まれるように近づいていく。
「…………我は、この状況に、どう対処すればいいのか」
「「!?」」
気づけば、個室の入口のそこに。
心配の元であった、相手がいた。
くるくる牛乳瓶の底のようなぶあつい眼鏡をしたぼさぼさ髪の男。
自分の身だしなみには何も気をつけていないかのようなことがありありと分かるその姿。
黒のワイシャツに白衣を羽織った男。
「……夢筒……縛……」
「いい加減、フルネーム呼びをやめろと言うたであろう」
呼び出され、場所の指定をした。
だからここで出会うのは必然である。
だけども。
「い……いっくん……」
「……ああ」
樹の型式。
やり直しの型式『未知の先』の発動条件は、『縛の主』への怒り。総じて今現段階の怒りのパラメータは上限突破し、見るだけで、もしかすると声を聞くだけで発動すると想定していた。
「発動、していない……」
それはつまり。
「俺はもう……やり直すことが、ない……?」
そういうことを、意味していた。
「……やり直す?」
だが、その樹とチヨの発言は。
『縛の主』への、ある意味一つの切り札。そして交渉材料であったと思われるそれの一つを、暴露してしまっていたことでもあった。




