第345話:母の面影 1
それは、ふと。
冬の家で皆で騒いでいたとき。
ひめ姉とすう姉に思いっきりバスケで弄られて、凹みながらこの思いを義兄にも味合わせてあげようと思った矢先に義兄がチーム交代を促してくれた時。
それは恐らく、これからひめ姉とすう姉にぼこぼこにされるのであろうことが分かっているにも関わらずに、すんなりと交代してくれた義兄が気を使ってくれたのだろうと思うと、冬も断ることはできず。むしろシスコンとしては断る気もなかったし、同じように弄られてしまえばいいのにと願ったりしているので願ったり叶ったりではあった。
そんな休憩時。
「お母さんはね、私達のことを心配してくれてたよ」
「……姉さん……?」
二人っきりになった時に、姉――永遠名雪が、冬に言ったことだった。
雪も話すきっかけが欲しかったのか、それとも、その話題はどこかで一度話す必要があると思っていたのか。どちらかではあると思うのだが、冬はどちらでも、姉と話せることがあるのならそれでよかった。
「お母さん、時々、自我を取り戻してたの。だけど結局飲み込まれちゃって……今にして思うと、あれはあの男が、私の『幻惑』と同じような型式でお母さんの意識を操っていたんだなって」
「……姉さんは。……義兄さんが、母さんを殺したってことは、知ってたんですか……?」
「知ってた。……というか、知った。はるに買われてしばらくして。はるがうなされている時に、ねー。まあ、すぐに問い詰めてそうだったんだって知ったときは、どうしたもんかと、色々はるに対して思うことはあったけどね」
冬は、姉が売られてからどういった人生を歩んできたのかは知らない。自分の知っている姉が、出会ったときには名前のような髪色になっていて、且つ、裏世界で知られる存在となっていたことから、どれだけ大変な目にあったのかと、思い出したくもないだろうからとあえて聞こうとしなかったのだが、今こうやって姉の口から聞かされると、知りたい欲求は止まらなくなる。
こうやってやっと出会うことが出来て。やっと共に生きていくことが出来て。
義兄(余計なもの)もついてきてはいるが、それでも、冬にとって、やっと見つけることが出来た最愛の家族である。
冬が裏世界へ向かうことになった目標でもあった姉。
そんな姉が辛い想いをしている中、手伝うことも出来なければ、近くにいられなかったことは悔やまれることでもあった。
その代わりに、義兄――常立春が傍にいたからよかったものの、とはいえ、その役目も自分が代わりに行いたかった。
そう思うと、やはり春に対するちょっとした嫉妬が芽生えてしまって、素直に義兄と接することが出来ないは仕方のないことでもあるだろう、と、シスコンを拗らせている冬である。
なまじ、冬と春の出会いも特殊な状況であり、春にひっそりと、時には周知の事実として助けられてきた冬としては、自分から実姉を奪う敵であるのだから、心の底から、頼れる義兄としても、許可証所持者の先輩としても仲間としても、新協会長という上司としても信頼はしていても、やはり素直にはなれないものである。
「まー……私としては、ね。あの男はしょーじき、あんたのやり直しの記録から考えても許せないんだけども。母さんは同情の余地があるのよ。あんたも知ってると思うけど、母さんは私達を……といっても手元に残った冬を助けようとして裏世界に戻ってきて死んじゃったわけだし」
「……母さんって、あまり覚えてないんです」
思い出すたびに霧がかかるのは、きっと自分の中で思い出したくない過去だから。
そう思うことで冬は母親と言う存在は無視してきた。
だが、母親の死の間際や、雪から聞く少ない情報からの母親は、どこか新鮮さを感じる。
恨むべき相手ではない。
たとえ、それが姉を売った後悔からの贖罪だったとしても。それでも改心して自分を助けようとしたことにだけは、少なからず感謝すべきなのかもしれない。
「そうねー。なんでだろ」
だけども。その母親が、どうしても、思い出せない。
それはどうやら雪も一緒のようであった。
「姉さんも、母さんを覚えてないんですか?」
「覚えていないというか忘れたいというか。一応私を操られていたとはいえ、売った人だからね。もう今は名前くらいしか覚えてないわー」
「名前?」
「永遠名夏。旧姓は、皇。どこぞの神社で神様を祀る一族だったと思うわよ。巫女さんだったみたい。なんて神社だったかしら。確か……唐明大社?」
「巫女、ですか……」
「一応色々調べたのよ。すーちゃんネットワークを駆使していろいろね。……ああ、そうそう。確かお役目様って言って、由緒正しい家系だったはずよ」
んーと唸るように昔調べた母のことを冬に伝える雪。思い出せなくなって途中で諦めが入って終わりとなったが、初めて聞く母のことと自分のルーツが見え隠れして驚く。
「まあ、今度さ、一緒に家族でおまいりでもいこっか」
「え。母さんのお墓があるんですか?」
「ないわよ。ないけど、自分の母親がどういうとこで住んでたかとか、調べてみるのも面白いし、そこに行ってみるのも旅行の口実にもなるからね。……あんたんとこの家族が一斉にきたらかなりの大所帯となりそうだけど」
「流石に、そちらの三人に悪いですよ。別行動しますよ?」
「えー。あんた私と旅行したくないの?」
「したいですけども。姉さんあまり動けないからこっちについてこれないですし。こちらはアクティブに動くと思いますよ」
「気合でついていくわよ」
「それは本気でやめてください」
そんな少しの冗談交じりの会話。
やっと普通に話すことが出来るようになった姉。
これからも、そうやってまた仲良く過ごしていける。
手に戻すことの出来たこの幸福を、手放すわけにはいかないと、冬は雪と共に笑う。
「……おかしいわね」
冬が去った後。
雪はふと、疑問に思った。




