第325話:瑠璃のお仕事 10
「ニーは、さっきなんであそこで立ち止まってたの?」
素朴な疑問。
イッチは目の前で「ぎゃー」と叫んでは倒れて動かなくなる小物を足蹴にしてどかして先に進みながら聞いた。
触れる程度の力のつもりではあったが、足蹴にされた小物――女性が、勢いよく窓を突き破って落ちていった所をみて、思いのほか強く蹴りすぎたのだろうかと思いながら、ニーの答えを待つ。
イッチとニーは『A』室の実験体である。
際限なく強くなれる強さと言うものは、こと型式によるものでもなく、身体的な能力も際限なく強くなると言うことである。それは同じく実験体である遥瑠璃と青柳弓も、同じく逃げ延びた二十五人の彼等の仲間達も同一である。
二人の姿は細くもなく太くもなく、かといって歪なスタイルと言うわけでもなく、その造形は十人中十人がすれ違い様に二度見してしまうほどの美しい容姿である。
その姿に雪を思わせるような白い髪が合わさることで、幻想的な雰囲気と相成るわけではあるが、今この屋敷で行われている殺戮においては、その美しさは天使かのような、まるで夢のようにさえ思えてくるほど歪であった。
だからこそ、なのかもしれない。
一般人となんら変わらない、ただこの屋敷で働いていただけの従業員達が、自分達が行わされていた西洋にありえそうでありえない、豪邸で召使として働くという、ある種の異世界的ロールプレイの中、急に現れた血の匂いを濃く纏わせた美しい天使たちに殺されるというシチュエーションイベントが発生したのだと倒錯し、自らの命も軽々しく差し出すという行為をしだした者がいたのは。
まさしく、現実逃避である。
だからといって、そうやって命を落としていった者らは、死ぬその瞬間まで、幸せだったのかもしれない。
まさに、召される、というテイで喉元や胸へと刃を受け入れる彼、彼女達は、愚かであろう。
「……きもちわるっ」
先ほどなんとなく足蹴にした男が、吹き飛ばされたように勢いよく近くの柱にぶつかった。ずるずると柱を背にして座り込んだ男の表情が、幸せそうだったことに、イッチが心の底からそう呟いた。
意外と自分は冷静のように思えて苛立っているのだろうと思うことにした。それだけ、自分の命を差し出してくるここの従業員は不快だった。
「さっきのキッチンカートなんだが」
「ん?」
「あれ、誰が蹴って会場に送ってきたんだろうな」
ニーの疑問に、イッチも先ほどキッチンカートが会場に突っ込んできた時、誰かがそこに居た気がしたのだが、改めて廊下に目を向けたときには誰もいなかったことを思い出す。
その後イッチは会場内の一掃をするため内部に戻ったが、ニーはその後誰かに話しかけるように廊下へと歩いて辺りを警戒していた。
「……何かが、いたはずなんだが、見当たらない。……そんな感じがして嫌な気分なんだ」
「それって……」
イッチがそれを聞いて思い出したのは、この屋敷に入って階段を上った後のことだった。
いきなり手元に現れたかのように握っていたワイングラス。あれは流石にお偉い所を集めて開催されているパーティなのだから、美味しいワインではあった。
「……あれ、か」
「あれだねー……ちょ~っと、ガンマが外を終わらす前に屋敷内一掃は難しいかも」
二人があの気配が読めない何かに警戒する。
この屋敷には、なにかがいる。
それが自分達に気配を悟らせないレベルの凄腕の殺し屋等なのであれば――
「――おい、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
ニーが、自分を恍惚とした表情で見つめるメイド服姿のウェイトレスに声をかける。こくこくと、何か勘違いしているウェイトレスにニーもひくっと苦笑いを浮かべた。
「この屋敷に、何か得体の知れない化け物がいるとか、聞いたことはあるか」
「ニー……そんなの聞いても分かる分けないで――」
「あ、あの、こ、この屋敷には、座敷わらしが住んでいるって聞いたことがっ」
返ってきたウェイトレスの言葉に、二人として動きを止めてしまう。
とりあえず、腕を振るって、痛みもなく、死んだことさえ気づかないレベルで情報提供者の望むままに命を刈り取る。
刈り取った後に、再度言われたことを脳内で整理。
「座敷わらし……?」
「……ここ、洋館よ……?」
言われたことを反復するように、思わず二人はそれぞれ思った疑問を呟いた。
「あ、あのっ!」
くしゅんっとくしゃみをして立ち止まった給仕は、誰が私のことを噂なんてするんだろうと鼻をすすりながら声をかけたウェイトレスを見た。
そもそも自分は奴隷である。
この屋敷の主人がたまたま裏世界で購入した、身寄りのない奴隷であるのだから、私の噂をするとしたらこの屋敷の主人くらいなのだが、とか思う。そんな主人に購入されてから顔を合わせたこともないのだが、自分の影の薄さは、主人に最初から購入したことさえ忘れさせているのではないだろうかと、給仕は少し不安になった。
この屋敷に向かうよう奴隷商に言われてこの屋敷に着任してからもう何年だろうか。
顔を見たことのない主人と、代わる代わるの従業員。
奴隷として雇われてきた子もいたけど、そう言えばすぐにいなくなった。
もうこの屋敷で知らないことはないというほどに屋敷の全てを網羅してもそれを伝える相手も、仲のいい相手もいない。
何年も出ていないこの屋敷から、そのうちこっそり出てみようかなんて思っていたのだが、まさかそんなことができない危険な状況に陥るとは思っていなかった。
気づけばこの屋敷の屋根裏で寝泊りしてずっと生きてきた自分は、本当にこの屋敷のために役に立っていたのだろうか、なんていうネガティブな考えさえも出てきてしまう。
「こ、この道って大丈夫なんですか」
そんな陥っていく考えに終止符を打ったのは、先ほど自分に声をかけてきたウェイトレスだ。
そんな二人の不安そうな顔を見て、給仕は困る。
元より力もないただの奴隷であることをわかっている給仕は、この助けてしまった二人のウェイトレスをどうしたらいいのかと考えあぐねていた。
あんな殺し屋みたいな人をどうとも思っていない存在に襲われたらひとたまりもない。それこそ三人固まっていればそれだけ狙われやすくもなる。
もしかしたら、自分一人だけであればこの影の薄さで何とか逃げることもできるのではないかとか思ったりもしてみるが、そんなわけがないだろうとはぁっとため息をついた。
「大丈夫よ。この道、屋敷の裏手に繋がっているから」
今は用具室の扉から、一階へと降りる階段を下りているところだった。
先ほど用具室の前から去っていった殺戮者の二人が、再度殺戮を開始したことを確認し、ゆっくりと物音を立てずに階段がある扉を開けて中へと入ることが出来、今は後ろと前に警戒しながらゆっくりと階段を下りている。
この階段をくるりと何回転かした後は、一階のメインの用具室に繋がっており、そこから裏手へと出ることができる。
そう説明すると、二人は安堵したのかほっと息を吐いた。
やがて、三人が、メイン用具室の扉の前へと辿り着く。
「誰も、いないね」
ちょろっと扉を開けて用具室内部を確認すると、そこには誰もいない、静けさのみがその場にあった。
「もう少し。あそこの扉を抜ければ外だから」
給仕の言葉に、ウェイトレスの二人も用具室の中へと入り込む。
外への入口を見て、分かりやすい喜びの笑顔を見せた。
だけども。三人は。
静けさのみがある、ということに、気づくべきであったのだ。
「――はぁ、これがもしかして、座敷わらしの正体、か。ってはいっても、よぉくはみえてないからなんともだけど」
「いやぁ、これは流石に見つけられないわぁ……。見えないってどうなのよ」
がらりと。
一階用具室の部屋――彼女達がいるその入口の扉が開けられた。
そこにいたのは、白髪の、この屋敷の人間を殺し続ける殺戮者――イッチとニーだ。




