第324話:瑠璃のお仕事 9
「ぎゃぁ!」
声が聞こえる。
その声は、明らかに人の悲鳴。叫び。慟哭。
恐怖を帯びた、声。
「な、なんで――ぁああっ!」
音が鳴る。
がしゃんと、何かが割れる音。複数の割れる音。
何かが倒れる音。倒れて壊れる音。
「ね、ねえ……これ、何が起きてるの……?」
キッチンで次の食事を会場へ運ぶために高級料理をキッチンカートに乗せてパーティ会場へと移動していた二人のウェイトレスのうちの一人から、不安と不審、恐怖の入り混じった声があがる。
長い直線の廊下。その廊下は、天井の等間隔のシャンデリアは若干薄暗さを演出している。これは本来の会場をより煌びやかにする演出なのであろう。
廊下の真ん中に敷かれた金色の花模様が端々に描かれた赤いカーペット、そのカーペットに、一際明るい光が差し込む会場の出入り口を見て、固まる二人のウェイトレス。
二人には、その演出が、今や恐怖の演出でしかなかった。
目の前で惨劇が行われていると否応にも理解させるのは、その出入り口から飛び散るカーペットと同一の色の水。
会場の出入り口がまるで大きく広げた口のようで。そこから飛び出す唾液のようにカーペットと同色の水――誰かの血液は、折り重なるように会場内部の入口傍で倒れている数人の男女の血とともに入口付近を赤く濡らしていく。
「ここ、安全じゃなかったの……っ!?」
危ないパーティであるのはわかっていた。
だけども、何度もこの会場へ足を運んでそこまで従業員も多くて忙しくもなく、かといって時給も日給も高いこの仕事は、安全であると誰もが理解していた。
外の警護も、自分達が噂でしか聞いたことのなかった『裏世界』の殺し屋達だと聞いたときは、驚いたものである。
だが、その殺し屋達が金銭でこの屋敷を守っていると思えば、怖くもあるが安心もできた。なのに――
「――っ! 助けて――ぐぁああっ!」
「やめて、ころさ――」
「うぎゃぁあっ! う、腕――ぎゅぱっ」
逃げ惑う人。
少なからず何百とその会場にいたのだから、誰か少しでも騒いで逃げ出すはず。
――なのに。その殺し屋達は、何をしているのか。
助けに来るはずの殺し屋達がこない。
そんなことを思う短い間にも、会場から聞こえてくるのは、阿鼻叫喚の絶望の声。
「だしてっ! ここからだしてぇぇぇっ!」
何もない、その会場の出入り口に会場内部にいたリッチそうな女性が辿り着いた。パントマイムのように必死に叩く女性が、なぜわざわざそこで演劇をし始めたのか理解ができない。
「あ、あなたっ、ここから――ひぃっ!?」
入口から廊下――出られない部屋の外にいるウェイトレスの姿を確認すると、助けを求めるが、何かに気づいてその懇願をかき消して振り返って叫びへと声を変える。二人はただキッチンカートを握り締めたまま、固まることしかできなかった。
「こ、こないでっ!――ぎゃあぁぁぁぁっ」
その女性の両肩から胸にかけて、鮮血が飛び散る。
その鮮血は、銀色の鈍い光を帯びた刃と共に。
「ここから逃げることなんてできないから、諦めな」
「ゆ~っくりもしてられないから、とっとと終わらせたいのよね」
そんな会場を、血の海へと作り変えるのは、男と女の二人組。
先ほど、会場へと現れた、白い髪の二人だ。
その二人のうち男のほうが、会場からの光を浴びながら会場の出入り口に扉も何もない空間をノックする。何もないのに、こんこんっと、小気味いい音が小さく鳴るのは、なぜなのか、目の前で人が死ぬ瞬間を見たウェイトレスの二人にはどうでもいいことであり、目を見開くことしかできない。
やがて、彼女達は、人を殺した白髪の男がそこにいる、と、知覚する。
「き――っ!?」
「ひとご――っ!?」
その姿を捉えたキッチン前にいたウェイトレスの二人がキッチンカートから手を離し叫んだ。だが、甲高い声が会場から溢れる嘆きの声に重なろうとしたところで、一人の給仕が二人の口を塞いでキッチンカートを蹴った。
無人のキッチンカートが料理を乗せたまま、煌びやかな優雅な高級会場から、理解不能な惨劇会場と化したその場へと、勢いよくカートは進んでいく。
「おっと。……あー。そうか。……ここにいる従業員も含めて、なのか」
「え。この中に何人かウェイターさんいたから殺しちゃってるわよ。今更すぎる気づきねそれ。……でも、なかなか時間かかりそう。この会場に大体全員いたとは思うのだけどもねー」
「「この部屋外にも、いるだろうし」」
会場内からよく似た二人の声が重なり、また絶望に彩られた声があがる。
キッチンカートに乗っていた高級料理が、真っ赤に染まってその場に肉が倒れこむ。
カートが倒れて盛大に中身をぶちまけては、辺りに大きな音を立てた。
「んーっ、んーーっ!?」
「しっ、静かに」
暴れて逃げようとする二人のウェイトレスを、背後から口元を塞いで押さえ込む給仕が、静止を促す。
その声が同業者だと気づいたウェイトレスが、パニック状態から少しずつ落ち着きを取り戻していく。
だが、給仕は、二人を落ち着かせたとしても、すでにこの二人は、あの人殺したちに姿を見られているだろうと思った。
あの場で固まっていた二人を助けたところで、自分さえも命の危険に晒される。
どうして助けてしまったのだろう。
給仕は、無視して逃げるべきだったと思いながら、ため息をついた。
「今は静かに。そこまでさっきの人来ちゃってるから。喋らないで」
「「……」」
二人が壊れたようにこくこくと頷いたところをみて、二人の口元を塞いでいた手を離した。
「は~……あと、何人ここにいるのか、そこにいるやつ、知ってたら教えてくれないか」
三人が隠れたのは、今は誰も使っていない用具室だった。
その用具室に、会場から一人――声からして白髪の男が近づいているようだった。
その質問のような、聞いたところで何も変わらないような、そんな質問を投げかけながら用具室へと近づいてくる男に、給仕はやはり気づかれていたと感じて身を強張らせた。
恐らく男に、自分が二人のウェイトレスを連れ去るように隣の用具室に駆け込んだ姿を見られていたのだろう。
キッチンカートを蹴って注意を向けることに成功したと思っていたのだが、浅はかだったと、二人を助けようとしたことを改めて後悔する。
「隠れてないでとっとと出てきたら、痛み感じない程度に殺してやるけど、どうする?」
そんなことを聞かれても、殺されるのなら出て行くわけがない。
用具室の奥へ奥へと、二人を庇うように下がっていく。背後をちらっと見ると、自分達が入ってきた扉とは別の扉が会った。この用具室には、屋敷の裏手へと続く道があることを知っていた給仕は、その扉の先に、一階へと下りる階段があることも知っていた。
男が入ってくる前にその場へと、気づかれていても気づかれないようにゆっくりと移動してその扉へと辿り着けばまだ生きる可能性がある。
用具室の扉の前で、男が止まった気配を感じた。
「き、きゃぁああっ!」
外から聞こえる複数の声。
別のウェイトレスやウェイターが、騒ぎに気づいて会場へと赴こうとして、この屋敷で起きている異常事態に気づいたようだ。
壁を挟んで、ざわざわとしたざわめきのような気配と、慌てる気配を感じる。
「え。なに、まだこんなにいるの?」
用具室の前に、もう一人の、殺戮者が辿り着いた。二人がこの場にいるということは、会場内はすでにコトが終わった後なのだろう。
給仕は、今この瞬間にも扉が開かれるのではないかと、息を吸うことさえ忘れてしまうほどに動きを止める。それは左右の背後にいるウェイトレスの二人もそうであったようだ。
「あー……ちょっとまだかかりそうだな」
「そうねぇ……。まあ、ガンマのほうもまだ戦ってるみたいだから、もうひと頑張りしちゃおっか」
二人にとって、殺しとは日常。
そう思えるほどの他愛ないやり取りに、給仕は戦慄した。
この二人は、自分達とは違う世界の住人だ、と。
こつこつと、小気味いい靴音をたてて用具室の前から二人の気配が離れていくことを感じた給仕は、「助かった……」と呟いてその場に力なくへなへなと座り込んだ。
まだ、その扉の先からは、殺戮が起きていることがわかるほどに、叫び声が聞こえている。




