第319話:瑠璃のお仕事 4
まるで、すっと音が出ているかのように。
その音は明らかに何の抵抗もなくそれを受け入れた肉達が起こした音だ。
肉は左右に分かれていくことに違和感を感じることなく、それが当たり前かのように分かれていく。いや、正しくは、分かれていくではなく、裂けていく、が正しい。
その現象を起こしたモノは、たった一つの金属だ。
流れるように、それがそこにあることが正しいかのように。
その場にそれがあり、そこに置かれていることが正しいと思えるほどに、優雅にその場に突き出された金属が起こした現象だ。
そこに現れた肉が、吸い込まれるように金属に触れ、そして左右に裂けていく。
そうなることが当たり前。
そんな言葉が正しいといわんばかりに。綺麗に、断面もまた綺麗に。
肉と骨と管と。
それらも今までそばにいた仲間達が離れていくことが当たり前だといわんばかりに、離れて裂けて行くその行為に、なんの疑問も感じなかったのであろう。
だからこそ、その管は血液を流すことはなく、そこで停滞し。
肉も柔らかさを持ったままに裂けていき。
骨もまた、白光するかのような断面を見せる。
「……あ、……――れ……?」
ただ一言。
目の前の視界が左右に遠くになるにつれて、自分の身に何かが起きたことに気づいた男が、疑問の声をあげる。
裂けた。
そう自分は裂けたのだ。
そう思う。そう感じる。そして、理解する。
死んだ。
と。
ぱぁっと、男が理解した瞬間なのか、一斉に左右に分かれた体から噴き出した赤い液体は、虹を作るのではないかと思うほどに――いや一色の虹かのように綺麗に弧を描いて互いの左右の体を濡らしては地面に横たわる。
呼吸を忘れたかのように、赤い液体――血液が循環することを忘れていて、思い出したかのように循環を開始したことで起きたかのように、それは噴き出し続ける。その先に元々あった管という道がないことにさえ気づかずに、そのまま内包液を外へと発散させていく。
それはまだ、血液を送り出す心臓が生きている、生きていたと認識したままだからということに他ならない。
体がまだ左右に分かれていないと認識しているということに他ならない。
やがてびくびくっと左右に倒れた体は震えて動かなくなる。
全ての血液が出きったからなのか、それともそこまでその男は生きていたのか。
それはその状況になってみないと分からないだろう。
そんなことを起こすことのできる一瞬とも言える瑠璃の行動。
これが、瑠璃が瑠璃として。
裏世界で期待のルーキーとして。
【シリーズ】という名称を与えられた存在として。
『ガンマ』という許可証所持者が。
圧倒的なまでに力を持っている。そして、裏世界の殺し屋達に恐れられる力である。
これは。いま目の前で男が二つに裂けていったのは、単なる、技術。
そう、技術が起こした、現象だ。
瑠璃は、ただ、男の進行方向に金属――腕から生やした暗器であるカタールの刃を向けただけなのである。
その動きがあまりにも自然で。その動きがあまりにも優雅で、流れるように美を追求したかのように――そう、流雅と言うべき動き。
そしてその動きが美しさに相まってあまりにも早い。――外から見ると、そう見えていたのだが、正しくは、瑠璃は出来るだけゆっくりとした動きで動かしているのだが、瑠璃以外にはそれが早く思えるよう。
あまりにも遅く、あまりにも美しく、あまりにも自然だからこそ。
その場に。目の前ににいきなり刃が現れていても、何も違和感なくそこへと吸い込まれていくのだ。
瑠璃は以前、許可証試験の際に冬と共闘した時にも同じようなことを行っている。
第一次試験。
森の中でのサバイバルにおいて、冬と念願の再会を果たした瑠璃は、自分達と遭遇した殺し屋の一人に対して同じようなことをしている。
あの時は殺し屋は俊敏な動きで相手を翻弄し、隙を見て殺しにかかってきたが、瑠璃からしてみればあまりにも遅い動きに、次に相手がどこに行くのか地点を予測しやすく、その場に刃を置いただけではあるのだが、まさにそれと同じ技術である。
周りが早く動くほどに目まぐるしく変わる世界に、脳内の信号は慌しく状況把握の処理をする。
そうして処理の中で抜け落ちていく信号をいかに掬い上げるのかが、高速戦において勝利を掴む重要なファクターである。
その状況把握の中で、誰からも気づかれることなく刃を目の前に差し出す。
この行為をいかに把握させないか。
それは、動いているのかさえも分からないほどに、どれだけ遅く動かすか、である。
その極みに到達した瑠璃は、更にその動きを昇華させる。
遅く動かすだけでなく、いかにその動きを美しく見せるか。いかにその動きを相手に見せながらも気づかせることなく動かすか。
矛盾。
その矛盾を。その虚を狙うかの如くの動きを、息を吸うかのように彼は成し遂げる。
彼の名を裏世界で轟かせる。
その一端が、この技術なのである。
だが、それを熟練した殺し屋達といえど、二十人という数がいても、誰も理解ができない。
その二十人――すでに何人かは減っているが――全員が瑠璃の動きを見ているにも関わらず、である。
「何が、何が起きている!?」
一人の殺し屋が叫ぶ。
その時にはすでに近くにいた彼の仲間が同じく二つに裂かれて倒れていく。
「何って言われても、ねぇ?」
屋敷までの進行方向。その最短距離である直線上にいた殺し屋達数人が、同じように裂かれて倒れていく光景は異様だった。
瑠璃には、更にもう一つ。
その熟練した技術と、殺し屋達が慌てふためくその光景を為しえる技術を持っていた。
「予測したら、大体いけるんじゃない?」
予測。
このように動いたら相手はどう動くのか。
もしこのように相手が動いたら、その後どう動くのか。
それは幾千にも分かれる選択肢だ。
戦いの最中。
どうしたらいいか、という選択肢は脳内で常に現れる。戦いだけではない。その選択肢はどのような行動においても現れるものだ。
しかし、戦いにおいては、その選択肢を選んでいる暇はない。
戦いである。命と命を削りあっているのである。
そんな選択肢に身を任せて、もし間違っていたらどうなるのか。
そんな予測をアテにして、動いて命を散らしては元も子もない。
直感。
特に戦闘時における即座の判断は、今まで培ってきた経験がモノを言う。
戦ってきた経験を脳や体が覚えていて、とっさに無意識に動くのだ。
そんな中に、予測や選択肢はありえない。
瑠璃は。
あえてその選択肢に身を任せていた。
もちろん、直感も大事である。
こと今回のような技術においては、彼は直感よりも予測を大事にしていた。
その結果生まれたのが。
未来予測。である。
瑠璃は技術を昇華させて行く過程で、数秒後の未来を見ることができるようになっていた。
それは冬達がやり直す前、『焔の主』と戦った瑠璃も行っていたことである。
未来を予測することで、避けられるはずもない攻撃を、避けるために事前に動く。
脳内で処理する能力を限界まで突き詰めた結果。
その結果、彼は取捨選択を詰めに詰め。その選択肢を潰しこむことで、その未来を予測することができるようになっていたのだ。
ソレができるからこそ、瑠璃のこの技術は、完成したのである。
瑠璃からしてみれば、その数秒先に相手がどのように動くかが分かれば、そこに暗器を置けばいいだけであるのだから。
そして。
その瑠璃が、裏世界で培ってきたこれまでの技術と経験、そして直感を、この未来予測とあわせれば――
「あ、道できたよ」
何気なく、今思ったことをそのまま伝えたかのような瑠璃の一言。
イッチとニーに向けられた言葉であるのだが、先に瑠璃より先に屋敷へ突入する気概を背負っていた二人は、それよりも先に動いて処理をする瑠璃に、ただただ呆れるしかなかった。
後でもこの瞬間にも二人は思う。
「私(俺)達、いらなくね?」
と。




