第283話:廃墟の攻防 12
『総曲輪』
地方の商店街にありそうな、それでいて、城の外堀のことを曲輪と呼んでいるからか、そんな名前のニュアンスが似ている、または漢字がそう読めるからという安直な理由で名前を変えられた気がするその技を心の中で改名しながら、冬はぱんぱんと埃を払いながら立ち上がった。
そんな数分だけの、緊張感を途切れさせる小休止のような時間に、冬は自分より上手な複数人の殺し屋との戦いで高まった感情をリフレッシュさせてくれた姫に感謝した。
だが。
それは、二人が今の状況が互いに正しく理解できていなかったことで起きた不謹慎ともいえる行為であったと、二人はすぐに嘆くことになる。
とはいえ、そんな小休止があってもなくても、むしろあったからこそその先へと繋ぐことが出来たのかと思えばいいのだが……。
「冬くんっ!」
黙々とその場の視界を遮っていた粉塵の煙たさが落ち着いた頃。
大きく穴の開いたその壁の向こう側から、「けほけほ」と軽く吸ってしまったのか苦しげな声を出して最初に現れたのは香月美保――ファミレスの店長だった。
「冬……っ」
香月店長の声に一斉に奥から走り向かってきたのは、冬の最愛であるスズと、当時就業していたファミレスの従業員達数名だ。
「スズ……よかった。……皆さんも、無事でっ!?」
突進するかのように抱き着いてきたスズを抱きしめながら、助けることができたと安堵の気持ちを感じる。だけども、今は押し込み、誘拐されたみんなの安否を確認する。
「私達は大丈夫よ。それよりも、和美さんと未保さんはっ!?」
香月店長が冬の背後で布に包まれて気絶している和美を見つけてまずは一つ安心とほっと息を漏らす。
「後は反対側の暁さんだけではあるのですが――」
『安心なさい。救出しております』
冬達のいる部屋の、今は扉のなくなった入口から入ってくるメイドが一人。
鮮やかな緑の髪を、ギブソンタックに整えた、濃緑の衣装のメイドだ。
「すう姉っ!」
『救出はできているのですが、少し問題があります』
そのメイド――枢機卿に大事そうに抱えられて眠るように小さくなっているのは、暁未保。隣の部屋で薬を打たれたと言われていた彼女だ。
「暁さん……無事で……」
冬が近づいて声をかけようとしたとき、彼女はびくりと体を震わせた。
震わせては痙攣し、艶やかな声を静かにあげては枢機卿の腕の隙間からぽたぽたと水が零れていく。
注意深く見てみると、彼女は苦しそうに全身の衣服を水を被ったかのように濡らし、溢れた水が枢機卿の腕から漏れ落ちて地面を転々と濡らしていた。
それを見た姫の表情が、状況を瞬時に理解して途端に険しく苦々しく変わる。彼女もまたやり直しを経験しているからか、この状況に既視感を覚えたようだった。
『……特に冬。貴方は言動に気を付けるのと、暁様の為にも近づいてはいけません。むしろ、喋らないように心掛けなさい』
「しゃべ……え……」
喋ることさえ許されない。
機械の体を得てから落ち着いていた枢機卿の口調。いつもの辛辣な枢機卿がまた戻ってきたのかとも冬は思うが、そうではないと彼女の乏しい表情が伝えてきた。
冬は、何が起きているのかと辺りに気を配って情報を得ようとした。
もっとも情報を得られるのは、枢機卿によって連れてこられた未保だけである。
彼女から流れているように見えるその水が一体なんなのかと冬が疑問に思ったときに、枢機卿が冬から未保を護るように隠した。
意識はない。確実に彼女は気絶している。
だが、この場の声や音、その大気の震えだけでも、見える肌を紅潮させてその度に震えてはまた液体を零す彼女に、冬は何が起きているのか分からず、ただただそこで呆ける。
枢機卿が胸に抱える彼女は、その場にいるだけでただ辛そうに体の制御が効かないようであった。
制御が効かないから、枢機卿が意識を失わせたのだろうと、それだけは理解ができた。
冬が、安否を気遣いながらも近づけさせてもらえず、どうしたらいいのかとほんの一瞬思考している間、周りにいたファミレス勢が未保の容態に気づき、うろたえながらもすぐに枢機卿と同じく冬から未保を隠すように動き出す。
冬が悪いというわけでもなく、ただ彼女を守りたいというだけの行動ではあるが、どうして自分だけがダメなのかとずきんと心が痛む。
「……いいですか。冬。彼女は裏世界御用達の高純度の媚薬をうち込まれています。……やり直し前と、一緒です」
冬の耳元でこそりと、姫が未保を案じてか小声で言う。
「安易に、敏感といえばわかりますか。特に気絶していても耳は音を拾うのですから無意識にあなたの声を聞けば震えるのですよ」
「僕の声で、ですか……なぜ……?」
「正しくは。あなたの声だけではなく、ですが。あなたの声が一番効果的でしょう」
その言葉の意味に、和美から聞いてた『薬』というものがなんだったのかを知り、その媚薬を打たれたと思われる、布に包まれて静かに眠る和美を見た。
助けに来た時。
自分が抱きしめていた彼女がどうして気絶したのか、妙に艶かしかった彼女を思いだして、和美も必死に堪えていたのだと思うと、自分は本当に助けとして間に合っていたのかと自問してしまう。
どれだけの濃縮なものを打たれたのだろうか。
そうは思うが、冬はその薬を、そして裏世界で作られた薬というものを、まだ侮っていた。
そしてそれは、一年前に未保を助けるきっかけとなった裏世界の試薬から、まさに助けられたからこそでもあったのだろう。
まだ、助けることができる。
今度も助けることができるはず。
安易な考えを、冬はまだ持っていた。
「冬。看板娘さん達は、冬のことを想っています。それはわかりますね?」
姫の諭すような言葉。
その言葉は冬と冬に抱きついているスズに伝えていた。
スズが冬の抱きしめるその腕から姫へと顔を向ける。姫の表情からスズは読み取ったようで、こくりと頷くと冬を真正面から見つめた。
「……冬。私は、大丈夫だよ」
「何がですか……だって、やっと……」
スズが、自分を抱く冬の腕を優しく下ろさせた。
「……水無月様のほうがあなたより状況を理解できていますね」
「だって……二人がいつもあんなにも冬のこと想っていたの分かってるから。無事でよかったけど、よかったけど……辛そうな未保ちゃん見てたら……それに、私は……」
「……いえ、本来は無事ではないのですが、あなたも」
「え?」
姫が悲しそうな表情でスズの頭を優しく撫でた。
スズの言葉の続きが、姫にも似たような経験があり想像できていたからだが、それはこの場で言うことでもなかった。
「冬。……看板娘さん達――杯波様も暁様も……暁様については、もう難しいと思ったほうがいいです。杯波様のほうはしばらく待てば排出もされると思いますので、目が覚めたときは後遺症が少し残る程度ではあると思います。ですが、それでも……」
「……何の話ですか」
分かっている。
冬には、姫が何を言っているのかは分かっていた。
でも、それでも、それを認めたくなかった。
なぜなら、彼女達は、まだ目の前にいて、まだ生きているから。
助けられるはずだと、まだ、思っているから。




