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第276話:廃墟の攻防 5

 それはそれは。

 とても短い時間であった。

 だけども和美にとってはとても長く、スローのような光景に映っていた。


 最初は痛みはなく、ただそこに刺さったという感触のみが伝わった。

 その突き刺さる瞬間を凝視していたからこそ、浮き出された血管に細い針が突き刺さっていることが分かった。

 よく、注射するときにじっと見てしまうのとは違う、確固たる拒絶と恐怖に彩られた凝視ではある。

 血管に突き刺さり、その時に初めて、ちくっとした痛みが内部から湧き上がり、和美は顔をしかめた。


 痛いのは当たり前。

 この目の前の男が注射器を扱うことに長けた医療従事者か何かでも、血管に突き刺さった時点でどれだけ細かろうが痛みは伴う。


 予防接種のように筋肉に刺して注入しているわけではない。血管に何かを注入するための行為であるなら、それは尚更である。

 血管に異物を突き刺しているのだ。その異物に液体をこれから流し込むのだから、そこから先も恐らくは違和感を覚えるのだ。


 和美は恐怖の中に、その注射針が刺さった時点で、全てを悟る。 




    助かることが、出来なかった。と。




「――ぁっ」


 男がゆっくりと、押子――プランジャーを押し込んだ。


 その押し込みからシリンジ(注射筒)を通して、針を通ってその先へと内部の液体は流れていく。

 流れていくのは、少量の液体だ。

 少量の液体だからこそ、それはあっさりと。

 だけども和美が凝視するその目には、その脳内では。



         ゆっくり、と。



 ゆっくりと、ゆっくりと、液体は流れ込んでいく様を、血管から全身に回っていくような――血管を流れる血液とは違った、針から流れていく酷く熱く感じる別の液体が、体を駆け巡っていく様を、視覚からも、体内の鼓動からも、次第に鋭利になっていく触覚からも感じていく。







 ――ああ。

 これでもう――







 体を少しずつ火照らせていくその液体の名が。

 即効性の媚薬なんだと。彼等の言葉からも推測ができる、直接血液から流し込まれたそれが、人を快楽へと狂わせる薬なのだと、まさに体を通じて理解する。



 直接注入されるものと、内服剤や皮膚用薬とは違いがある。

 それは、即効性があるかどうかである。

 血液は体全体を新幹線並みの速度で駆け巡る。

 だからこそ、そこに薬を注入すれば、巡りは早いのは当たり前である。



 和美は、入ってきたそれに。

 自身の体を周りの男達に委ねることをいいと思考させるその薬に思う。




 これでもう――

 身を委ねるしか――






 彼女は、ゆっくりと。

 体を駆け巡るいいようのない激情に耐え切れず、背後の男へと、身を寄せて預けた。


 触れるだけで一つの感情を揺さぶる痙攣。

 触れられるだけで――ただ空気が揺れるだけでも、擦れるだけでも一つの感情を脳裏に浮かばせる。


 ただ、ただ。



   気持ちがいい。



 そんな感情だけが彼女の体と脳内を支配していく。



 こんな少量でこれだけであれば、隣で二本も打たれたといわれた友人はどうなっているのだろうかと、自分も打たれたらどうなっていたのかと、更にその気持ちよさを得たいと欲望が溢れていく。


 隣の彼女を、羨ましいとさえ思えてしまうこの脳内感情は、本当に、薬のせいなのだろうかと、彼女の心さえも侵食していく。


 本当は、自分の体は、求めていたのではないだろうか。

 本当は、自分の美を見てもらいたいのではないだろうか。

 触れて触れられて、自身の体を貪り尽くして尽くされて、ただ気持ちいいという快楽を得たかったから、素直に受け入れたのではないだろうか。


「あぁ……すげぇいい顔してるな」

「トロ顔だっけかー? こりゃ、たまらんなー」

「お、ちょっ、動いてた俺が言うのもなんだけど、小刻みに動かれると――」


 耳から入っては脳内に響く、興奮しているかのような男達の下卑げびた声。

 そのような声さえも自身の体を震わしては脳内から分泌される快楽の渦へと変わる。

 体を駆け巡る熱さに、男達の手によって自分の衣服が破るように解けていくことに解放感と涼しさを感じながら――


 彼女――



    杯波和美は――

 






        ――堕ちていく。































        『流星群ちゅうにびょう!』





 そんな声が聞こえたのは、扉が開いた音とともにであり、和美が全てを彼等に任せてしまおうと自ら身を捧げようとした時だった。


 その声は、和美の体に回った薬の効果をより覿面に。

 ぶるりと和美の体を声だけで震わせ、びくりと体を揺らす。


 辺りに響いた轟音。それは扉を開いた音ではなかった。



 十本の『糸』によって扉が吹き飛んだ音だ。



 その糸が幾つもに重なりあって出来た、一つの大きな槍。



 糸の槍が。

  この部屋の唯一の出入り口である扉を吹き飛ばしたのだ。




「な、なんだ!?」

「お、とびら――」

「お、おいっ!」


 一瞬の隙。

 和美を囲んでいた男達の体をその大きな扉を開く音で強張らせた瞬間。



 和美の体に、一瞬で巻きつく何かがあった。


「……?」


 ぼーっと動きを止めた和美の体を覆うは、




         『布』



 四片の布だ。



 その布が、彼女の半裸となった体に巻きついては、辺りの男達を蹴散らし遠ざけて部屋の中央から奥へと移動させた。

 まるで自分の意志を持つかのように蠢くその布は、扉の前の、ある一点から射出された、まるで天女の羽衣のように薄い自動迎撃システム。

 その羽衣は、今は和美を守るためにフル稼働して彼女の体に巻きつき離れない。


「――ぇ……ぁ……――」


 霧がかかったような脳内で考えるが、先程までまさに目と鼻の先にいたはずの男達が自分から離れている状況に、何がおきたのか和美には理解が追いつかない。



「な、なんだこの――っ! 布!?」

「こ、こいつっ!」

「離れろっ! きられるぞ!」

「杯波さんっ!」



 遅れて聞こえる声に反応して、和美の体はまた弾けるように身震いする。


 近づく男達を牽制する二片の布と、和美に巻き付く二片の布が、《《何か》》を引き寄せた。



「わ、わっっと!?」



 和美はまだ意識が残るその脳内で、その声が誰かを特定する。



 ――その声は知っている。



 気づけば和美を包むように守るように囲んでいた布は、ぱさりと音をたてて地面に落ちて。

 代わりに力強いその人の温もりに包まれていた。


 まるで守ってくれているかのように、自分を片手で抱き寄せる人。


「――っ……ぁ」


 薬を打たれる前から求めていた人。

 薬を打たれたからこそ望む人。

 何年も前から焦がれた、恋人のいるその人。



「大丈夫ですかっ!? 杯波さんっ!」



 決して自分のことを名前で呼んでくれない愛しい人。

 いつか名前で呼んで欲しいと思えるその人。



「て、てめぇ!?」

「近づかないでくださいっ!」

「近づかねぇとてめぇ殺せねぇだろうがぁ!」

「だったら……僕もあなた達を倒すために相手になりますっ!」

「当たり前だぁ! てめぇにまだ何も楽しめてねぇ俺たちの玩具で遊ばせるわけねぇだろうっ!」


 男達の腕から、かしゃんっと錫杖が鳴るかのような音がして、切れ味の良さそうな刃が現れた。


「おい、あいつ」

「ああ……少し前に裏世界で賞金首になってたどでかい獲物じゃねぇかっ!」


 突如姿を見せた目の前の人の、和美を抱き寄せる腕に力が篭る。

 その篭った力で更に寄せられては、和美はそれよりも今自分を抱き寄せるその人の姿をぽーっと見つめることしかできない。



「行きます――」






      『――無用心ぶようじんっ!』





 叫んだその人の体から溢れる優しい風に乗って、周りに細い『針』が浮き上がった。

 衛星のように二人の周りにふわふわと浮くその針は、常に切っ先を男達へと向けて牽制する。



「助けに……きてくれたの……?」

「はいっ! きっと助けますっ!」



 とろりとした聞き慣れない和美の声と、和美の半裸に、驚きごくりと喉を鳴らすその人は、一瞬和美に目を向けてはすぐに目の前の男達を睨みつけ、和美へと返事をすぐに返した。



 ――そうやって。

   いつも助けてくれるから……



  だから離れられないんだよ。






「――だから、大好き。冬ちゃん」





 だけども。

 その、ネーミングセンスない、その名前は――




 ――冬ちゃんらしいね。




 私を助けに来てくれた、大好きな人。






 そこに、いるのは。





         永遠名冬。




 未来から彼女達を救いに来た、いつだって彼女のヒーローだ。

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