第275話:廃墟の攻防 4
「あの子、一本でも狂うらしいのに二本打たれてたからなぁ! 汗かいて必死に耐えてるんじゃないかぁ?」
「耐えられなくて、一人で悶えてるほうがしっくりくるな。……ああ、その場合は汗ではなさそうだな」
「あー、それはそれで見てみたかったかも。まだ何人か残ってたっけ? あっちも楽しそうだけどちょっと見てこようかな……」
「構わないぞ。こっちで楽しめる時間が増える」
「なんだよそれ。俺も混ぜてくれよー」
今、自分の目の前に出されては、ゆっくりと会話しながらも、その注射筒に注射桿と注射針が差し込まれて、よく見たことのある注射器が出来上がった。
「実験とはいっても、最後は狂ったあの子で楽しむらしいが、まぁ、時間とか測ってるのと、発狂して死ぬまで犯され続ける様を撮影して販売するらしい。裏から流れて表に流出するだろうから、万が一生きていても、痴態がいい感じに拡がって、暮らせなくなるだろうな」
「ひっでぇ。俺らってなんて酷いんだろうなっ」
「考えたのはあの人だけどな。それにお前は隣に行くんだろ?」
「あれー? 俺だけ本気で仲間はずれにする気かよー」
こんっと、注射筒を中指でデコピンのように軽く弾いて、針への液体の通りを良くするためか、少量の液体を針から射出してにやりと笑う男。
隣の部屋に連れて行かれたあの子――暁未保は、自分より先に打たれて苦しんでいるとも聞いて取れるその話に、同僚でもありライバルでもある未保の心配をしてしまう。
――してしまうのだが。
その心配は脳の片隅にほんの少しある程度。
今はそれよりも、自分がこれから同じことをされてしまうのだということに恐怖が和美の脳内を支配していた。
「最初はちくっとするが気にするな」
「お? なんだよ。お医者さんごっこかぁ?」
「そう言うプレイは、小さい頃じゃなくて大人になってから実践してみると堪らんもんだぞ」
「そういうマニアックのはいいやー」
「……今からするのだが?」
狂う。狂う。
狂っていく。
私はきっと、この薬を打たれて。
狂って目の前の男達に玩具にされる。
和美は隣の部屋をちらりと見た。
見えるはずのないその分厚い壁の向こう側では、すでに何人もの男が未保一人相手に、狂乱と情欲にふけているのかもしれない。
目の前の男達が自分に何を求めているのか、経験のない和美でも、理解はしていたし、その注射器に入ったそれは知識としても知っている。
「……」
そう思うと、体の奥から恐怖のためか、自身を守るための代替案がゆっくりとじわじわと心を満たしていく。
逃げることができないことは理解している。だからこその代替案。
死ぬなら、
最後は気持ちよくなって
死んだほうがいいのかな。
そんな想いだ。
左右の壁に仕切られたその先にいる同僚達の誰かがもう一人でもここにいれば、もう少し他のことも考えることはできたのかもしれない。
だけども、彼女は、ただ裏世界に足を踏み入れてしまった、一般人だ。
力を持たない――ただ情報屋として情報を手に入れて大事な人を助けたいと思っただけの、庇護がなければ、何も出来ない、か弱い女性だ。
そんな彼女が。
裏世界で殺しに明け暮れては、あくどいことに手を染めきって抜けることもよしとしない彼等の手から抜け出すことなんて、到底不可能なのである。
すでに和美は。
逃げることも、助かることも。
この時点ですべてを諦めて、彼等に弄ばれるほうが楽になれるかもしれないと、思いだしていた。
なぜなら――
「――ありゃ? なんだよ。もう抜け出そうとしねぇの?」
「……」
「意外と、動く子を無理に抑え込んでるとことか、いい匂い付きで身を捩ったりしてるとこ、良かったんだけどなぁ」
ほんの少しの抵抗として、何度も体を動かそうとして、後ろから自分を抱きしめる男から逃げようと動かしても、ぴくりとも動かない結果があったからかもしれない。
動いたことで相手を喜ばせることになると聞けばそれは尚更でもある。
「おーい、そろそろ始めるぞー」
今から外に遊びに行くかのような軽い口調で、和美の利き腕である右腕を掴み、血管を炙りだすように一部を軽く擦って血管を浮き出させようとするもう一人の男が傍にいるからかもしれない。
擦るついでに、他の男達のバレないように衣服の端から侵入を試みられているのに動いて防ぐこともできないし、その必死さに気持ち悪さが駆け上がってきているからかもしれない。
「動くな。動くと、痛い思いするぞ。何度も刺すことになったらこちらも面倒だ」
「あー、どうせこれから痛い思いもすると思うけどなぁ」
「でもその薬で痛いのも気持ちよくなるんじゃないかー?」
注射器をもった冷静そうだった男が、和美の必死の抵抗の一つであった縮こまるように体育座りをしていたその膝を、力ずくでがばっと開いては、その中に体を押し込んで右腕にゆっくりと注射器を近づけていっていたからかもしれない。
もしかしたら。
もう次の行為へと移ることを考えてか、背後から不必要に体を擦り付けてくる男がいるからもしれないし、目の前の注射針を持つ男が片手で膝頭の感触をじかに触れて確かめてきているからかもしれないし、右腕をおさえる男がすでに上半身の衣服の中へと手を侵入させてきているからかもしれない。
どこを見ても、男達の不気味な笑顔しか映らない視界。彼等の起こす行動に嫌悪感と恐怖を覚えながら、唯一誰もいない左へと顔を背けることしかできず。でも、今から少しずつ入っていくであろう注射針の恐怖にも堪えられなくて、自身の体を弄られていることよりもその針を凝視してしまう。
「……っ」
ぐっと、堪えることしかできず。
ただ、その表情がより男達の欲をそそらせたのか、更に背後からの抑える力が強まり、右腕を固定化する力も痛みを感じる程に強くなる。
必然と、和美の体にも緊張で体が強張っていく。
その時が、まもなく訪れることに、体が拒否して硬くなることもまた必然であった。
刺されたら。
もう終わり。
きっと、自分はもう戻れない。
このまま、このまま――
そう思った時に、やはりそのまま快楽に身を任せたほうが楽なのかもしれないと、諦めが支配していく。
――っつぷっ
そんな音が、酷く大きく。
彼女の、腕に。
注射針が刺さった音が、彼女の耳に、響いた。




