第267話:救うために 3
「水原君……?」
耳元に近づけられたスマホから聞こえた声に、冬は驚きを隠せない。
いや、正しくは、姫から渡されているのだし、以前もこの辺りで姫は御主人様と会話をしていたのだから、その相手が御主人様――水原凪であるということはわかっていたつもりだった。
だけども。
今この状況において、彼が出てくるということが理解できないからこその驚きだ。
『いやぁ、まさかお前がやり直しの張本人になるとは思ってなくてな。対応が遅れた、悪い。とはいえ、そこにいるはずの男がやり直しして平行世界を作りまくってるやつだって教えてくれてればもうちょっとやりようあったんだけどさ』
「え?」
『『始天』様とも交渉して、この世界は何とかしておいたから。後はああならないよう今度はしっかり励んでくれよ。また平行世界や並行世界を閉じてIFをなくしてはじめからなんていうのはごめんだからな。あれやると俺達記憶を持っているほうとしてはつらいんだよ。脳内でいろんな知らない記憶がごっちゃになったりするからさ』
「並行世界? 記憶……? 始天……様っ!? あ、水原君もしかしてあなたも記憶を!?」
『始天』という名前に、冬は心当たりがあった。
それはやり直しをする前に白い世界で出会った巫女装束の女性が名乗った名前だ。
『とりあえず、俺側のほうは何とかしといたんだけども、今取り込んでてな。ちょうど姫に手伝ってもらおうとしたんだけど、姫はお前のところで動いてもらうから話が変わってきててさ。こっちからの要点くらしか話せなくて悪い。細かいところは姫のほうから聞くといい……? ぅお!? 待て! 待て!? 碧、ナオっ! お前等はご飯作らなくていいからっ! 姫はしばらく戻ってこないから、お、ちょ――』
ぷつ。つーつー
と。スマホから音が消え、スマホも冬の耳元から離れていく。
……
…………
………………
「そういうことです」
「どういうことですか!?」
そのスマホが姫の胸元へとすぽっと入っては埋まって消えていく様に、先程までそこに入っていたものが自分の耳元にあったのかと下世話な考えを持ってしまって頬が赤くなっていく。
それとは別に、御主人様が何を言っていたのかを思い出して整理もしなくてはならず、冬はすぐにでも答えが欲しかった。
ただ、御主人様が焦っていたのはなんとなく分かった。
樹と冬は、二人して顔を見合っては、こくりと頷く。
多分。牛丼だ。
「あのような、食べたら死ぬような食べ物なんてどうでもよく。私は、何度か、ヒントを与えていたつもりでしたよ?」
「ヒント……――?」
姫からヒントなんてもらっていなかったような気がするのだが、そう言われて、冬はどこにヒントがあったのか考えてみる。
「私は、所々、分かるように伝えていたと思っていたのですが。……例えば、《《また》》、と。言いましたね」
<……『舞踊針』ではなく、『無用心』にしたほうがよいのでは?>
<はい。僕はあの技を『無用心』と名を改めます>
<よろしい。精進なさい>
<<本当にそれでいいのか!?>>
<お前……祝いに来たんだよな……?>
<ええ、そうですが? 私にまた名付けられることを光栄に思いなさい>
「え? まさか……」
その「また」という意味は、あの時点では『流星群』と名付けられた技のことに対して言っていたわけではなかったのか、と。
「他にも。貴方の自宅で、私は貴方に姉と呼ぶようになんて以前は伝えていなかったかと」
<では。私のことは姉と慕いなさい>
<はい、わかりました水原さん>
<よろしい>
<姫ちゃん、どさくさに紛れて何言ってんの>
それは確かに、言われていたような気がします。
あまり覚えてないんですけども、とどんな会話をあの時していたのか、必死に思い出そうとするのだが、スズや仲間達にまた出会えたことが嬉しくて覚えていないけども、確かに言われて答えたのだろうとも思う。
「ということは……」
まさか。と。
あの時あの場にいなかったのに、どうやって、と疑問は尽きない。
「では、もしかして、『疾の主』から逃げた時、以前は心の底から嫌そうだったから今回は違う行動をしたことも? 樹君の家であのように落ち着いているとか聞いてきたのは……」
他にも、姫の行動に不審な点があった。それらがすべて、姫が言うヒントだったのであれば、と。
「いい加減、呼んでくれてもいいと思うのですが。前と同じく――」
はぁと片頬に手を当てて、困ったような仕草をしながら、姫は冬を見る。
その困ったような表情が、
「――ひめ姉、と」
悪戯が成功したかのような、妖艶な笑みへと変わり、両手を広げ、まるで飛び込んで来いとでも言っているかのように冬を迎える。
「ひ――」
飛び込むわけはない。
でも、飛び込まなかったら、殺されるかもしれない。
そんなことを脳内で一瞬で考えては葛藤する間に、隣から腕をがしっと掴まれて引き寄せられて別の胸へと飛び込んでしまう。
『私の弟です。貴方のではありませんよ』
冬の隣にいた、枢機卿だ。
冬としては、「いえ、僕はどちらの弟ではありませんよ?」と言いたくはなったのだが、それを今ここで言ったら二人からなにを言われるか分からなかったので口を閉ざした。
諦めた、と言ってもいいだろう。
「枢機卿。貴方には以前しっかりとお伝えしたはずですが?」
『ぐっ……』
「覚えていないならもう一度教えてあげましょうか。私は冬と同じ実験室で産まれた、同じ血肉で作られて繋がった、『B』室の実験体なのですから、冬は実の弟なのですよ。貴方のように繋がりのない姉ではないのです」
『う……ぅぅぅ……』
「ですが、私は認めているのですよ、貴方を」
『え……認める……?』
「私と同じく、弟として身を挺して冬を守る貴方を。ですから、血が繋がっていなくても、貴方は冬の姉を名乗ることを、認めてあげますよ」
『……姫さん』
「初めて私の名を呼びましたね、枢機卿。……私のことは、姉と思いなさい」
感極まるという言葉が似合いそうな。
そんな状況に、冬を掴む腕に力が篭る枢機卿。
その力は機械兵器と同じなのだから、若干痛い。
だけど、そんな痛みよりも。
「……えーっと……?」
何を、目の前で行われているのでしょうか。
と。
思わず、冬はそう言いそうになって、だけども口に出したら色々二人から言われそうなのでとりあえず急ぎたいと思う。
だけども、ひめ姉はとんでもないことを口走らなかっただろうかとも思った。
同じ実験室で生まれた?
世界樹の中にあった『B』室のあの試験管の中にいた?
そんな情報を少しずつ知り、目の前で繰り広げられる弟についての口論を見ながら、
僕が知らない情報を、すう姉もひめ姉も持っている。
勿論、何度も繰り返している樹君にも万代さんにもある。
そして僕も、恐らくは皆が知らない情報を持っているはず。
冬が知らないところで色んな記憶を持ち合わせている皆に、冬はこのやり直しによって色んなことが解決できるのではないかと確信していく。
「……俺も言ったと思うが。冬より後に生まれているんだから、お前等二人とも、妹じゃないか?」
『……っ!? その手が!』
「い、いもうとっ!?」
樹君……。
より二人の話をヒートアップさせないで欲しいです。
そんなやり取りを、冬以外の周りの仲間達は、
「いや、状況を考えて欲しいんだけども……」
「まーわいら置いてきぼりってのもわからんでもないんやけどもなー。さすがにそっからこんな話になられたら敵わんで」
「……何か、すまないね。身内の話で盛り上がっちゃってるみたいで」
「『20番』さん気にしないで~。まさか私も、貴方達がピュアさんの指示受けてきてるとか思ってなかったから~」
「……はべらかしとったくせに」
「だんな様~? 私も私で結構傷付いてるってわかってる~?」
そちらはそちらで、十分揉めているようで。
……樹君。
本当に、これ説得できてますか?
なぜか不安になる冬であった。




