第236話:もう一人の自分 3
「……今、なんていった?」
それは僕が聞きたいです。
目の前の彼――僕を助けに来てくれたであろう樹君に向けて僕が発したその言葉は、僕自身にも衝撃を与える。
なぜ彼のことをそのように呼んだのか。
成功体?
それはスズに対して使われてる言葉ではなかった?
他にも成功体がいる?
そんなことを思わず考えてしまうけども、今はそんなことを考えている状況でもないと思う。
なぜなら、自分の体は、自分が思うように動いてくれていないから。
まるで誰かにこの体を動かされているよう――
<動かされているようではなくて、動かされているんだよ>
自分の考えにすぐに反応が返ってきた。
でもその反応は脳内に直接響くような声であり、その声は――
<……僕?>
――明らかに、自分の声。
<そう。僕。不安がらなくていい、安心してよ。僕は僕であり、君も君であり。僕も君であるから君も僕だ>
それはつまりは、『僕』であるということしか言っていない気がする。
でも僕はこのように僕という彼と会話をしている。なので僕と彼は違うと感じてしまうのに、僕と彼が一緒だといわれても、どこをどう安心できるのだろうかと思う。
致死から復活し長い間スズに包まれていて体がまともに動かなくなっただけでなく、脳にもダメージがあったのかと思わずにはいられない。
<違う違う。二重人格とかそういうのでもないから安心してよ。僕はもうすぐ消えるから。僕は……そうだなぁ……言ってみれば、残留思念だよ>
<残留思念?>
<そう。――君が僕であったときの残留思念。……なんにせよ。成功体と話をしないと彼の目的が達成できないから、そうなると全てがまた振り出しだ。こんなこともあろうかと残しておいて本当によかった。さすが僕だね。僕も自分を誇るといいよ。僕は君で君は僕なんだから>
自分で自分を褒めるように指示されているのもまた奇妙な経験だった。
はいわかりましたと素直に言える状況でもないのは確かだから、やはり混乱する一方で。
<時間もない。僕の体なんだから僕が使わせてもらうよ。大丈夫。僕はすぐに消えるから>
<え?>
<もう、僕は僕でなくなり、君が僕となったのだから。君の疑問に関して少しは解決できればいいけど、成功体次第かな>
そんな言葉を脳裏に残し、僕の体は立ち上がった。
よろよろと、間違いなくまだ本調子ではないその体は、立ち上がった後、すぐに倒れこんでしまい、その体を樹君が支えてくれる。
「……ありがとう、成功体君」
「だから……お前は、なんでそれを知っている……?」
「知ってるさ。君の今置かれている状況だって勿論」
「っ!?」
樹君が置かれている状況。
それは僕をあの穴から落として先へと進ませたことにも関係しているのだろうか。
あの時もし樹君もすう姉も一緒に『縛の主』の元に辿り着いていたとしたら、僕はこのような状況になっていなかっただろうか。スズを……救えていただろうか。
<答えは、否だよ>
体を動かす僕がそう返事を返してくる。
「救うのは、これからさ」
「……? なにをだ?」
僕が「こっちの話だよ」とくすりと僕が行わないような笑みを浮かべる僕。
それを見ているだけの僕には違和感しかない。
でも。救うことができる。その言葉を今は信じるしかない。
「……成功体君。ここに辿り着いた、ということは首尾は上々なのかな?」
「どういう意味での質問かはわからんが、後はお前と許可証を飛ばすだけだ」
「で?」
「……で、とはなんだ?」
樹君の言葉に、僕の体を使う彼は、目を見開き、肩を貸してくれている樹君を驚きの表情で凝視した。
「……まさか、君……」
「?」
「……僕のことは、分かるかい?」
「は? 何を言っているんだ。分かっていなければお前を助けにきたりなんかしないだろうし、頼ろうともしない」
頼る。
それは一体何を意味しているのか僕には分からない。
でも、その頼るという行為は、それだけ僕のことを信頼してくれているのであって、その信頼が先の僕を一人で立ち向かわせた行為にも意味があったのだと思うと、樹君が何をしようとしているのか興味が湧いた。
それとともに、ずぅんっと、大きく部屋が揺れる。
この揺れが一体何を意味しているのか。ここにいてからこのような揺れがおきたことは今回が初めてだとも思う。なぜならこの部屋が揺れるような出来事が扉の向こう側で起きているから。
ちらりと見えたその姿から、すう姉と思われる誰かと、その先にいた誰かが戦っているから。
「いやいや、君は僕を誰だと思っているのかな」
「お前こそ何を言っている。お前は冬だろう」
いや、ごもっともですよそれ。
本当に僕は何を言っているんですかね?
樹君も僕の言っていることに眉間に皺を寄せ訝しげな表情を浮かべている。
僕も僕で、今僕の体を動かしている僕が何を言っているのか理解できないし、今のこの状況を理解できているわけでもないからより混乱してしまう。
彼は何を聞きたいのだろうか。
僕の知らない情報を握る、僕の過去の残留思念といった彼。
明らかに樹君を知っている彼。
スズと同じく『成功体』と呼ばれた樹君。
これらが何を意味しているのか。
僕達が、僕が許可証を手に入れて初めて会った試験会場より前に会っているとしたら。
それは……いつ? いつのことですか……?
そう思ったとき、その問題の一つの鍵となることを思い出した。
<ねぇ。君はいつもそこで浮いてるけど、話とか出来ないの?>
<――……――>
<あはは。話、出来るんだ。ねぇ。だったら、僕と、お友達になってほしいんだけど、だめかな?>
<――……――>
<え? 友達ってなにかって言われても>
<――……――>
<うーん? だったら、お互いの自己紹介から始めようよ。じゃー、君はなんて名前ですか?>
<――……――>
<疑似人工生命体? 個体名称『鈴』? 長い……もう、スズでいいんじゃないかな?>
<――……――>
<ああ、僕? 僕は、『B』室・遺伝子配合組み換え強化研究実験準成功体・身体複合型被験体・個体めいしょ――>
<――……――>
<え。僕の方が名前長い?……あ、ほんとだねっ>
<――……――>
<だから僕の名前はなんだって? 途中で途切れさせた君が言わないでよ。僕はね――>
それは僕が試験管で液体となっているスズに話しかける記憶。
それはこの部屋で――『苗床のゆりかご』で僕とスズが話して友達になった時の記憶。
そんな記憶、本来なら持ちえていないはずだった。
だけど、僕は持っている。
持っているならこの記憶は、確かにあった記憶なのかもしれない。
<僕はね、貴方が創りだしたからここにいる。でも、意志を得て作り出されたからこそ、貴方にそのように言われるのは悲しいよ。それは貴方に作られたみんな。母であるスズだって、そう思ってるはずだよ>
<我に向かってよく言うもんだ>
<そりゃ言うさ。だって貴方のその態度が。人を人と思わないその態度が。今のこの状況を作り出したんでしょ? 貴方がもっと僕達に優しければ、僕の扇動に、誰もついてこないよきっと。そうでしょ? 『縛の主』>
それは『縛の主』と相対する前。『縛の主』を僕の敵と断定する前に見た記憶。
自分にまったく身に覚えのない、誰のかさえも分からなかったその記憶。
扇動……?
自分が知らないはずの記憶と、記憶の中で自分が言っていたその言葉に。
もし。自分が以前『縛の主』と会っていたとしたら。
もし。自分が記憶の通りに、扇動して『縛の主』と戦っていたとしたら。
もし。その戦いで――
「冬? それはどっちの冬のこと?」
「どっち? 何の話だ」
「なんだ。じゃあ君は結局、記憶を失ったままなんじゃないか。成功体君」
――記憶を消されていた、なくしていたとしたら。
僕は何度も記憶を改竄されていたりしている。
姉さんのこともそうだし、今のこの記憶もそう。
だから、この記憶ももし消されていたとしたら。
僕は……




