第234話:もう一人の自分 1
<冬……冬……>
最愛の人の声で、僕は目を覚ました。
<……ああ、スズ。おはようございます>
どうやら自分は深い眠りに落ちていたようで。
そんな眠りから覚めた自分の周りから、変わらずぽこぽこと体から定期的に細かな気泡が溢れては消えていく。
この暗闇の中でどれだけの日数が経っているのか、僕には分からない。
むしろ自分がこのような状況に陥ってからどれだけの月日が経っているのだろうかなんて考えても、答えはでないのだろうとも思った。
辛うじて、時折光る自分の周りを纏う水がきらりと光って辺りを照らすその時に暗闇が照らされはするも、見えるのは太いパイプの機械ばかり。
こんな暗闇の中で一人でいたら、きっと壊れてしまうでしょうに……。
なんて思った自分は、スズが一人でこんなところに入らなくて良かった、と、こうなった原因は自分にありながら、ただスズを一人にさせなくてよかったと思ってしまう。そんな自分にほんの少し笑ってしまう。
スズから離れたくない。
スズを助けたい。
スズと共に生きていたい。
そう思っていた自分の今は、あの時――『縛の主』と戦い、抵抗という抵抗さえ出来もせずに倒されてしまった自分の力のなさが招いた結果であり、力がなかったからこそスズを護れず敵の手に落とさせてしまったこともまた自分のせいでもある。
そう思うと、もし自分に力があったら、なんて考えてしまうのは、自分が後悔しているからなんだろうとも感じてしまい、だったらもしやり直すことができるのなら、僕はどうしたいのか、なんてことも思考してしまう。
<冬……冬……>
<――あ。ごめんなさいスズ。何かありましたか?>
<ううん、まだ眠いのかなって……>
<いえいえ、眠いわけじゃないですよ。少し考え事をしてまして>
<考え事?>
ぽこぽこと僕がほんの少し身動ぎするだけで現れる気泡は、僕の体――衣服から酸素が出ているためである。
今僕は、スズという液体となってしまった最愛の女性に包まれながら、共に大きなガラス張りの試験管の中にいる。
時折スズである液体が吸い取られてパイプの中へと流れて減りはするが、スズがすぐに補充してまた試験管の中は液体で満たされていく。
そんな光景しか動きのない、機械音だけが響いている真っ暗なこの部屋には、今は僕とスズだけしかいない。
でも、スズは液体となっているから、実質僕だけだ。
そういえば、スズであるこの液体を使って、『縛の主』は何をすると言っていただろうかと、敗北したあの時のことを思いだしてみる。
研究するとは言っていたような気もしますが、その研究がなんだったか言ってはいなかったですね……。
肝心なところを聞き漏らしていたと思ったものの、自分にも関係しているような気がして、それが自分が知っているような気もしていて、手の届かないところが痒いような……まさにその言葉がしっくり合うようなむず痒さに、考えを変えようとスズに話しかけた。
<スズは、あの人と共に生きていくのですか……?>
<っ!?>
気泡が一気に溢れては液体がほんの少し揺らいだ。
それがスズの感情を表しているのだと思うと、この動きはスズのどういった感情だったのか想像してみるが、どういうものなのかは分からないまま。
であれば、本人に直接聞いてみるほうが早いとも。
あの時、『縛の主』は、スズのことを自分の所有物であり、駒であり、そして伴侶であるとも言っていた。
離すことはないと言っているものであり、また彼が求めるスズというものは、この液体状態のスズだという事も理解は出来ている。
そこに愛情はないのだろうとも思う。
なぜなら、彼にとってのスズは、本人が断言していたように、ただの研究材料だから。
だけど、僕にとってのスズは、そんなものではなく。
どう伝えれば分からないほどにスズのことは愛おしくて、どんな言葉でさえも陳腐に聞こえるほどにスズのことが大切だからこそ、スズという存在が欲しいと思う。
だから、スズが一緒に逃げたいと思うのであれば、それこそ今度こそ命を賭けて護りきりたい。
『縛の主』に会えばまた同じように敗北するかもしれないけども、ここから逃げることくらいなら出来る気もしている。
いざとなれば、仲間達にも連絡を取れば、なんとかなるかもしれない。
だから、もしスズが、僕と一緒に行ってくれるというのであれば、今すぐにでも。
と、質問した後に自問していたが、スズの様子がおかしいことに気づく。
<どうして、そんなこと、聞くの……?>
<いえ、僕はあの人に負けました。だから、スズは何か取引したんじゃないかなって思って。……ほら、あの人は、スズのこと伴侶だって言ってましたし……>
<……い>
<え?>
スズの言った言葉が聞こえず聞き返すと、気泡が一気に溢れてはぼこぼことお湯が煮だつように試験管の天辺にぶつかっては消えていった。
僕の体を包むスズも揺らいでは荒れ、試験管の中は竜巻のようにぐるぐると液体が渦を巻く。
試験管が人二人分くらいの大きさだからまだ余裕はあるものの、竜巻の中心で液体がなくなって真空状態になられては流石に僕も辛い。
今まで酸素を吸っていたわけでもなく、恐らくは体全体に液体となったスズが入り込んでいて、代わりに隅々まで酸素供給をしていてくれたはずだから生きているのであって、いきなり真空状態になれば酸素を必要としてしまうので口から液体は溢れて肺は酸素を求め出すし、そうなると一気に穴という穴から液体をあふれ出しそうになるのだから、思いっきり咳き込んであらゆるものを吐き出してしまった。
すでに体の中には何も入っているわけではないのだから悲惨なことにはならなかったものの、もし入っていたと思うとぞっとする。
次にパイプ管が液体を吸いだすときはそれらを優先的に回収してもらおうとか邪なことも考えてしまうほどにぞっとした。
なぜこんなことになったのかなんてことさえ、考えるまでもない。
スズが、怒っている。
そうすぐに理解できてしまって、僕はあたふたと慌ててしまう。
なんで怒っているのかなんてすぐに理解できた。
何も考えずにただ言ってしまったことを後悔する。
<……酷いよっ!>
<ご、ごめんなさい!?>
<私がどうして冬以外の人と一緒にならなきゃいけないの!? こうやって冬と一緒にいられるのがどれだけ私が嬉しいかわかる!? 私だってそれはこんなところじゃなくて元の場所で冬と一緒にいたかった! 皆とも仲良く生きてたかった! でもそれができなくなったから……っ!>
僕は、なんて酷い質問をしてしまったのだろうか、と。
そんなこと、スズだって本当はこんな場所にいたいなんて思ってもないってことくらい、考えなくても分かったのに……。
スズも僕も。
外の世界は、恋焦がれていたものだったから。
そんな心の声が、聞こえた気がした。
でも、そんなことはあり得ない。空耳だと思って、怒るスズを宥めようと動く。




